原罪とは何か?知恵の実とは何か?
旧約聖書『創世記』のアダムとイブ(エバ)の失楽園の物語について。原罪とは何を意味するのか?知恵の実とは何を意味するのか?なぜアダムとイブは知恵の実を食べるまで裸でも平気だったのか?なぜイブはアダム(の肋骨)から造られたとされるのか?悪魔が正体とされる蛇は何を意味するのか?パラダイス(楽園)とは何か?パラダイスロスト(失楽園)とは何か?そんな話。
旧約聖書『創世記』のアダムとイブの物語は何を意味するのか?
僕は好きな言葉ではないけど、キリスト教では原罪ってことを言う。旧約聖書の『創世記』のアダムとイブの失楽園(パラダイスロスト)の寓話、知恵の実を巡る原罪の物語はあまりにも有名だ。その寓話は何を意味するのか?知恵の実や蛇は何の象徴なのか?
僕はアダムとイブの失楽園の物語は、人が自意識に目覚め、「自分」という意識が誕生した瞬間の物語であり、引いてはその裏返しとして「自分以外=他者」という意識も生じざるを得なかった、一番最初の、最も根源的な二元論発生の瞬間の物語だと思う。
楽園(パラダイス)とは何を意味するのか?
なぜ知恵の実を食べるまでアダムとイブは自分が裸でも平気だったのか?それはそれまでアダムにもイブにも自意識、「私」という思い込みの幻想がなかったから。つまり彼らの間にお互いの区別はなかった。「お互い」という認識自体なかった。なぜならそもそも「私」という自意識がなかったから。
楽園(パラダイス)とは人間が神によってつくられた最初からそこにいた世界、つまり人間にとって最も根源的な状態、回復すべき本来性の状態を意味する。誰もが希求しているのは究極的にはその原初の状態。そもそも「私」とか「自分」といった自意識がないゆえに、自他の分離もありえないワンネスの状態。最近流行りの言葉を使うなら非二元の世界。
だからイブはアダム(の肋骨)から造られる。それは男(アダム)も女(イブ)も本来別のものじゃない、一つの同じものってことを意味している。
知恵の実とは自意識のこと
知恵の実っていうのは端的に言うと自意識のこと。自意識とは何か?それは自分と他人を区別する意識。自意識は自分一人しか存在しない世界では生じ得ない。自意識とは単に自分を意識することではなく、実は何より「他者」というものを意識し、鏡写しのように他者の目を通して自分を見たときの意識のこと。
「自分」が認識された瞬間に、同時に「自分以外」も必然的に生じざるを得ない。それが他者としての異性であり、そこに恥の意識が生まれる。
皮肉にも、自意識に目覚め、他者を意識することによってはじめて孤独感という分離意識が生じる。分離しているがゆえに孤独であり、寂しく、他者の存在は不安や恐怖の対象となる。
もう裸のままでは向き合えなくなったアダムとイブ。二人は裸でいることの羞恥や恐怖に傷つくことをおそれ、自らを取り繕い、偽るための嘘をつきました。神は二人を追放しませんでした。なぜならその嘘自体が彼らを永遠に楽園から追放し、罪深さと自己疎外という孤独な荒野へと二人を追いやったからです
— まつたけ (@denpanohikari) 2012, 12月 20
かつて二人に「二人」という概念はありませんでした。なぜならアダムにとってイブは全てであり、イブにとってはアダムこそが全てだったからです。そこにあるのは完璧な「一体感」でした。しかし今や二人は自分のことばかり気にかけ、相手を自分の安心を脅かすものとみなしました。それは「分離」でした
— まつたけ (@denpanohikari) 2012, 12月 20
今や二人はかつて決して知ることのなかった「孤独」という感覚に絶望的に囚われていました。二人が一つではいられなくなったとき、言い換えれば二人がそれぞれの存在を異なるものとして意識したとき、皮肉にもはじめて二人は「自分は一人である」という強烈な不安と寂しさに囚えられてしまったのでした
— まつたけ (@denpanohikari) 2012, 12月 20
知恵の実を食べて自意識に目覚めるまでは、ある意味で男も女もなかった。「男」とか「女」とか、そういう「性別」という概念がなかった。「異性」なんて概念はありえなかった。自意識によって分離意識もまた生まれ、それは男と女、善と悪、陰と陽といったあらゆる二元論の究極の原因。それゆえ知恵の実(禁断の果実)は善悪の知識の木の実とも言われる。
「俺」とか「私」といった自意識がなければそもそも分離はどこにもない。ワンネスでしかありえなかった。それこそがパラダイスと言われる原初の非二元(不二一元)の状態。
原罪とは自他の分離意識
「俺は男である」、「私は女である」を意識した瞬間、同時に相手のこともまた異性として認識される。その瞬間からアダムとイブは互いを強烈に意識し、裸の自分を恥じ、そしてまた相手の裸に欲情を覚えることになる。
失楽園(パラダイスロスト)とは知恵の実(自意識)を食べたことによって「私」を意識し、そして右ができると同時に左が、上ができると同時に下もできるように、「私」が認識されると同時に「私以外(他者)」も認識され、「男」と同時に「女」が分かれ、そのようにしてあらゆる分離と対立、そして当然それに伴って数々の苦悩が生じ始めたこと。
そういう人類最初の分離の物語。それまで世界(楽園それ自体)やお互いとひとつでしかありえなかったアダムとイブが、自意識に目覚めることで自分と他者(異性)、世界とを明確に区別し、そこから必然的に恥や敵意、恐怖、不安といったあらゆる苦悩(蛇の毒が回った状態)が始まったことを示す寓話。原罪とは自他の分離意識に他ならない。
自他の分離意識から不安や恐怖、孤独感と寂しさ、恥や怒りといったあらゆる不幸が生じるため、それは原罪と呼ばれる。そしてそれ自体がパラダイスロストということの意味であり、楽園からの追放(失墜)。
そんなことを考えていたけどお腹がすいたのでそろそろご飯にします。さようなら。