20年間無敗の伝説の雀鬼・桜井章一の運が良くなる方法
裏プロの世界で代打ちとして20年間無敗の伝説を築いた雀鬼・桜井章一の運が良くなる方法。
伝説の雀鬼・桜井章一の運が良くなる方法
桜井章一といえば裏麻雀の世界で20年間無敗の伝説を誇る史上最強の裏プロであり、通称雀鬼といえば泣く子も黙る麻雀の鬼です。「もう一人のアンチェイン」こと龍書文のモデルだったりもするんですけどその話はものすごくどうでもいいので省略します。
桜井章一、いや、桜井会長をたまに嘘つきだとか本当は麻雀弱いとか大したことないとかビートたけしに負けたとかただのいかさま師だとか言い腐る輩がいますがそんな不信心者は死後裁きにあうでありましょう。地獄に落ちてから地獄の業火に焼かれて後悔しても遅いのです。桜井章一は神でありその教えはもはや宗教なのです。
20年間無敗!伝説の雀鬼・桜井章一!
誰がなんと言おうと桜井章一は最強の雀士です。これは麻雀に関しては生涯無敗、なにしろルールすら知らないので1回もやったことがない僕が言うんだから間違いありません。そのくせショーイチとかマンガは全部読んでるし、雀鬼や真・雀鬼のオリジナルビデオシリーズも完全制覇している僕が言うんだから絶対間違いありません。桜井章一は本当に強いし本当に最強です。
坊や哲こと阿佐田哲也なんて桜井章一会長と比べたら麻雀の実力はゴミみたいなものです。雀聖だなんて言われてるのも、もともと阿佐田哲也が雀鬼って呼ばれてたんだけど、本物の最強雀士・桜井章一にボコボコにやられて本当に鬼のように強い雀士は桜井章一じゃってことで雀鬼の称号を桜井会長に譲って雀聖なるわからんポジションに落ち着いただけです。
麻雀の実力で言えば阿佐田哲也はムツゴロウさんこと畑正憲にも劣る…っていうかムツゴロウさんはまた桜井章一会長とは別の意味で超人類の人外だから比較したらかわいそうだし今回は阿佐田哲也の話もムツゴロウさんの話もおいといて桜井章一会長のお話。
僕も運を良くしたいので雀鬼会に入りたいけど麻雀を打つお金がないので入会できません。あと麻雀できません(ルールも知らない。ドンジャラはできる)。しかたないので桜井章一さんではなく桜井会長と呼んだり、新しい本が出るたびに本屋ですべて立ち読みで読破したりして桜井会長への内なる信仰心を日夜養い育てながら過ごしています。
まだその甲斐もなく一向に運が良くなった感じはしてないけどそれは単に僕の信仰心が足りないからに違いありません。そこで今回は桜井会長への内なる信仰心をより確かなものにするためにも読書メモを公開してみようと思います。
まあ桜井章一会長のいろんな本を読んで感じたことや思ったことをめちゃくちゃにメモしただけなんですけど、これを機にひとりでも多くの人が桜井会長への信仰心に目覚めて帰依してもらえれば僕も功徳を積むことになるのではないかと期待していますのでどうぞよろしくお願いします。
桜井章一の本や名言から学んだ運が良くなる方法
運はどこかに転がっているものではないがそこら中に漂っている。運がいい人と運が悪い人の違いはその気配を感じるか感じないかの差だけ。変わりゆく運命を感じることができれば運の流れをいい方向に持って行くこともできる。
この「運は自分次第で良くすることができる」というのが桜井章一会長の運に関する哲学の大前提です。そのためには具体的にどうすればいいのか?運が良くなるにはどうすればいいのか?その方法論や哲学のエッセンスを桜井章一会長の本の読書メモから書き出してみます。
考えるな、感じろ。感性で生きれば運が良くなる
運を捉えるには頭で考えていては間に合わない。思考では間に合わない。思考スピードは絶対的に遅く、間に合わないようにできている。それゆえに感じること、感覚、感性といったことの重要性が常に古今東西の賢人・哲人たちによってとなえられてきた。Don't think!Feel!(byブルース・リー)
迷ってはいけない。迷うときほど感性で選ぶ。直感で選ぶ。感性で選ぶようになるほど選択のスピードは早くなり、選択のスピードが早くなるほど感性は鋭く磨かれ養われる。それゆえ桜井章一会長率いる雀鬼会では長考を排して打牌一秒、一秒で打つことを指導される。
瞬間こそが運を呼ぶ。桜井章一はこうも言う。「瞬間は愛なり」と。X JAPANのYOSHIKIは瞬間の美学と言っている。瞬間は愛なり。愛は瞬間にこそある。美も瞬間の中にある。運もまた瞬間の中にある(多分)。
違和感を大切にすれば運が良くなる
感じることが大切と言っても最初から全部が全部感じられるわけではない。まずは違和感を大切にする。違和感を無視しない。少しでも違和感を感じたならその選択肢は迷わず捨てる。違和感を基準にして道を選ぶようにすれば選択が楽になるし間違えない。まずは小さな違いに気づくことから大きな運を呼び寄せることができる。
気分良くいることが運やツキを呼びこむ
人が運を選ぶのではなく、運が人を選ぶ。運を良くしたいと思うなら運を掴みに行ってはいけない。運の方から選ばれるような人間にならなくてはならない。・・・じゃあ運から選ばれるような人間ってどういう人間でどうすればなれるんじゃボケが!
…なんてカリカリしていては幸運や開運など望むべくもない。そうやっていつもぷんぷんいらいら激おこぷんぷん丸してるからだめ。怒るのはだめだめ。怒ったら負け。いつも気分良くいることが大切。気分が良ければ運が来る。その逆ではない。運も人も同じ。ニコニコしてる人やあったかい人のそばにいたいはず。楽しいと運がやってくる。
あと気分よくしてる人、気持ちいい人のそばにいるだけでも運は良くなる。これも要は一緒にいて気持ちいい人のそばにいれば自分も気分良くなるから運が良くなるってことだと思われる。
それと余裕を持つことも大切。余裕がないところに幸運はやってこない。開運したけりゃ余裕を持て。常に気持ちの上では余裕があるからこそそのスペースに幸運が流れ込んでくる。
緊張を超えた緊迫感を楽しむ
気分良くいるとか余裕を持つと言っても桜井章一はどうして文字通り命の懸かっているような命がけの真剣勝負のさなかにもそんな感覚でいられたのか。それは緊迫感を楽しんでいたから。
緊張はダメ。緊張すると心身がかたくなる。そうなったら運の流れを捉えることはできない。緊張するのではなく、緊迫感を持つこと。緊迫感は緊張という嵐の台風の目のようなもの。その中心に身をおくことで心身を極限まで研ぎ澄ますことができ、運の流れを自在に感じ、捉えることができるようになる。緊迫感を楽しむこと。
桜井章一の運が良くなるメンタルの持ち方
運を良くする上で心の持ち方、メンタルの持ち方というのは非常に重要なことです。これは昨今の自己啓発書はスピリチュアル系の引き寄せ的な「ポジティブな態度でいれば人生うまくいく」的なぬるい話ではありません。
桜井章一会長は命がけの真剣勝負、修羅場をくぐり抜けてきた人ですから、そんなぬるいことを言うはずがありません。むしろそうした修羅場としか言いようのない逆境や苦境をこそ平常心でくぐり抜けるための心の持ち方、メンタルの持ち方が大切です。
逆境、苦境を耐え抜き、しのぐことができれば、必ずその後には自分に大きな運の流れがきます。しかしそこまで我慢できずに潰れてしまってはしかたがありません。そこで悪運や逆境に潰されない考え方、心構え、メンタルの持ち方が重要になってきます。
逆境のときは最悪を考える
逆境のときほど最悪を考える。これは面白い。最悪をイメージすることで今の自分を相対化することができれば、想像しうる最悪と比べればどんな逆境も所詮大したことではないと気づける。
行くとこまで行けば人生生きているだけで丸儲けだと思えるようになる。ここまで来ればほとんど怖いものなしの無敵である。やっぱりさんまさんは偉大。
トラブルや逆境を絶対化しない
これも上記の話と合わせて大切な心構え。命を失う以外に「絶対」なんて状況はないんだから、大きなトラブルがあってもそこでうろたえて窮地を絶対化するのではなく、どんなに状態が悪くても平然と対処するだけ。
どんな最悪に思える困難な状況だったとしても、それこそ死ぬようなことでもなければその逆境もやがては過ぎ去る。目の前の苦境に心を捕われてパニックに陥ってしまったりすれば、それこそ対処できることにも対処できなくなってしまう。心配するほどのことなんてほとんどない。平常心。
不調を基準にすると運が見えてくる
「不調こそわが実力と思え」とは桜井章一会長のありがたきお言葉。たしかに不調や不運、ツイてないことを言い訳にしてる人っていつもいつまでも不調じゃんって思うこともしばしば。自分に言い訳をしないためにも「不調こそわが実力と思え」。だからこそ自分に厳しくそのラインを底上げしていくことでどんどん強くなることができる。
自分をごまかさない
自分をごまかしていると運に好かれない。運を良くしたいなら自分に正直であること。これを桜井章一会長は「心を素っ裸にする」と言っている。なるほどたしかに人前で体を素っ裸にすると運が良くなるっていうかおまわりさんこっちですってなっちゃうけど、心だったらいくら素っ裸にしてもよっぽどのことがないかぎり逮捕まではされない。心の露出狂になることが大切ということだろう(多分違う)。
心を素っ裸にすることは自分をつくらないということにも通じる。誰からも嫌われないように、誰からもよく思われるように、そんなふうに自分を作っていては結果として誰からも好かれないし、運やツキにも恵まれない。正直な自分でいてこそ運が良くなる。
心温かきは万能なり
桜井章一の運が良くなる方法、言い換えれば運に好かれる方法というのは、ほとんど人に好かれる方法というのとある意味でイコールのような気がする。でもってそれが処世術やテクニックとしてのそれじゃないんだよ、それじゃダメなんだよ、嫌われてもありのままの自分を出すしかないんだよってことらしい。
「瞬間は愛なり」と並んで桜井章一会長の最大の名言といえば「心温かきは万能なり」であろう。常に様々な背景を持った若者たちが桜井章一会長を慕って彼のもとに集まるのは会長の温かさに惹かれてのことであるに違いない。
僕が個人的にこの「心温かきは万能なり」という言葉が好きなのは、善とか悪じゃなくて温かいという感覚的な表現が好きだから。ついつい心というと善とか悪とかいった二元論的な観念を頭で考えてしまいがちだけど、そうじゃなくてあくまで心で感じる温度なんだよってところがよい。僕もこたつのように心があったかくて居心地のいい気持ちいい人になりたい。
ゼロベース思考で運が良くなる
過ぎたことは悔やんでも誇ってもしょうがないので、常に今いるところを0ってことにして何度でも新しくスタートする意識を持つ。たしかに勝負の最中に取り返しようもない過去の失敗を悔やんだりミスを引き摺ったりしていたらまた次のミスを重ねてしまうのがオチ。
これはミスや失敗だけではなく、たまたまうまくいったことに気分をよくして調子に乗っていてもいけないということ。よくも悪くもすでに過ぎ去ってしまったことは清算する意識で常に0にする、0に戻すというある種のゼロベース思考、ゼロベース感覚を持つことが大切。
物事をシンプルにすれば運が良くなる
物事をシンプルにすれば運が良くなる。運の流れを捉えて運をつかむにはとにかく間に合うということが重要。間に合わない奴は話にならない。まさに間抜け。そういう意味では難しく考えすぎる人間は実は間抜け。いかにシンプルに考えて本質をズバリと捉えることができるかが大切。
無駄な動きや不必要な思考をしないことが大事。桜井章一会長の雀鬼会において麻雀の牌を取る、捨てるという基本動作をいかに無駄なく行えるか、素早く行えるかということが重視されるのもそうした基本動作の徹底のためには無駄を省いて自分の心身をシンプルにしていかないとできないからなのだろう。
常に片付ける=片をつける意識を大切にする
ほかにも間に合うためにはどうすればいいかというと、後回しにしないことも大切。ちょっとした雑事などもその場その場で片付け、済ませていく。ためない。溜め込むことはよどみにつながり、よどめば運の流れも滞ってしまう。常に後回しにせずに片付けていくことで自分を澄んだ状態に保つ。澄んだ心身であってはじめて五感が研ぎ澄まされ、運やツキといったあらゆる流れを感じ取れるようになる。
欲望を減らせば運が良くなる
欲望を減らせば運が良くなる。「もっと、もっと」と欲しがる欲望で心がいっぱいになっていたら運を感じ取ることができなくなってしまう。逆に欲望を引き算することで運が良くなる。
欲望で心や体がいっぱいになっていると運は入ってこれない。すべての欲望を捨てることはできないけど、不要な欲望は捨てていく。そうすることで感覚が解放されて、欲望の減った空きスペースに運が入ってくる。
あまりに長くなったので2回に分けます。続きはまた明日。さようなら。お元気で。
追記:続き書きました。伝説の雀鬼・桜井章一に学ぶ運が良くなる方法②