小野田寛郎少尉と植芝盛平に学ぶ銃弾の避け方
小野田寛郎少尉と植芝盛平に銃弾の避け方を学ぼう!これで今日からあなたも銃火器なんてこわくない!
小野田寛郎少尉と植芝盛平翁に銃弾の避け方を学ぶ
小野田寛郎陸軍少尉が2014年1月16日、亡くなられた。フィリピンはルバング島での小野田少尉の鬼神の如き活躍はいまだに小生の目に焼き付いている。
小野田寛郎少尉について思い出を語り始めればきりがない。だが小野田寛郎少尉のフィリピンルバング島での死闘奮闘ぶりはわが日本国民のみなさんご存知だろうと信ずるので、小生からは「いかにして生きるか?生き残るか?How to survive?馬鹿者!鬼畜米英の英語を使うとは何事か!ファックユー!」というわけで、真の軍人として身につけて当然であるところの銃弾の避け方について書いてみたい。
小野田寛郎少尉に学ぶ銃弾の避け方
昨今の日本人は大和魂というと銃弾も恐れずに火の玉の如き覚悟で体当たりで向かっていき、討ち死にするを以って大和魂などと解釈する輩がいるがとんでもないことである。自ら銃弾に当たって討ち死にするなどというのは武士道でもなければ大和魂でもない、単なる犬死にというのである。
では真の士道、大和魂とはなにか?端的に言おう、それは銃弾を避けることである。真の大和魂を持つ日本男児であれば銃弾のひとつやふたつを避けられなくてどうするか!?そんなことで貴様はお国の役に立てるのか!?ということである。
死を以って愛国の意を示すがごときは単なる自己満足のナルシスティックかつオナニスティックな美意識でしかない。そんなものは真の大和魂ではないのである。真の日本男児たるものはあくまで生きねばならぬ。生きねばお国のために働くことも役立つこともできないではないか。
それを思えばジャングルに潜伏して現地の野生牛などを捕獲して乾燥肉にする方法、自生する果物から効率的にビタミンを補給する方法など、あらゆるサバイバル技術を熟知し、長けていること等と合わせて、銃弾の避け方、銃火器への対処法をしっかり身につけておくことは日本男児としての最低にして必須の教養であろう。
小野田寛郎少尉は戦時中にご自身が体験した人間が持つ潜在的な能力について、「本当に命を賭けなければいけないと必死になった瞬間、頭が数倍の大きさに膨らむ感覚と同時に悪寒に襲われ身震いし、直後、頭が元の大きさに戻ったと感じると、あたりが急に明るく鮮明に見えるようになった」と語っている。
そして「夕闇が迫っているのに、まるで昼間のような明るさになりました。そして、遠くに見える木の葉の表面に浮かぶ1つ1つの脈まではっきり認識することができました。そうなると、はるか先にいる敵兵の動きも手に取るように分かります。それこそ、相手が射撃をする直前にサッと身をかわして銃弾を避けることさえできると思いました」 と仰られている。
さらに小野田寛郎少尉は「直進する物は物理的に見えるんですよ。(中略)真っ直ぐ自分のほうに伸びてくるんだから見えます。(中略)撃たれたときは、火を噴いている銃口から見えた(中略)相手の突きを避けられるのだから避けられますよ」と日本男児の必読書である『月間秘伝』のインタビューの中で銃弾の避け方について答えられている。
なるほど、風力や重力、気圧や天候によっても細かく変化する銃弾の弾道を一瞬で計算するスーパーコンピューター並みの知力、マッハ2に近いスピードの銃弾をかわすマッハ3以上のスピードで動ける戦闘機並みの運動能力を併せ持てば弾丸など恐るるに足らず!かわせないわけがない道理である。
合気道開祖、植芝盛平翁に学ぶ銃弾の避け方
小生が小野田寛郎少尉のこの銃弾の避け方の話を聞いて思い出したのは今は亡き合気道開祖、植芝盛平翁のお話である。
植芝盛平翁といえば言わずと知れた我が国が誇る神武不殺、神人一如の達人である。その植芝盛平翁にしてみればピストルの銃弾をかわすなどということは無論朝飯前のことであった。むしろ朝飯前すぎて物足らず、陸軍の射撃の腕利き(鉄砲の検査官)たちにピストルによる一斉同時集中射撃をさせてそのすべてをかすりもせずにかわして見せている。
そのときの様子について、自身合気道の達人として知られ、グラップラー刃牙の渋川剛気のモデルともなった塩田剛三師範は、武を志すものであれば必読の名著、『合気道修行』の中で次のように語っている。
射撃場では人形の代わりに植芝先生が的の位置に立つことになりました。そして、六人の検査官がピストルを構えました。「1, 2, 3, 」で六つの銃口が一斉に火を吹きました。砂ぼこりがもうもうと舞い上がったと思うと、次の瞬間、六人のうち一人が宙に舞ったのです。先生はいつの間にか六人の後ろ立って、ニコニコ笑ってるではありませんか。(中略)これはもう、まぎれもなく神技としか思えません。
植芝盛平翁自身の言葉によれば、大本教の出口王仁三郎について満州で幾度も死地をくぐり抜けているうちに、銃撃戦の際に実際に銃弾が飛んでくる前に金色の光のつぶてが飛んでくるのが見えるようになったという。この光のつぶての軌道をなぞるように銃弾は飛んでくるので、光のつぶてをかわしてしまえば絶対に銃弾は当たらないのだという。なるほど、道理である。これを聞いたからにはもう今日からでもピストルの銃弾をかわせない愚か者はいないはずである。
ちなみにこのときの後日譚として、飛んでいる小さな鳥の眉間を撃ち抜けると豪語するマタギの百発百中の鉄砲名人が、植芝盛平翁が銃弾をかわすという噂を聞き、「ワシの鉄砲は必ず命中する」と言って植芝盛平翁と対決した話が残っている。
当初「わしに鉄砲は当たらん」と対決を快諾した植芝盛平翁であったが、さすがは相手も狩人の世界の真の名人、いざ向き合ってマタギが鉄砲を構えたのを見て植芝盛平翁は「待て。あんたの鉄砲は当たる。撃つ気がまったく視えん無心の境地や。撃つ前から当たるつもりで撃っとる」と自らの負けを認め、マタギは大喜びで山に帰っていったという。わが国にまだ名人たちが存在した往時が偲ばれるエピソードであるといえよう。
小野田寛郎少尉と植芝盛平翁は共に極限状態で潜在能力を開花させた
以上、小野田寛郎少尉と植芝盛平翁の語る銃弾の避け方について書いた。小野田寛郎少尉は陸軍士官学校、それもゲリラ戦や破壊工作の訓練に特化していた陸軍中野学校二俣分校の出身、植芝盛平翁は言わずと知れた合気術の達人であったとはいえ、やはりお二方とも銃弾を避けるまでの境地に達したのは実地の極限状態であったことが興味深い。
やはり人間極限状態に身を置くと脳内のリミッターがぶっ壊れて、心身ともに恐るべき能力を発揮できるようになるようである。これが古来から厳寒での滝行や極限状態まで己を追い詰める断食行、千日回峰行といった苦行・荒行が行われてきた所以であろう。
ひとたび脳内のリミッターをぶっ壊せたならあとはもう恐いものなどなにもない。天下無敵にして天上天下唯我独尊、まさに一刀流の正統継承者にして一刀正伝無刀流開祖、山岡鉄舟が剣の極意として示した施無畏の境地である。ここに至れば最早ピストルの一丁や二丁、少なくとも六丁くらいまではかわせないはずがないのである。
結論としては常日頃から極限状態に身を置くように心がけ、己を甘やかさないようにすることだ。昭和もはるか遠くなった平和ぼけした平成の今の日本で己が身を極限状態に置くには、やはり山林抖走や滝行に代表される修験道、あるいは福岡に活動の拠点を持つガチで武闘派のこわい人たちに殴り込みをかけるなどの方法がお手軽で最適と思われる。
なお、命の保証は誰にもできないのでくれぐれも自己責任において行動してほしい。なんとなれば銃弾を避けるがごとき高い精神性も、まずは自分自身の生き方に己で責任を持つという生活態度からしか生じ得ないのだから。
以上、小野田寛郎少尉と植芝盛平翁に学ぶ銃弾の避け方についてであった。この記事を参考にしてこれからはばんばん銃弾を避けまくり戦場や死地においても無畏無敵、活殺自在の境涯を思う存分謳歌してほしい。参考にしていただければ幸いである。おしまい。