まつたけのブログ

世界の片隅で愛を避ける孤独なキノコの魂の叫びを聞け!…聞いてください(◞‸◟)猫とマンガとアニメと嵐をこよなく愛するまつたけによるまつたけのブログ

大江アナが内心嫌いな女の人ってたくさんいそう

大江アナが内心嫌いな女の人ってたくさんいそう。

大江アナが内心嫌いな女の人

大江アナこと大江麻理子さんの女子アナ初の単独カレンダーが大ヒット確実だそうで、ちょっとした話題になっているようです。

大江アナはなんでも好きな女子アナの2013秋のランキングでも1位に選ばれたんだとか。その人気ぶりは「これ以上の女子アナは見当たりません」「彼女を嫌いな人なんているのか?」と言わしめるほどなんだとか(※証言はネットで拾いました)。

 

大江アナの悪口を言えない雰囲気自体がもう許せない

でも、まさにそんな人気のゆえであるとか、好きな人をして「彼女を嫌いな人なんているのか?」と思わせてしまうとか、大江アナのまさにそういうところが大嫌いだという女の人は実は結構いるんじゃないかって気がしている。

大江アナが嫌いな女の人がたくさんいそうというのはもちろんなんらデータに基づくものではなく、僕自身はそういうことを言っている人の声というのも聞いたことがない。でも大江アナを内心嫌いな女の人は実はたくさんいるに違いないという単なる僕の独断と偏見である。大江アナが内心嫌いな女の人って絶対けっこういると思うのだ。

ただ、大江アナっておおっぴらに悪口を言えない雰囲気と絶妙なポジションを築いている(気がする)。だから「私大江アナ嫌い!」みたいなことは今だったら「私剛力彩芽嫌い!」ということを表明するほどには簡単ではないんじゃないかと思う。

で、大江アナが嫌いな女の人は、まさにそういうところにずるさを感じたり汚さを感じたり嫉妬に狂ったりしてるんじゃねえかなーって気がする。

もちろんそんなものを大江アナが自分の意図的な目論見に基づいて築き上げたかどうかは知らない。ただ大江アナを嫌いな女の人にとってはそんなことは関係ない。

とにかく大江アナが嫌いな女の人というのは、田中みな実だとか加藤綾子だとか中野美奈子だとか、あのあたりの自意識過剰でキャピキャピしてるとか、女を売りにしてる感じとか、男に媚びてる感じとか、性格悪そうとか(※悪口はすべて世間でよく言われてそうなものを羅列しただけで、個人的な感想ではありません)、そういういかにもわかりやすい攻めどころを持っていない感じ、それゆえに悪口を言えない感じ、それゆえに大江アナの悪口なんて言おうものならそれだけで自分が性格悪いと思われてしまいそうな感じ(っていうか性格の悪さが露呈するだけなんだけど)、一言で言ってしまえば非の打ち所がない感じ、そういうすべてに対して、ある意味嫌いであることを表明できてボロクソに悪口を言える他の女子アナ以上に内心激しく憎悪している女の人がけっこういるんじゃねえかって気がする。

繰り返すけど根拠はない。なにしろ人の言うに言えない内心の話なので、真実にしろただの妄想にしろそれを示す根拠なんてものはない。あくまで僕が勝手にそう思っているだけです。


麻理子の部屋 [ 大江麻理子 ]
 

悪目立ちせずにうまいこと好かれる人が許せない

ただ大江アナが女性からも支持されている人気、それがどこまで純粋なものなんだろうってことは思わないでもない。「私は大江アナ好きです」とは言いつつも、それは単に田中みな実だとか加藤綾子だとか中野美奈子だとか、あのあたりの女子アナのことは絶対に認めないという、そういう気持ちの裏返し的に、特に悪目立ちするところのない大江アナに「自分が認められる女子アナ像」を無難に落ち着かせているだけの人もけっこういるような気がする。

また、悪目立ちする人間のことはもちろん激しく憎悪しているくせに、大江アナのように悪目立ちするところがなかったらなかったで、「いい子ぶってる」とか「空気を読むのがうまいだけの八方美人」とか、そういうふうに解釈して嫌う女の人もいるんじゃないかな。どうなんでしょう?まあどうなんでしょう?って聞いても、もしいたってバカ正直に「おっしゃる通りで、私は大江アナが嫌いです」って答える人もいないだろうけどwwww

なにひとつ確証のある話でもなければ確証を示せる話でもないし、単に僕の人間観や女性観が歪みすぎているだけだと言われればそうなのかも知れないし、否定もしないけど、僕は大江アナが内心嫌いな女の人もたくさんいるんだろうなということに勝手に確信に近い独断と偏見を持っているのだった。

もちろん僕は女の人の女の人ならではの苦しみだとか、あるいは女の人ならではの楽しみだとか、そういうことについてはなにひとつ知らない。知らないけど、とりあえず自分が女の人じゃなくてよかったってことはたまに思ったりもする。男でもこんなに生きてるだけでわけわからんかったりめんどかったりしんどいことばっかなのに、そんな僕のスペックでは女性の社会で生きていくことなんて絶対に不可能だと思うからだ。僕は僕の歪んだ女性観に基づき、基本的にはすべての女性を尊敬している。

ちなみに僕は大江アナ好きです。おわり。ネルーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!

少数派は少数ではない

少数派は少数ではないという話。

最初に言っておくと、この記事では少数派であるというだけで差別され、不当に虐げられてきた人たちの権利、みたいなめんどくさい話はしません。なぜならめんどくさいからです。差別は悲しいよね、やめようよ、くらいしか僕に言えることはない。差別は悲しい。やめましょう。

 

それからこの記事は「諸君の中の多数派は私の敵だ!私は、諸君の中の少数派に呼びかけている。少数派の諸君!今こそ団結し立ち上がらなければならない!」といったスクラップ・アンド・スクラップな政府転覆を図ろうといった意図は一切ない。あらかじめご了承ください。前書き終わり。

(※画像は外山恒一氏。この人の東京都知事候補の政見放送面白くてすごく好きなんだけど、絶対ただ面白がってやってるだけだと思うwwwww)

少数派は少数であることを意味しない

少数派って言葉は全体に対して相対的に少ない側って意味でしかないのであって、ネットも全盛の今の時代、少数派ということは必ずしも少数であるということを意味しない

たとえばあることに関して人口の0.1%しかいないマイノリティだとすると、リアルだと普通に暮らしていても出会える確率が低くてまったくいないような気がしてしまい、自分は孤独なんじゃないかと思ってしまったりするかもしれない。

単純に数が少ないから出会う機会がないというのももちろんあるし、マイノリティであるがゆえに恥ずかしくてカミングアウトできないということもあると思うので、実は知り合ってはいても気づかないということも往々にしてあると思う。

でもネットでは0.1%なんて数字は、相対的には少数派ではあっても、母数を考えれば少数でもなんでもない

現実に1000人でも10000人でもコンタクト可能なネットであれば、そのくらいの割合でしかいない人と10人でも20人でも知り合うことも可能だということだ。

必ずしも少数派だ、マイノリティだということは恥ずべきことではない。というか、少数派であるとかマイノリティであるということ自体は、単に「少数派だ」、「マイノリティだ」というだけの事実でしかないのであって、そのことを以って恥じる必要は本来であればないはずだ(まあそれを恥ずかしいことだとする世間の風潮もあるからそれはただの理想論なんだけど)。

少数派であることはユニークさやオリジナリティといった強みにもなり得る

もちろん同時にそのことを以って誇るようなことでもないし、自分は選ばれた者だ、愚民どもとは違うとか思い上がるのもわりと恥ずいけど、マイノリティであることが必ずしも悪いとかマイナスだということもない。むしろユニークさやオリジナリティといった強みにだってなり得る

そのことの意味をくれぐれも勘違いされたくないのだけど、別に少数派であることやマイノリティであることを武器に自分たちの権利を主張しようとかそういう話ではない。

少数派であることは弱者であることを必ずしも意味しないし、少数派であることを弱者であることにすり替えた挙句、「自分は少数派であり弱者である」という主張を武器にして、それを錦の御旗のごとく暴力的に振りかざし、たとえば「自分は弱者なのだから、お前たち多数派や権力側の人間には自分を特別に保護する義務がある」、みたいなことを主張する「自称弱者」みたいな恐ろしい人たちもいるけど、もちろん僕がここで言っているのはそういうことではない。

所詮同じ人間。自分の異質性に悩もうとあるいは僕の中で寒いセリフNo.1に堂々の8年連続入賞を果たしている「俺って異端?」とか言って滑稽な優越意識を持って悦に浸ろうと、まったく誰にも理解されないなんてことは絶対にありえない。

少数派ではあったとしても、同じような悩みや苦しみ(あるいは同じような優越意識)を抱えている人は必ずいるし、それとまったく同じ問題を持っていないからと言ってほかの人たちにまったく理解できないということもない。

もしかしたらあることで自分が少数派であることに悩んでいる、という告白だけでも、同じ悩みを抱えつつも人に言えず、自分だけかと思って悶々としていた人が救われたような気持ちになることだってあるかも知れない。

少数派の人間の証言は相対的に希少なので、それだけでも実は価値がある。もちろんそれこそ多数派にとってはまるで関係ない証言かもしれないし、まるで意味を持たない証言かもしれないけど、むしろそういう証言ほどまさにそれを求めていた人にとっては他のありふれた証言なんかとは比べ物にならない価値のある証言になるのだ。

その意味で少数派であることは強みにもなるし、それを必要としている人にとっては大きな価値を持ちえるのだ。

少数派の人ほど積極的に情報を発信すればいいと思う

少数派であることは少数であることを意味しないし、ましてや自分は世界にひとりぼっちだということを意味しない。

まあもし少数派であること、異端()であることの悦に浸っていたいだけなら世界はできるだけ狭い方がいいのだろう。「その気持ちわかる」なんて共感されようものなら自分のアイデンティティを脅かされることになってしまう。

でももし少数派であることに悩んでたり、マイノリティであることに苦しんでいるなら、そういう人ほど自分からネットでそのことについて情報発信をしてみたらいいんじゃないかなと思う。

少数派だからといって存在しないわけではない。むしろマイノリティだからこそ同じような苦悩やコンプレックスを抱えている人は同じような仲間を探しているものだ。

だから下手に「自分を理解してくれる人はどこにもいない」とか、「自分は世界で一人ぼっちだ」みたいなことを思うくらいなら、探してみるなり、それで見つからなくてもダメ元で自分からそのことについての情報を発信してみればいいんじゃないかなあと思う。

変な新興宗教や自己啓発セミナーみたいなやつの食い物にされるのはもちろん個人的にはおすすめしないけど、まあ極端な話そこで自分の居場所を初めて見つけることができましたとか言うなら、それはそれで(非信者をポアしようとかしなければ)いいのかなあとも思う。

ただ少数派であることを以って変にいじけたり世の中のすべての人を無理解と断じて絶望したり、そんなことはする必要もないし、それでもあえてそうするのなら、それは単にその人が愚かだとか甘えているというだけのことなんじゃないかなあと思う。

逆に、多数派側の人間は多数派側の人間で、多数派側であるということで少数派に対して優越意識だったり不当な差別意識を持ってしまいがちで、事実として少数派である、マイノリティである、というだけのことで差別されてきた人たちも悲しいことだけど存在する。そういうのは悲しいからやめよう。あ、これ前書きで言ったね!

自分が自分であることに勇気を、他人が他人であることにやさしさを

でも少数派の人たちには少数派の人たち同士で、もしかしたら多数派の人間が多数派の人間同士で感じ合っている連帯感や仲間意識みたいなものより、もっと深くて強固な結びつきを感じることができるかもしれないし、きっと悪いことばかりではない気がする。

それに極端な話、仮に少数派どころか本当に誰からも理解されないとしても(そんなことは絶対にありえないと思うけど)、自分はこういう人間だ、ということを主張するだけで否定されたり排斥されたりするというのは本来おかしな話なのだ。

もちろんそんな理想を言ってもしょうがなく、現実にそういう風潮はあると思うので誹謗中傷はあるかもしれないけど、と言って「みんなと違う」というだけの理由で魔女狩られて火炙りにされるほど野蛮な時代でもないので、そこそこタフなメンタリティのある人なら自分はこういう人間だということを主張するのに変に臆病になる必要はないと思う。いろんな人がいるから面白い。みんな一緒じゃつまらない。みんなが自分が自分であることに勇気を持てたり、他人が他人であることにやさしさを持てたらいいなあと思う(←これどう?今僕いいこと言ったんじゃない?どう?)

以上、自分自身の話や具体例はまったく出さず、最後まで曖昧模糊とした抽象論だけに終始した「少数派は少数ではないし、強みにもなり得る」というお話。これにておしまいだよ~。

ビッチは殺されて当然か

ビッチは殺されて当然なんでしょうか。

先日市川で女性が刺殺されてしまった。で、先ほどたまたまこんなツイートのまとめが目に入った。【市川女性刺殺】ビッチは殺されても仕方がない

もちろんこれは「こんな酷いことを言う奴がいるんだぜ?」ということを晒したいがための恣意的なまとめであって、市川の女性刺殺事件に関しての世間一般の反応とかではないんだけど、それにしても読んでいて最初からすでに煮崩れたお豆腐メンタルな僕は本気で悲しくなってしまったので思うところを書いてみる。

 

ビッチは殺されて当然という人たち

さっきのリンク先だけど、多分読んでも暗くなるだけなので読まなくていいと思う。でもそれだと話が進まないのでいくつか適当に抜き出してみる。それだけでも十分胸糞だと思うので、そういうのが苦手な人はマジでここで読むのやめてください。

千葉のやつ。どうせビッチやろ。自業自得やないの?こんな言い方あれやけど。

千葉で刺された奴はビッチだったの?恨みを買うような真似してたって事か
そりゃあねぇ

「色んな男に股開いて後始末もせずに渡り歩いたビッチの末路だわ。今の時代、真面目に生きてたってどっかで恨み買っちゃうこともあるのに自らそういう行動をしていたのなら、それはもう自業自得だわ。」

ようはビッチにバチが当たったわけですわ

市川で刺された人がとんでもないビッチだったから同情心がなくなった

市川のアレ、クソビッチやんけ。こんな容疑者とつき合うってDQNじゃろなー。ビッチとDQNやで、ざまぁって感じやで

22で娘が3歳って19で産んだってことでしょ。しかも今の婚約者の子じゃないみたいだし。ストーカーするような男が2人居てってもうビッチ乙としか

殺すのはマズイが被害者に同情の余地も無いやん。
残された娘が〜とか美談で語るよりあなたの母親はこんだけビッチだったのよって教えると効果的かもね。

ビッチごときに人生を失ってかわいそうな男性だ。

腹部刺殺されて亡くなった女性ビッチすぎわろた

元キャバ嬢らしいし。なんか男性達が可哀想に思えてきたww もう同情の余地ありません。みんな自業自得って言ってるよw

昨日通り魔に刺されて死んだ女、、予想通り、3股かけて男から金巻き上げてたヤリマンの糞ビッチでしたねw 正直に言う いい気味w  自業自得w

因果応報
くそ女死ね

こんな感じ。特に酷いのだけ拾ったとかではなく、こんなのが延々百数十件分貼られているだけ。一人の過激な人間の発言とかでもなく、全部違う人の発言。もちろんこのまとめにしたって目立つのを拾っただけだろうし、ツイッターにしろよその場所にしろ、まだまだたくさんこういう意見があるのだろう。

「ビッチは殺されて当然」という論理は頭がおかしい

こういうことを言う奴がいるからには、内心同じことを思っている奴はもっといるのだろう、って話はどうでもいい。いや、どうでもよくはないかもしれないけど、内心思ってしまうというのと、思うところを実際に発言することには天地の差があると思う。

それにしてもどいつもこいつも「同情できない」を連発して一体こいつらは何様のつもりなんだろう?なにてめえの同情に大層な価値があるみたいな勘違いしてやがるんだろう?お前らに同情されたらなんかいいことでもあるのかよ?別にお前らが同情しようと同情しまいとどうにかなるわけでもないんだし関係ねえだろ

でもそれで「同情できない」までならともかく、「自業自得www」とか「ざまあwww」とか、そういうことを平気で言っちゃう人がたくさんいるんだなって思ったらめちゃくちゃ暗い気持ちになってしまったのだった。

被害者の方に人間的に非がなかったのかとか、そんなことは知らないしそんな話をしているのでもない。というか、当然あったんだろうよ。でもじゃあこいつらは殺された人を人間的に非があったんだから「殺されて当然wwwざまあwwwww」と言って笑えるほど非の打ち所のないご立派な人間なのだろうか。で、非の打ち所のないご立派な人間っていうのは殺された人を「殺されて当然wwwざまあwwwww」と言って笑ったりするクソみたいな生き物のことなんですかねー?

で、これは追記なんだけど、この記事に対するツイッターの人たちのリアクションも、口を揃えたようにみんな「一番かわいそうなのは娘さん」とか「一番の被害者は子供」とかなんだよね。たしかに娘さんはかわいそうだけどさ。なんていうか、結局殺された被害女性本人のことはみんなうすうす自業自得って思ってるってことなのかなあ。。。なんか嫌だなあ。。。

母親を殺された娘に「お前の母親はこんなビッチだったんだから殺されて当然」と教えるのが効果的とか言ってる奴に、お前ほんとに人間かよとか、個人的に感情的に言いたくなってしまうことは多々あるんだけど、それにしたってその論調はおかしくないかと思うのは、被害者をビッチ呼ばわりは酷いとか、ビッチだからって嫌うのはおかしいとか、そんな話ではなく、元キャバ嬢とかヤンママとかシングルマザーに対するこいつらの歪んだ偏見も置いておくとして、それにしたって「ビッチは殺されて当然」という論理は頭がおかしいし狂ってる

ビッチだろうと殺された理由を殺された側に帰属させる論理は狂ってる

もっと言うと、「ビッチだからって」の部分もどうでもよくて、たとえばさっきのまとめに対してつけられていたコメントに、まとめられていたツイートに対して批判的なコメントと思われる

男選びとそのあしらいが下手ゆえに殺されたのであって、「ビッチである事」と「彼女の死」とは無関係だ。

というコメントがあったんだけど、僕からするとこれも構造はまったく同じ。「ビッチは殺されて当然」というのと、暗に「男選びとそのあしらいが下手な女は殺されて当然」というのは論理としてはまったく同じ構造。で、僕はビッチだろうと男選びが下手な人だろうと、「~だから殺されて当然(殺されても仕方がない)」という論理は絶対狂ってると思う。

いまだに貞操観念だとか性にまつわる意識みたいな話題には男女問わずに感情的に反応してしまうらしく、「ビッチ」という単語一つで多くの人がこんな頭のいかれたことをさも自分はまっとうなことを言っているという面で発言してしまう。

でもそういう人々を刺激する感情を抜きにしても、「男選びとそのあしらいが下手ゆえに殺された」というような「~だから殺された」という理由を、結局殺された側に帰属させてしまう論理の構造自体がおそろしい

「ビッチは殺されて当然」と言う奴らは殺されて当然、にはならないの?

「~だから殺された」の部分には人それぞれに何でも当てはめられて、極端な話それが無差別殺人鬼だったら殺されても当然だろうとか、死刑にしないとだめだろうみたいな話が出てくるんだけど、それにしても結局全部感情論であって、論理的な帰結とかではないんだよね。でもそれがごくまっとうな論理の帰結のように語られていることがこわい。自分がおかしなことを言っているというよりは、むしろ同意しない奴はただの偽善者だ、くらいに自分の正当性を信じている感じがひしひしと伝わってくる。

そういう「ビッチだから殺されて当然」みたいな論理や感情を、自分の中の忌むべき暗部として羞恥するでも隠すでもなく、逆にまっとうな意見のつもりで堂々と発言してしまう人がいること、それも例外的にそういう「異常な発言をあえてする」奴が一人二人いたというのではなく、数ある普通の意見の中の一つ、くらいのカジュアルな感覚で発言する人がめちゃくちゃたくさんいるんだなってこと。

そういうすべてに暗くなる。悲しくなる。絶望する。絶望したってどうにもならないし、望もうと望むまいとそういう世の中で生きていかなくてはいけないことには変わりないのだけど、やっぱりつらいものはつらい。

被害者女性の無念が~、とかそういう話ではない。でもこいつら偉そうにこんなこと言って、そのことで誰かの怨みを買って殺されたとして、そのとき「こんなこと言ってたクズなんだから殺されて当然」って言われたらどんな気持ちがするんだろう?まあ殺された人間にどんな気持ちも無念もあったもんじゃないんだけど。

「ビッチは殺されて当然」という理屈が成り立つなら、殺された人に対して「ビッチは殺されて当然」と嘲笑うような奴らは殺されて当然、という理屈も同じレベルで成り立ってしまう。まあもちろんこういうことを言う奴らがそんなこと考えてるはずもなく、殺されるような奴は殺されて当然の奴で、自分みたいな立派な人間にはまったく関係ないと思ってるんだろうけど。だからこういうことが言えちゃうんだろうし。

悪意が例外ではない世の中で、悪意を避けて生きていきたい

毎度のことながらおそろしくまとまりを欠く文章になった。でもこういう文章を書く自分の目的は思ってることを吐き出して暗い気持ちを少しでもすっきりさせたいということなので、とりあえず最低限の目論見は達せたのでもういい(ことにする)。

なんにしても「殺されて当然」とか「ざまあwww」は酷い。縁もゆかりもないはずの人に多くの人間がここまでおそろしい悪意を平気で抱けるんだなってこと、それも自分の内に隠すでもなく、まともな一意見みたいな顔してここまで露骨におそろしい悪意を剥き出しにして表明できるんだなってこと。自分もそういう人たちの中で生きていかなきゃいけないんだなってこと。すべてがつらすぎる。

やっぱり僕は絶対に嫌だ。人間としての弱さなのも甘えなのもわかっているけど、自分がつきあう人間は慎重に吟味したい。こんな奴らと知らず知らず会話したり和やかに笑い合ったりすることを考えただけで吐き気がする(嫌悪感強すぎ)。

もはやこういうことを言う奴らが一概に「一部の例外」とは言えない世の中なんだなってことには絶望を覚えるけど、もちろんこういう人たちばっかりではないから、こういう人たちのことは路地裏に吐き捨てられた酔っぱらいのゲロみたいに近づかないようにして、こういう人たちではない人たちとだけ関わって生きていこうと決意を新たにしました。まる。おしまい。