まつたけのブログ

世界の片隅で愛を避ける孤独なキノコの魂の叫びを聞け!…聞いてください(◞‸◟)猫とマンガとアニメと嵐をこよなく愛するまつたけによるまつたけのブログ

自分は観客だと思っている人たち

自分は観客だと思っている人たちについて書いてみます。

自分は観客だと思っている人たち

先日、ビッチは殺されて当然かという記事を書いたのですが、どうして「ビッチは殺されて当然だ」というようなことを言える人がいるのか考えていたとき、なんとなくこの一件にかぎらず自分の中では今までずっと不思議に思っていたいろんなことがすっきりするような考えに思い至ったので、それについて書いてみます。

 

どうして人はネットだとひどい生き物になってしまう(人が多い)のか

僕は以前から、どうしてネットにはこんなにひどいことを平気で言える人がたくさんいるのだろう?とか、あるいはどうしてただの無銭飲食的なコンテンツ消費者でしかないくせに、「こっちは常連のお客様だぞ!」と言わんばかりの偉そうな態度でクレームだけはいっちょまえにつけてくる人がいるのだろう?とか、どうして自分ではなにもできないし何者でもない分際でがんばっている人やすごい人やプロとして活躍している人のことをボロクソにけなす人がいるのだろう?・・・といったことが不思議でしかたありませんでした。

もちろん僕は自分がこういう人間なので、自分自身がひどいことを言われるのは日常茶飯事なのですが、自分が誹謗中傷されることを抜きにしても、他のどんな人がそうした攻撃のターゲットになっているのであれ、見かけるたびに嫌な気持ちや悲しい気持ちがしていました。そしてそれ以上に「なぜなんだろう?」と不思議に思っていました。

というのも、いくらなんでもネット以外の場所(つまり学校だったり職場だったり)では、人ってここまでひどい生き物だとは思えないのに、どうしてネットではこのようなひどい生き物になってしまう(人がたくさんいる)のだろう?と思っていたからです。

もちろんリアルにも中にはそういう人もいるんですが、そういう人って基本的には最後には自分が排除されるだけだと思うんですよね。なのにネットではそういう人たちが大威張りで君臨している感すらある。一体それはなぜなのか?

本当にバカで邪悪でやさしくない人がいるだけなのか?

仮説としては、「人間というのはもともとこういう陰湿で邪悪な生き物で、でもそれだと社会生活をうまく営めないから、表面的にはみんなにこにこ取り繕っているだけなのだ。でもネットという顔の見えない匿名での活動が可能な場所では、その抑圧からの解放も相まってその陰湿性、邪悪性を存分に発揮するのである」とか、「単にそいつらがやさしくないだけ」とか、「単にそいつらがバカなだけ」とか、どれも一見それらしく、一理か二理くらいはありそうに思えつつ、でもどうも釈然としない、すっきりとしないものが残っていたのです。

それに、そんなふうに「邪悪な人と邪悪でない人」、「やさしい人とやさしくない人」、「バカとバカじゃない人」みたいに世界を白か黒かで分ける方法は、もちろん簡便ではあるのですが、結局世界のほとんどを黒く塗りつぶさないといけなくなり、どんどん自分自身の居心地を悪くしてしまい、自分自身の首を絞めるようなことになってしまう、といったことには前々から薄々気づいてはいました。

とはいうものの、他にすっきりと納得できるような考えも思い浮かばず、自他問わずひどいことを言われたり、明らかに筋の通らないめちゃくちゃなクレームを付けられたり、心ない誹謗や中傷をされているのを見かけるたびに、悲しくなったり寂しくなってしまう自分の心の落ち着けどころを探してみるに、どうしても「しょうがないよ。それはそういう人たちがバカで邪悪でやさしくない生き物だからなんだよ」というところにくらいしかひとまずの着地点を見出せずにいたのでした。

自分は無責任な観客だと思っているから勝手なことばかり言える

それが先ほどあることに思い至り、よくよく考えてみるとそれで今まで不思議だったこともかなりすんなりと理解できるような気がしてきました。

その思い至ったある考えとはなんなのか?語られる過去、語れない罪、それでも許されたいと願うとき、号泣するまつたけが見たものとは?―次回、『自分は観客だと思っている人たち』この次もサービス、サービスぅ!

 

・・・なんて前世紀的な次週予告で来週まで引っ張らなくてもタイトルでもう言っちゃってるので今書きますね!

そうなのです、「ああ、要するにこの人たちは自分のことを観客だと思っているんだ」ということに思い至ったとき、今まで不思議だったいろんなことがものすごくすっきり理解できたのでした。

要は、その人たちにとってネットというのは、コロッセオで自分以外の他人、奴隷みたいな連中が、殺し合いをしているのをただ観戦していたり、あるいは動物園や見世物小屋で動物や見世物を見ているだけの観客のつもりなのだということに思い至ったのです。

だから、いくらでも心ない誹謗や中傷が言える。「もっとやれwwwww」と面白がって囃したりする。それもこれも彼らにとっては全部ただの興味本位の冷やかしや野次のつもりでしかないからです。要はどこまでも他人事なのです。自分とはまったく関係のない人間がどうなろうと、自分の心は傷まない。むしろ人の不幸は蜜の味とかいう嫌な言葉のとおり、とことんひどい目に遭わせてやろうとさえするのです。

そういう観客意識での楽しみ方が、選手へのブーイングだったり、「下手糞!」という野次だったり、監督の采配に対して「自分だったらもっとうまくやれるのにこの無能な馬鹿はなにもわかっていない」みたいな悪口だったり、自分はいくらでも好き放題言える安全なポジションから、実際にがんばっている当事者たちのことをけなしたり悪く言うことなのでしょう。

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あるいはどうして彼らはお客様でもあるまいに自分は神様であるぞよと言わんばかりの傲岸不遜な態度で一方的にクレームだけは一人前につけてくるのか?これも彼らが自分のことを観客だと心底思いこんでいると考えれば説明がつきます。自分は観戦している観客のつもりなのだから、必死で戦っている剣闘士に対して「もたもたしてんじゃねえぞ」とか「こんなつまらない試合を観に来たんじゃねえぞ」とか、勝手なてめえの都合ばかり押し付けて好き勝手なことを抜かせるわけです。

観客なんていない

まあコロッセオだの見世物小屋だのというと例えが時代がかりすぎてピンと来ないかもしれませんが、もうちょっと身近なところで当世風に言えば、テレビのバラエティ番組で芸人に「つまんねえんだよ」と言ったり「バカじゃねえの」と言ったり、あるいは「こいつうぜえな、死ねよ」だったり、そういう感覚の延長、というかほとんど同じ感覚でいるのではないでしょうか。

あるいはお父さんが休日にお茶の間で缶ビールでも飲みながら、プロ野球を観戦して「バカ!下手くそ!やめちまえ!」みたいな野次を飛ばしている感じでしょうか。

まあ例えは何でもいいんですけど、結論から言うとネットでいろんなことを言っている人たちの、こんな観客意識なんてものはとんでもない思い違いだと思うのです。

実際は観客なんていないのです。自分では観客のつもりで、プレイヤーの自覚もなく、安全な場所から野球場の中の選手を一方的に貶したり煽ったりしている気でいても、実は観客席なんてものはなく、そいつ自体野球場の中でゲームに参加しているプレイヤーなのに、おめでたくも自分だけはそのことにも気づかず、観客席から観ているつもりで寝そべっているようなものだと思うのです。ほんとはいつそこにボールが飛んでくるかもわからないのに。

てめえではエントリーしたつもりはなく、プレイヤーの自覚もなく、脳天気でお気楽な観客のつもりで無責任に好き勝手なことを抜かしていても、ネットはテレビとお茶の間みたいに隔絶している世界ではないんですよね。ある意味でみんな同じ土俵の上にいるみたいなものだと思うのです。

にも関わらず、そのことにも気づかず、自覚もなく、いつまでも自分は絶対誰からも矛先を向けられない「テレビのこちら側」にいるようなつもりで、好き勝手なことばかり抜かしていると、そのうち思わぬ方向からボールが飛んできたり、あるいは問答無用でグサッと刺されるようなことだってありえると思うのです。

プレイヤーの自覚のない観客意識はリスクを高めることにしかならない

まあ基本お互いに顔も見えないし、匿名だったりするとなおさら、なにを言っても許される、というか、許されないとしても罰せられることはないと勘違いしてつけあがってしまうんだろうと思います。まさか自分のその調子こいた誹謗だったり中傷だったり、あるいはわかりやすいところでは殺害予告だったり、自分では絶対安全な場所から好き放題野次を飛ばしたり煽っていただけのつもりが、それ自体他のプレイヤー(プレイヤーの自覚があるにしろ観客気取りにしろ)から咎め立てられ、攻撃される原因となりえるなんてことは考えたこともないんだと思います。

まあそれはそれで好きにすればいい、というか、そんなこと僕が言わなくても、逆に「やめなよ」と言おうと、どっちにしても意味なんてなく、彼らはある日「そうか、なんてことだ!自分は無責任な観客のつもりでいたけど、ほんとは自分もとっくに参加しているプレイヤーだったんだ!」と自分で気がつくまでは、これからも観客気取りで心ない暴言や誹謗中傷や身勝手なクレームなどを発し続けるのでしょう。

ただ、ある日自分で気づければいいのですが、その前に多額の損害賠償を請求されたり、あるいは匿名で行っていた同業者への誹謗中傷が露呈するなどして社会的信用を失ったり、あるいは法に触れてしまい逮捕されてしまったり、そういうことにならなければいいなあとわたくし心よりお祈り申し上げている次第です

もう一度言いますが、ネットには観客なんていないのです。観客のつもりであろうとなかろうと、僕たちは必然的にエントリー済みのプレイヤーでしかありえないと思うのです。そうであるからには、そのことの自覚がないことはリスクを高めることにしかならないし、自分はプレイヤーたちに好き勝手抜かしているくせに、なにかあったら急に「自分はエントリーした覚えなんてない、プレイヤーになった覚えなんてない」なんて言い張ったところで通用しないと思うのです。

まあこんなきれいごとは言ったところで本当に意味なんてないと知りつつ、とりあえずもうこの記事を終わらせたいというだけの理由で最後にそれっぽいことを言わせてもらえば、同じプレイヤー同士、できるだけみんなが気持ちよくネットを楽しめたらいいなあと思います(=^・^=)おしまい!