まつたけのブログ

世界の片隅で愛を避ける孤独なキノコの魂の叫びを聞け!…聞いてください(◞‸◟)猫とマンガとアニメと嵐をこよなく愛するまつたけによるまつたけのブログ

毎日が人生の行き止まりに思える病気

毎日が人生の行き止まりに思える病気。

花金の夜になんつー話を書いてんだっていう暗い記事です。

あと花金って普通に使ってたら「それ死語だよ」って言われました。死にたい。

毎日が人生の行き止まりみたいに思える病気

毎日が人生の行き止まりみたいに思える。どこにも進んでいない。どこにもたどり着けない。

最近ブログを始めた。文章を書くのはめんどくさくて嫌いだけどいい時間つぶしにはなる。ツイッターで流れないタイムラインをぼんやり一日中眺めているよりは多少生産的なことをしているような気にはなれる。でも気がするだけ。なんの意味もない。

こんなことしててなんになるんだってことを思うと、こんなことしててもなんにもなるはずがなくて、こんな日々がいつまでも続いてほしいわけでもないし、こんな日々がいつまでも続けられるはずもない。常に人生の行き止まりにいるみたいな感じがする。

昔から人生の出口のなさ、出口の見えなさに息が詰まりそうだった。まあ出口なんて最初から死ぬことしかないんだろうな。「入り口はあっても出口はないのさ」って歌ってた人も若くして死んでしまった。


回帰線 尾崎豊

先が見えない。そもそもどっちが前なのかわからない。右を見ても左を見ても行き止まり。後ろに戻ることもできない。気づいたら人生の袋小路に追い込まれていて、現状を意識した瞬間打ち破れない閉塞感と息苦しさに過呼吸になって口から泡を吹いてぶっ倒れそうになる。

どうすればいいのかわからない。というか、そもそも「どうしたい」というのが自分の中になにもない。だからどこを目指せばいいのかわからない。どっちへ向かって歩けばいいかもわからない。

闇雲に進もうにも、四方八方が壁に思える。踏み出した瞬間頭をぶつける。打ち身擦り傷、全身が傷だらけになる。やがて無力感と絶望に支配される。そして歩くことさえあきらめる。

そんなふうにして真っ暗闇の中で座っていると、自分の呼吸の音しか聞こえない。世界には自分しか存在しないんじゃないかって気がしてくる。記憶の中の他の誰かの存在は、全部自分の妄想なんじゃないだろうか。「そんなはずないだろ」って笑う頭の中の声もなにもかも全部。

ここがどこだかわからない。本当はもうとっくに死んでいて、土の中に埋められているのかもしれない。でも死んでいるのにこんなふうに思考できてしまうなら、死んでもやっぱり出口がないってことで、それは死ぬよりひどいと思う。死は解放であってほしい。死は完全な無であってほしい。安寧さえもないことの安寧。早くそこへ墜ちていきたい。

そんなことを考えながら、少しずつ意識が遠ざかって眠りに落ちていく瞬間が、今生きていて一番しあわせな時間。早く眠りたい。早く眠り続けたい。夢も見ない深い眠りに、早く落ちたい。

薬を飲まずにうつを治す 精神科医の自己メンタルセラピー