まつたけのブログ

世界の片隅で愛を避ける孤独なキノコの魂の叫びを聞け!…聞いてください(◞‸◟)猫とマンガとアニメと嵐をこよなく愛するまつたけによるまつたけのブログ

たくらむ技術を読んだ感想

加地倫三さんのたくらむ技術 を読んだ。絶対面白い本だと思って図書館の一年近い予約待ちの末ようやく読めた。想像していたような内容ではなかったけど、想像以上によい本だったので感想というか印象に残ったことなどをメモしておく。

 

僕はアメトークはあまり見たことがないんだけど、ロンハーはすごく好きだ。飯島愛さんや梨花さんがいた頃の格付けしあう女たちが一番面白かったと思うし、あの頃と比べると格付けも他の企画もつまらなくなってしまったとは思うけど、いなくなってしまったものはしょうがない。それでも毎週火曜日は楽しみだし、ひとりでテレビを見ながら大笑いしている(客観的に見たらめちゃくちゃ寂しい光景なんだろうな・・・)。

こういうことを言うとすぐ嫌悪感をあらわにする人がいるからあまり言いたくないんだけど、そうなんだからしかたがない、僕はあまりテレビが好きではない。つまらなかったりくだらなすぎて見ていると楽しむどころかイライラしてきてしまう。だからテレビはほとんど見ないので比較のしようもないんだけど、ロンハーは楽しみに見ているんだから別に無条件にテレビが嫌いなわけではないと思う。

ロンハーやアメトーーク!を見ているなら両番組の演出とプロデューサーをしている加地さんのことも知っていると思う。僕は前々からこの人がイケメンであるというだけの理由でなんとなく好きだった(別にホモではないけどイケメン大好きなんだよね)。で、僕はロンブーの淳さんも好きで(ネットではめちゃくちゃ嫌われてるみたいだけど)、たまにロンハーのドッキリとかで淳さんと加地さんの息のあったコンビプレイやアイコンタクトだけで了解しあってターゲットをハメたりする様がすごく好きなのだった。なので加地さんが本を書いたなら読んでみたかったし、タイトルが『たくらむ技術』なら言い方は悪いが人をハメる技術とかそういう本なのかなと思っていた。

でも読んでみたら全然違くて、「たくらむ」というネガティブなニュアンスの内容でもなかったし、そもそも技術論なんかではなく、一言で言えばごくごくまっとうかつ上質な仕事論だった。200ページそこそこの薄っぺらい新書だったら、そう思う箇所が一箇所でもあれば上等と思うような感銘を受けた箇所が何箇所もあったので想像していた内容ではなかったけど想像以上によい本だったと思う。

ロンハーでたまにドッキリのターゲットと打ち合わせと称して食事している際などに見かける加地さんは、とにかく仕事のできる男の人というか、シャープでクレバーでスマートで、みたいなカタカナ語での形容がふさわしいような、クールで頭の切れる人、という印象だったんだけど、この本を読んでだいぶ印象が変わった。もちろん頭のいい人には違いないんだろうけど、勝手に想像してた何倍も何十倍も熱くて、自分の仕事に対して情熱的な人だった。この本の中でも自分をまんじゅう職人にたとえていたけど、それくらいプロ意識というか、職人としてのこだわりとか矜持みたいなもので仕事をしている感じがめちゃくちゃかっこいいのだった。

それでいてロンハーやアメトーーク!の業界的な成功を自分の手柄だとかそんなふうには思っていない感じがした。むしろ出演している芸人さんたちへの敬意がハンパない。そりゃ自分が芸人だったらこんな人と仕事したいよなあと思うのだった。

僕はお笑いとかにまったく詳しくないのだけど、たまに年末の特番とかで大きな大会(?)かなんかを見ると、正直9割がたクソつまらないと思ってしまう(残り1割はすごく面白いと思うし見ていてたくさん笑うので別にお笑いが嫌いなわけではないと思う、っていうか自分では好きだと思う)。あと一昔前エンタの神様とかレッドカーペットとかが流行ってた頃の「お笑いブーム」的な感じに完全にテレビは死んだと思っていた(あの頃の絶望感のせいであんまりテレビ見なくなったのかも)。なので生意気で本当に申し訳ない話だけど、自分の正直な気持ちとしては「クソつまんねえ芸人になんて存在価値ないんだからテレビから消えろよ」くらいに思ってしまっていた。

なのでたとえば正直出てきた頃の狩野英孝さんとかもすごく嫌いで、どうせすぐ消える一発屋芸人だと思っていたのにロンハーにも頻繁に出始めてちょっと「おいおい」って思っていた。でもロンハーを見ているうちに「あ、こういうのはこういうのでありなんだな」ってことがわかってきた。出川哲朗さんとかカンニングの竹山さんとかもずっと好きじゃなかったんだけど、ロンハーで見てるうちにイジられ方が面白くて笑ってたり。これってすごいことだなって思った。正直今でも「単体で面白くない芸人さんってどうなんだろう?」っていう気持ちもないわけではないけど、でもテレビ的においしく料理できる人がいるならもちろんそれはありなわけで、強いて視聴者側(自分)に厳しい言い方をするなら自分の側にその魅力に気づくだけの力がなかったとも言える(まあテレビなんて気楽に見てるだけのものなのに視聴者側にそこまでの力量を求めるのはおかしいと思うのでやっぱり芸人さん単体でも面白いに越したことはないと思うけど)。

そのあたりのことも当たり前だけど加地さんはめちゃくちゃ深く考えていて、どう調理すればおいしくなるか、というと少し冷たい感じもしてしまうけど、この人の場合はどう演出すればその芸人さんの魅力を最大限引き出してあげられるか、みたいな考え方っぽい。正直感心し過ぎて感動した。自分の仕事への情熱と、すごい人への敬意。すごい人のすごさに気づける人のすごさすごさを引き出してあげられる人のすごさ、みたいなものを強く感じた。

面白かったのはそういう加地さんの意図を芸人さんはみんな見抜いてくるという話。千原ジュニアさんにそれを指摘されたという話はわかるんだけど、「出川さんですら」(って本に書いてあったwww)かなり的確に分析していて、番組のことだけじゃなく「あいつは伸びる」とか誰が売れるとか、そういう予想もかなり的確という話がすごく面白かった(でも自分の分析だけはまったくできていないという話はもっと面白かったwwww)。

あとテレビ業界ではお笑いをプロレスに例えるという話が印象深かった。

いいプロレスラーの資質とは、決め技をたくさん持っていて、それを連発できることではありません。対戦相手の決め技をきちんと受けて、相手の力を際立たせた上で、自分の決め技を繰り出すことができるのがいいプロレスラーです。受け身が上手で、受けた後の返し技がうまいプロレスラーは試合を盛り上げることができます。もし技をかけられるのをずっと嫌がっていたら、試合中ただ動きまわっているだけになってしまう。

これを読んで思ったのは、自分は今まで強いレスラーになりたいと思っていたこと。レスリングでオリンピックに出て金メダルを出ることが目標なら、わざわざ相手の技を受けるなんて馬鹿げた話はない。相手に何もいいとこを出させずに圧倒的な実力差で完封してしまうのがいいに決まっている。ただこれがショーであるプロレスになると(※プロレス詳しくないのでファンの方いても怒らないでね…)、そんな勝負は面白くもなんともない。それどころか一方的な虐殺みたいに見えて不快感さえ感じるかもしれない。「人に見せる」、「人を魅せる」ということを考えるなら、強いレスリング選手になるのではなくて、いいプロレスラーにならないといけないのだなーと思った。一方的なレスリングみたいな人間関係って、たとえそれが上司と部下みたいな上下関係であってさえ長期的には結局うまくいかないんじゃないかって思う。相手のいいところを存分に引き出してあげて、その上でそれを上手に受けきれる人こそ本当にかっこいい人だなーって思った。

技術論やハウツーではないので、そういうものばかりほしがる人には肩透かしを喰らうような内容かもしれないけど、もっと根本的で土台の部分についてしっかり書かれている本なので、逆にこの部分でなにも感じるところのない人が表面的な技術論やハウツーだけ求めてなんになるんだろう、という気は個人的にはする。むしろこの人の人間関係への気配りや仕事の段取りといった技術論的な部分も、全部ひとえに「いい仕事をしてやろう」という自分の仕事への情熱という一点から自然にできあがったものなんだろうなと感じた。「パクらない」とか「生死に関することはネタにしない」といった加地さんの流儀も、倫理観からどうこうということではなく、自分自身の仕事に情熱とプライドを持っているからごく当たり前にそうなるということなんだと思う。自分もそんな情熱を持てるような仕事を見つけられたらいいなー・・・。

 

自分がいなくなればいいと思ってしまう病気

自分がいなくなればいいんじゃないかと思ってしまう病気について書いてみる。

僕には友達がいない。友達ができない。たまに一瞬「あれ?もしかして友達ができたのかな?」と思ってもせいぜい数ヶ月と保たずに破綻する。

 

もちろんそんなのは自分がおかしいに決まっている。別に僕は「自分が悪い」とは思わないけど、「自分がおかしい」ということはいい加減うんざりするくらいわかっているし、ましてや「相手が悪い」なんて思う気持ちはこれっぽっちもないのだった。ただあまり人格障害とかを言い訳にしてしまうと、同じ人格障害でも僕みたいに安易に逃げたり切れたりぶっ壊したりせず、必死にがんばっている人もきっといると思うので、そういう人たちに申し訳ないからあまり自分のダメさを貶めたり自虐するのに「どうせ自分なんて◯◯だから」みたいな言い方はしたくないなと思うけど。

とはいうものの、メンヘラのお手本みたいにあらゆる人間関係が致命的に破綻していくこれまでの人生は、控えめに言ってあまり生きていて楽しいものではなかった。

これもものすごく控えめに言って、僕はあまり人から好かれるタイプの人間ではない。多少なりと興味を持ってくれる人は多分100人に数人、多少なりと好意を持ってくれる人はその数人を100人集めた中のさらに数人、とかそういうレベルだと思う。

そんな僕にとっては砂の中から金の粒(注:納豆ではない)を見つけ出すくらい難しい自分に好意を持ってくれる人たちと、必ずしもうまくいかない、というかむしろほとんど必ずうまくいかない、というのはちょっとしたプチ地獄だった。その状態は最近になってやっと人間関係のすべてを大部分あきらめられるようになるまで続いた。

ある意味で一対一の関係というのは後腐れがなくて楽だと思う。自分と相手との間だけの問題だから、解決に努めるのも、うまくいかずにお別れするのもすごくシンプルなことだと思う。人によっては一対一の関係は息が詰まるような感じがして3人、4人~と複数人の関係のほうが楽しいという人もいるみたいだけど、僕は3人以上の複数人になると一気に人間関係の難易度が桁違いに跳ね上がるのを感じる

たとえばAさんと仲よくなり、Bさんと仲よくなり、次にAさんとB さんが仲よくなる。本来なら大変結構なことなんだけど、僕の場合もうこの時点できな臭さを感じることも非常に多い。たとえばAさんとBさんの仲が悪くなってケンカしたりするとする。正直僕はあまり自分には関係ないことだと思ってしまう。ケンカの様子を見ていてAさんかわいそうだなとか、Bさんひどいなとか、そんなふうに思うことはあるかも知れないけど、基本的にそれはAさんとBさんの間の問題だと思ってしまう。なので実際にはこうした場合よくありがちな、「あなたはどっちの味方なんですか?」みたいなことを言われるといっぺんに気持ち悪くなってしまうし、「あなたのことは好きだけどA(B)さんと仲いいみたいなんで私は身を引きますね」みたいなことを言われたりすると、僕とAさんの関係は僕とAさんの間での問題だし、僕とBさんの関係は僕とBさんの間での問題じゃねえのかなあと思っている僕としては、なんかもう疲れてしまって「あっ、そうっすか、お疲れっした」くらいの返事を返すのが精いっぱいなのだった(実際そんな風になってしまったら例外なくAさんともBさんとも結局おしまいになるんだけどね)。

 

とはいうものの人間関係というのはそんな僕が考えているほどシンプルでも一筋縄でもないことはわかる。だからこそ僕みたいに頭も心も弱い人間はすぐに疲れて嫌になってしまうのだけど。

たとえばこれも自分つながりの人たち同士で仲よくなって何人かで仲よくしていたとする。うまくいっているときはみんなが仲よくて楽しそうにしてるんだけど、うまくいかなくなるとみんながぎこちなくなって苦痛に感じている気がする。そうなると僕はすぐ悲しくなって消えたくなる。消えたくなると言うのは自殺したくなるという意味ではないけど、その関係の中から消えたくなる。

単純に苦痛でしかなくなってしまった関係から逃げたいという気持ちもあるんだけど、それ以上に「自分がいなくなればいいんじゃないか」と思ってしまうともう居ても立ってもいられなくなる。なにしろいくらなんだってこんなに人間関係がことごとくうまくいかないのは自分がおかしいに決まっているのだ。その自分さえいなくなればこの人たちはまた前みたいに仲よくなれるんじゃないか、みんなで「なんだよあいつ」とか僕の悪口を言ったりしながら、なんだかんだで前みたいに楽しくやれるんじゃないか、そんなことを考えてしまうと、もう死にたいくらい苦しくなるし、まだ死にたくはないのでそれなら早く消えたい、自分がどっか消えようと思ってしまうのだった。

それで実際その人たちがまた前みたいに仲よくなれたのかとか楽しくやってるのかとか、それとも結局空中分解しちゃったのかとか、そんなことはわからない。そんなことは知らないし知りたくもない。結局空中分解してしまうのも悲しいし、かといって自分がいなくなってせいせいしたとばかりにみんなが楽しそうにしているのを見てもきっと僕は悲しくなってしまう。だからもう関係を切った以上はその人たちのことは一切関知しない。関与しない。ものすごい身勝手で無責任だけど、そんなふうにして逃げてきた関係もたくさんある。

すぐに人間関係が負担になってしまうし、そうなってしまった人間関係を真正面からなんとかしようとか解決しようとか思って取り組むことができない。そんな気力も精神力もない。そうなってしまったらもうお終いだ、少なくとも自分がいたらだめなんだ、早く消えよう、早く消えなきゃって思ってしまう。

そんな無責任な人間が都合よくみんなで仲よくできる仲間がほしいとかそんなことはもういまさら思わないけど、やっぱりふと思い出しては寂しくなったり苦しくなってしまうことはある。孤独でしかいられない自分の未熟さみたいなものを呪ったりどうやって治せばいいんだとかそんなことも考えないけど、自分は孤独でしかいられないんだなーってことを痛切に感じながらすることもないのに眠れるまでひたすらぼーっとパソコンのモニター画面を見つめながら眠れずに毎晩起きてたりする。寂しい。

薬を飲まずにうつを治す!精神科医の自己メンタルセラピー