まつたけのブログ

世界の片隅で愛を避ける孤独なキノコの魂の叫びを聞け!…聞いてください(◞‸◟)猫とマンガとアニメと嵐をこよなく愛するまつたけによるまつたけのブログ

親とかいう奴らすげえな

親とかいう奴らすげえなって話を書く。

親ってすごいと思う。あ、別にこれは「Hey,Yo!俺を産んでくれた父ちゃんと母ちゃんに感謝!俺は子種をお前に顔射!」みたいな話ではない。感謝とかそういう気持ちはともかくとして、単純にあいつらすげえな、すごかったんだなという話だ。

いや、というか単純に自分がダメすぎるだけというだけの話かもしれないんだけど、僕は子供の頃、自分の両親をバカだと思っていた。

 

機能不全家庭もいいところの毒親

毎日毎晩ケンカしてばっかだし、怒鳴り声やら泣き喚く声やらいかにも頭悪いし、子供が寝てる部屋で獣じみたセックスしたりいかにも低知能だし、昨日は白を黒といったかと思えば、今日は黒を白だという。口答えなどしようものなら暴力で叩きのめして黙らせる。およそバカの特徴をすべて持っている信じられないバカだと思っていた。というかどう考えてもやっぱり今でもバカには違いないんじゃないかなあと思う。

不仲ではあったが経済的には恵まれていた・・・などということもなく、経済的にもかなり困窮した生活をしていたような気がする。本当に極貧でその日の食べ物にも事欠いたという人なんかとは比べ物にもならないけど、でもまあそんな人って今の日本にはそうそういないと思うし、僕も一ヶ月くらい毎日おじやが続くとかあったけどあんまりそういうことって普通はない気がする。

とにかくまあ、うちの父ちゃん母ちゃんすげえ!みたいな子供らしい純真な憧れとか、パパとママ大好き!みたいな気持ちって記憶にあるかぎり抱いたことがない。

むしろ完全に嫌っていたし、こういうクズ共だけにはなるまいと幼心にも完全にバカにしていた。

   ~そしてそれから月日は流れ、ついに物語は現在へとたどり着く!!!!~←大げさ

崩壊させる家庭もないし、毒親になる子供もいない

で、今自分はどうなっているかというと、現状を知っている人は知っている通り、知らない人でも多分想像がつく通り、わりと典型的な人間の底辺をしている。

友達いない。恋人いない。もちろん家族もいない。仕事もない。お金もない。働く気もない。才能もない。借金はある。することない。毎日寝てる。少しだけ起きる。起きてこういうドブみたいな文章を書く。疲れる。寝る。みたいな毎日(もしこれが底辺じゃないというのならそれは底辺じゃなくて地獄だと思う)。

精いっぱい自己弁護をさせてもらえば、恋人とか家族だとかは、自分が育った家庭環境もあって、人生のかなり早いうちからあきらめていた。というのはまったくの嘘で、子供の頃は「自分だったら絶対にこんな崩壊家庭にはしない、こんな機能不全家族にはならない、しあわせな結婚をして、しあわせな家庭を築くんだ!」みたいなことに憧れていた記憶もある。

狂おしいほどかわいい…愛情いっぱい動物の親子の写真いろいろ

でもまあ人生最初の十数年は普通に親元にいたし、その間あれほど普段どんな気に食わない奴に対しても「死ね」とか思わない僕が唯一両親の死だけは毎日毎時間ひたすら祈り続けていたにも関わらずまったくなにも起こらず、またその間にもいびつに歪みながら形成されていく自分自身という人間自体の超越的なまでの歪みっぷりや人格障害を自覚していくにつれ、ティーンエイジになる頃にはすべての望みを捨てていたように思う(まあほんとは望みってそんなに簡単に捨てられるもんじゃなくて、捨てられないんだけど持ってても苦しいだけだから捨てたふりしかできないんだけどね)。

なので自分が孤独でしかいられないことに関してはしょうがないのかなって気がしないでもない。

これはあんまり言いたくないんだけど、もし仮に僕が誰かと結婚して、子供までつくってしまったとして、けっこうな確率で奥さんとケンカが絶えなかったり、声を荒らげて怒鳴ったり、まあ子供が寝ている部屋で奥さんをレイプするようなことは僕はしないと思うけど、最悪子供に手を上げるような、そういう旦那、父親になってしまうんじゃないかって気がする。

あ、別にみんながみんなそうなるって言ってるわけじゃないからね。たまに聞くよね、自分自身は虐待されて育ったけど、今は自分で家庭を築いて、子供には手を上げたこともないし家族みんなで仲よくしあわせに暮らしています、みたいな話。

すごいなって思うし、尊敬もする。けど自分には自信がない。絶対そうなるとも思いたくないけど、でももしそうなってしまったら、ということを考えただけで死ぬよりこわい。死ぬよりこわい不安を抱えながら、結婚したり、ましてやその犠牲者となるやも知れぬ新しい命をわざわざつくるなんて、子作りというよりは罪作りな気がして僕には一生できない気がする。

そもそも家族なんてつくらなければ、自分がそんな最低の人間だということを確かめないでいられる。家族を傷つけ、家族を犠牲にし、家族の人生をめちゃくちゃにするくらいなら、ひとり寂しく孤独死でもしたほうがなんぼかましだと思うのだ。

てめえ誰のおかげで生きてられると思ってんだ!

僕はだいたい殴られたり壁に叩きつけられたり頭を踏みにじられているときというのは、「てめえ誰のおかげで生きてられると思ってんだ!」というセリフとセットだったんだけど、こんな理不尽で残虐な言葉があるだろうかと思っていた。

言わせてもらえるなら僕だって生きたくて生きてるわけじゃない。生まれてきたくて生まれてきたわけじゃない。少なくともこんな目に遭わされたくて生まれてきたわけじゃないお前らが勝手に避妊しないでセックスして俺を産んだだけだろ。

でもまあそんなことを怒り狂う暴力の権化と化した男に言えるはずもなく、っていうか単に自分がクソださいゴミみたいな人間だったので、恐怖と涙で声をぶるぶる震わせながら「お父さんとお母さんのおかげです」とか答えてやがんのwwwwwwwwwwwwwwだせえwwwwwwwwwwwwwwwwwww死ねwwwwwwwwwwww

まあそんなわけで、僕はもちろん「てめえ誰のおかげで生きてられると思ってんだ!」なんてセリフは好きなはずがないのだけど、とは言うものの、まあある意味で「お父さんとお母さんのおかげです」っていうのも正しいっちゃ正しいんだよね。

少なくとも自分が産まれたのは父親と母親がセックスしたからなわけだし。

まして完全に育児を放棄して子供をコインロッカーに捨てる親もいれば、パチンコに夢中になって車の中の子供を死なせる(殺したも同じだと思うけど)親もいる中で、とりあえず僕の両親の場合は捨てたり殺したりはせず(捨てられたり殺されるかと思ったことは何度もあるけど)、毎日の食べ物を与えてくれ、学校に通わせてくれ、ふとんで眠れる場所を提供してくれた、というのは否定できない事実なわけで、そういう意味ではたしかに「誰のおかげで生きてられると思ってんだ!」と言われれば「お父さんとお母さんのおかげ」なのだろう。

親がてめえでつくった子供を育てるのは死ぬほど当たり前のこと

返す返すもお断りしておくが、これは別にだからと言って両親に感謝とか、産んだり育てたりしてくれただけでもお前らも両親に感謝しろよなとかそういう話ではまったくない。

ただ単純に、人間の底辺にまでなり果てた今の自分には、仮にも結婚して家庭を築き、ガキまでつくって飯を食わせ学校に通わせたという、たったそれだけのことといえばそれだけのことができたということに、あいつらめちゃくちゃすごかったんだな・・・という感嘆の念を抱かずにはいられなくなってしまったという話だ。

こういう話をしているとたまに「親に育ててもらったことを当たり前だと思ってはいけない。親に感謝しなさい」みたいなことをわざわざ口出ししてくるバカがいるんだけど、そういう奴に対しては僕はうるせー死ね以外に言葉がない。いや、これは冗談とかでなくほんとの話で、マジでうるさいから黙ったほうがいい。

親が子供を育てるなんてのは死ぬほど当たり前のことだ。そこをカン違いすんじゃねえよ。育てる気がないなら最初からガキなんかつくってんじゃねえ。避妊くらいしとけカス。てめえらが育てたくて、育てる気でつくるんじゃなかったら子供なんてつくってんじゃねえ。・・・と僕は思う。

この点に関して僕は自分が1ミリだって間違っているとは思わない。またバカが勝手なカン違いをしないように言っとくけど(はぁ、バカってほんとめんどくさいな・・・)、親が子を育てるのは当たり前なんだから子供は感謝しなくていいなんて話じゃない。感謝くらいしたければ子供の方で勝手にするだろ。ていうか感謝って感謝しろって言われてするもんじゃねえだろ

そんなこともわからないクソバカが偉そうに他人様に口出ししてきて「親には感謝しろ」と言い、もっとどうしようもないクソバカになるとてめえで子供をボコボコにしながら「誰のおかげで生きてられると思ってんだ!」みたいなことを言うのだろう。そんなんでどうやって感謝しろっていうんだよ?ドMか!

だから僕は別に、育ててくれたという言い方もあまり素直にしたくないんだけど、仮にも飯を食わせてくれて、ふとんで眠らせてくれて、学校に通わせてくれた、という部分に関して、特別なことをしてくれたとは思わない。親として当たり前のことを、当たり前にしただけだと思っている。

ただ僕が言っているのは、その親として当たり前のことをした、というだけのことが今僕にとっては十分すごいことに思えるという話だ。

仮にも子供を死なせずに育てたというだけのことが十分すごいことに思える

むしろ親としての責任という意味で言えば多分僕の親はその責任を十分に果たせていないだろう。もっとああするべきだった。あんなことはすべきではなかった。そういうダメな親の例としては、かなりいいところまで食い込めるのではないかと思う。・・・まあ毒親選手権とか多分ないと思うし、少なくとも東京五輪までにオリンピックの正式種目に採用されることはありえないと思うので残念ではあるが。

それでも、仮にも僕はあいつらによってこの世に産まれちまい、そして幸か不幸かいまだ死ねずに生きている、というのは事実なわけで、たったそれだけのことでも「あいつらすげえな・・・」と今の僕には思わずにはいられないのだった。

すでに言った通り、僕には家庭をつくる勇気すらない。別にどっちがいいとか悪いとかの話ではない。むしろそういう善悪論で言うなら、僕は奴らは(奴らみたいなゴミは)家庭を築くべきではなかったし、結婚すべきではなかったし、避妊せずにセックスをすべきではなかったし、ガキを(つまり僕を)産むべきではなかったと思う。また僕自身に関しても、おそらく家庭をつくるべきではないという判断は正しいと思う。

そうではあるのだけど、つまり僕が生涯孤独で家庭をつくらないのは正しいし、そんなふうに思う自分を奴らが産んだりしたことがそもそもの間違いではあったにしても、それにしてもよくもまあガキが死なない程度には世話をして学校まで通わせてやれたものだ、と僕は心から感嘆するのだ。

だって僕には無理だもの。自分ひとりまともに食わせていけるかあやしいもの。今はまだ死なない程度には食えているし、屋根の下でふとんで眠れているし、こうしてネット環境も維持できているけど、いつまで保つかはわからない。

というか、だいたい常に「あーもうやばい、もうだめだ」という崖っぷちでなんとか一命はとりとめる、みたいな綱渡りの連続のような生活をしている。そんな生活がいつまで続くか知れたものではない。一つ間違いなく言えるのは、永遠に続く綱渡りを渡りきれる人間などいないということだ。結局どこかで墜落死するほかにない。

まあただちに即死するには至らなくても、ホームレスになるくらいのことはいつでもありえる近い未来の可能性として覚悟している。

普通以下の自分には普通のことを普通にできる普通の人たちがすごいと思える

考えてみれば、僕が親元を脱出してからの年月は、まだ親元で生活していた年月の半分ほどでしかないのだった。折り返し地点ですでに息も絶え絶え、完走をほぼあきらめかけているような自分を思うと、ストレス解消に子供(僕)をサンドバッグにしたりしながらも、子供を引き摺りながら、あいつらはさらにもう半分の距離を走りきったのかと思うと、僕は考えただけで目眩がするような気がしてくるのだった。

まあ僕の両親みたいな人間はあまりにも不完全だし、あまりにもゴミクズだとは思うけど、どうせ完璧な人間なんていないし(少なくとも僕は今のところ見たことも聞いたこともない。いたら是非ともお目にかかってみたいものだ)、みんな多かれ少なかれ不完全な人間なのだとは思う。

それでも不完全な人間は不完全な人間なりに、働いたり、金を稼いだり、飯を食ったり、友達と遊んだり、恋人とセックスしたり、結婚したり、子供をつくったり、子供にも飯を食わせたり、子供を学校に通わせたり、そういういわゆる「普通」のことが普通にできる、「普通の人」というのはなんとすごいのだろう。自分にはそんな平均的な人間にとって特別なこととは言えないであろう「普通」のことが、果てしなく遠く、かぎりなくまぶしいことのように見えるのだった。

もちろん結婚をしないのも自由だし、子供をつくらないのも自由だし、独り身なら独り身で、自分ひとりきっちり食わせていけるだけでも、僕には十分すごいことだと思える。

いつからかそんな「普通」とされることの条件もクリアできない、そういう意味ではもしかしたら自分の両親以上のゴミクズなのかもしれない自分自身に気づいてしまったとき、なんか普通ってすげえなあ、普通のことを普通にできる普通の人って自分から見たら十分すごい人だよな・・・っていうか自分だめだめだなあ・・・とか思って激しくへこんだりするのだった。おしまい。