まつたけのブログ

世界の片隅で愛を避ける孤独なキノコの魂の叫びを聞け!…聞いてください(◞‸◟)猫とマンガとアニメと嵐をこよなく愛するまつたけによるまつたけのブログ

彼が彼女と過ごした日々は、彼女が彼と過ごした日々と同じではない

彼にとって彼女と暮らした数年間は間違いなく人生で一番しあわせな日々だった。もちろんその当時にはその当時なりの軋轢や苦悩もありはしただろうが、そんなものは彼女との暮らしの中に常にあった甘いやすらぎや同じふとんの中で共に眠る人のいるよろこびを思えばもののうちには入らなかった。

 

だが彼女はそんな風にその数年間を思い出すことはあるのだろうか?そんなことを彼はよく思う。彼女は彼との日々を苦い後悔とともに思い出してはいないだろうか?思い出すことさえ苦痛ではないだろうか?それともあるいは、思い出すことすらまるでないのだろうか?

昔から彼に言い寄る女はたくさんいた。およそさえない男を絵に描いたような人並み以下の容姿に、底知れず暗い、歪みきった性格をしていたが、ある種の女にはかえってそれが母性をくすぐるのか、およそ彼には釣り合わないような美人たちが不思議と彼に夢中になってしまうのだった。

しかし、彼はまったく人を信じるということのできない質だった。また、歪んだ嗜虐心の異常に強かった彼は、自分に言い寄ってくる女を責め、なじり、嬲り、さんざんに傷つけて泣かせることに偏執的なまでの執着があった。

それゆえにどんな女との関係も数ヶ月どころか一月とまともに続かなかったが彼は別に困らなかった。替わりならいくらでもいると思っていたし、実際次から次に泣いてすがる女を容赦なく捨てることは彼に暗い興奮と満足をもたらした。

彼女の存在はむしろ誤算だった。およそそれまでの彼に惹きつけられたような女たちとは違う、平凡な容姿、そして人の心の機微を解さない愚鈍さ。最も己に相応しくないと思う相手と、結局最も長く続き、暮らしたのだから人生とは皮肉なものだ。

責めてもなじっても、嬲っても傷つけても、彼女はバカみたいにぽろぽろぽろぽろと泣きながら、ごめんなさいと謝るのだった。それがまた彼の気まぐれな逆鱗に触れても、どんな酷い言葉で侮辱され、早く出ていけと罵られても、一向に彼女は別れようとはしないのだった。

当時には彼にはわからないことだったが、彼は本当は不安でしょうがなかったのだ。捨てられることが、おそろしくてしょうがなかったのだ。だから彼は自分が捨てられる前に次から次へと相手を捨てて、つかの間の安心を絶えず求め続けていたのだ。

そしてまたある意味で彼は試していたのだ。己の非道な仕打ちにも耐え、それを許すほどに自分を受け入れ、愛してくれる存在が果たして本当にいるのだろうかと。

彼のその幼稚で身勝手なテストの是非はともかく、どうやら彼女はそれに耐え抜いた。それでも彼は最後まで完全に心を許すということはできなかったが、かなりの部分心を許すことができた。それは少なくとも彼の記憶にある限り生まれて初めてのことだった。彼の心はずっと求め続けていた甘くあたたかいものに包まれ、子宮にくるまれた胎児のように安らかに癒されていた。

「結婚」だとか「子供」だとか、およそ彼がそれまで考えたこともないような不思議な言葉を彼女は遣った。彼も最初はそれを笑ったが、いつしかふとまじめに考えている自分に気づいたときは、思わずひとり苦笑したものだった。

そんな彼の油断と慢心の日々のまっただ中で、彼女は二度と戻ることもなく姿を消した。

彼は彼女を責める気になどならなかった。見事だとすら思った。初めて彼女に対して心から素直な気持ちになって賞賛し、誇りにさえ思うことができた。彼女は、本当に見事な女だったのだ。

彼は彼女との暮らしの間中、「惚れているのは俺じゃない、この女だ」という内心の傲慢や思い上がりを、彼女に対して隠そうともしなかった。またそれを特に悔しそうにするでもなく、むしろうれしいことのように笑顔を見せる彼女の愚かしさ(と当時の彼には見えていた)に満足し、さらに増長していった。

しかし今にして思えばそれもどこまで本当だったのだろう、と彼は思う。彼女がたしかに彼を愛していたことを彼は疑わない。疑えない。だが自分は彼女を本気で愛していたわけではない、ということがどうもいまいちわからなくなっている、というよりそんな風に考えてしまっていること自体が、彼は彼で彼女に惚れていたのではないか、などと延々自分の頭の中でごちゃごちゃと考えてしまうのだった。

だが彼自身ひとつ確かに言えると思っていることは、彼は自分が誰か一人の人間に本気になることが、本気で思いを寄せるということが、本気で愛するということが、とてつもなくこわいのだった。おそろしいのだった。

人を愛することをなにより求めながら、その理想に傷がつくことをおそれていつまでも現実を知ることのない幼稚な理想化のゆえに、彼は同時に人を愛することをなによりおそれていたのだった。

自分は人の気持ちと、そして誰より自分自身の本当の気持ちと、本気で向き合うことに臆病なだけの腰抜けなのだ、と彼は自嘲して自分を笑ってみせた。しかしいくら笑ったところで彼の心の寒々とした空漠に、灰色の吹雪は吹きやむ様子も見せないのだった。

彼はいまだに彼女との日々を思い出す。彼にとっては意味のあった日々を、彼にとっては全体に幸福だった日々を。そして思い出すたび思わずにはいられない。その日々は彼女にとっても意味があったのかを、彼女にとっても幸福な日々だったのかを。そんな風に彼女も彼と過ごした同じ日々を思い出すことがあるのだろうかと。

同じ日々?いや、きっと同じ日々なんかではありえないのだ。彼が彼女と過ごした日々と、彼女が彼と過ごした日々は、決して同じなんかではありえないのだ。

そのことが寂しいだとか悲しいだとか、おそろしいとか不安だとか、特にそんな風に感傷的になるわけではない。彼にとって彼女との日々がそうであったように、彼女にとっても彼との日々が幸福なものであったならいい、などと今更思い上がったことも思わない。

ただ胸が痛まないといえば嘘になる。自分を愛してくれた彼女への感謝みたいなものと、そして、それを押しつぶし、かき消してしまうには十分すぎるほどの後悔と懺悔と。

そしてその罪悪感から逃れたい一心で願わずにはいられない、どうか彼女がしあわせでありますようにと。もちろんそんな風に願うことすらまるで愚かしくバカバカしいことで、彼女は今頃それを知れば悲しくなるくらい彼のことなど思い出すこともなくしあわせいっぱいの日々を過ごしているのではないか、なんてことも考えずにはいられないのだけど、もしそうだったなら、それは本当になによりだ、と彼は思わずにはいられない。

あおい、君は今も元気にしているかい?今もしあわせにしているかい?それならいいんだ、返事が聞きたかったわけじゃない。ただ僕は安心したいだけなんだ。君に許されたかっただけなんだ。僕は相変わらずひとりよがりな自己満足を探している。結局あの頃となにも変わらないね。

許さなくていい。きれいに忘れてくれていい。ありがとう。もう行くよ。さよなら、あおい。


姫野あおい