増殖する悪意
ネットでたやすく増殖する悪意について。
悪意は増殖する
最近「明日、ママがいない」というドラマの内容があまりに酷いから放送を中止しろだとか、フォアグラ弁当は残酷だから販売を中止にしろとか、缶チューハイのCMにカエルの着ぐるみのキャラクターを使うのは未成年へのアピールになるから放送中止にしろとか、似たようなニュースをやたら立て続けに聞きます。「明日、ママがいない」は続投のようですが、フォアグラ弁当は実際販売中止になり、缶チューハイのCMも放送中止になったそうです。
また、これは最近ということもなくいつものことなんでしょうが、ネットの世界には炎上というものがあります。なにか問題発言とみなされることを言った人が、ネットの人たちからボコボコに袋叩きにされるというあれですね。そのことに嫌気が差して場所を変えたりネット自体から離れたりしてしまう人もいるようです。
僕自身、さいわいにして炎上というのは今のところ多分ありませんが、一部の人にボロクソに悪口を言われたり貶されたりするのはわりと日常茶飯事です。というかつい先ほども暇にまかせてよけいなことをしてしまったばっかりに、僕について嘘や出鱈目で塗り固めた誹謗中傷が書かれているのを見つけてしまい、それで感じたことをこうして書いてたりします。
悪意は「善意」や「義憤」を餌にして増殖する
もちろん僕の悪口や炎上の話はともかく、ドラマの放送中止要請だとか、フォアグラ弁当の販売中止要請だとか、それまで「悪意」といって一括りにするつもりはありません。むしろことはまったく逆で、そういう人たちにしてみたら「善意」や義憤のようなものを感じてのことだったりするんだろうなと思うわけです。
善意とか義憤というのは気持ちいいですからね。善意を抱くだけで、なにかけしからん問題やけしからん人間について憤ってみせるだけで、お手軽に善良な一市民の代弁者にでもなったかのような気持ちよさ、正義の味方にでもなったような気持ちよさを味わえるので、そのこと自体は僕も大変素晴らしいと思います。
問題はそうやって気持ちよくなれることに、その「善意」だとか義憤に本当に正当性はあるのかということは一切関係ないことです。もしかしたら本当は無実の人であっても、「こいつが悪いやつだ!みんな叩け!」という流れを作ったり、その流れに乗って本当はよく知りもしない問題、知りもしない人のことをみんなと一緒になって叩いていれば、それで簡単に気持ちよくなれてしまうことです。
ましてやたとえば「ドラマのスポンサーが降りた」とか「弁当の販売が中止になった」とか、「誰々がアカウントを消した」とかいうことになれば、「俺らの完全勝利wwwwwwwwww」みたいな感じですさまじいまでの勝利感と一体感に酔いしれられることうけあいです。
結局その感じがほしいだけなんじゃないかって気がすごくするのです。一言で言えば「正義は勝つ」ってやつですね。僕も勧善懲悪は大好きなので気持ちはすごくよくわかるんですけど、問題はその「正義」というのは単に「俺ら=正義」程度の意味でしかなく、本当にそれが正しいのか、筋が通っているのかなんて問いかけはそもそもされることもないということです。
嘘や出鱈目でも叩ければなんでもいい人を煽るのは簡単
まあ「『明日、ママがいない』はひどすぎる」とか、「フォアグラ弁当は残酷だ」というのは単に人の意見なので、当然そういう考えを持つ人もいるでしょうしそもそも正解とか不正解といったことのない問題だと思います。
でもそういった人間の意見とはまったく別のレベルにそもそもそれは事実なのか事実でないのかという問題が存在します。
たとえば誰か(Aさん)が痴漢の罪に問われてボロクソに叩かれているとします。「痴漢とかマジでキモい」「お前は最低の人間だ」「死ね」などなど。それを見て「え?Aが痴漢をしたって?絶対に許せねえ!Aは死ね!」など、さらに炎は燃え盛り、燃え盛る炎の明るさに釣られてさらに人が集まって・・・というおなじみの炎上の構造です。
でもそもそもAさんが痴漢をしたという前提がまったくの嘘、出鱈目だったらどうでしょう。可哀想なのは存在もしない痴漢の被害者(?)ではなく、ありもしない嫌疑をかけられた上にそれが事実であることを前提に散々に人間性を傷つけられたAさんではないでしょうか。
ちなみにきっかけはAさんのことを目障りに思っていたBさんが匿名で「Aは痴漢常習犯の最低のクズ野郎だ」という出鱈目の情報を書き込んだことでした。それを読んだ人たちが「そもそもAさんは本当に痴漢なんてしたのか?」ということをどうしたわけか確認しようともせず、「なんだと?それはとんでもねえクソ野郎だ!絶対に許せねえ!こんな奴は炎上させてやる」と「正義」を遂行した結果だったとさ。めでたしめでたし。
もちろん今のは単なるたとえ話ですが、ネットって実際あきれ果てるくらいこういうことであふれかえっている気がするのです。みんな叩けるものがほしいだけで、叩けるものを叩いて気持ちよくなりたいだけで、その問題やその人に本当に叩かれるべき正当な理由はあるのか?なんてことは考えもしないし、考えたくもない(なぜならその結果無実であることが明らかになってしまうかもしれないから)という人たちがあまりにもたくさんいるような気がするのです。
悪意は空気感染によって増殖していく
僕はそれはウイルスのようなものだと思います。さっきの例えで言えばAさんが目障りだから嘘をついて陥れてやろうと考えた人の悪意がウイルスです。
本来であればそんなひどいことが許されるべきではないと思いますし、そもそもその人の言っていることは本当なのか、またもし嘘だとすれば糾弾されるべきは嘘をついて人を陥れようとするようなそいつではないのか、といった流れになるべきだと僕なんかは思うのですが、実際はほとんどの場合そうはなりません。
これがもうあきれるくらい簡単に、なにかの悪夢を見ているのではないかと思いたくなるくらい見事に、思わず笑ってしまうくらい単純に、「Aは痴漢常習犯の最低のクズ野郎だ」に端を発した「最低だ!」「女の敵!」「死ね!」的な反応がそれはもう燎原の火のように燃え広がっていってしまうのをよく見ます。
最初は無視すればいいくらいのバカバカしくてくだらない稚拙な悪意だと思っていたら、それがなにかを叩きたくてしょうがない人たちにとっての格好の火種となり、そうなれば後はもうあっという間に火だるまにされて灰も残らない・・・という本当に悪夢のようなことが現実にありえるし実際にあるのが今のネットの世界だと思います。
ある問題やある人について、実は自分自身に大した考えや意見があったわけでもないのに、下手をしたらその問題やその人についてまったくなにも知らないのに、その問題やその人についてネットで見かけただけの誰かの悪意に触れて、「それはけしからん!」と激怒して(いるふりをして)個人的には怨みもなにもない問題や人を相手に自分も一緒になってボロクソに叩くという風潮が完全にできあがってしまっていると思うのです。
そうしていわばもともと自分とは無関係であったはずの他人の悪意に「感染」して、そして自分自身もその悪意ウイルスのキャリアとなってまた他の同じような人たちに悪意ウイルスをばら撒くゾンビのような悪意の増殖活動を開始する人たちがたくさんいるような気がします。
いや、もっと言ってしまえば自分自身に大した考えを持っていないような人ほど、そんな自分でもなにかしらの思想や立場(それもできるだけ自分を正義に見せてくれて、なおかつ確実に勝ち馬になれるような強い立場)を持ちたい、持っているように見せかけたいという思いから、それが実際はただの悪意だろうとなんだろうと、声さえ大きくて強硬な態度で主張されていることであれば、自ら率先して感染しにいく傾向があるとすら思います。
そしてもともと大した考えもなければ興味もなかったような問題について、様々なクレームをつけたり、あるいはその相手のことなんて本当はなにも知らない相手について「お前は最低の人間だ。死ね」と言ったりしているだけの人がたくさんいるんじゃないかと思うのです。
「じゃあどうすればいいんだよボケ!」って部分についてはなんで今ボケって言われたのかわからないけど長くなったので今度改めて別に書きます。ただとりあえずそういう時代、そういう世の中なんだなー、そういうリスクもあるんだなーということくらいは把握しておかないと、「あたしったらいっけない!のんきにお花を摘みに行ったらお花畑じゃなくて銃弾飛び交う戦場だった!☆テヘペロ!」みたいなサザエさんは愉快だな的事態になってしまわないともかぎりません。
僕自身、戦戦兢兢、はらはらドキドキ、ガクガクブルブルの毎日ですが、みなさんもこのまったく理不尽に増殖する悪意に取り殺されることなく、生きてまたお目にかかれればと願っています。読んでくれてありがとうございました!おしまい。
追記:悪意に対してどう対処していくか書きました! 正解のない時代の歩き方