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まつたけのブログ

世界の片隅で愛を避ける孤独なキノコの魂の叫びを聞け!…聞いてください(◞‸◟)猫とマンガとアニメと嵐をこよなく愛するまつたけによるまつたけのブログ

botになりたい

botになりたい。あるいは情報統合思念体になりたい、もしくは神になりたい。

概念になりたい。概念的存在になりたい。個人であることから解放されたい。

個人であることの重圧や苦しみと比べれば、神であることはニートでいることよりも気楽でいい気なもんだと思う。

 

人生のあらゆる問題は対人関係の問題である アドラー

鍵アカを作ってそこでウジ虫のように女々しい弱音だとか生きてりゃ誰でも感じるような生き苦しさだとか喚き散らしていても、なんかスッキリしない。

むしろモヤモヤがたまる。あれ?これって大丈夫かな?って気になる。

なんか、フォロワー数が少ないと一人ひとりのフォロワーさんとの距離がなんとなく近いような気がしてしまう。

具体的な誰かに語りかけているわけではないし、まして誰かに助けてほしいとか交際してほしいとか援助交際したいとか援助交際してほしいとかアピールしているわけでもない。

99割くらいただの自意識過剰なんだろうなってことも一応頭ではわかっているのだけど、やっぱり気になってしんどくなってしまう。

そういうしがらみみたいなもの、そんなものは僕の頭の中にしかないことも薄々わかりつつ、やっぱり気になるから完全に無関係でありたい。

「この大空に翼を広げ飛んでいきたいよ、悲しみのない自由な空へ翼はためかせ行きたい」と思っているのに関係性の中に片足を絡め取られたままそこから抜け出せないし羽ばたけないみたいな感じ。誰かわかってくれますか?わかって!

モノを食べる時はね、誰にも邪魔されず
自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ
独りで静かで豊かで・・・

これは「孤独の哲学者」と呼ばれた井之頭五郎という哲学者(1961~2012)の言葉だけど、まさに関係性からの解放について語った言葉だと思う。

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俺は人間をやめるぞ、ジョジョー! DIO

たとえばこのセリフ。もうなんかいい加減聞き飽きてうんざりしないだろうか?でもDIOはそんなことは気にしない。なぜならDIOとはただのマンガのキャラであり非実在吸血鬼である概念でしかないから。

「俺だって人間をやめたいよ!」

それがbotになりたいってこと。botはいいぞー?なんせbotは、個人であることから完全に解放されているんだ。

botはね、概念なんだよ。あるいはそれは電子の海を周期的に漂い流れる記号学的サインとしてのメメントモリにおけるハナエモリなんだ。

リプライをもらっても登録された返信をいくつかのパターンに沿って吐き出すだけ。まるで昔のチェーンのラーメン屋さんとかによく置いてあった100円入れてやるおみくじのアレみたいじゃないか。やったことないけど。

そういうドライな感じって憧れる。僕は自分でもウェットすぎてじめじめして重だるくなって疲れてしまう。

個人であることは苦しみなのだ。「人生は重き荷を負いて遠き道を往くが如し」と言ったのは徳川家康だが、その「重き荷」とはすなわち自分自身であり個人性そのものだ。

その点botはそんなこと知ったことではない。「ひとりひとりのお前らのことなんて知らねえし他人のことなんて知ったこっちゃねえよ。というか俺の中には最初から『他人』という概念は存在しないんだ」と言わんばかりにたわわに実ったこぼれんばかりの自由をぷるんぷるんと左右に揺らしながら、フォロワーが1万人だろうと4人だろうと、まるで気にしないで登録された言葉を延々と吐き散らかすだけ。ロックだ。

ふと思ったんだけど石仮面って多分前頭葉を破壊するロボトミーマシーンなんじゃないかと思う。

人生のあらゆる問題は自意識の問題である アラサー

でもここまで書いてきてなんだけど、結局「関係性」というのも僕の頭の中にだけある概念であり思い込みでしかないのだろう。つまりそこには本当は自意識しかない。

本当は全部自意識の一人相撲で、ありもしない関係性やそれに伴う問題を連鎖的に作り上げてはそれで自分を縛る、苦しむ、という謎の一人SMプレイをしているだけなのかもしれない。

なんか、本当はこんな話がしたかったわけじゃないような気もするけど、そういう自分のままならなさとかも含めて、やっぱり僕はbotになりたい。

ああそうか、求めていたのは関係性からの解放ではなく、自意識からの解放ということだったのだ。

本当はありもしない関係性からの解放ではなく、「関係性」という妄想をまことしやかに作り出してしまう自意識から解放されたとき、はじめて人は自由で、なんというか救われていて、独りで、静かで、松重豊かであることができるのだろう。

botになりたい。井之頭五郎botになりたい。