悪口を言われているのはあなたではない
悪口を言われているのはあなたではない、という話をしてみます。
悪口を言われているのは自分ではない
悪口を言われているのはあなたではない。これすごくないですか?なんかもうタイトルだけでいろんな意味でヤバいにおいがプンプンしてきます。でも安心してください、中身もヤバい話です。
悪口に傷ついてる人にもしかしたら参考になるかもしれない話
このまつたけのブログを始めて2ヶ月足らず、新参は叩かれるのが習わしなのか、それにしても少々悪口を言われ過ぎでなのではないか?そんな気もしつつ、きっと気のせいに違いないと思い直して今日も楽しくブログを書いているわけですが、最近自分がにわかにブログ道、あるいはブログ教とでもいうべき危ない道に目覚めつつあるのを感じています。
もしかしたらそういうところがまた「生意気だ!」と言って諸先輩方に露骨に叩かれたり、あるいは陰でこそこそと悪く言われたり一部のキショい人たちからなんとかして貶めてやろうと画策されてしまう要因なのかもしれません。正直自分でも戸惑っています。まさかブログを始めることで自分がこんなにもスピリチュアルな人間になってしまうとは・・・。
今なら人の守護霊や前世でのカルマくらい簡単に見えてしまいそうでこわいのですが、さいわい無職のひきこもりなので今のところ誰とも会わずに済んでいます。
さて、そんなスピリチュアルな自分に生まれ変わってしまった僕なのですが、今の自分が悪口を言われてどう感じるかを書いてみます。心ない悪口を言われて傷ついたり悲しくなってしまっている人ってたくさんいると思うので、もしかしたら案外誰かの役に立つかもしれないと思うからです。
ただあまりにも霊格の高いスピリチュアルな話なので、守護霊の格が低い人や霊感のない人には理解しかねるお話かもしれません。お心当たりのある方は今すぐ読むのをやめると時間短縮の素晴らしいライフハックになるかと存じます。
それから一応この記事はメンタルに強いとか弱いとかないという記事の続きというか、メンタルに強いとか弱いとかないの内容がメンタルに強いとか弱いとかなくて、単に物事の受けとめ方(マインドセット)の差があるだけだみたいな話なんですけど、そのマインドセットの具体例1だったりします。興味があれば合わせてお読みいただければこれ幸いにごぜえます。
具体例3:人をバカにしないこと
悪口を言われているのは自分ではない
で、僕自身が悪口を言われるとどう感じるかって話なんですけど、ここでバカ正直に「悪口を言われているのは僕ではない」にしてしまうと、「ふざけんじゃねえぞ!」、「お前に言ってんだよバカ野郎!」、「てめえマジで殺すからな?」といった僕のことが嫌いで嫌いでしょうがない皆様からの熱いご支持を受けて炎上してしまう可能性もなきにしもあらずなのではないか?・・・と、意外とそこらへんちゃんとわかっている賢い子の僕としては、さも誰かを励ましている感じの雰囲気を演出しつつ、「悪口を言われているのはあなたではない」というタイトルにしてみました。
ほら、悪口を言われるとめっちゃ傷ついちゃう人っているじゃないですか。まあ悪口を言われてちっとも気にしないよって人はなかなかいないと思うんですけど、それにしても傍から見ていても「気にし過ぎだよ!」ってくらいめっちゃ気にしちゃう人っているじゃないですか。
でもこの「傍から見ていても」ってとこが曲者で、当たり前ですけど自分が悪口を言われるのと他の人が悪口言われてるのを見るだけって、体験として受け取る重みがまるで違うと思うんですよね。少なくとも僕には悪口を言われてめちゃくちゃへこむ人の気持ちがよくわかる気でいます(なにしろ悪口を言われてばかりなので・・・とほほ・・・)。
ただそういう人ってすぐ「自分のメンタルは弱いから・・・」ってことを言い訳にしてしまいがちな気がします。いや、別にそう考えることで自分が楽になれるからそれでいいんだってことならそれでいいんですけど、少なくとも人に悪口を言うような人のほうで、誰かのメンタルが強かろうと弱かろうと、それで手加減してやろうなんて人間らしいやさしい気持ちなんて持ち合わせていないと思うんですよね。
むしろそういう人って強い人のことは避けて噛み付かず、自分でも痛がらせられる程度の弱い人を見つけて噛み付いてやろうって人たちばっかりだと思うのです。
その意味で言うと「自分はメンタルが弱いから・・・」っていうのは言い訳にはなっても十分に自分を守ってくれるだけの武器だったり防具になってくれるかというと、あまりに貧弱で頼りない気がします。
そもそも「メンタルが弱い」とか当たり前の事実だったりしかたのないことみたいに言われていることが大嘘なんじゃねえかと思うという話をメンタルに強いとか弱いとかないの記事でがんばって書いちょりますので興味のある方はぜひ読んでみてくださいまし。
わかりやすい図解解説付き!悪口を言われているのは自分ではない
で、その中で「メンタルに強いとか弱いとかなくて、マインドセットが適切かどうかでしかない」みたいなことを言ったんですけど(あ、今の要約で十分だったんでもしまだ間に合えばさっきのリンク読まなくて大丈夫です、もしもう読んじゃってたらごめんなさい)、じゃあその悪口を言われても大して動じないというのがメンタルの強さでなくて適切なマインドセットによるものだというなら、一体どういうマインドセットが適切だっていうのか、教えてもらおうじゃないの!この詐欺師!変態!痴漢!
・・・ってあまりにも散々な言われ方の気もしつつ、そういう悪口も含めて「別に悪口を言われているのは自分じゃない」っていうのはひとつの有効なマインドセットではないかと思うわけです。
サンドウィッチマンの富沢さんじゃなくても「ちょっとなに言ってるのかわからない」状態だと思うのでそれについて説明します。というかそういう内容の記事です。
たとえばある人が僕に「バカ!」って言ってきたとします。そうすると普通「悪口言われた・・・つらぽよ・・・」と思ってしまうわけですが、そこをそうは思わずに「へ~、あなたから見た僕はバカなんですね~(でも僕はあなたから見た僕とは関係ないからな~)」とまこと相手からしたらなめくさった考え方をしてみるのです。その際僕が実際にバカであるということはどうでもいいのです。
その人はその人から見た、というより多分にその人が勝手に自分の中の気に食わなさやバカのイメージをを投影して膨らませたものでしかない僕を相手に「バカ!」と言っているだけなのです。
ちょっと言葉での説明だけだとわかりづらいかも知れないので、ひとつこのまつたけが大親切心を起こして自ら図解にして解説して進ぜましょう。つまりこういうことなのです!(※下図参照)
はい。自分でもびっくりするくらいわかりやすく描けて本当にびっくりしています。これを見てわからないバカはいないはずです。
つまり、誰かが僕に「バカ」と悪口を言っているつもりでもそれはその人がその人の頭の中で勝手につくりだした僕の幻想を相手にバカと言っているにすぎないのです。
そして言うまでもないことですが、この相手が頭の中で勝手につくりだした幻想というのは、自分自身のあり方とは無関係にいくらでも相手の好き勝手につくりだせてしまうものなんですね。そんなものにいちいち付き合って落ち込んだり凹んだりする必要なんてないと思いませんか?
大概は聞くにも値しないようなたわ言なんです。もちろん「バカ」というのは例えとしてかわいらしいものを選んだまでで、実際には「死ね」とか「こいつ池沼だろ」とか「俺はまつたけが嫌い。しいたけが好き」とか人格否定的な罵詈雑言のオンパレードなわけですけど、それって僕が人格を否定されたと感じる必要ってなくて、全部ただその人の頭の中のことでしかないんですよね。ちなみに僕もしいたけ好きです。
批判には謙虚に耳を傾けろって言う人が批判に謙虚に耳を傾けたことなし
「いやいや、『死ね』とか『池沼』とかはひどいけど、たとえばお前がバカなのは事実なんだから批判にも謙虚に耳を傾けないとだめだろ、このバカ!」みたいな人もいるんですけど、僕は正直そういうのもへらへら笑って眺めながらかりんとうと紅茶で一服してたりします。
というのも、「批判には謙虚に耳を傾けなきゃダメだろ」とか偉そうなこと言ってくる奴に限ってただの批判したがり、説教して気持ちよくなりたがりのアホだと思っているからです。試しに今度そういう人がいたら軽いジャブ程度でもいいのでちょっと批判してみてください、謙虚に耳を傾けるどころか顔を猿のおケツより真っ赤にして怒り狂う姿が楽しめます。
僕はもうそれはさんざん実験して確かめました。今はかわいそうなので試しません。ただそんな口先だけの偉そうなことを抜かしたいだけのアホの人の言葉に耳を傾ける必要なんてないと思っているし実際耳を傾けたりせず十数種類のムカつく顔をしながら聞き流すだけです(※十分反抗的だしあまりよくない例)。
こっちで意見やアドバイスを聞きたいような尊敬できる人には自分からアドバイスを請えばいいのです。そういう人ほど自分から偉そうにぺらぺらと口出しはしてこないものです。逆に、お前みたいに頭悪そうな奴になにも聞いてねえよ、っつーかそもそもお前誰だよ?って奴に限って頼んでもいないのに偉そうに批判や説教をしてきたがるものなのです。
そういう人たちにしても「俺はお前のためを思って言ってやってるのになんだその態度は!」(※彼らの大好きなセリフです)みたいなことを言いたがりますが、もちろんそんなのは大嘘で、仮に嘘でなかったとしても大きなお世話で、要するに自分たちの頭の中で勝手に「批判できる悪い奴、説教しがいのある困った奴」という幻想を勝手に投影してきてそれに批判や説教をすることで気持ちよくなりたいだけなのです。
その日の気分や体調にもよりますが、このブログを始めてからというものすっかりスピリチュアルに目覚めた今は、基本的にはそれで相手が気持ちよくなれるなら気持ちいいままにさせておいてあげてます。別に相手を気持よくしてつけあがらせておくことに大した実害はないからです。一言で言えば愛です。慈悲です。やさしさです。
でもそれがわかっていればいちいちまともに相手してあげる必要などありません。本当はみんな自分にとって大事なことはちゃんと本心では他の誰よりわかっているのです。てめえのことは棚に上げて他人様に偉そうな口出しをして気持ちよくなりたいだけの他人の言葉なんかより、そういう自分の正直な気持ちにこそきちんと耳を傾ければいいのです。
悪口を言われているのはあなたではないというスピリチュアルなお話
というわけで、相手の好き勝手な幻想でしかないものに悪口を言われたからといって自分自身が傷ついたりへこんだりするのは無意味なことです。つまらないことです。といって、いちいちバカ正直に取り合って「それは違う!」とか「誤解なんだ!話せばわかる!」とか叫ぶことも疲れるだけで不毛ですし、「バカとはなんだ、バカヤロコノヤロー!」とビートたけしのモノマネをしながら売り言葉に買い言葉でケンカみたいになるのも多分思っているほど楽しい遊びではありません。
それより、「はいはい、本日も(てめえ勝手な幻想相手に)ご苦労さまです」と相手の方をいたわり、ねぎらうような気持ちで見つめてみましょう。そうすると意外とお猿さんはお猿さんでかわいいし、「ちっ、猿が!」なんて侮蔑するような対象ではないことがわかってきます。野生の猿に襲われてはたまったものではありませんが、動物園のサル山を檻の外から眺める分にはかわいいものです。
本来悪口を言ってくる人との距離感なんてのは最初からその程度のものなのです。相手が悪く言った気になっているのは相手の頭の中の幻想でしかないのですから、いわば相手は檻に入っているようなものです。それをいちいち「自分がこんな酷い悪口を言われている」と思ってしまうから脅威に感じてしまうのです。それでは自分から相手と同じ檻の中に入ってしまうようなものです。
くれぐれも重要な点は、別に「悪口を言われているのは自分ではない、悪口を言われているのは自分ではない」と「目標をセンターに入れてスイッチ、目標をセンターに入れてスイッチ」みたいな感じで思い込もうとしたり自分を洗脳しようとするわけではなく、単に事実として「悪口を言われているのは自分ではない(この人はこの人の頭の中の勝手な幻想と戦っているだけだ)」ということを理解することだけです。
他人様の頭の中の勝手な戦争に参戦する必要はありません。仮に勝ったところでいいことなんてありません。『火垂るの墓』を思い出してください。人間平和が一番です。といってやられっぱなしでいいのかとかそういう話ではなく、そもそも自分はなにもやられていないことに気づくだけです。むしろ直接悪口を言ってきてそれで満足してくれるならありがたい話だし、気に喰わないからといって陰でこそこそ悪口を言いふらしたり、なんとかして貶めてやろうと弱みを探したりして画策するような気持ちの悪い生き物たちと比べれば何千倍も立派な人たちです(困ったことにこういう気持ちの悪い生き物が本当にいるのです)。それと比べればひとりひとり手を握って涙ながらに感謝と敬意を伝えたくなるほどです。
なにはともあれ言いたい人には言わせておけばいいのです。一人相撲を取らせておけばいいのです。相手も満足、自分も満足。Win-Winです。愛です。平和です。平和は自分から始めましょう。平和は無防備なのではなく、むしろ防備する必要などないということに気づくことです。それが悪口を言われているのはあなたではないということです。まるで高僧の守護霊を口寄せしたかのようなスピリチュアルでありがたいお話でした。お布施はいつでも受け付けております。おしまい。