東村アキコ『かくかくしかじか』の感想
かくかくしかじかありまして、東村アキコさんの『かくかくしかじか』を読みました。この記事は「東村アキコ『かくかくしかじか』の感想」というタイトルからは想像もつかないと思いますが、東村アキコさんの『かくかくしかじか』を読んだ感想です。直球か!
東村アキコのかくかくしかじか(を読んだ僕のリアクション)がすごい!
東村アキコさんの『かくかくしかじか』を読みました。どんなマンガかめちゃくちゃ簡単に説明すると、東村アキコさんの自伝マンガなのですが、若き日に出会った絵画教室の先生(日高先生)との心温まる…というよりはかなりハチャメチャな思い出が中心となって話が進められていきます。
僕は情弱過ぎてまったく知らなかったのですが、なんとマンガ大賞2015の大賞受賞作です!…まあ「なんと」とか言ってわざわざ太字にして強調までしたわりにマンガ大賞っていうのがどういう賞なのかもまったく知らなかったりするんですが、そんな僕の無知ぶりとはまったく無関係に素晴らしいマンガでした。
東村アキコさんは今連載中の『東京タラレバ娘』が面白すぎてめちゃめちゃ好きで、なんとなく『かくかくしかじか』のほうは敬遠してしまっていたのですが、全5巻でさくっと完結していることもあり(歳食ってから未完のマンガを少しずつ追っていくのがきつくなった…つらい…)読み始めてみたところ、あまりにも感動して最後は5巻を読みながら酸欠を起こして両手が痺れて硬直して顔面が痙攣するくらい号泣してしまいました(こわすぎ)。
とりあえずまだ読んでない人には今すぐAmazonでポチってほしい、ほら、なんだったらこんなところにこれ見よがしにAmazonの全5巻完結セットへのアフィリリンク貼っとくからここからポチってほしい、そこに書かれた否定的なレビューだの評価の低さだのみたいなクソみたいなこと気にしてないで今すぐポチってほしい、いや、配送されるまでの時間が惜しいから今すぐ本屋さんに走って買ってほしい、最悪お金がなかったらブックオフでもネットカフェでもいいから今すぐ駆け込んで読んでほしい…でもまさかね~♪そんなこと~♪言え~ない~♪
とKiroroの懐かしくも美しいピアノの音色とともに歌い始めてしまうほど、そんな傲慢で押し付けがましいことまで思ってしまうほど、それはもう本気で感動してしまったのでした。
このマンガがすごい!って言うよりこのマンガを読んだときの僕のリアクションがすごい!なら今年ダントツ1位を狙える素晴らしいマンガでした(どうでもいいわ)。
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東村アキコ『かくかくしかじか』のネタバレのない感想
なので、本当はガンガンネタバレなんかもしまくりながらとにかくどこで感動したとかあのシーンで思わず泣いたとかマックでチキンナゲットとマックシェイクで2時間は粘る女子高生みたいなテンションで姦しくきゃいきゃい騒いだりしたかったのですが、まだ『かくかくしかじか』を読んでない人にネタバレになってしまっては申し訳ないかなーという気持ちもあり、悩んだ末ネタバレなしでもできる話に絞って書いてみようと思います。
でもやっぱりもしネタバレしちゃったらごめんなさい、万が一にもそんなことのないように、一度ここまででこの記事を読むのはやめてパソコンを破壊するかスマホを投げ捨て、今すぐネカフェに飛び込むか本屋さんで買ってきて読んでもらうのが一番おすすめではあります。
東村アキコ『かくかくしかじか』を巡る賛否両論
さて、事程左様にウザいほど推してる『かくかくしかじか』ですが、わりと激しい賛否両論があるようです。と言ってもまあ意外でもなんでもなくて、そうだろうなって思っていた通りなんですけど。
僕はマンガや映画を読んだり観たりした後に、それがすごく面白くて大好きな作品だった場合や、あるいは逆に有名作品なのにぜんぜん面白さがわからなくてつまらなかったときなど、Amazonやなんかのレビューを逐一読んで回るのが好きです。
自分にとって素晴らしかった(あるいはクソゴミだった)映画なりマンガなりを、他人様はどのように受け止めているのか?ということにとても興味があります。
もちろん『かくかくしかじか』を一気読みし終わった後もAmazonで1巻と最終5巻のレビューは全部目を通しました。・・・暇か!(暇)
その結果これは完全に予想通りだったのですが、1巻はおおむね「素晴らしい!」「東村アキコの最高傑作!」といった絶賛が多数を占めるも、最終巻の5巻では「いくら感じ方は人それぞれとはいえここまで言うことないんじゃないか?というかこのレビューを書いたお方は一体どこの何様なのであろうか?」と思ってしまうほど酷い酷評(思わず意味を重複させてしまうほどの酷い酷評)もかなり散見され、賛否両論が分かれるといった感じでした(まあ最終巻の酷評ぶり、こき下ろされ方ぶりということではもはや伝説とも言える僕の大好きな『うさぎドロップ 』ほどではありませんが)。
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東村アキコの人間性まで丸出しの『かくかくしかじか』
しかし、くどいようですが言い方はいくらなんでもあんまりだと思う反面、酷評レビューを書いてる人たちが一体何にそんなに怒っているのかという点に関してはほぼ共通しており、またそれは僕自身読んでいて「う~む…」となってしまった点でもあります。
これは単に感想なのでこの作品のネタばらしにはならないと思うのではっきり言ってしまいますが、それはひとえにこのマンガの主人公であり『かくかくしかじか』の作者自身でもある東村アキコさんの(若き日の)人間性的な部分に関してです。
「(若き日の)人間性」とかっこつきではありますが、今現在東村アキコさんがどういう人なのかはまったく知りません。ただ才能あるクソ売れっ子のマンガ家様で、おまけに着物の似合う美人か!地位も名誉も財産も、美貌も名声も思いのままか!絶頂期の藤原氏か!思い通りにいかなかったのは最初の結婚だけか!(大きなお世話)・・・とネチネチと僻みやらそねみやらの入り混じったしつこすぎるツッコミを入れたくなるくらいのことしか知りません。
しかし、少なくともこの『かくかくしかじか』に描かれている当時の東村アキコさん、というか作中の若き日の主人公のあり方に関しては、それこそAmazonで「読まなきゃよかった!」と苦々しく吐き捨てている人がいるのもまったくわからないではありません。
そして、矛盾的ですがだからこそこのマンガはすごい、『かくかくしかじか』はすごい、そんな自分の至らなさみたいなものまで一通り描いた東村アキコさんすごい!と個人的には思ってしまった、そんな面倒くさい話をします(なんとここまでが前置き)。
自分自身を作品の中にそのまま表現できる東村アキコの強さ
1~3巻までが基本的により多くの人に受け入れられて、後半4,5巻(特に最終5巻)が人によってはボロクソに貶しているというのも、まさに同じ所に問題の根っこがあって、3巻まではおそらくよっぽどの偏屈者でもなければ気持ちよく泣いたり笑ったりできるような青春の思い出、というか、まだ本当に若い頃(学生の頃)の、ある意味では気楽でいられた日々(だからこそのしんどさもあるにせよ)の思い出が中心なのですが、後半の4,5巻では作中の主人公である東村アキコさんもすでにプロとして活躍し始めていて、それゆえの問題(として作中では描かれていること)もばしばし出てきます。最終5巻に至っては東村アキコさんの多分に個人的な後悔やほとんど懺悔にも似た心情吐露もだいぶ露骨に出てきます。
そこら辺が気に食わない人には「けっ!」とか「ちっ!」とか「はんっ!」とか、まあなんでもいいんですけど(本当にそこはどうでもいい)、気に食わねえんだよこの偽善者が!てめえは恩師の思い出もてめえの最低ささえも美談にして金に変える金の亡者なんだよこのクソアマが!!!!…みたいな感じなのかもしれません(そこまで酷いこと言ってる奴はさすがにいなかったっつーの!)。
まあ僕自身その気持ちはまったくわからないではない反面、だからこそよくもまあこれを「自伝マンガ」の中で描けたな…と思うのです。嫌味や皮肉で言っているのではなく、本当にそれは、東村アキコさんという別に今更僕ごときに良くも悪くも何を言われようと知ったこっちゃない少女マンガ界の御大様の、やっぱりとんでもなく稀有な(私小説家的な)才能だよなー、と思ったのでした(そのことについては『かくかくしかじか』の中でも東村アキコさんが自分自身の才能、というか性質について自覚的に触れているし編集さんからも強みとして肯定されている場面がある)。
そんなこんなでただでさえバケモノみたいにすごい人たちがたくさんいる少女マンガ家様たちの中でも、やっぱり東村アキコさんめちゃくちゃすごいな…ということを改めて強烈に意識させられたのでした(…誰なんだよ僕は…)。
記憶力のいいはずの東村アキコがなぜ後半の記憶が曖昧なのか?
もちろんさながら目に入れても痛くないかわいい息子を我が手から掠め取っていった泥棒猫の嫁が憎くて憎くてしかたがない!と憎悪と復讐の念に燃える鬼姑のごときいびり根性で見れば、ふすまの埃を指でなぞって突きつけるがごとくに指摘する点がないではありません。
一つだけ僕が個人的にその意味で最も本質的な矛盾点と思う点を挙げれば、途中東村アキコさんがマンガ家である自身の記憶力を、相手が忘れているような些細な事まで、自分が幼稚園の頃の記憶ですらきわめて明瞭に覚えている、と誇る場面があるのですが、それにもかかわらずある意味で『かくかくしかじか』の物語の中でもっとも山場であるはずの最終5巻での出来事に関してはまるでただのアホの人になってしまったかのように「その頃のことはあまり覚えていない」「記憶がない」と、まるでどこぞの国の政治家か酒に酔った勢いで女を抱いた最低男の言い訳のようなお粗末なコメントが繰り返されるばかりです。
でもこれはもっともなことだしある意味で東村アキコさんの中の真実なのだろうと思います。つまり、相手が忘れているようなどんな昔の些細な事まで覚えている記憶力の持ち主でありながら、5巻で描かれているあたりの出来事については目を伏せて見ないようにしていた、直視せず他の仕事の忙しさなどにかまけて意識しないようにしていたということなのだと思います。
もちろんそれは見る人によってはとんでもなく不義理で、薄情で、身勝手でわがままで、若さや忙しさを言い訳にすることすらずるさや汚さでしかない人間として最低のクズさだ、ということになるのかもしれません。というか、東村アキコさん自身はそこまで自虐的・自責的には描いていないものの、自分が最低だったという一点からは最後まで完全に観念して逃げる気がなく、多分に後悔や懺悔にも近い気持ちをいまだに引き摺っていることが窺えました。
『かくかくしかじか』は決して単純な美談などではありません。と言って、まさか東村アキコさんが自分の弱さ醜さ愚かさをほじくり返して帰らぬ日々を延々煩悶する…みたいな時代錯誤も甚だしい気持ち悪い私小説もどきをやるわけもなく、僕は個人的にはいまだに100%この頃のことを完全に消化できているわけではないような印象を受けましたが、それでいいのだと思います。
人間なにが悲しくてわざわざそんな無駄なことして苦しまねばならないのでしょうか?罪の意識を感じることで実は罰を受けた気になって罪の意識から逃げようとするなんて典型的な自己陶酔型のアホの所業でしょう。東村アキコさんがそのようなアホだとは僕にはどうにも思えません。
ひどく乱暴にまとめると、人間生きてりゃそりゃいろいろあるし、なんでもかんでも綺麗に自分の中で消化できることばかりであってたまるかボケ!ということではないかと思います。
東村アキコの再婚した旦那は誰なのかとかそういうゲスい興味の持ち方は読者として邪道だと私思いま(略
少し話がそれますが東村アキコさん、『東京タラレバ娘』みたいな面白いマンガ描いてる人なんだから当たり前といえば当たり前なんですけど、やっぱり相当業の深い人なんだろうなーと勝手に思っています(嫌な読み方する読者だよ…)。
女性のマンガ家さんとしては比較的珍しいほどいかにも~な性描写がセックスどころかキスさえもほとんどなく、ある意味で僕なんかは安心して読めたりもするのですが、なにしろなまじご本人があれだけの美人なため、「ふん、カマトトぶりやがって(?)、こういうタイプの女が裏では一番汚いやり方で色恋にうつつを抜かしてるんだよ!」と若くてかわいい女の子に醜い嫉妬をするヒステリークソババアみたいな邪推をややもするとしてしまいかねなかったりするのですが、まあ実際その点に関してはここでは詳細は伏せますが調べれば調べるほど闇が深い最初の結婚と離婚、そしてデザイナーさんとの再婚と、きっといろいろあったんでしょうね、とその一言では到底語り尽くせないあれやこれやがあったものと思われます。
まあそんなん死ぬほど大きなお世話じゃボケが!ということは百も承知の上で一つだけ言わせてもらうと、とりあえず「人生最大の恋」のお相手だった西村君はどうなったんだよ!ってことは個人的にはこの『かくかくしかじか』の読後一番気になって夜も眠れないところだったりするのですが、まったくの見ず知らずの赤の他人ながら、現在の西村君に幸多からんことを祈るのみであります(-人-)
自伝とかノンフィクションと言ったところでこれがすべてじゃないという当たり前の大前提
思ってた以上に話がずれましたが、まあそんな東村アキコさん自身の業、とまでは言わないものの、身勝手さ、薄情さ、自分勝手さ、そういった醜さのようなものを、よくもまあそれほどの美化や言い訳をするでもなくこれだけ正直にぶち撒けたものだなあ、というその点に関して、いろいろ複雑なものも覚える反面、マンガ家・表現者としての東村アキコさんのすさまじさみたいなものも非常に強く感じたのでした(だからさっきから一体俺は誰なんだ?)
まあそもそもがどうして僕や酷評レビュアーさんたちがそんなふうに当時の東村アキコさんについて苦い気持ちも感じてしまうのかと言って、そんなのは東村アキコさん自身の力量によって描かれた日高先生(モデルは日岡健三さんという方らしい)というキャラクターに僕たち読者がどっぷりハマってしまっているからであって、それはもう仮にも自伝とかノンフィクションとはいえそういう世界を創造した東村アキコさんがすごいんであって、そういう作品として表現された世界(『かくかくしかじか』というマンガ)だけを切り取って「東村アキコという人間の人間性を疑う」みたいな意見は、いくらなんでもあまりに人間に対してやさしくなさすぎなんジャマイカホンジャマカ石塚?と個人的には思います。…はい、自分でもあまりに雑になってきたなって思うのでそろそろ終わりにしますね…。
実際の出来事としては当然『かくかくしかじか』の中には描ききれない、というかある作品の中で描けることなんて本当に現実のごくごく一部でしかなくて、ましてその切り取られたごく一部を読んだだけの赤の他人である読者がどうして全部事情をわかった上でみたいな面して作者である東村アキコさんの人間性否定みたいなことまでできるのか?というのは謎といえば謎です。…まあほんとは謎でも何でもないんですけど、あんまりその答えについて「それはそういう奴らは想像力の足りないバカだからだよ」みたいな乱暴かつ僕の思うところを正直に言っても立てなくてもいい波風を立ててしまいそうなので言いませんが。古人曰く、沈黙は金であります。
とはいえやはり他人様の生き方の話なので、それに対して好き嫌いがあるのは当然だとしても、偉そうに上から否定したり断罪したり、そんな神様気取りの間抜けみたいな真似はしたくないなーということは改めて強く思いました。
人間誰だって生きてればまっ正面から受けとめられるようなことばっかじゃないですし。自分にとって大事なはずのことほど受けとめるには重すぎて目を背けて見ないようにしてしまったり、そういうことって多かれ少なかれ誰にでもある弱さなんじゃないかって気がします。
僕もかくかくしかじかあって日高先生みたいな人に出会いたい( ;∀;)
まあそんなわけで、これ以上長く続けても隠しようもない僕のドス黒さがにじみ出して大変なことになるだけの気がするので(すでにいろいろ手遅れ)、ここいらでやめることにしますが、とにかく未読の人にも薦めたい一心で執拗にネタバレを避けたつもりがかえって読む人によっては褒めているのか貶しているのかわからない酷すぎる感想になってしまった気がしないでもありません。
でも最後に一番言いたかった話をごく手短かにすると(一番最初にしろよ!)、そもそもなぜ読者は、というか一読者である僕は『かくかくしかじか』を読んであんなに感動してしまったのかという話です。
それは結局、僕もまたかつての主人公である東村アキコさんのように、身勝手で、自分のことしか考える余裕なんてなくて、小器用で、ずるくて、自分の都合のために平気で嘘をついてごまかして、人の気持ちを考えることに怠惰で、不誠実な人間だからです。
だからこそ、僕もまた日高先生のような不器用で、だけどまっすぐで嘘のない人の生き方に強烈に憧れてしまわずにはいられないのだと思います。まただからこそ、そういう生き方を象徴するかのようなたった一言に酸欠起こして死にかけるほど泣いてしまったりしたのでしょう。…あれ?これってよっぽど自分は不誠実に生きているということなのでしょうか???( ;∀;)???
そういう先生と出会えた東村アキコさんは、あるいは必ずしも恩師という形でなくても、そういう人と自分の人生の中で出会えた人というのは幸運な気がします。まあ僕も出会っているのに自分がマヌケ過ぎて気づけなかっただけという可能性もあるので安易にうらやましいなんて言うのはやめておきますが。思えば友達とも先輩や後輩とも先生とも縁のない孤独な人生でした…(遺言)。
とにもかくにも、東村アキコさんの『かくかくしかじか』がめっちゃよかったこと、やっぱり東村アキコさんはすごい!ということが言いたかったんだよほんとだよ!ということを最後にむりやり伝えて終わりにしたいと思います。この文章でそれを伝えるにはあまりに無理があるだろ…と長々書いといて今更ながら己の無力さに血の涙を流したりしつつ、もしこれを読んで「逆に読んでみたい」と思った人がいたらぜひ読んでみてください。言いたかったことはそれだけです…(真っ白に燃え尽きながら)。 ―完―