読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

まつたけのブログ

世界の片隅で愛を避ける孤独なキノコの魂の叫びを聞け!…聞いてください(◞‸◟)猫とマンガとアニメと嵐をこよなく愛するまつたけによるまつたけのブログ

本当は幸せになるのが恐い自分に気づいてしまった件

人生 自分 考えごと

最近憂鬱で寝てばかりいる。

いや、もともとそういう人間で何年もずっと憂鬱で寝てばかりいたんだけど、逆に最近もうちょっとなんとかしなきゃなって思って自分なりにこれでもがんばろうとしてみたんだけど、なにをどうがんばればいいのかさっぱりわからない自分に気づいて憂鬱で結局寝てばかりいるのだった。

 

なんのために生まれて なにをして生きるのか

人生の9割が親で決まるんだったら僕は今すぐ自殺するの記事で僕はまだ死にたくない、生きていたい、しあわせになりたい、しあわせになることをあきらめられないということを書いた。

多分この気持ちに嘘や偽りはないし、「何のために生きているのか」と聞かれたら僕は「しあわせになるため」と答えるだろう。

でもじゃあ「どうやってしあわせになるのか」というある意味で一番肝心な部分が、僕にはすっぽりと欠落してしまっているのだった。

先日アンパンマンの作者のやなせたかしさんが亡くなられた。やなせたかしさんご自身が作詞したアンパンマンのマーチの

なんのために 生まれて なにをして 生きるのか

こたえられないなんて そんなのは いやだ!

 とか、

なにが君の しあわせ なにをして よろこぶ

わからないまま おわる そんなのは いやだ!

 とか、青臭いとか中二病とか言われてしまうようなことが僕は昔から知りたかったし、今もそれだけが知りたいし、それなのに今も何もわからないままでいるのだった。

 

(余談だけどアンパンマンってすごく悲しいヒーローだと思う。アンパンマンがみんなを守るのはアンパンマン自身は自分にはなにもないからっぽの存在だからだと思う・・・あ、この話ほんとに余談だったからもうやめるね!)

「しあわせになるために生まれてきた(生きている)」ということは言えても、じゃあ具体的に「なにをして生きるのか」とか、「なにが僕のしあわせなのか」とか、「なにをしてよろこぶのか」とか、僕にはそんなこともわからない。要するになにが僕のしあわせなのかということがわかっていない。しあわせになりたいなんて誰にだって言えるし、しあわせになりたくない人なんていない。でもじゃあ僕にとってしあわせってなんなの?なにをどうしたらしあわせになれるの?ってことに対してなにも知らない自分、本気で向き合ってこなかった自分に気づいたとき、僕にできることは脳内にたまった毒素を排出するために毎日十数時間も寝こむことだけなのだった(寝るのは脳内の毒素を排出するためだという話を最近読んだので無理やり結びつけてみたよ!)。

しあわせが他人事にしか思えない自分に気づいてしまった件

そんなこんなで昼間や夕方に寝てばっかりいるから、夜ちゃんとした時間に眠れなくなるという典型的なアホ循環によって、昨日もひとり寂しい気持ちで一晩中眠れずにクラシックのピアノ曲なんぞを聴いておセンチメートルメンタルな感傷に浸っていたのだけど、ひたすら甘くロマンチックなはずのリストの愛の夢を聴きながら、「あー、これはなんて残酷な曲だろう・・・」とか思ってぽろぽろ泣いている自分に気づいたとき、「あれ?もしかして(もしかしなくても)これはけっこうやばいんじゃねえだろうか?」ってことに気づいて愕然としたのだった。こういう曲を自分自身のしあわせを思うでもなく、年寄りくさく(少しも悪いことだとは思わないが)甘美な過去を回想するでもなく、自分には手の入らない他の誰かの幸福な夢を見させられているような、そんな寂しい気持ちでしか聴けない自分というものに気づいたとき、これはやっぱり人間としておかしいんじゃないだろうかと思ってまた暗い気持ちになった。

挙句の果てには「自分の人生は一体なんだったんだろう?」とか完全に過去形で振り返り始めてしまう自分がいたりして、こうなるともう当日中の再浮上は極めて困難だ。一刻も早く脳に蓄積した毒素を排出する必要がある。というわけで昨日はブログの更新やツイートすらせずに本当にひたすら寝てばかりいたのだった。

そして今起きたので(寝過ぎだっつーの!)毒素の抜け切っていない重たい頭でこの記事を書いている。あれだな・・・寝りゃいいってもんじゃなくて眠り過ぎも絶対脳によけいな毒素がたまってしまう気がするな・・・そう思うならさっさと起きればいいんだけど、いっそのこと毒素のたまり過ぎで死んでしまいたいという無意識のタナトスが僕をまどろみというぬるく緩慢な死へと誘惑して離さないのだった(訳:寒いし憂鬱だからふとんから出たくない)。

なにが僕のしあわせ? わからないままおわる そんなのはいやだ

一体何をどうすれば僕はしあわせになれるのだろう?何がどうなれば僕はしあわせなんだろう?わからない。わからないというか、本当はわからないはずがないのに僕はこわくてそこから目を背けているだけなんじゃないかとか、そんなことを思うのだ。

というわけで、今からようやく本題に入る(「じゃあ今までの文章はなんだったんだよ!」とお怒りのあなた、過去は水に流して今を生きようじゃないか!HAHAHA!!!)。もしかしたらとてつもなく恥ずかしい話になってしまうような気がするので、さすがのいつも恥ずかしい話しかしてない生き恥をさらすしか能がない生き恥マスターのピエロ(僕)としても本題に入る前に躊躇してしまったというわけだ(さながらもう早くちゅーしたくてしょうがないのにちゅーがしたくてどうしようもないのにもう頭の中はちゅーのことやそれ以上のあんなことやこんなことでいっぱいなのに一応段取りとして手をつないで公園をお散歩とかしてみちゃうつきあいたてのカップルのように・・・とかだから下手くそな例えとかマジでいらないから早く本題入れっての!はい、すいません!)。

「人並みのしあわせ」とかいう贅沢品に手が届かない件

僕には世間一般にしあわせとされるもの、いわゆる「人並みのしあわせ」ってやつが、どれひとつとっても自分の手に入る気がしないのだ。

お金、仕事、地位、名誉、友人、恋愛、セックス、結婚、子供、家庭、老後の安定、夢、などなど。これらの字面を見ているだけで今の僕の一際弱ったメンタルには深々と刺さりすぎて、涙かと思って拭ってみたら血だった、みたいなかなり深刻にスプラッターなダメージを受けてしまうのだった。

「お金はやりがいのある仕事についてくるのが理想」とか言っちゃう人

僕にはお金もない。仕事もない。地位だの名誉だのは仕事に付随してくるものだと思う。お金もそうかもしれない。「お金はほしい。でも働きたくない」なんて僕の正直すぎるくらい正直な気持ちに現実的には一切なんの効力もない。というか、本当は僕にかぎらず「働きたくない」とか言ってる人たちも「働きたくない」わけじゃないんじゃないかとよく思う。むしろ本当は人間は本来的にはなにかしらの形で働きたいんじゃないかということをよく思う。ただ働きたい仕事が見つからない、見出せないということなんじゃないだろうか。甘ったれた理想論だと言われるだろうけど、お金のためにしかたなく心を殺してするような仕事じゃなくて、自分がやりたいことや世のため人のために何らかの形で役立てることに喜びを感じられるような仕事なら、むしろ人は進んでその仕事をすると思うし、お金はその結果として入ってきたら理想だなあ、みたいなことは最近考えるようになった。

昔は宝くじやロト6で4億円当てて一発逆転してえ~みたいな詮ないことばかり考えていたけど、それらの高額当選者の大半が破産したり一家離散したり当選前より不幸になっているというデータを前に見た記憶もある。やっぱり人間目の前にぽんとお金だけ積まれてもしあわせにはなれないんじゃないかと思う。だってお金自体は単なる紙切れなわけだし。お金が価値を持つのはそれで経験を買ったり安心を持つことができるという点だと思うんだけど、もしかしたらそんなものは急に大金を持たされたりすると案外あっという間に満足して飽和してしまうのかもしれない。それより毎日の仕事の中でお金で買えないような経験をしたり、自分の仕事にやりがいや充実感を感じたり、社会への貢献を感じたり、そういう幅広い意味で自己肯定感を感じ続けることが出来るということのほうが幸福なんじゃないかと思うようになった。

だから僕も脳にたまった毒素の排出とかもうとっくに手遅れな脳みそで眠たいこと言ってないで、寝過ぎなくらい寝てる時間があったら自分にもできる社会貢献とか世のため人のために多少なりと役に立てることとか考えりゃいいのに、そろそろそんな理想を抜かしてるよゆうもなく、借金の限度額という名のタイムリミットに迫られて逃げるか飛び降りるか首を吊るか、さもなくばまたかろうじて自分のようなゴミでも雇ってくれるようなゴミのような職場環境で一時凌ぎ程度でもお金を稼がないといけないのだった。そうなればアホな自分には毎日に心をすり減らしながらしがみついていくのが精一杯で、ここに書いたような理想を考える時間も心のよゆうもなくなってしまうんだろう。われながらマヌケな話だ。

これからも仲よくしてね、自分!(死んだ目でほほ笑みながら)

続いて友情。僕には友達がいない。そして僕には友達ができない。もしできても長くは続かない。こればっかりはしょうがない。僕には人間的な魅力が皆無なのだろう。もしくはそれが多少あったとしても、それでは埋めようもないほど欠点が致命的すぎるのだろう。ただでさえ嫌われるような人間の分際で、僕自身病的に好き嫌いが激しいときているからもうどうしようもない。そんな奴に友達なんてできるわけがない。この点に関してはもうどうこうするとかいうレベルではないので、あきらめるというのがベストな選択肢だと思ってる。あきらめました。さようなら、憧れの友情。これからも仲よくしてね、自分(孤独)

「恋愛」とか「セックス」とかタイピングするだけで指が複雑骨折する件

恋愛。これこそ僕が昨日愛の夢を聴きながら「あー、自分には無理だなー」って思ってしまったものだったりするんだけど、恋愛もいろんな意味で、というかあらゆる意味で無理だと思う。両想いなんて贅沢は言わないまでも、片想いすらできる気がしない。恋愛くらい幼稚園児だって当たり前にできるのに、僕はもう歪みすぎて誰かを恋愛対象として見ることができる気もしない。もしそういう出会いがあったとしても、絶対無意識のレベルで瞬時に抑圧してしまうと思う。結婚とか子供とか家庭とかも絡んでくる問題なんだけど。

セックス。恋愛と切り離してセックスだけを考えるならとても簡単だと思う。単にセックスがしたいというだけならお金を払えばお風呂屋さんでセックスできるらしい。らしいというのはもちろん今までそういうことはしたことがないからだ。もし仮に僕に風俗に行くようなお金があっても今のところ利用したいと思ったことはないけど、でも個人的には(家庭とかあるとまた複雑なんだろうけど)風俗とか全然いいと思う。ただそういうセックスは食べたり寝たりってことと同じレベルだと思うので、必ずしもそれでしあわせになれるとは思えない、毎日いいもん食ってればそれでしあわせ、って思えるほど多分人間は(少なくとも自分は)能天気にできてないし、いい男、いい女とセックスできればそれでしあわせになれるってものでもないんだと思う。

結婚、子供、家庭、考えるだけで涙が…と思ったらな~んだ、血か!(笑)

結婚、子供、家庭。これはまあ恋愛が無理とか言ってる時点で基本的に無理に決まってるんだけど、一応お見合い結婚とかそういう選択肢もあり得る。むしろ見合い結婚のほうが恋愛結婚よりも長期的な幸福度は傾向として高くなる、というデータを前に読んだことがある。ただそういう意味ではなく、自分には結婚とか自分の家庭を持つということが考えられない。こわい。ましてや子供だなんて、考えただけで自殺したくなってくる自分が子供をつくるなんてことは、罪をつくることでしかないとどうしようもなく思っている。もちろん子供が罪なわけがなく、生まれてくる子供に罪があるわけではないけど、だからこそわざわざ罪のない命に自分のようなゴミクズが業を背負わせてしまうようなことは絶対にしたらいけないと思う。僕の子供ってだけでもう十分背負いきれないクソみたいな業を背負わせてしまうことになる。だからそんなことは絶対に考えられない。

自分があんなにも恐れ、嫌い、憎んでいた男とそっくりの声で怒鳴ったり、自分の機嫌や思い通りにならなければ子供を殴ったり蹴ったり、そんなことをしてしまった日にはいよいよ自殺するしかない。この期に及んでのうのうと生きていく自分なんて考えられないし考えたくもない。想像しただけで自分をぶっ殺してやりたくなる。絶対に無理だ。

そのくせそんなことを考えてしまうくらいだから人一倍あたたかい家庭や子供をかわいがることに憧れがあって、ありえない夢を一瞬でも見てしまっては胸にぽっかり大きな穴が空いたみたいな気持ちになって涙ぐんだりしてしまうのだった。

昔はもしお金持ちになったら両親のいない子供を養子にして…みたいなことを妄想していたこともあったけど、自分の血を分けた子供じゃないからといってやっぱり自分なんかが育てていいわけがないよなって考え直して、今はもしこれから自分が食べていける以上に少しでもお金を稼げるようになったとしたら、戦災孤児とかの生活とか教育の援助に募金する程度のことが自分にできる一番のことなんだろうなーとか考えてる。

老後の不安はない(っていうか老後がない)

老後の安定を得るにはおおまかに2通りの方法があって、ひとつは自分でアホみたいに老後の介護や病気に備えられるだけのお金を稼いで持っておくか、もうひとつは子供や親類縁者に面倒を見てもらうという方法だけど、少なくとも今のところ自分がそんなお金を稼げる予定はないし、結婚も子供もその他のあらゆる人間関係を持たない自分には2つ目の方法は最初から縁がない。もっともまだそんな歳でもないし、そもそもそんな歳になるまで生きていられるとも思っていないので、そういう意味では実は老後の心配というのは個人的にはまったくしていない。やったね!

夢も希望も目標もなく、無目的に生きているだけのゾンビ

夢。僕には夢もない。お金もない仕事もない、友達もいない彼女もいない、大好きな家族もいない子供もいない、そんなないないだらけの現実しかないなら、せめて夢くらい持てばいいのに、今のところ夢さえもないのだった(しいて言えばさっきも言ったみたいな戦災孤児の援助とかできればいいなーくらいのことは思うけど、なんていうか自分にとってそれは本当にごまかしとうか、決して埋めあわせようのないものを埋め合わせようとする虚しい代償行為だってこともどうしようもなくわかってしまっているので、そんなんでも少しでも役立てたらいいなーとは思うけど、多分僕自身がそれでしあわせになれるような夢ではない)。

まあ夢って言うとなんかすごく大きなものをイメージしてしまうけど、そこまで大きくなくてもなんか直近の目標とかでもなにかあれば多少生きがいみたいなものも出てくるのかなって思うんだけど、それすらも無能すぎて僕には見つからないのだった。夢もなく、希望もなく、目標もなく、ただ毎日を無目的に生きているだけ。それでも自分みたいなクズが生きていられるだけしあわせだと思う、なんてマヌケな強がりにもなってない負け惜しみを吐くのが精一杯で、本当はこんな毎日、こんな人生でいいはずないって不安と焦燥だけがどうしようもなく膨らんでいく。でもどうすればいいかわからない

無力感が人生を腐らせる

無能というのは本当に罪だと思う。いや、正確に言うなら無能であることそのものではなくて無能感、無力感。それこそは人間の最大の不幸だと思う。仮に事実無能であってさえ、自己肯定感や自分のことを有能だと感じてさえいれば、人は何かを行動に移すことができる。そうすればその人間が本当に無能ということはない。でもどんなに強がってみても根っこのところで自己肯定感なんてかけらもなく、どうしようもなく自己否定と無力感に支配されてしまっている人間というのはなにもすることができないし、自分自身の本当の気持ち、本当の願望を正面から見据えることさえできない。どうしようもない臆病者で、どうしようもない負け犬にしかなれない。

こんなに長々と「人並みのしあわせが手に入らない自分」なんてことの言い訳を書き連ねておいて、ほんとは僕はわかっているのだ。僕はしあわせになることがこわいのだ。今までずっと生きてきた「しあわせじゃない自分」という自己イメージに同一化し過ぎて、「しあわせな自分」なんて想像もできなくなってる。そんなものは自分だとは思えなくて不安でこわくてしかたがないのだ。

きっと僕は口では「しあわせになりたい」と自分や人をごまかすために口にしながら、本当はいつまでもいろんなことを言い訳にしあわせになろうとすることから逃げているだけなんだと思う。

お前は老いぼれか!? 心の中を言ってやろう(筋肉少女帯『踊るダメ人間』)

 必ずしもお金さえあればそれでしあわせになれるとは思わない。でもないよりはあったほうがいいでしょ?それに本当は自分にだってやりたい仕事があれば仕事したいんでしょ?こんな自分でも誰かの役に立てたらって思ってるんでしょ?

きっと生涯友達なんてできないかもしれないけど、だけどほんとは誰かとつながりたいんでしょ?仲よくしたいんでしょ?仲間がほしいんでしょ?もうひとりぼっちは嫌なんでしょ?

ほんとは恋愛だって憧れてるんでしょ?一生にひとりみたいなバカみたいな思い込みでも、本気で誰かのことを好きになって、結婚していつまでも仲睦まじく暮らして、子供ができたら愛のかぎりを尽くしてかわいがって、しあわせな家庭を築くことに、今だって涙が止まらなくなるくらい憧れてるんじゃないの?

ほんとはそんなことのすべてが自分の夢なんじゃないの?ただそんな大それた夢を自分が見ることやその夢に向かって生きていくことをこわがって逃げてるだけなんじゃないの?一回そんなふうに生き始めてしまったら克服しなければいけない自分の弱さや困難の連続になるから、「今のままでもそれなりにしあわせ」とか甘えた寝言で自分をごまかしてそこから逃げてるだけなんでしょ?

拝啓 キノコ様

きっと僕はこのまま無目的に、ただ繰り返しのような退屈で何事もない毎日を死ぬまで生きていくこともできる、そんな生きかたを「生きていく」なんて言えればだけど。まあどうせ長くは持たずに首を吊るか、ホームレスになって野垂れ死ぬか、それはわからない(それこそもしかしたら宝くじに当たって生きているだけなら寿命が来るまで生きていられるようになるかもしれない)けど、毎日憂鬱で寝てばっかりの人生を、毎日少しずつ老いさらばえていきながら、いよいよ木にぶら下げたロープに首をかけるとき、あるいは冬の公園で凍死する直前、あるいは病院のベッドの上で病死する直前、僕はどんなことを思うんだろう。「これはこれで悪くない人生だった」って思うんだろうか。それとも「やっとこれでお終いになる」って安堵するんだろうか。それとも「どうして一回きりの人生自分が本当に生きたいように生きなかったのだろう、少なくともそう生きようとしなかったのだろう」って悔やみようもなく後悔して泣きながら死んでいくんだろうか。

断っておくけどどう生きたところで、どんなふうに生きてみたって「どっちのほうがいい」とか「どっちのほうがしあわせだ」なんてことは僕には言えない。いや、そんなこと誰にも言えるはずがない。神のみぞ知るってやつだ。自分の気持ちに正直になって思い切って挑戦してみた、失敗した、傷ついた、こんなことなら挑戦なんてしなければよかった、ってことだってあるかもしれない。

それでも、と僕は思う。多分、今の自分の生きかたの延長には想い描いている「いつかしあわせになれたら」なんて夢みたいなことは起こらない。それこそ宝くじに当たるようなことがあっても、きっと僕はしあわせにはなれない。それは僕の胸の隙間を埋めはしない。

それなら、と僕は思う。どうせ今のまま生きていてもたかが知れてるなら、しあわせになんてなれそうもないなら、うまくいくかなんてわからないし、よけいに傷ついて泣くことになるだけかもしれないとしても、もっと自分の本当の気持ちに正直になってみるのもいいんじゃないの。こわいけど、こうして自分に問いかけている今だってこわくて不安で心臓がバクバクするくらいこわいけど、今のただ毎日を無目的に生きているだけの、生きているのかいないのかもわからないゾンビみたいな暮らしはある意味とても快適だけど、そこにしあわせなんてものは見つからないなら、今までの自分、今までの生き方にはさよならして、精いっぱいの勇気を振り絞ってもっと自分に正直に生きてみるのもありなんじゃないの。そんなふうに思ったりするよ。

‥‥と言っても僕は僕がすぐに答えなんて出せないチキンなことは知ってるし、だからこそ今頃になってこんなしょーもない話で迷ったりしてるんだし、今すぐどうしろってことは言わないから、日中眠りすぎて眠れなくなったひとりぼっちの夜中にでも、少し真剣に考えてみたらいいと思う。どんな人生になったとしても、僕は僕が後悔のない生きかたをしてくれたらうれしいなって思う。おしまい。

広告を非表示にする