まつたけのブログ

世界の片隅で愛を避ける孤独なキノコの魂の叫びを聞け!…聞いてください(◞‸◟)猫とマンガとアニメと嵐をこよなく愛するまつたけによるまつたけのブログ

虚構新聞めっちゃ面白い

虚構新聞ってめっちゃ面白いと思う。

虚構新聞って面白いと思う

いや、これはなにも皮肉な意味とかではなく、個人的にめっちゃ面白いと思っているのだった。

 

そういうのってわざわざ言うまでもなく、人の勝手だと思っていたのだけど、どうも違うらしい。

虚構新聞を面白いと思うというだけで、その人間の頭の悪さやセンスのなさまで頭のおよろしい人にはまるわかりなのだという(マジパネェっす!カッケーっす!)。

別にそうだと言う人に反論はしない。反論をする気もない。そういう人もいるのかと思うだけだ。

あとタイミング的に今虚構新聞さんはネットの頭のおよろしい賢い人たちから袋叩きにあっているらしい。日本ユニセフ絡みらしい。僕にはそこらへんの難しいことはよくわからない。

その程度のリテラシーも知識もないバカだから虚構新聞なんて面白いと思うんだという格好の見本なのかもしれない。僕は知らない。好きに思ってほしい。

ちなみに虚構新聞って前から名前くらいは聞いたことがあったんだけど、僕が虚構新聞のサイトを見てみたのってつい最近のこと。情弱だからそれまで知らなかったし、たまに耳に入ってくるのも悪口ばっかりだったからそんなに興味なかったんだけど、見てみたらすごい面白かった。

渦中の日本ユニセフ絡みの話はよく知らない。ひろゆきさんのアグネス・チャンさんへの公開質問みたいなのは読んだ。ひろゆきさんって頭いいし見た目もかっこよくて好きなんだけど、ひろゆきさんのことを頭いいっていうのも、いかにも虚構新聞を面白いと思う程度の人間らしいとか言って頭のおよろしい人たちにはバカにされたりするのかな?よくわからない。

虚構新聞というリトマス試験紙

でもまあとにかく、虚構新聞っていろんな意味ですごく面白いと思う。今回の日本ユニセフ絡みの件で、いろんなブログやいろんな人たちに虚構新聞はボロクソに叩かれているみたいなんだけど、あんまり興味がなくて読んでない。でもたまたま読んだ記事に、「虚構新聞はリトマス試験紙だ」みたいなことが書いてあって、言っていることは大変よくわかったつもりでいる。

その記事で言っているのは、要は「虚構新聞なんて愚劣なものを面白いと思うような人間というのは頭が悪くて本当に面白いとはどういうことかも知らないセンスの悪いつまらない人間なのだ」ということで、虚構新聞を面白いと思うというその一事を以てその人間の低劣さ、センスの悪さまで判定できるリトマス試験紙として機能するのだという。話としては大変わかりやすい。

だからもちろん、そういう人たちからしたら「虚構新聞めっちゃ面白い」ということを書いている僕のこの文章自体、虚構新聞などを面白いという人間にはバカばかりでろくな奴がいないという格好のサンプルなんだろうなって思う。

そして僕はそのことをひどい話だとは思わない。むしろこんなに平和的で素晴らしいことはないと思う。

僕は「話せばわかる」という言葉が大嫌いだ。「同じ人間なんだからきちんと話し合ってわかりあおうよ」という考え方が大嫌いだ。それっていいことを言っているようで、僕にはそういうことを言う人の身勝手な理想の押し付けにしか思えない。そういう人が一方的に自分の意見をわからない相手にわからせようとするところに争いが生まれるのだと思う。

でも、その点虚構新聞をリトマス試験紙だったり踏み絵として利用して、それを面白いという人間はクソだと断じる人たちというのは、きっと「話せばわかる」なんて野暮なことは言わない。虚構新聞を面白いと思うような知能も低くリテラシーもないバカに、なにを言ったところでわからない、だからそういう人間とは関わらないに限る、というスタンスなのだと思う。

こんなにありがたい話はない。こんなに平和的で、こんなに素晴らしい話はない

交わりようもない水と油が、それでもお互いを主張しあって、相手に自分を受け入れさせようとするところに争いが生じる。でも水と油はどうしたって相容れないものだとわかっていれば、お互い相手に関わることもない。水は水として、油は油として、お互いにまるで無関係に、干渉することなく、楽しく平和に生きていくことができる

つまり、僕は「虚構新聞めっちゃ面白い」と言うだけで、虚構新聞を面白いと思うような奴はバカだから関わらないようにしようと思うような人と、一切関わらないですむのだ。お互いにとってなんて素晴らしいことだろう。これだけでも僕は虚構新聞さんに感謝したいし、やはり虚構新聞には素晴らしい価値があると思う。

虚構新聞の社主さんがうらやましい

なんかこんな話をするつもりではなく、普通に虚構新聞面白いという話をするだけのつもりだったのだけど、気がついたら書いてたのでこれはこれで残しておくとして、最後に普通に、バカなりに一生懸命虚構新聞を誉めたたえてみようと思う。・・・まあ言うほど記事をたくさん読んでるわけじゃないし、むしろどんな記事を読んで面白いと思ったのかすら思い出せないのだけど、そういうレベルのバカなりに虚構新聞を読んで思ったことをがんばって書いてみる。

虚構新聞はずるいと思う。アイディアがずるい。なにしろ新聞というくらいでネタが時事だったりニュースだから、ネタに困ることがない。それだけでめっちゃうらやましい。

と言って、当たり前の話だけど、じゃあ僕がそのアイディアで同じことができるか、同じレベルのことができるか、もっと面白いものにできるかと言ったら、絶対にできない自信(?)がある。

バカには絶対できない。ここでいうバカというのは、僕みたいに新聞も読まないしテレビやネットのニュースもチェックしない、無知で無教養な情弱、くらいの意味だ。

逆に言えば、それこそそういう人間だから、そういう無知で無教養な情弱のバカだから虚構新聞を面白がったりするのだ、とさっき例に挙げたようなさぞかし頭がおよろしいのであろう人たちに、虚構新聞はその読者もろともバカだゴミだと言われてしまうのかもしれない(バカでごめんちゃい☆ぎゃぴ)。

虚構新聞で「面白いwwww」とか言って笑えるバカでよかった

でもまあ、そういう無知で無教養な情弱のバカから言わせてもらえば、それはとてもラッキーなことだと思うのだった。だってそのおかげでそういう頭のおよろしい賢い人たちからはバカだゴミだと言って叩かれている虚構新聞を見て、「面白い」と思って笑うことができるのだから、皮肉でもなんでもなく、僕は自分がバカで本当によかったと思う

別にそういう頭のおよろしい賢い人たちというのは、当然別のところで報いられているのだろうと思うので、僕ごときが同情したり哀れんだりするのもそれこそバカな話なんだろうとは思うのだけど、やっぱり僕はバカなので正直同情してしまう。

虚構新聞はバカだ、クソゴミだ、つまらない、それを面白いと思う人間ごと低俗で愚劣で死んだほうがいい。それくらいのことを思ったり言ったりしているネット上の大変頭のおよろしい賢いみなさんが、どこか虚構新聞なんて言う低俗なものではなく、僕のようなバカにはそのよさがわからないような高尚なものに面白さや素晴らしさを感じているんだったらいいな、と思う。大きなお世話だし、そんなこと別に僕に言われなくてもそうなんだろうけど。もし万が一にもなんにも面白いと思えないとか面白さを感じられないということだったらそれは大変不幸なことだと思うので、頭がおよろしいっていうのは本当に可哀想だなあと思ってしまう。

でもまあ、基本的にはお互いにとってそうであるように、僕にとってもそういう人のことはどうでもいいのであって、僕としては自分が虚構新聞を読んで面白いと思って笑ってしまうような低俗なバカで本当によかったと思っているのだった。めでたしめでたし(◍´ ◡ `◍)←かわいい