まつたけのブログ

世界の片隅で愛を避ける孤独なキノコの魂の叫びを聞け!…聞いてください(◞‸◟)猫とマンガとアニメと嵐をこよなく愛するまつたけによるまつたけのブログ

少数派は少数ではない

少数派は少数ではないという話。

最初に言っておくと、この記事では少数派であるというだけで差別され、不当に虐げられてきた人たちの権利、みたいなめんどくさい話はしません。なぜならめんどくさいからです。差別は悲しいよね、やめようよ、くらいしか僕に言えることはない。差別は悲しい。やめましょう。

 

それからこの記事は「諸君の中の多数派は私の敵だ!私は、諸君の中の少数派に呼びかけている。少数派の諸君!今こそ団結し立ち上がらなければならない!」といったスクラップ・アンド・スクラップな政府転覆を図ろうといった意図は一切ない。あらかじめご了承ください。前書き終わり。

(※画像は外山恒一氏。この人の東京都知事候補の政見放送面白くてすごく好きなんだけど、絶対ただ面白がってやってるだけだと思うwwwww)

少数派は少数であることを意味しない

少数派って言葉は全体に対して相対的に少ない側って意味でしかないのであって、ネットも全盛の今の時代、少数派ということは必ずしも少数であるということを意味しない

たとえばあることに関して人口の0.1%しかいないマイノリティだとすると、リアルだと普通に暮らしていても出会える確率が低くてまったくいないような気がしてしまい、自分は孤独なんじゃないかと思ってしまったりするかもしれない。

単純に数が少ないから出会う機会がないというのももちろんあるし、マイノリティであるがゆえに恥ずかしくてカミングアウトできないということもあると思うので、実は知り合ってはいても気づかないということも往々にしてあると思う。

でもネットでは0.1%なんて数字は、相対的には少数派ではあっても、母数を考えれば少数でもなんでもない

現実に1000人でも10000人でもコンタクト可能なネットであれば、そのくらいの割合でしかいない人と10人でも20人でも知り合うことも可能だということだ。

必ずしも少数派だ、マイノリティだということは恥ずべきことではない。というか、少数派であるとかマイノリティであるということ自体は、単に「少数派だ」、「マイノリティだ」というだけの事実でしかないのであって、そのことを以って恥じる必要は本来であればないはずだ(まあそれを恥ずかしいことだとする世間の風潮もあるからそれはただの理想論なんだけど)。

少数派であることはユニークさやオリジナリティといった強みにもなり得る

もちろん同時にそのことを以って誇るようなことでもないし、自分は選ばれた者だ、愚民どもとは違うとか思い上がるのもわりと恥ずいけど、マイノリティであることが必ずしも悪いとかマイナスだということもない。むしろユニークさやオリジナリティといった強みにだってなり得る

そのことの意味をくれぐれも勘違いされたくないのだけど、別に少数派であることやマイノリティであることを武器に自分たちの権利を主張しようとかそういう話ではない。

少数派であることは弱者であることを必ずしも意味しないし、少数派であることを弱者であることにすり替えた挙句、「自分は少数派であり弱者である」という主張を武器にして、それを錦の御旗のごとく暴力的に振りかざし、たとえば「自分は弱者なのだから、お前たち多数派や権力側の人間には自分を特別に保護する義務がある」、みたいなことを主張する「自称弱者」みたいな恐ろしい人たちもいるけど、もちろん僕がここで言っているのはそういうことではない。

所詮同じ人間。自分の異質性に悩もうとあるいは僕の中で寒いセリフNo.1に堂々の8年連続入賞を果たしている「俺って異端?」とか言って滑稽な優越意識を持って悦に浸ろうと、まったく誰にも理解されないなんてことは絶対にありえない。

少数派ではあったとしても、同じような悩みや苦しみ(あるいは同じような優越意識)を抱えている人は必ずいるし、それとまったく同じ問題を持っていないからと言ってほかの人たちにまったく理解できないということもない。

もしかしたらあることで自分が少数派であることに悩んでいる、という告白だけでも、同じ悩みを抱えつつも人に言えず、自分だけかと思って悶々としていた人が救われたような気持ちになることだってあるかも知れない。

少数派の人間の証言は相対的に希少なので、それだけでも実は価値がある。もちろんそれこそ多数派にとってはまるで関係ない証言かもしれないし、まるで意味を持たない証言かもしれないけど、むしろそういう証言ほどまさにそれを求めていた人にとっては他のありふれた証言なんかとは比べ物にならない価値のある証言になるのだ。

その意味で少数派であることは強みにもなるし、それを必要としている人にとっては大きな価値を持ちえるのだ。

少数派の人ほど積極的に情報を発信すればいいと思う

少数派であることは少数であることを意味しないし、ましてや自分は世界にひとりぼっちだということを意味しない。

まあもし少数派であること、異端()であることの悦に浸っていたいだけなら世界はできるだけ狭い方がいいのだろう。「その気持ちわかる」なんて共感されようものなら自分のアイデンティティを脅かされることになってしまう。

でももし少数派であることに悩んでたり、マイノリティであることに苦しんでいるなら、そういう人ほど自分からネットでそのことについて情報発信をしてみたらいいんじゃないかなと思う。

少数派だからといって存在しないわけではない。むしろマイノリティだからこそ同じような苦悩やコンプレックスを抱えている人は同じような仲間を探しているものだ。

だから下手に「自分を理解してくれる人はどこにもいない」とか、「自分は世界で一人ぼっちだ」みたいなことを思うくらいなら、探してみるなり、それで見つからなくてもダメ元で自分からそのことについての情報を発信してみればいいんじゃないかなあと思う。

変な新興宗教や自己啓発セミナーみたいなやつの食い物にされるのはもちろん個人的にはおすすめしないけど、まあ極端な話そこで自分の居場所を初めて見つけることができましたとか言うなら、それはそれで(非信者をポアしようとかしなければ)いいのかなあとも思う。

ただ少数派であることを以って変にいじけたり世の中のすべての人を無理解と断じて絶望したり、そんなことはする必要もないし、それでもあえてそうするのなら、それは単にその人が愚かだとか甘えているというだけのことなんじゃないかなあと思う。

逆に、多数派側の人間は多数派側の人間で、多数派側であるということで少数派に対して優越意識だったり不当な差別意識を持ってしまいがちで、事実として少数派である、マイノリティである、というだけのことで差別されてきた人たちも悲しいことだけど存在する。そういうのは悲しいからやめよう。あ、これ前書きで言ったね!

自分が自分であることに勇気を、他人が他人であることにやさしさを

でも少数派の人たちには少数派の人たち同士で、もしかしたら多数派の人間が多数派の人間同士で感じ合っている連帯感や仲間意識みたいなものより、もっと深くて強固な結びつきを感じることができるかもしれないし、きっと悪いことばかりではない気がする。

それに極端な話、仮に少数派どころか本当に誰からも理解されないとしても(そんなことは絶対にありえないと思うけど)、自分はこういう人間だ、ということを主張するだけで否定されたり排斥されたりするというのは本来おかしな話なのだ。

もちろんそんな理想を言ってもしょうがなく、現実にそういう風潮はあると思うので誹謗中傷はあるかもしれないけど、と言って「みんなと違う」というだけの理由で魔女狩られて火炙りにされるほど野蛮な時代でもないので、そこそこタフなメンタリティのある人なら自分はこういう人間だということを主張するのに変に臆病になる必要はないと思う。いろんな人がいるから面白い。みんな一緒じゃつまらない。みんなが自分が自分であることに勇気を持てたり、他人が他人であることにやさしさを持てたらいいなあと思う(←これどう?今僕いいこと言ったんじゃない?どう?)

以上、自分自身の話や具体例はまったく出さず、最後まで曖昧模糊とした抽象論だけに終始した「少数派は少数ではないし、強みにもなり得る」というお話。これにておしまいだよ~。