伝説の雀鬼・桜井章一に学ぶ運が良くなる方法②
裏プロの世界で代打ちとして20年間無敗の伝説を築いた雀鬼・桜井章一の運が良くなる方法その2。20年間無敗の伝説の雀鬼・桜井章一の運が良くなる方法の続きです。
伝説の雀鬼・桜井章一の運が良くなる方法その2
かつて麻雀の裏プロ・代打ちとして闇の世界で活躍し、20年間無敗の神話ともいうべき伝説を築いた雀鬼・桜井章一については改めて説明を繰り返すことはしません。20年間無敗の伝説の雀鬼・桜井章一の運が良くなる方法の続きということで、早速伝説の雀鬼・桜井章一の運が良くなる方法についての読書メモの続きを公開します。
循環する運の流れを捉えれば運が良くなる
運は無限にある。個人の金銭感覚で所有物のようにとらえてしまうからみみっちいことになってしまう。運は天地いっぱいに満ちている。いわば空気のようなもの。運は誰の所有物でもない。だから呼吸するように運も循環させればいい。
人生を円の感覚で捉えると運が良くなる
では運を循環させるためにはどうすればいいかというと、円の感覚を持つということ。人生を円の感覚で捉える。直線的に把握しない。円の感覚で捉えればすべては円環の理のうちにあることを悟り、ついには神に至ることができる。・・・ごめん、今のは調子に乗って言い過ぎた。
直線は行き詰まる。直線は滞る。円は行き詰まらない。円は滞らない。常に回り続け、流れ続け、流動し続ける。円の感覚を持つことで常にゾーンやフロー状態に身を置いて生きることができる。
闘戦経にいわく、循環無端。すべては円環の理の内にあり、円環の理に導かれるままに導かれていけばついには絶対無敵の平常心、アタラクシアに至るであろうことうけあいである云々。人生も運も円の感覚で捉えればうまくいく。
不運をしのげば30分で幸運を回復できる
たとえば桜井章一会長によれば円の感覚があればツキが落ちても幸運なんて30分もあれば勝手に取り戻せるとのこと。要はすべては移り変わり、巡り来る四季のごとしととらえて雨の日も風の日も晴れの日も一喜一憂しないで平常心たれということであろう。これぞ雲門禅師の日々是好日の精神。
不利なとき、運が悪いとき、運がないとき、落ち目のときほどあきらめたり勝負を投げたりしないでなんとかして耐えしのぐこと。そうすれば必ず運が向いてくるチャンスが到来する。その機を逃さずにすかさず勝負に出れば一気に形成を逆転することができる。
バランス感覚を持つと運が良くなる。シーソーの中心に立つ
バランス感覚は運と仲がいいそうな。なんでも極端はよくないらしい。心の中心を見つけてそこに重心を置く感覚を持つ。お釈迦様か!中道か!アリストテレスか!朱子か!中庸か!要はバランス感覚があればミスをしたり調子を崩してもすぐに修正して立て直せる。それが大切なことらしい。
この話は揺れない心を持つという話にも通じる。心の重心を真ん中に保つ、真ん中においておくというのはいわばシーソーの真ん中に立つようなものだ。真ん中に立てばシーソー(心)は揺れない。どこからか力を加えられて揺れてもすぐに立て直すことができる。
これがどちらかに偏った場所に立っていると、感情のバランスが崩れっぱなし、揺れっぱなしということになってしまう。そして心における偏りとは知識や金銭、見栄といったことへの執着や、怒りや憎しみ、怨みや妬みといったことだ。
自分自身の心という足場がそんなもので揺れっぱなし、崩れっぱなしではなにをするにもまともにできるはずがない。感情を感じなくなるということではなく、心の中心に立てば様々な感情を感じても揺れたり乱れたりせずにしっかりと受け止めることができるということなのだろう。
偶然の運ではなく必然の運を味方につける
運には偶然の運と必然の運と二つある。偶然の運はもちろん受身的にしか訪れない。そんな不確かなものに頼ってどうするか。これまで紹介してきたような自分自身のあり方や生き方によって必然の運の流れを呼びこむことが肝心。
桜井章一の運が良くなる心構え。負け方を大切にすれば運が良くなる
これは同じ負けでもいい負けをつくるということ。負けは負けだからと途中で投げて放棄したような負けは最悪らしい。勝っても負けてもお互いにいい勝負だったと思えるように戦うこと、負けるにしてもかっこよく負けること。
そして勝ちを至上目的としたり負けを排除すべきマイナス要素としか捉えていないようだと人間的な成長は望めない。勝っても負けてもいい勝負だったと感謝できる心があってはじめて人は成長できる。
いろんな人が言ってたと思うけど、勝ち負けの価値は、いい勝ち、いい負け、悪い勝ち、悪い負けの順だって話もよく聞く。勝つことより強さを志向する人は決まって悪い勝ち、汚い勝ち方より、いい負け、きれいな負け方を上に置く。
ここらへんもちろん「勝たなきゃ意味なんてねえんだよ!」って人もいるんだろうけど、そういう人ほど汚く勝つことよりきれいな負けを選べって人に勝てないから不思議。桜井章一会長みたいな人が実在することを思うと、勝利の女神ってやつも実在して、幸運をつかむというのはいかに勝利の女神に愛される生き方ができるか、ってことのような気がしてきたりもする。
石橋を叩くと運が逃げていく
石橋を叩くと運は逃げていく。石橋を叩いて渡る態度の人ほど石橋を叩いても結局渡らない人が多い。そんなことをしてもたもたしている間に運は逃げていってしまう。石橋を叩いている暇があったら渡ってしまえ!これが桜井章一会長の哲学。
「・・・でもそんなこと言って壊れたらどうすんのよ?」って話なんだけど、多分桜井章一さんの考え方というのは「そのときはそのとき」ってことなんだと思います。別に石橋が壊れたからって死ぬようなことはめったにないわけだし、むしろめったに壊れないような石橋をびくびくおっかなびっくり叩いたり結局それでも渡れなかったりしてもたついている時間と機会損失こそがリスクということなのだろう。
「気づくこと」を大切にすることで運が良くなる
桜井会長いわくとにかく気づくということが徹頭徹尾大切らしい。木村藤子か!まあ桜井章一会長も神だから霊能者みたいなもんだしね。
でも気づくと言ってももちろん守護霊がどうとか背後霊がどうとかそんな話ではなく、気づくことはなんでもいいらしい。毎日の中での小さな変化やきれいなものに気づくこと。それこそ昨日まで咲いてなかった花が咲いてるなとか。常日頃からそうやって生きているからこそ大事な勝負の場でも相手のちょっとした癖を見抜いたり勝機に気づくことができ、それを掴むことができる。
信念の人は挫折しやすい
ここらへん桜井章一会長の真骨頂たる逆説的な物言いが冴え渡る。桜井章一会長は信念は必要か必要じゃないかと聞かれたら迷わずそんなものは必要ないと答えるとのこと。
でも僕はあえて桜井会長に言いたい。「信念は必要か必要じゃないかと聞かれたら迷わずそんなものは必要ないって言うじゃな~い?でも、そういうこと言う人ほどめっちゃ信念強いですから!残念!信念のない奴は『我れ、悪党なり』とか言わない斬りッ!」(古い。フルスイングで古い)
でもまあここでの要点は信念なんてものにとらわれすぎて自分の身動きが取れなくなるほど自分を追い詰めるなってことだろう。自縄自縛じゃしょうがない。それくらいなら信念なんて持たない方がいい。「信念なんて持たなくていい」ということ。これだけでも無意識に「信念を持たなくては!」みたいな強迫観念にも等しい変な信念を持っていた人は楽になれるかもしれない。
感謝・感激・感動の3つを大事にすることで運が良くなる
感謝されようとする生き方は最低。そうではなく、自分が感謝すること。今生きていることに感謝すること。
感謝する心を持つには気持ちに余裕がなくてはならない。そしてその余裕が自分の弱点やさらに強くなるためにはどうすればいいかを教えてくれる。強くなるための努力を怠らないことがツキや運を呼び寄せて運を良くする方法にもつながる。ここでも勝とうとするより強くなろうとすることが大切なのだという。
感激は困難を打ち破り克服していく厳しい生き方からしか生まれ得ないとのこと。ぬるい生き方をしていたんじゃ本当の感激は味わえない。厳しい!
そして感動とは本を読んで感動したとか映画を観て感動したということとは少し違うらしい。そういう与えられた受身的な感動は真の感動ではないとのこと。自ら積極的に動き、つくっていくものが真の感動なんだそうな。いちいちハードル高いな。。。がんばろう。。。
夢は小さく持つ
これは最初からあまりに遠大な夢を夢想してもしょうがないということ。ましてやはじめから自分の夢の大きさに押し潰されて一歩も身動きがとれなくなってしまうようでは仕方がない。
身の丈にあった努力を続けていくことが大事よ、ステップバイステップで少しずつクリアしていかなあかんよ、千里の道も一歩からやで、小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています(byイチロー)ってことなんだろう、結局。ここらへんやってることは麻雀と野球だったり違うことでも、やっぱり超一流って同じようなことを言うのがすごく興味深いと思う。
そういえば人間の身体性についての見識も常人をはるかに超えていて身体性への言及も盛んな桜井章一会長も(プロレスラーが身体の使い方を桜井会長に習いに来るほど)、現在の日本人のスポーツ選手ではイチロー選手が一番「心技体」ができていると評価していたし、イチローのほうでも桜井章一会長のことを心の師と思って尊敬しているらしい。ここらへんはもう超一流のステージにいる者同士でしかわかりあえないなにかがあるのだろう。
裏切りは天気が変わるのと同じ
これはさすがに声出してワロタwwwwwww人間としての絶望的なまでに絶対的な経験値の差が雀鬼と常人の間にはほとんど超えられない壁かクレバスのように横たわっているんだけど、その断絶的な状況が多分一番見えていないのは桜井章一会長なんだろうな、ってことを桜井章一会長の本を読んでいるとしばしば思う。
桜井章一会長は「裏切られたと思うから悲しくなる。そんなときは『あの人も変化したのだ』と思うようにすればいい」と言うのだが、そんな簡単に言ってくれるなってのwwww人の心変わりを天気と同じように思うって、達観しすぎて逆に寂しいわ。。。
でもまあ諸行無常、どんな物事に対しても変化して当たり前という感覚を持てと教える桜井章一会長にすればもちろん人の心とて例外であるはずがなく、むしろ人の心なんてそれこそ山の天気が変わるようにころころと変わるのだからいちいち「信じていたのに裏切りやがって」などと思うのはナンセンスだということなのだろう。
そう言われてしまえば反論の余地が1ミリもないほどその通りとしか言えない。「裏切られた」と感じることで生じる恨みつらみ、許せない気持ち、そういういわば無駄なものが重たいタールのようにへばりついて心を曇らせ、感覚を鈍くしてしまう。それがまた捕われにつながり、運の流れを遠ざけてしまう。
生きるか死ぬかのような真剣勝負に臨んではできるだけ身軽であることが望ましい。たしかに命のやりとりをしている際に人の心変わりを気にするような気持ちがあったら勝てるはずがない。
もちろんそこまで極端な真剣勝負の機会は普通一般人にはないし、これからもなければいいなと思うけど、不要な感情を背負い続けないためにも、人の心変わりも含めて変化は当然という意識を常に前提として持っておくことは大切だと思った。
心身を統一し心技体を一致させると最高のパフォーマンスが発揮できる
桜井会長が不可解なのは昔から体の使い方やあるべき身体性への言及がやたらに多いことだ。そもそも僕が最初に桜井会長に興味を持ったのも武術研究家の甲野善紀さんが桜井会長を現人神のごとくに絶賛していたからだし、後には桜井会長はヒクソン・グレイシーとも親友になっている。
どうもそこらへんが理解できない身には不可解なのだが、少なくとも桜井章一会長の中では運や麻雀の勝負といったことを考える上で身体のあり方を極めて重要視しているようだ。そして実際に武術家やプロの格闘家に雀荘のオヤジが身体の使い方を指導したりしているんだからやっぱり桜井会長は謎すぎるしすごすぎる。そもそものポテンシャルに隔絶がありすぎて真似しろったって真似できるはずがない。
力まずに柔らかく体を使う
常人にできるのは精々コツのようなものを心がけることだけだが、そのコツというのはまずはとにもかくにも全身の力を抜いて絶対に力まないということ。力を抜いて一挙一動において全身を強調させてやわらかく動くということが重視される。まるで日本の古流柔術や中国の内家拳の要訣と変わるところがない。
しまいにはこのオッサン、「水になれ」とか言い出す始末なのでもしかしたら宮本武蔵の生まれ変わりか何かなのかもしれない。水になれ、友よ(byブルース・リー)。
もはや常人とはスケールが違う桜井章一の雄大な思想の真骨頂
さて、これまでハードボイルドなダンディズムが非常に色濃くにおう桜井章一会長の勝負の哲学、美学、運が良くなる方法について見てきました。桜井章一会長について知れば知るほど、一体この人は何なんだ?なんでそんな風に思えるんだ?できるんだ?ということばかりなのですが、一つ、桜井章一会長についてかなり根本的な部分を理解する上での手がかりとなりそうでなるほどと思ったのは、桜井章一会長はそもそも困難や逆境、厳しさを敵とか嫌なものとは考えていないことです。逆境や困難は自分を成長させてくれる味方であり友であると考えるのだそうです。
かつて山中鹿之介は「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と神に願ったといいますが、男と生まれたからには平穏無事な生涯など望まない、むしろ困難や辛苦の中でこそ己の力量を存分に試したい、そこにこそ自己の生涯の満足と充実を覚えるという姿勢に桜井章一会長とまったく同じものを感じます。
しかし、なかなか普通の人間にはそこまで雄々しく天に向かって吠えるような気概は持てません。桜井章一会長のように気持ちを強く持とうとしても、いつもいつもそんなふうに強くはいられません。どうしてもキツいときやつらいときはどうすればいいのか?
そういうときはその苦しさを大自然の厳しさと比べてみればいいとのこと。常に死と隣り合わせの自然界の厳しさに比べれば、今の便利な世の中、人間社会での出来事などいくらでも対応が利くことばかりだということです。たしかにそれはそうですよねwwww
こういうことを平然と言ってのける雀鬼・桜井章一会長の感覚に、憧れや畏怖みたいなものを感じつつ、同時に雀鬼の常人との感覚のズレ、それも大いなる断絶と言っていいようなズレを感じて個人的にはすごく面白かったりします。
これからも人類にとっては越えられない壁であらせられる雀鬼・桜井章一会長の背中を遠巻きにして付かず離れず追いかけ続け、少しでも自分も凡人なりに成長していきたいと思います。おしまい