読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

まつたけのブログ

世界の片隅で愛を避ける孤独なキノコの魂の叫びを聞け!…聞いてください(◞‸◟)猫とマンガとアニメと嵐をこよなく愛するまつたけによるまつたけのブログ

人生ってこんなもんなのかな?

はぁー、なんかもういろいろ疲れてしまった。別に今に始まった話じゃないけど。

人生ってこんなもんなのかな?

まあ実際そうなんだから、少なくとも僕の人生はこんなもんなんだろうな。

 

仕事やめたい

あーあ、なにはなくとも仕事やめたいな。まるで建設的なこと、世のため人のために有益なことをしている気がしない。そのために自分を精いっぱい活用している気もしない。

ほんとにただ自分がその日その日を死なない程度に細々と食い繋いでいくための日銭稼ぎ。そのためだけにかけがえのない人生の残り時間をカンナで命を削るみたいにして消耗しているだけ。

 

 最近は仕事中にちょっと手が空くたびに考えてしまう。

こうやって心と体をすり減らしながらただ漫然と日々を消耗しているうちに、気づいたら人生終わってるんだろうな

僕はこんなことするために生まれてきたのかな

人生ってこんなもんなのかな

こんなもんもどうもこうもない。実際そうなのだから、僕の人生はこんなもんで、それ以外にはない。それ以上でもそれ以下でもない。

やりたくもない仕事をして日銭を稼いでいるのだって別に誰が悪いわけでもない。いや、誰に無理やり捕まえられてガレー船に強制的に乗せられているわけでもないし、自分でそういう仕事を選んだ、というか、そういう仕事以外選びようのない無能な自分が悪いだけだ。

本当は自分が悪いとさえそんなに思っていない。むしろ日銭稼ぎでしかなくてももう自分は絶対に働けないと思っていたから1ヶ月保っただけ自分にしたらよく頑張ったとさえ思ってしまう。

そしてそんな自分に対する期待とハードルの限りなく低いクズを働かせてくれてその日その日を食べていくくらいのお給料を払ってくれる人たちには感謝の気持ちこそあれ何の不満があろうはずもない。

自分にもとりあえずこなすだけなら可能な仕事で、お給料も仕事量に対して逆に割に合わないのではないかと思ってしまうくらいにはもらえる。そしてなにより通勤に対する抵抗感と満員電車に乗ることへの恐怖感だけで出社拒否したくなってしまう自分でもそれほど抵抗なく通えるほどうちから近い。

何の能力も才能もない。人並み程度の学歴やコネもない。僕にはほんとに何もない。そんな人間からしてみたらむしろそんな職場で働けることは僥倖とも言うべき奇跡的な幸運であって、これ以上の条件など望むべくもなく、ここで勤まらないならもう他にどこに行っても勤まるはずがないこともわかっている。

難易度高すぎてクリアできないクソゲーじゃねえかと思ったら人生だった

そもそも僕には仕事を選んでいる余裕などない。病気をしてたり身体に障害があるわけでもない、五体満足のくせに働きたくなさすぎてひたすら借金しながらしていた寝たきり生活もいよいよ限界になってしまったから仕事を選ぶ余裕もなく働くしかないだけ、稼ぐしかないだけ(心の病と人格の障害にも障害者手当を認めてほしい…なんて言ったらめっちゃ非難轟々になるのが目に見えてるからやっぱ今のはなしでお願いします)。

ましてや今の職場ですら続かないようなら、もうそのときはいよいよ人生あきらめるしかない。そのくらいの覚悟(というほど立派なものではないただの諦念)は持った上で働き始めた。

でもそれくらい自分を追い込んでもやっぱりダメ。ダメよ~、ダメダメ。どうにもならない。

がんばって(?)借金苦という文字通りの火の車を利用して背水の陣どころか自分のケツに火をつけるとこまでは行ったんだけど、なんかもう完全に生きることをあきらめてやがんの。ケツどころかもう全身火だるまになりかけてるのに、今にも「人間五十年、外典のうちを比ぶれば夢幻の如くなり」とか逍遥として能でも舞い始めそうな面して泰然自若とした笑みなんか浮かべてやがんの。Come on, baby, light my ass!←邦題『ケツに火をつけて』でCDデビューしたい。

あきらめるときだけは妙に潔いのな。われながら呆れ果てるのを通り越して感心してしまった。いや、感心している場合ではないんだけど。

でもまあそれくらい、やっぱり自分には人並み程度…ですらない、人間の底辺レベルの社会生活さえ無理ゲーらしい。どうにもならん。

いや、もちろんほんとはわかってるんだ、別に僕の人生が特別難易度が高すぎたりベリハだったり修羅モードだったりするわけじゃないってことは。ただ僕が人並み外れて弱すぎるだけ、雑魚すぎるだけ、虚弱すぎるだけなんだろう。

生涯「人間関係」の壁を乗り越えられないまま当たって砕ける生卵

現実的に考えてこれ以上望むべくもない職場、そういう意味ではむしろ恵まれてさえいる環境なんだろうなってことはもううんざりするくらいわかってる。でも無理。僕には無理。

仕事自体は別にいいんだ、やりがいのある仕事でもなんでもないけど、だからこそ自分みたいな無能にでも勤まる。ただ自分の人生の残り時間をその日その日を生きていくためだけに無意味に垂れ流しさえすればいい。かけがえのない時間でその日を食いつなぐための小銭を買ってる。

それは別にいいんだ、どうせ時間なんてあったって僕は持て余しちゃうだけだし。どうせすることもないし、暇を持て余した挙句つまらないことやろくでもないことをするだけなんだから、それは別にいい。

ただやっぱり、人付き合いや人間関係でごっそり精神力というか生命力を削り取られる苦痛には耐えられない

どこに行ったって、どんな職場だって、気が合わない人、相性が悪い人の一人や二人はいるもんだってわかってる。むしろ今の職場はそもそも基本人と関わるような仕事じゃないし、同僚と関わるような時間は本当に必要最低限の仕事。嫌な奴だらけなわけでもなく、むしろごく普通の善良な人たちだと思う。

それでも僕は人付き合いや人間関係が苦手すぎて下手くそすぎて、基本的に人のことが嫌いすぎて、すぐにつらくなったり苦しくなったりしてしまう。

仕事なんてみんな多かれ少なかれ嫌な思いをしながら、ある意味ではその代償みたいな感じでお金をもらって当たり前に生活しているんだと思う。むしろ僕程度のストレス環境、というより恵まれてさえいる職場環境のほうがまれで、他の人たちのほうがよっぽど嫌な思い、つらい思い、苦しい思い、しんどい思いをしながらそれでも生きるため、生活のため、愛する家族や女房子供を養うため、当たり前みたいに歯を食いしばってがんばってるんだと思う。

でも僕はダメ。あまりにも人間として弱すぎて、低レベルすぎて、話にならない。人並み程度にとかまともにとは言わないまでも、最底辺なりにでも、社会生活を営めるレベルにすら達していない。低レベルで敵から逃げ続けて運良く次の城までたどり着いたはいいけどパーティーみんな死んでアリアハンに戻るに戻れなくなったドラクエ3みたいな感じ(※喩えのわかりづらさには定評があります)

それくらいダメ。誰か一人でも苦手な人や嫌いな人、「この人やさしくないな、嫌な人だな」って思っちゃうとしんどくて無理になっちゃう。いい人がいれば嫌な人だっているし、好きな人がいれば苦手な人、嫌いな人だっているなんて当たり前のことなのに、その当たり前のことに僕は耐えられない。

真っ白な紙にちょっと点が書いてあるだけでもう点が気になってその紙は使いたくない。きれいなコップの水に一滴でも汚れた水が混じっていたらもうコップの水全体が汚く思えて死んでも飲みたくない。そんな感じの未熟さ、幼稚さ、わがままさ。要するにいまだにクソガキのまんま。

「生きること」自体が致命的に下手くそすぎる

自分がそういう人から目をつけられやすいこともわかってる。仕事自体は自分としてはお金をもらってる以上はちゃんとやってるつもりなんだけど、やっぱりどうしても心身に染み付いたぼっち癖というか孤独癖というか、まあ要するに単にコミュ障なだけなんだけど、いつもどこか居心地悪そうにしてる感じ、所在なさげにしている感じ、空気みたいに自分の存在を消している感じが、ある種の人から見たらやる気の無さ、積極性のなさに見えて気に食わないんだと思う。

だからほんとはやることは他の人以上にきちんとやってたとしても、やたら目をつけられて目の敵にされるし、なにか全体でミスがあったりすると「どうせお前だろう」みたいな感じの目で見られたり自分だけがいろいろ言われたりしてしまう。

それもある意味では自分が悪い。要領が悪い。基本的な処世術も弁えてない自分が悪い。最低限の円滑なコミュニケーションも職務のうち。そういう大人の世界の理屈くらいは僕にもわかる。でもそれが僕にはできない。たったそれだけのことが僕にはできない。

「そんな大人になんてなりたくねえんだよ!」みたいなどっかの永遠の16歳みたいなことを思ってるわけではないし、なんらかのポリシーや信念があるわけでもない。ただできない。要領が悪すぎて、不器用すぎて、ただただ無能すぎて、できない。

そんでもって、それができないならできないなりに、いっそのこと開き直って気にしないとか、所詮仕事は仕事、ましてや好きでもない仕事なんて生活のためにしてるだけなんだから適当にその場だけやり過ごしてへらへらしてればいい、なんて思えるほどの達観や適当さもない。ただただ無能。ただただ不器用。ただただポンコツ。ただただつらい。ただただ苦しい。

田山花袋もびっくりするほど女々しい新時代の「蒲団」

最近はうちに帰ってくるなり10分かそのくらいふとんに顔を突っ込んで泣いてる。仕事中や帰り道では何とか我慢できるんだけど、やっぱりうちについて気が緩んだ途端に耐えられなくなって泣く。

具体的に泣くほどの何があったとか、何が悲しかったとか悔しかったってこともないんだけど、ただただ生きていくことのつらさしんどさ切なさ苦しさに耐え切れなくなってめそめそ泣いてる。

どうしてただ生きていくだけでこんなにつらいんだろう?」って声に出して自分に問いながらわんわん泣いてる。そんなの自分が無能だからに答えは決まっていて、それがわかっているからどうしようもなくて我とわが身を呪いながらふとんの中でしくしく泣いてる。

愚痴や泣き言を聞いてくれる友達もいない。頭をなでて受け入れてくれる恋人もいない。体だけでも慰めてくれるセフレもいない。支えてくれる家族もいない。趣味や志を同じくする仲間もいない。誰もいない。

いや、誰もいないなんて言ったらダメだし失礼なんだろうな。実際僕が自分のことをコミュ障だと言ったり友達がいないといったりすると、必ずどこの誰かも知らない人たちから怒られてしまう。その人たちが口をそろえて言うには、「フォロワーがそんだけいて贅沢だ云々かんぬんぺらぺ~ら」とかなんとかいうことらしい。

でも僕には正直わからない。フォロワーさんがいたりいなかったりすることと、コミュ障だとか友達がいたりいなかったりがどう関係するんだろう?むしろそういう意味で言えば、現実でコミュ障のぼっちみたいな人ほどネットやツイッターに依存してるケースって多いと思うけどな。少なくとも僕の場合は完全にそう。リアルが充実してたらネットとかツイッターに依存なんてしてないと思う。

とは言うものの、そのこと自体は僕自身は別に不幸だなんて少しも思ってなくて、むしろその関係がネット上の皮相的で浅薄なものでしかなかったとしても、やさしくしてくれたり仲よくしてくれたり、好きな人なら少しだけいる。

それで十分しあわせ、っていつも自分に言い聞かせてる。自分にしてみたらそれだけでも十分すぎるくらい恵まれてるだろって。それ以上のしあわせなんて望んだらバチが当たるぞバカ者よ、って言い聞かせてる。

何のために生きてるのかわからなくなるよ

寝て起きて仕事、寝て起きて仕事、の繰り返しじゃかえって死にたくなってしまうので、できるだけ睡眠時間は多少無理してでも削って余暇を持とうと心がけてる。っていっても僕に生産的な余暇の過ごし方や有意義な時間の使い方なんてできるはずがなくて、せいぜいが図書館で借りた本を読んだり、好きなアニメを見たり、どうでもいい情報をネットで調べたり、アホみたいにぼーっと長風呂に浸かっているうちに終わってしまう。

パソコンの検索履歴は「つらい」「死にたい」「苦しい」「虚しい」「生きてる意味がわからない」「一番楽に死ねる方法」「神様 助けて」とかそんなんばっか。完全にただの気違い。

あと、起きているとお腹が空くので、最近は1日に4,5食食べてる。と言っても基本炭水化物だけの食事だから食費はいくらもかからない。主食のお米やおそばやパスタやうどんはフォロワーさんが贈ってきてくれるしレトルトカレーとかレトルトシチューとかもいただいたりする。だからそれしか食べない。

たまに気分を変えて3食100円で安売りしてるラーメンと卵くらいは買うけど、後は買い物もしない。お菓子も買わない。アイスも買わない。チョコパイも買わない。ご飯のデザートがラーメン

それから服も買わない。服にお金を遣うことに越えがたい心理的抵抗を感じる。寒くなってきたし安くてダサいのでいいからジャケットくらい、と思ってもやっぱり買えない。

唯一定期的にする買い物らしい買い物といえば(といってもいくらもしないけど)、毎週ロト6を1口ずつ買うくらい。当たらない。かすりもしない。こんなのは貧乏人ほどそういう宝くじみたいに最初から負けの決まってるギャンブルに夢を託してしまう典型例だと思う。

夢見る勇気もないゴミには夢を見る資格もない

でもしかたがないのだ。だって僕は他に夢の見方なんて知らないから。どこを見たって僕には夢なんて見つからない。夢にしたって見るにはそれなりの資格がいるのだ。

別に世間的に騒がれるような華々しい成功なんかじゃなくても、家族、友達、恋人、天職、生きがい、その程度の些細な、人によっては当たり前に持ってるものを夢見ることさえ僕にはできない。僕にはその資格がない。

究極的なことを言ってしまえば、その資格というのはただ「勇気」の一言に還元されて、要するに「僕にはその資格がない」なんて言って逃げてるだけの奴にはそんな資格はない。

僕にはそれがわかっていて、そこまでわかっていて、それでも踏み出すのがこわい、夢見てしまうことさえこわい、煎じ詰めれば生きるのがこわい、しあわせになるのがこわい。しあわせになろうとするのがこわい。結局僕はどうしたってしあわせになんてなれないんだって思い知るだけバカを見るのがこわい。痛い目見るのがこわい。傷つくのがこわい。生きるのがこわい

だから、僕の人生がゴミみたいなのは誰のせいでもない。他でもない僕自身がゴミみたいだから人生もゴミみたいになってしまうだけなんだと思う。

無意味に生きて無意味に泣いて無意味なまま死んでいく無意味な人生

それでもふと気がつくと考えちゃうのだ。「人生ってほんとにこんなもんなのかな?」って。

本当は「人生」なんてくつがえしようもない絶対的・固定的なものはどこにもなくて、ただ自分がどう生きるかっていう流動的な「生き方」があるだけなんだろうな。

でも僕にはどうすればいいかわからない。どうやって生きればいいのかわからない。どうやって生きていけばいいのかわからない。

「好きなことをしなよ」とか「やりたいようにやってみなよ」とか「生きたいように生きればいいんだよ」とか、間違いなんてあるはずもない正論だとは思うけど、僕には自分が何をしたいのかも何が好きなのかもどう生きたいのかもわからない。自分が何者なのかもわからない(多分何者でもないのだと思う)。

要するに、僕には何もわからない。だから、答えなんてわからないし、あるいはそもそもあるはずもないし、あるいは「こんなもん」以外にあるはずもないのだけど、今日も「人生ってこんなもんなのかな?」ってため息つきながらぼんやりと考えてる。

気づいたらもう若くもない。でも相変わらず何者でもない。探してたものはまだ見つからない。欲しかったものはまだ手に入らない。そしてきっと永遠に。こんな風に無意味に生きて、無意味に泣いて、無意味に苦しんで、無意味なまんま死んでいくんだと思う。

人生ってこんなもんなのかな。


人生を半分あきらめて生きる (幻冬舎新書)


虚無感 [ 冬川薔薇子 ]


人生相談テレビアニメーション 人生 Vol.1 [Blu-ray]

広告を非表示にする