まつたけのブログ

世界の片隅で愛を避ける孤独なキノコの魂の叫びを聞け!…聞いてください(◞‸◟)猫とマンガとアニメと嵐をこよなく愛するまつたけによるまつたけのブログ

僕は人生を愛している

「僕は人生を愛している」というタイトルで雑然とした文章を書いていたら案の定長くなりすぎてしまったので記事を分けることにした。

ここではしょうもない僕のしょうもない両親についての話にしぼって書く、というか両親の話は基本どうでもよく、結局しょうもない僕自身の話。はじめからどうしたって僕には他に書くことなんてなにもない。

いまだにどうしようもなく過去に苦しめられている

人生公平に言って悪いことばかりではない代わりに、いいことばかりのはずもなく、どうしようもない厄介事ってやつもあるわけで、僕にとってそれはいい歳していまだに両親の存在だったりする。

僕の両親がどういう人間だったか、その両親のもとでどんなふうにして僕が育ったかという話は、自分にとってすらどうでもいい上になかなか一口に言えるようなことでもなく(というか思い出すのもめんどくさい)、それについては物好きな人にはブログを始めた最初期に書いた人生の9割が親で決まるんだったら僕は今すぐ自殺するという記事を読んでもらうとして、まあ要するに控えめに言っても多分そんなによく出来た親とか、世間一般の普通の価値観に照らし合わせて両親に恵まれた、ということは言えないのではないかと思う。

実際いまだに毎日とは言わないが毎週のように夢にうなされて汗やら涙やらで顔中濡らして飛び起きる、というこの上なく死にたくなるような朝や夜を何度も迎えている(こればかりは本当にいつまでたってもなれない)。 

今更親子ごっこでもないけど、親孝行ごっこくらいはしてみたい

しかし、実はこの数年来そんなパパとママとも少なくとも表面上は比較的、というかこれまでの人生ではかつてなかったレベルで良好な関係を維持していて、数年前まではどうやって許せばいいのかさんざん苦しんで気が狂いそうだったのが嘘みたいに、僕に出来る範囲の本当にちっぽけなレベルでだけど、親孝行の真似事もできればいいなーということは思っている。

もちろん完全に許せたなんてことは絶対に言えないし、これから先そんなふうに言える日が来るのかどうかもわからないけど、とりあえず意識の上ではこれまで苦しめられてきた過去に対するわだかまりはだいぶ解消されてきたように思う。

いや、夢でうなされたりしている以上、全然解消なんてされていないのだけど、先述の(※)「常に注意深く今にあること、今にとどまり続けること」という僕の人生の唯一の心構えとも合わせて、わざわざ自分から過去の苦しみを再生し続けてしまうことの苦しみからは完全ではないなりに概ね解放されたと思う(※長くなったので別の機会に記事を分けることにした)。

というか実際確実に楽になったし、なんとか人並みの親子ごっこができる程度には接することもできるようになったのだから、それは素直に格段の進歩だと思いたいし、なんなら自分のことを誉め散らかしてあげたい。よくがんばった、偉いぞ、僕!

そんでもって、そのパパとママもそろそろ誕生日だったり、大台を迎えたりとするわけで、普段まともな子供らしい親孝行などは一切していないものだから、さすがにそういうときくらいはいろいろおいしいお店に連れて行ってあげようなどと僕なりに考えたりもしているのだけど、基本出不精な人たちなので多分嫌がられて結局近所の居酒屋とかになるような気がする。

張り合いのないことだが悲しいかな僕がやっぱり基本出不精なのはもしかしたらあの両親の子供だからなのかもしれない、あらゆる面で両親とはまったく似ていないし全然違う人間だけれども(僕にはあの両親ほどのスペックすらもない)。

あなたが人生を愛する時、人生もまたあなたを愛していたことを知る

それでも、そんな両親に対して僕が所詮親孝行ごっこでしかないとしてもしたい、しようと思えるようになったのは、やっぱりこれもひとえに僕が僕自身の人生を愛しているからだと思う。

僕は自己否定感が強く、自分自身を愛しているとはなかなか言えないし、ましてや両親のことを完全に許したとか愛しているなんてことは少なくともまだ死んでも言えないけど、僕は僕自身の人生をこよなく愛しているがゆえに、文字通りその生みの親たるあの人たちのことも全否定してしまうことは今はもうしてしまいたくない。

はっきり言えば親のことはどうでもいいし問題ではないのだ。許すことはただ僕自身の問題だ。

あの両親であったにもかかわらず、いや、あの両親だったからこそ今の自分、今のこの人生にたどり着けたのだとしたら(そしてそれは実際そうなのだ)、僕はあの人たちのことを全否定してしまいたくはない。両親や他の誰のためでもない、自分と自分自身の人生のために。

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今はまだ未熟者だから自己否定感や虚無感も強く、なかなか拭い切れないけど、いつか(ここで「いつか」と言ってしまうのが結局自分の弱さなのだけど、願わくばそう遠くない「いつか」)胸を張って自分自身を肯定できるようになりたい。そして自分自身の人生をもっと100%の信頼を持って愛したい。

そのときこそ僕は僕をそこまで導いたすべての過去やすべての出会い、すべての苦悩や不幸をも肯定できるようになるはずだ(というか単純に論理的な帰結として肯定せざるを得なくなる)。

そのときには僕はこれまで僕自身をどうしようもなく苦しめてきた両親をはじめとする様々な問題や苦悩の数々が、まさにそれこそが僕の人生最大の祝福だったのだということに気づくことができるだろう。

そのとき、もはや人生に抱きしめられないものはない。それまでのあらゆる苦しみ、あらゆる孤独、あらゆる寂しさ、あらゆる悲しみ、あらゆる虚無感、あらゆる敵意、あらゆる憎しみ、あらゆる絶望、あらゆる死を思い詰めて泣いた夜、それらあらゆる不幸のすべてを、どうにかなりそうなくらいの泣き笑いの中で、心から愛して抱きしめることができるだろう。

今はまだ笑うことより泣くことの方が多い人生だけど、僕は僕の人生を信じている。生きている間は、生きることをあきらめはしない。

本当にろくでもないクソったれた人生だけど、僕はこのクソったれた人生を愛している。


V.E.フランクル それでも人生にイエスと言う
 『夜と霧』のアウシュヴィッツを乗り越えたヴィクトール・フランクルの実存分析哲学の集大成。


人生はニャンとかなる! ―明日に幸福をまねく68の方法
 この地球にかわいい猫がいるだけで、人生は無条件に素晴らしい!人生ラブ!おしまい。

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