幸福のツボ売ります
自己紹介から始めよう。俺はしがない詐欺師をしている。いや、「していた」と言うべきか。
これでも昔はちょっとしたもんだった。俺に売れないものはなかった。俺にかかればインクジェットでプリントしただけのイラストも寡作な有名版画家の点数限定物になったし、見るからに上京してきたばかりの田舎者に浄水器や消火器を高額で売りつけるのもお手のものだった。
あるときから田舎の年寄り連中に目をつけた。なんといってもあいつらは意外なくらい金を溜め込んでいたりする。しかもよそ者には警戒心が強い年寄りもいるが、何度も通って誠意を見せているうちに、案外簡単に心を許してくれるようになるものだ。田舎から子供や若者たちが出て行ってしまって寂しいのだろう。そこに一生懸命がんばっている若者が来ると、じいさんもばあさんもついつい心を許してしまうのだろう。馬鹿なやつらだ。
まあもちろんそのおかげでずいぶん稼がせてもらった俺にしてみればありがたい話なのだが、どうもいつの頃からか思うように仕事ができなくなってきた。自分にまだ良心なんてものが残っていたなんて信じられない話だが、どうも年寄りを騙していてももっと引っ張れそうなところで手を引いてしまったり、高い金を払って涙ながらに「ありがとうございます!」なんて俺を拝まんばかりに感謝する馬鹿なばあさんを見ていたら可哀想になって型にはめられなくなってきてしまったのだ。
こないだなんて商談の間にもそんなことを考えていたせいで危うく下手を打つところだった。おかげでたんまり稼ごうと準備してきたのに、あの地域にはもういられなくなってしまった。
こんな気分であせって仕事をしてもミスが続くだけだけだ。俺は少しゆっくり休みながら今後のことを考えるべく、都会のねぐらに帰ってきたのだった。
「あれ、永野さんじゃないの?」
突然親しげな声で呼びかけられた。永野というのは俺の偽名の一つだ。俺は意識して一拍置いて振り返るとあたりを少し見回してから言った。
「はい?人違いじゃありませんか?」
そこにはニコニコと楽しそうに笑っている爺さんがいた。
「いや、間違いないよ!永野さんじゃないの!」
昔のカモだ。あんまり間抜けでお人好しな爺さんだったものだからはっきりと記憶に残っている。だがどうしてこんなところに?いや、それより今はどうするかだ。ここは人違いを押し通して振り切るのがセオリーだが反応が一瞬遅れた。もう爺さんは俺を永野だと確定して話しかけてくる。
「いやあ、お久しぶりだ、こんなところでお会いできるなんてねえ!」
「いえ、私も驚きましたよ、まさかこんなところで八木さんにお目にかかるとは思ってなかったですから」
心底嬉しそうに話しかけてくる爺さんの名前を素早く思い出すと、俺も仕事用の笑顔を作って答えてみせた。
「やっぱり覚えていてくれたの!いや~、うれしいなあ」
本当に嬉しそうに笑う八木の爺さんに当たり障りのない返事を返しながら、俺はどうやってこの場を切り抜けるか考えていた。
「どうです?私の家はすぐそこなんです。一杯お茶でも召し上がりませんか?」
「え?いえ、でも八木さん、以前のお家は・・・?」
「いや、それが永野さんには聞いてほしい話がたくさんあったんですよ!永野さんにはほんとに感謝してもしたりないと思っていたからねー!それがまさかこんなところで会えるなんて、これもやっぱりあのツボのおかげなんだろうねー!ほら、あそこです!あのマンション!」
爺さんが指差した方に目をやると、一等地のこの辺りでもとんでもなく目につく大きなマンションが飛び込んできた。あのマンション?感謝?なにを言ってやがるんだこのジジイは?ツボっていうのはまあ、あのツボだろうが、なにか企んでやがるのか?だが爺さんの様子にはそんなところもない。本当に嬉しそうにしている。
よし!面白いじゃないか!俺は覚悟を決めた。どういう事情かしらないが、八木の爺さんの話を聞いてみて、それでことと場合によってはまたこの人のいいマヌケな爺さんからこないだの失敗の分までふんだくってやろう。
だが案内された八木の爺さんの家には声や顔にこそ出さなかったものの圧倒されてしまった。こいつはほんとにとんでもなく高級なマンションじゃないか!
「いやあ、年寄りはやっぱり洋室には馴染みがなくてね!」
そう言って笑う爺さんに案内された和室の床の間の見事さたるや!そしてよりにもよってその床の間の真ん中に、あのツボが、何年か前にほかでもないこの俺自身が八木の爺さんに売りつけたあのツボが鎮座しているのだった。
しかしさすがに・・・。目利きでもないこの俺の目から見てもこの床の間にところ狭しと並べられた美術品の数々の素晴らしさはわかる。掛け軸の達磨絵図といい、地味な鞘のつくりの中にもただならぬ存在感を放つ日本刀と言い、はっきり言って圧倒的だ。その中にぽつんと、それでいてど真ん中に鎮座ましますあのツボの見るからに貧相で安物なつくりときたらどうだ?俺は今更ながらに自分の大した仕事ぶりに喉がカラカラに渇いてきてしまった。
ちょうどそこへ八木の爺さんがお茶を盆に乗せて持ってきてくれた。
「いや~、どうですか、永野さんもなつかしいんじゃないですか?」
そう言ってニコニコと笑う八木の爺さんの顔色を窺いながら、俺は熱い茶をすする。このじじい、ほんとに気づいてないのか?
あのツボは、数年前俺が八木の爺さんに霊感商法で三百万で売りつけたものだ。もちろん三百万のツボなんて大嘘だ。なにしろこの俺自身が骨董屋で一万ほどで適当に仕入れただけの安物なんだから。
八木の爺さんの人の好さ、間抜けさは年寄りの中でも特別なものがあったから、三百万と言わず五百万でも八百万でもあったらあっただけ引っ張れただろう。
だが当時の八木の爺さんは長く連れ添った婆さんを亡くしたばかりで、婆さんの長い闘病生活でろくに金なんてなかったはずだ。俺はそんな八木の爺さんから婆さんの墓代に当てるはずだった金もろともなけなしの三百万を巻き上げてさっさとトンズラしたのだった。
「いやあ、あの後はさすがに女房の墓もつくってやれずに途方に暮れたりもしたけどねえ」
あくまでニコニコ顔の八木の爺さんに俺のほうが焦ってペースを崩されそうだ。
「いや、今更ながらあのときは急な仕事が入ってしまって挨拶もできず、失礼を致しました。なにしろ依頼があるたび飛び回る仕事なもので・・・」
八木の爺さんのこの様子ならあくまで俺は霊能力者という設定で接した方がいいだろう。俺はそう判断した。とにかく、あせらないことだ。
「いや、いいのよいいのよ、忙しいほど繁盛してるってことだからね、お仕事大変だろうけどがんばってくださいよ!」
「ありがとうございます。・・・で、こちらの家にはいつ・・・?」
「いや、それがね、その話が永野さんには聞いてほしかったわけよ!」
そう言って八木の爺さんがうれしそうに話し始めたところによると、当初は虎の子の三百万を失って婆さんの墓どころか自分のその日食べるものにも困ったらしい。だがどうやら俺が売りつけた(爺さん自身の言葉を借りれば俺が「譲ってくださった」)あの「幸福のツボ」の霊験であろうか(そんなはずがないだろう)、苦境を脱するために始めた商売がことごとくツボにはまったらしく(爺さんはこのシャレが痛く気に入っているらしく、心底愉快そうに笑いながら話すのだった)、あれよあれよという間に財を成し、婆さんに立派な墓を立ててやれたのはもちろん、今では田舎の家は売り払ってこの高級マンション暮らしなのだという。
「いやー、田舎暮らしは性に合ってたんだけどね、やってみたら商売のほうが楽しくなっちゃってね、ほら、婆さんが死んでから話し相手もいなくなっちゃったからね、それで商売が楽しくて楽しくて、それならやっぱりこっちのほうがなにかと便利だからね」
それにしたって人がいいだけが取り柄のこんな無学な田舎者の爺さんが、たったの数年でこれほどの財を成すなんてことが考えられるか?俺は思い切って聞いてみることにした。
「いやー、あのときはお役に立ちたい一心で八木さんにお譲りしましたが、このツボの霊験は確かですからね。それにしてもあのツボに封印されている竜王の霊力にはすさまじいものがあったようですね・・・」
「それなのよそれ!」
我が意を得たりとばかりに八木の爺さんが一際熱を帯びた調子で話し始める。
「それがね、あの後永野さんが次の仕事に行かれてしまってからね、途方に暮れてた私に龍神様が現れて話しかけてきてくだすったってわけなのよ!」
おいおい、このジジイはなにを言ってるんだ?頭は大丈夫か?竜王様だか龍神様だかバラモス様だか知らないが、一万円の安物にそんなもの宿ってるはずがないだろう。あんなのは全部口からでまかせの嘘。でたらめだ。トカゲの霊だってあんな安物のツボに封印されるなんてごめんだろう。
「それでね、龍神様の教えてくれた通りに商売を始めてみたらまあこういうことよ、ほんとにありがたい話だよ。ほんとに永野さんには感謝しても感謝したりないよ」
「いえ、お役に立てたならそれでいいんです。それにいくら龍神の守護が強力でも龍神は善良な人のためにしか働かないですからね。これもひとえに八木さんのお心が清らかだったからですよ」
「いやいや、そんなこと永野さんに言われてしまったら私なんてお恥ずかしい限りだよ」
おいおい、そんなの嘘に決まってるだろう、この爺さんほんとに頭がイカれちまったんじゃないのか?・・・普通ならそんなふうに思うところだが、今俺がいるのはこの高級マンションの一室なのだった。あの貧しい状況からこれだけの財を成したという事実は認めないわけにはいくまい。本当に人生というのはどこでなにがどうなるかわからないものだ・・・。それもまさか俺自身の詐欺がきっかけになって人生が開運するなんて・・・。
そんなことを考えていたら一瞬ここ最近の悩みが出てしまったのかもしれない。すかさず八木の爺さんが心配そうに声をかけてきた。
「なあ、永野さん、あんたほんとに大丈夫か?実はさっき外で会ったときにも感じたんだけども、なにかとんでもなく悪い悪霊に憑かれてるな?最近仕事のことで悩んでるだろ?思うようにいかなくなってるだろ?さっきから龍神様が教えてくれるんだ。あっ、ほら、龍神様がツボから出てきてくだすったよ!」
そんなバカな。ツボに目をやってももちろんなにも見えはしない。だが八木の爺さんはツボに向かってありがたそうに手を合わせて拝んでいる。
「や!龍神にお目にかかるのは久しぶりだ」
などとバカらしくなりながらも話を合わせてみる。いい加減疲れたのだろうか、なんだか気分が悪くなってきた。少し目眩もする。
「永野さん、龍神様のお力の影響であんたに憑いた悪霊が出てきてるんだってよ。なあ呼吸も苦しそうだが大丈夫か?」
おかしい。どうしたことだ。本当に呼吸ができない。世界がぐるぐる回る。声が聞こえてくる。「呪ってやる!」「よくも騙してくれたな!」「俺は貴様のせいで首を吊って死んだんだ!」「殺してやる!」なんだこれは?地獄のような世界のビジョンが視える。どうなっているんだ、助けてくれ!
「永野さん!永野さん!」別の世界みたいに感じられる遠くから声が聞こえる。誰だ?ああ、この爺さんは確か・・・?
「永野さん、しっかりして!ほら、お茶を飲んで!」
爺さんが倒れ込もうとする俺を支えるようにしながら二杯目のお茶を飲ませてくれる。
それからしばらく世界は収縮を繰り返しながら、少しずつ視界が戻っていく。「覚えてろ!」「絶対に許さない!」「必ずお前を呪ってやる!」悪霊ども(?)の声も少しずつ遠くなっていく。俺は意識を取り戻した。
「永野さん!永野さん!大丈夫!?」
心配そうな顔で俺を揺すっているこの爺さんは、そうだ、八木の爺さんだ。さっき俺は街でこの爺さんとばったり再会して・・・。
「永野さん、まずいことになったね・・・。あいつら龍神様の力で出てこようとしたけど、またあんたの中に戻っていっちゃったみたいだね。しかし龍神様でも引き摺り出せないなんて、これはよっぽどの怨みを持って死んでいった悪霊たちの強力な呪いだね・・・今日はたまたま龍神様がいてくれたけど、次にこんなことがあったらいくら永野さんでも・・・」
そんなまさか!こんなことってあるのか!?だが今もようやくはっきりしてきた意識に確かにさっきまでの深刻な危機を教えるかのように引き攣るような痛みが心臓には残っていた。俺は急に死の恐怖をすぐそこに感じてガタガタと震え出してしまった。
「永野さん!」
八木の爺さんはうろたえる俺の目をさっきまでのニコニコ顔とは別人のようにこわい顔でまっすぐに見据えると、俺の肩を痛いくらいに強く掴みながら言った。
「私はさっきから考えてたんだよ。どうしてこんなところであんたと再会出来たのか?私はここに引っ越してきたのか?これも縁だったんだね。すべては龍神様のお導きだったんだね」
俺はなんだか急にこの爺さんがこわくなってきたのだけどなぜか爺さんの目から目を離すことができなかった。
「実は私の商売っていうのも全部龍神様のお力なのよ。龍神様が力を宿してくださっているの」
「・・・・????」
「でも今回のあんたに憑いた悪霊は私も初めてなくらい強力だからね・・・他のツボに力を宿すんじゃなくて、もう龍神様ご自身が相手しないとどうにもならないって言ってるのよ」
「・・・・?あの、つまり、それはその・・・?」
「いいのよ、私はもう、あんたから譲ってもらってからもう随分ご利益にあやからせていただいたもの、龍神様ももう行くときだって言ってるしね」
八木老人は少し寂しそうな顔をした。だがしかし、再びにわかにこの老体のどこにというすさまじい力で私の肩を掴むと有無を言わせない迫力で言った。
「今日あんたと会えたのも龍神様のお導きだからね、永野さん、あんた龍神様がついてなかったら次は確実に悪霊どもにとり殺されるよ?」
「い、嫌だ!それだけは嫌だ!!!」
俺は思わず情けない声で叫んでいた。
だがそんな俺に八木さんは仏のような笑顔で「大丈夫よ」と言ってくれた。
「あのツボは永野さん、あんたに譲ってもらったものだけど、今度は私があんたに譲るよ。龍神様がきっとあんたのことを守ってくださるよ!」
「八木さん、ありがとう・・・、ありがとうございます・・・」
いつの間にか俺は鼻水を垂らして泣きながら八木さんに手を合わせて拝んでいた。
「龍神様がね、今までよく仕えてくれた私にこれは最後のご褒美だって」
八木さんはニコニコと笑いながら言った。
「永野さん、あのツボは八千万円です」