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まつたけのブログ

世界の片隅で愛を避ける孤独なキノコの魂の叫びを聞け!…聞いてください(◞‸◟)猫とマンガとアニメと嵐をこよなく愛するまつたけによるまつたけのブログ

呼吸をするように書くこと。あるいは書くことの魔法について

ブログ 自分 考えごと

突然だけど今日からできるだけ毎日ブログを更新することにしようと思う。

前は持て余していた暇な時間を潰すためにしかたなしに嫌々書くといったわれながら意味不明な状態でブログを書いていたのだけど、そんな暇がなくなったらなくなったで、実は純粋に書くことが好きな自分に気づいたりするのだから人生とは皮肉なものだ、っていうかわれながら心憎いばかりの見事なツンデレぶりにはツインテールにしたほうがいいのだろうかと思わせられるものがある(しないけど)。

多分だけどこれから毎日のようにブログ更新するかも

突然の心境の変化については詳しくは書かない、というか自分でも詳しく書けない。単に、仕事中突然「あ、ブログ書きたい!」と思ったのだ。

別に書きたい内容やテーマが思い浮かんだとかでなく、単純に書くこと自体をしたいと思った。頭の中にある雑多な思考の数々を書くことで吐き出したいと思った。だから別にブログでなくても構わない。ツイッターでも日記でもメールでもなんでもいいのだけど、ツイッターはそういう使い方はしてないし、日記は手書きがめんどくさいし、メールはする相手がいない(寂しい)。

以上の単純な理由から、とりあえずじゃあ放置しているこのブログでやろうと思ったのだ。

書くことは呼吸をするようなもの

「頭の中の雑然とした思考を書き出したい」というのは、自分にとってはすごく大切なことだ。そんなずっと当たり前だったことをなぜか長いこと忘れてしまっていた。それはもうこんなつい最近始めたばかりの(そしてすぐに飽きた)ブログなんかを始める前からずっとそうだった。

書くことは僕にとっては少し大げさに言えば呼吸をするようなものだった。それくらい朝飯前のことだというのではなく、呼吸をすることと同じくらい、僕にとっては生きていくために必要なほとんど生命維持のためのプロセスだった。

息を吸うことしかできなくなってしまったら、さぞかし苦しかろうと思うが、僕にとって書かずに生きるということはそれと似たようなものだ。息を吐くように頭の中の雑然とした思考を紙の上(あるいはモニター上)に書き出す、吐き出す。

思考を整理する、というほど作為的な話ではなく、それこそ呼吸のように本能的で当たり前のこと。それが、こんなブログなんかを始めてしまったばっかりに、かえって見失ってしまっていたのかもしれない。くだらないし愚かなことだ(今となっては別にどうでもいいけど)。

ただ書くだけのことに、「読む他人」なんて必要ないということ

というわけで、これからは基本的に今までのようにタイトルで「こんなことについて書きます」という一応のテーマを決めるでもなく、その日その日に考えたことや感じたことを所感録というのか随感録というのか(なんかこういう表現はじじくさくて嫌だが)、そんな感じで淡々と綴っていこうかと思う。

気まぐれな僕のことだからいつまで続くか、あるいは2日と続かずにすぐに飽きてしまうかはわからないけど、別にそうなったとしても誰に気を遣うことでもない。早い話が知ったことではないということだ。そんな自分にとっては当たり前の心積りももしかしたら忘れてしまっていたのかもしれない。われながら間抜けなことだ。

突然自分は書くことが好きだ、それはもう好きとか言うより溺れている人がただ呼吸だけを切実に求めるようなものだということに気づいた(というか思い出した)が、それは別に一人でも多くの人に読んでほしいとか、誰かに読んでほしいとか、そういう次元の欲求とは本質的にまったく無関係だったことにも気づいた(というか思い出した)。

そこに他人は関係ない。これも呼吸に他人なんてことがまったく無関係なのと同じことだ。

書くことは自分が自分でいられる居場所のようなもの

書くことは、僕にとってずっと自分が自分でいられる居場所のようなものだった。

小学生を上がるくらいまでの間は表面上は明るく楽しい人気者を演じていたが、その後ティーンエイジャーになる頃から晴れて様々な悩みや問題を本格的にこじらせはじめ、どんどん目に見えて暗く、心を閉ざした暗い人間として順調に成長し続けた。

その結果今では目を瞠るようなマスタークラスの誰にも心を開けない暗い人間になることができた。お父さんお母さんありがとう。その鉄壁の防御は誰の悪意も、誰のやさしさも受け付けない。あたしの鉄壁のフィールド、通称A.T.フィールド(Atashino Teppekino Field)である。

当然そんな人間にまともに機能する人付き合いが可能なはずもなく、ティーンエイジャーになってからの十数年というもの、いつだって人付き合い、コミュニケーションというのは僕にとってはほとんど拷問や地獄という言葉と同義にも等しい苦しみオブ苦しみなのだった。

そんな僕が誰に気を遣うでもなく、誰を気にするでもなく、僕が僕として、自分の思いや考えを吐き出せる場所、僕が僕でいられる場所、それが書くことだった。

友達とかいないからずっと書くことを通して自分自身と対話してきた

書くことは14,5歳から始めた。そう、ちょうど世間一般では人々が元服したりエヴァに搭乗したりする歳頃だ。

ネットを使って子供でも文章をアップすることが珍しくもなんともない今の時代を思えば少しも早くない年齢だ(ましてやこれは処女や童貞をいつ捨てるかという話ではなく書くことについての話なのだ)。ただ僕の場合は当時パソコンを持っていなかったこともあって、当時はひたすらノートにいろんなことを書きまくっていた。

重要なのはそれはいわゆる「日記」ではなかったということだ。日記というのもこれまでの人生の中で何度となく興味を持って書いてみようと挑戦してみることはあったのだけど、どうも僕は致命的に日記というものが書けない体質(?)らしい。

ここでいわゆる日記というのは、要はその日その日にあったこと、事実を淡々と記録するもののことだ。自分の所感は最後に一言付け加える程度でよい(なくてもいい)。

僕にはそれができない。その日誰と会ったとか、なにをしたとか、そんな事実は僕にとってはほとんど大して意味をなさず、はっきり言えばどうでもいい。僕にとっては自分がなにを考え、なにを感じ、なにに気づいたか、徹頭徹尾そこにしか興味が無いのだった。

だからたまに思い立って日記を始めたとしても、結局はすでに習慣になっていたなんでも考えたことを書きまくるノート一冊(僕はそのノートを単にフリーノートと呼んでいた)で事足りるということになってしまい、日記が長く続いたことはない(ちなみにそのようにして書きためられた15歳から数年分のフリーノートはノートにびっしりと数千ページに及ぶ。われながらなかなか気持ち悪い数字だ…。定期的に読みなおして保存が必要ないと判断した部分についてはがんがん破り捨てて供養している)。

誰に見せるでもなくひたすら内省を深めるためのツールとしての書くこと

当たり前だが誰に見せる前提でもなければ実際誰にも見せないのだから、自分さえわかればそれでいい。というか、あとで読み返すことに意味や目的があるわけでもなく、大事なのは書く、書き出す、そのときの頭の中を吐き出すというプロセスこそが重要なのであって、究極そこになにが書かれているかということは大して重要ではない。結果的にあとで読み返してなかなか面白い内容やアイディアがあったとしても、それが本質ではないということだ。

昨今アメリカからのビジネスノウハウや思考整理術の一環として、マインドマップやブレインダンプなどといった様々な手法がノウハウとして確立された形で日本でも紹介されているが、ある種「脳の吐き出し」という本来的な意味でのブレインダンプを本能的にやっていたのだと思う。

後になってからジュリア・キャメロンの名著ずっとやりたかったことを、やりなさい。の中でモーニングページというアイディアに痛く感銘を受けたりもしたが、思えばそのずっと前から本能的に自己流でやっていたということだ。


ずっとやりたかったことを、やりなさい。
 作者のジュリア・キャメロンは『タクシードライバー』、『ギャング・オブ・ニューヨーク』、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』とはるか昔からアホみたいに面白い映画を連発するマーティン・スコセッシ監督の元嫁。自身脚本家として活躍していたがなんつってもまあ人々の創造性開発においてこの本で果たした役割は世界的に大きい。ただ「創造性の女神」といった表現や底流にあるスピリチュアルな雰囲気をまったく受け付けない人にはキツイかもしれないw

今はもうそこら辺のことに特に興味を持って情報を仕入れたりということはまったくしていないが、最近ではジャーナリングという手法も効果的な思考整理術としていけ好かないエグゼクティブ連中どもの間で話題になっているようだ。

(余談だがジャーナリングのノートを右側から埋めていく、あえて余白を残して新たな思考の生まれるスペースをつくるといった考え方は岡田斗司夫さんのスマートノートとも酷似していて興味深い。まったくお互いそれと知らずにこの風変わりで斬新かつ優れたアイディアにたどり着いたのだとすればものすごく頭がいい人というのは案外世界中にいることがわかる)。


あなたを天才にするスマートノート
 「最低でも岡田斗司夫程度にはなっていただきます(笑)」の売り文句がハンパなくダサい岡田斗司夫さんのスマートノート。でも中身はもちろん素晴らしい。スマートノート含めてあらゆる手法の要求そのものを厳密に取り入れる必要はないというのが僕の個人的な考えだけど、この中で示されている考え方は頭に入れておくと便利。特に「アイディアは工業ではなく農業」という考え方は手前味噌だけど僕自身が自分のノートに書いていたことだったので改めて岡田さんさすがって思ったよね(俺は何様なんだ…)。

精神的・霊的な呼吸、排泄、死活問題としての書くこと

僕の場合はスマートノートやモーニングページのように方法論として厳密にルールを決めて取り組んでいたわけではないので、分量や取り組む時間帯をきっちり決めるようなことは一切しなかった。

今でもその必要は感じていないしそれで正解だったと思う。そもそもが他人によって確立された方法論なんてものは自分の中にどうしようもない切迫した問題意識や衝動のある人間にとってはなんら意味や必要性を持たないものなのだ(自分で勝手に何とかするから)。

それでも1日1ページはノートにびっしり書き込んでいたし、日によっては次から次に考えや気づきがあふれてきて延々十数ページも自動書記かなにかの霊媒になったかのように、それこそある種のプシュケーに取り憑かれたようにひたすら書きまくったものだ。

その習慣は何年も続いた。そして、ようやくパソコンを手にして、ネット上になにやらちょこちょこ書くようになって、次第次第にノートに書き殴ることは減っていき、最近ではすっかりその習慣は消滅してしまっていた。

しかし、今たとえばこのブログやツイッターで書いている文章というのは、僕がそれまで書きなぐっていたノート(僕はそれを単にフリーノートと呼んでいたw)に、性質として代わるようなものではない。まったく別物だ。そして、僕はかつてのその習慣を失ったことは今人生レベルでの損失だったと考えている。

※たしかにツイッターを始めた頃は同じ感覚で使っていたが、今は違う。今はそういう個人的な目的とはまったく別に、おこがましい言い方をすればある意味で読んでくれている人へのサービスとしての意味合いで「運営している」といった側面が強い。もちろん全部が全部僕の心にもない嘘八百をツイートしているわけではないけれど、実は厳密に僕の思考や感情をリアルタイムにそのまま吐き出しているわけではない(意図的にそういう風に見せかけている部分はあるけど)。

僕には書くことが必要だ。それも誰のためでも誰に読ませるためにでもなく、自分に読ませるためにですらなく、ただ、書くために、書き出すためだけに、書くことが必要だ。それはもう、ある種精神的・霊的な呼吸や排泄といった死活問題として、書くことが必要だ

日々の思考の吐き出し場所としてのブログ

仮にも誰かに読んでもらうことを前提にして文章を書くことは僕にはかなりの苦痛だ(それでもそれはそれでたまに気が向いたときに書く分にはこれからもやっていこうと思うけど。直近ではあとがきを書かせてもらったはるかぜちゃんの新刊少女と傷とあっためミルク ~心ない言葉に傷ついた君へ~をようやく先日読む時間がとれたので、それについてのクソ長い感想を明日にでも更新できればと思う)。

でも今そうしているように、誰のためでもなく自分のために、それもただ頭の中を吐き出す(まさにブレインダンプ)ためだけに書くことは好きだ。

身体的なあらゆる排泄が快感を伴うのとまったく同じことだ。それは生命にとって必要だからこそ快楽としてプログラミングされた。大脳新皮質ばかりアホのように発達させすぎてしまったわれわれ人間にとっては思考の排泄もまったく同じように健康な精神活動のためには欠かせない。特に僕のように過剰な思考、想念に圧倒されてしまう傾向にある人間にとっては。

今日の内容は結果的に「書く」というテーマにフォーカスしてしっかり書きすぎてしまったくらいだ。実際にはこれからはもっと短く、もっと雑然とした日々の思考や気づきを単に吐き出すための場所としてこのブログを活用していけたらと考えている。

大体が僕のブログは1記事が異常に長い。自分が好きで意図的にやっていることなのだから、頭の悪い連中にわざわざ四の五の言われるようなことでもないと思っているのだが、それはどうでもいいとして単に僕自身の時間的・体力的な制限からもう今までのようなアホみたいに長大な記事は書いていられない。今後はテーマを絞って長い記事を書くというスタイルではなく、日々の考え事をある意味ツイートのような感覚で断片的な形で吐き出していこうかと考えている。その中でテーマが浮かび上がってきてしまったらしかたないから週末暇なときにでもまた長い記事を書くかもしれないが、基本は短くさくっと、その代わりなるべくコンスタントに毎日更新していくスタイルに変えようと思っている。・・・と言っといて明日はそうした超長編記事の最後ということで、これまでのまつたけのブログ全過去記事中最大最長の長さを無駄に誇るはるかぜちゃんの新刊の感想を更新予定しているのが自分でもアホだと思う・・・。

誰のためでもなく自分のために書くことが必要なメンヘラ共に捧ぐ

だが今回はせっかくここまで書いてしまったのだから、取ってつけたようにではあるが最後に少しこの文章をここまで読んだ人に向けてちょっとした提言、というのもおこがましいけど、付け加えておこう。

あなたがもし、自分には書けない、書くことがないと思っているのであれば、もしかしたらそれはどこかで書くということに無意識に人目を意識して気にしたり恐れたりしてしまっているからかもしれない

だがこの文章で散々書いてきたように、単に「書く、自分の頭の中を書き出す」というだけのことであれば、人目なんてものはそもそもまったく関係ない。こうしてブログやSNSで書く必要もないし、逆に気にせず書いてもいいし(まともに人間関係のある普通の人にはあまりおすすめしないがw)、自分のためだけに鍵アカに思考を垂れ流したり、日記を書いたり、僕のように単にノートに思考を書き殴るだけでもいい。

書くだけのことなら誰にでもできる。もちろんその必要性があるかどうかはまったく別の話だ。書くことは現代人にとっては誰にとっても欠かせない、なんてバカげたことは僕は1ミリも思わない。

でももし、ブログ論だのアクセスアップだの文章術だのライティングテクニックだの、そんな話題ばかりが華やかなりしこのご時世に、他人のことなんて関係ねえ、自分のために、ただ書くために、書くことが必要だから、ただ書くのだ、なんていう普通の人にはさっぱり理解できないであろうクレイジーなメンヘラマインド全開のこの文章をここまで読んだのだとすれば、残念だがあなたも僕と似た者同士のメンヘラマインドの持ち主である可能性が高いと言える。

そうであるなら、僕がこの記事の中で書いたような意味において「書く」ことは、もしかしたらあなたにとってもなにか重要な価値を持つことになるかもしれない。ならないかもしれない。いや、本当はきっとなると思っているのだけれど、人のことにまで責任なんて持てないし持つ気もないしそんな義理もないのでぼやかしているだけだ。

書くことの魔法。その秘訣は、ただ書くこと

要するに、とにかく書くことだ。「どのように?」とか「どうやって?」という問いかけや、効果的な方法論の追究といったすべてはただ単に怠惰に過ぎない。方法論なんてどうでもいい。ブレインダンプでもマインドマップでもモーニングページでもジャーナリングでもスマートノートでもただの日記でもなんでもいい、僕のようにルール無用の残虐ファイトでただひたすらノートに考えたことや感じたこと、アイディアや気づきを書き殴るだけのバーリトゥードでもなんでもいい。

ただ書くこと。本当にそれこそが書くことの本質そのものなのであって、これ以上にシンプルなこともない。あまり「最適な方法論はどれか?」などという小賢しい幻想を探して振り回されているとかえってどこにもたどり着けない愚を犯すことにもなりかねないということははっきり言っておこう。

だがそれならいっそそうした自分の中の探求のプロセスや葛藤についてもすべてノートに書き出してみればいいだけのことだ。それだけのことで自分の混乱した思考がどれほど整理されてすっきりするかに驚くはずだ。

こういう言い方はまた不要な幻想を煽るだけかもしれないが、書くことにはある意味で魔法の力がある、ということにも遠からず気づくかもしれない。だがそれはどんな方法であれ実際に書くことを実践した人にのみもたらされる魔法だ。

もし興味を持ったなら勝手に好きにすればいい(ひどい言い草)。もちろん興味を持たなかったのだとしても勝手に好きにすればいい。人生はこんなにもシンプルで、こんなにも自由だ。素晴らしい。

明日はそのあたりについて、人生の素晴らしさや僕がいかにこのクソったれた人生を愛しているかについて書く予定(というか今日はそれを書こうと思っていたら最初に軽い前書きのつもりがこの記事が1テーマとして長くなりすぎたのでやむをえず分けた)。

というわけでこれからはできるだけ毎日考えたことをちょこちょこ書いて更新していきますよ、という(主に自分自身に向けての)アナウンス兼呼吸をするように書くことについて、あるいは書くことの魔法についてでした。おしまい。


スティーブン・キング 書くことについて (小学館文庫)
 かつて『小説作法』のタイトルで発売されていたスティーブン・キングの言わずと知れた名著の新訳。キングファンなら単純にキングの興味深い半生の綴られた自伝的随筆として、あるいは単に文章を書くことに興味のある人ならいずれにしろ必読。実はスティーブン・キングを熱烈に読み込んでいる村上春樹もレイモンド・チャンドラーの小説作法と合わせて言及していた記憶があるようなないような…(曖昧)。


人生は「書くだけ」で動きだす なりたい自分を引き寄せる、世界一かんたんな方法
 読んでない。タイトルのキャッチーさに惹かれたよね。ってことで本の紹介、終わり。

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