まつたけのブログ

世界の片隅で愛を避ける孤独なキノコの魂の叫びを聞け!…聞いてください(◞‸◟)猫とマンガとアニメと嵐をこよなく愛するまつたけによるまつたけのブログ

人間は能力より人柄だと思う

結局人間って能力より人柄だと思う。

人間は能力より人柄

人間は能力より人柄だと思う。もちろん能力は能力で大事なことなんだけど、能力の優劣って人柄の良し悪しと比べたら相対的に大した問題じゃない気がする。

 

実際に能力があったり才気走ってても、人柄が最悪で誰も人がついてこないような人って結局大したことはできないし、逆に本人に特に優れた能力があるわけじゃなくても、魅力的な人柄に引きつけられてたくさんの優れた能力ある人たちが集まって、勝手にすごいことを成し遂げてしまったということは、それこそ歴史に残っているようなことのレベルでたくさん聞いたことがある。

能力より人柄が大事

個の力も大事とはいえ、ある意味ではたかがしれてる。人に好かれるとか、集団をまとめるリーダーシップとか、そういう人柄の部分のほうが人間の強みとして大きいと思う。例えば組織において、どんなに素晴らしい能力があっても、みんなから嫌われていてチームの足並みを乱すような人がリーダーだとかえって組織全体の生産性が落ちてしまうということもあると思う。

逆に必ずしもリーダーではなくても、実はその人がいることによってチームの和が保たれていたり円滑になっていたりする組織の要みたいな人もいる。ただもし上司だったりに見る目がないとそういう人はあまり評価されなかったり、重要性に気づかれないかもしれない。でも組織全体としてみたら、いくら能力があっても誰もついてこなかったり足並みを乱すような人よりも、その人がいるとみんなが気持ちよく働ける、みたいな人柄のいい人のほうが圧倒的に貢献度が高いと思う。

前にグーグルがほしい人材は優秀な人材ではなく、グッドネイチャードパーソン、チームの足並みを見出さない人だったり一緒に働いていて気持ちのいい人間だ、みたいな話を岡田斗司夫さんが聞いたという話をされていた。これはグーグルさすがだなと思った(ちなみに岡田さんの「いいひと戦略」も読んでないけど勝手に大筋そういう話なんじゃないかと思ってる)。


岡田斗司夫「いいひと」戦略

突出した才能とか、よく切れる知性とか、もちろん大事なんだけどそういう人ほど人柄の面で弱点や問題を抱えていることが多い気がする。もっと正確に言えば、そういう人柄にならざるを得なかったような過酷な生い立ちや環境が才能や知性を養ったのかもしれないけど。

なんにしても、才能や知性においてどんなに傑出していても、それだけで世の中に通用するほどの人ってそうはいないと思う。仮にある時点では通用しても、それだけで生き残れるほど甘くはない気がする。

とがっていたお笑い芸人はなぜ丸くなるのか

たとえばお笑い芸人の世界についてよく思うんだけど、お笑い芸人には「若い頃はとがっていた(けど今は丸くなった)」みたいな人が多い。よく言われるのは千原ジュニアさんとか土田晃之さん、あと今のキャラからすると意外な感じもしてしまうけど有田さんザキヤマさんなんかもそうだったって聞いたことがある。

僕は昔、そういう「若い頃はとがっていた(けど今は丸くなった)」みたいな人のことをダサいと思っていた。若い頃はなんとか世間に刺さっていこうととがっていたのに、ちょっと売れたら丸くなってしまうなんてダサいと思っていた。

でも最近思うのは、もちろん年齢を重ねたり売れたりしてそんなに昔みたいにとがっている必要もなくなって丸くなったということもあるにしろ、実はそれ以上に戦略的に考えて選択した結果なんじゃないかと思うようになった。

僕はお笑いとか全然詳しくないのだけど、それにしてもそれこそ流行り廃りの激しい世界だから生き残っていくことは大変なんだろうなってことくらいはわかる。そんな生き馬の目を抜くような世界で、長く続けていくということを考えたとき、どうしたってセンスや才能だけじゃどうにもならない部分っていうのはあるんじゃないだろうか。

そのときだけのことであれば才能頼み、センス頼みでとがっていてもそこそこ通用することはあると思うけど、長く生き残っていくということを考えたとき、そんなやり方じゃいつまでも生き残ることはできないんじゃないだろうか。

お笑い芸人さんは頭がいい人が多いので、「若い頃はとがっていた(けど今は丸くなった)」という人たちも、そういう先のことまで見据えて自分たちが今後どうあるべきかということをよく考えて、生き残るために選択的に丸くなったんじゃないだろうか。売れて丸くなったという要素以上に、生き残るために丸くなることを選んだ人が結果的に生き残って売れている世界なんじゃないかって気がすごくする(もちろん名前も知られていない最初のうちはとがったキャラというのも世間に刺さっていくために大事なことだと思うけど)。

松下幸之助の採用面接での質問

有名な話だけど経営の神様と言われた松下幸之助は新入社員の採用面接で「あなたは運がいいか?それとも運が悪いか?」と必ず聞いていたそうで、その答えが「私は運がいい」なら合格、「自分は運が悪い」だったら不合格にしたという話を聞いたことがある。

もちろんこれは本当に風水的ないわゆる運の良し悪しで人を選別していたということではなく、結局この質問で新入社員の人柄を見ていたということだろう。つまり「自分は運がいい」と答える人間は、自分のこれまでの成功や生い立ちを自分一人の手柄にするのではなく、周りの人たちの支えに「おかげ様」と感謝できる人であり、逆に「自分は運が悪い」と答える人は、自分のこれまでの失敗や生い立ちをまわりの人の無理解や無能のせいにしている人かもしれない。そういう判断をしていたのではないだろうか。

もちろんこうした判定法に異を唱える人もいるだろうし、僕もそれだけで決めつけられたものではないと思うものの、どうせ短い面接の場で相手の人柄を完璧に把握することなんて不可能なことを考えれば、十分機能するよくできた判別法なんじゃないかと思う。

実際いわゆる社会的に成功者とされている人たちほど、自分のこれまでの成功や業績を運がよかったからだと感じている、みたいな統計データを見たことがあった気がする(※毎度のことながらすべて僕の怪しげな記憶の中でのことですので、人に得意げにひけらかす場合は必ずご自分で確認をされてからにすることを強くお薦めいたします)。

本当に風水的な意味での運とか不運とかいうことがあるのかないのか僕にはもちろんわかるはずもないけれど、僕はもし運不運ということがあるとしても、やっぱりそれはその人自身の人柄と無関係なものではないと思う。

運だとか不運だとかそういうことがあろうとなかろうと、今ある自分はまわりの人たちのおかげだと感謝している人のことはやっぱりまわりは支えてあげたくなるし、逆に事実どんなに本人が頑張っていたり能力がある人だったとしても、その努力や才に溺れて、「自分はこんなに才能があるのに、世間は無理解だから誰もわかってくれない」とか「無能な奴ばっかりだから認められない」と言って毒づいてばかりいたら、やはり人の気持ちとして支えてあげたくなる人なんて少ないんじゃないだろうか。

結局世の中は人。人に好かれる人が強い

結局世の中は人なのだ。世の中金だとか権力だとか言ったところで、結局それが人に対して力を持つからだ。世界に自分一人しかいなくなったとしたら、どんな守銭奴でも金の無意味さに気づくし、どんな傲慢な奴も威張ることの虚しさに気づく

自分の才能や能力に溺れて、いくら周囲の人間や世間のことを無能だ無理解だと悪しざまに罵ったところで、結局そいつ自身認められたいと望んでいるのはそうしたまわりの人間からであり、世間からなのだから、実はそういう人というのは他者や世間を否定することで自分自身を否定してしまっているようなものだ。

それならば、結局人から好かれる人のほうが強い世間から愛される人柄のほうが強い

結局どんなに能力があっても人から応援されない人には大したことなんてできない。なぜなら人を評価するのはやはり人だからだ。逆に能力の面で劣っていても、まわりの人たちが応援したくなるような人柄の人というのは、まわりの人たちに支えられ、またその人たちに感謝しながら、なんだかんだひとかどのことを成し遂げることができると思う。

能力は能力で大事だしあるに越したことはないのだけど、それ以上に重要な人柄の部分を蔑ろにして能力や才能に溺れていると、いつかどこかで通用しなくなる。いわゆるエリート的な能力の高さや優秀さより、それ以前に人としてどうか、といった人柄の部分のほうが、「人間的に望ましい」といった綺麗事でなしに、成果を上げる上でもはるかに重要なのではないかと思う。

もしかしたら孤高や一匹狼を気取っている人は、能力的に他を圧倒しているがゆえに誰もついてこれないのではなく、単に人柄が最悪で嫌われていて、誰もついて行きたいと思っていないだけかもしれない。仮に本当に能力の高い孤高の人だったり一匹狼だったりしたとしても、その背中に憧れて追いかける人もいないようでは、結局大したことってできないんじゃないだろうか。

リーダーだろうとリーダーじゃなかろうと、そもそもチームや仲間を持たない一匹狼だったとしても、魅力的な人柄がなければ人に影響を与えるなんてできるはずもなく、人に影響を与えられなければ結果的に大したこともできないと思う。

そういう意味ではもちろん人柄も能力だと言うこともできるし、人柄こそが最大の能力だとも言えると思う。

人を大切にしない人は人から大切にされない

レバレッジ、なんていうとあまりにビジネスライクすぎるけど、自分を最大化することを考える上でも、能力を磨くことの価値を否定するものではないにせよ、そればかりにかまけて人柄を蔑ろにしていては効率が悪く、大きな成果は望めない。

仮に人柄なんてクソ食らえ、所詮この世は弱肉強食、強ければ生き、弱ければ死ぬなどと全身に包帯を巻いてキセルを吹かしながら傍らに美女をはべらせて抜かしながら、他人を蹴落とすことで自分がてっぺんにのし上がり、社会的に「成功」したとしても、僕にはそういう生きかたがしあわせだとは思えない。もちろん僕なんかにはそんな真似をする能力もそもそもないのだけど、負け犬の遠吠えと言われようとそんな風に生きたいとは思わない。

自分に能力がないことの言い訳を人柄に求めるような人間の人柄などたかが知れているし、別にそんなつもりもないのだけど、能力がないなら能力がないなりに、せめて人柄だけでも少しでもましにしていけたらいいなと思う。社会的に成功できるかどうかなんてことじゃなくても、少なくとも絶対にそのほうがまわりの人はもちろん自分自身もしあわせに生きていけると思うから。

人を大切にしない人は人から大切にされない。まわりの人、なんて言うほどの人も僕にはいないけど、まずはささやかにでも自分に好意的に接してくれる人のことをこれまで以上に大切にしていきたいと思いましゅ!!!!(ノ)`ω'(ヾ)おしまい。