まつたけのブログ

世界の片隅で愛を避ける孤独なキノコの魂の叫びを聞け!…聞いてください(◞‸◟)猫とマンガとアニメと嵐をこよなく愛するまつたけによるまつたけのブログ

情弱が一ヶ月ニコニコ動画を使ってみて思ったこと

情弱が一ヶ月ニコニコ動画を使ってみて思ったことを書く。

最初に断っておくと、自分はニコニコ動画が好きで好きでしょうがない、という人はできればここでこのブログを閉じて永遠に読まないほうがいいかもしれない。もしかしたらそれがお互いにとってベストなのかなと思う。

僕が今から書こうとしていることは、別に自分としては悪口とかそんなつもりはなく、単にタイトル通り「情弱が一ヶ月ニコニコ動画を使ってみて思ったこと」を素直にそのまま書こうとしているだけなのだが、自分はニコニコ動画が好きで好きでしょうがないという人は感情を害してこのブログのコメント欄を使って不快感を表明したり、あるいは露骨に罵詈雑言を吐き捨てていく人もいるんじゃないかと思う。そうなればもちろん僕だって嫌な気持ちになるし、そういう人だって最初に嫌な気持ちになるから読まないでね、って言ってあるのにわざわざ読んで罵詈雑言を吐き捨てていくこともないんじゃないかと思う。疲れませんか?そういうのって。それともそういうのが心底楽しい、逆に言うとそういうことにしか楽しさを見つけられない本当に害虫以下のクソゴミ人間がいるんだろうか?・・・いるんだろうな、悲しいことに。

僕にはそういう人間がいることは本当に理解し難いことなのだけど、でも残念ながらネット(というか世の中)はそういうもんらしい、ということをニコニコ動画で学んだという話をしてみようと思う。あ、別にニコニコ動画が悪いとか使い勝手の話とかではなく、なんとなく以前から感じていたネット民全体のやたら殺伐としていて批判的な空気ってなんなの?みたいな話です。

まずこの話の大前提としてあるのは僕がいわゆる情弱であるということだ。ほんと言うとこの情弱という言葉も正確に理解しているかあやしいのだが、僕の理解を説明しておくとネットで言われる情弱というのは「ネット全般に詳しくない人、ネット界隈のことについて無知な人、ネットリテラシーのない人」とか大体そういう感じなんじゃないかと思っている。ネットの風潮みたいなものに疎いし、2chは修羅の国のようなところで一般人は近づいちゃいけないくらいに思っているのでよく知らない、とか、とりあえずこの記事ではそういう人という定義で自分のことを情弱として進める。

ご存知の人はご存知だろうし、ご存知じゃない人はご存知じゃない通り(当たり前だ)、僕はツイッターを3年以上やっている。もう少し正確に言うと、それ以外のことはまったくなにもやってなかった。人間そうするとさすがに飽きてきて他にもいろいろやってみたくなるもので、ご多分に漏れず僕もさすがに飽きてきて他にも何かしてみたくなった。

そこで(多少はしょるけど)一ヶ月くらい前にやってみようと思ったのがニコニコ動画だ。なにをやってみようと思ったのかというと、なんのことはない、歌を録音してそれを公開してみようと思ったのだ。

だが情弱の猿なので僕はそもそもニコニコ動画とはどういうところなのか知らなかった。あ、もうわかってると思うけど僕は情弱であることに加えて頭も弱い。そういう意味ですでにした注意を繰り返すと、この記事は一方的にニコニコ動画はこういう場所だ、クソだ、ファックだ、死ね!という話ではない。あくまでネットに疎く、かつ頭も弱い僕から見た場合のネット全体の雰囲気に対しての感想であるに過ぎない。

それとニコニコ動画を使ってみたと言っても僕がしたのは歌を録音してアップすることだけなので、いわゆる歌ってみたというカテゴリにかぎった話かもしれない。それ以外のカテゴリのことは知らない。というか考えてみれば歌ってみたというカテゴリのこともほとんど知らないし、歌い手とかいう人たちがどういう人たちなのかとかどんな人がいるのかとかもほとんど知らない。なのでほんとにこれは情弱の猿であるところの自分が一ヶ月歌ってみたをやってみて思ったこと、というごく限られた視点からの感想であることをしつこいですがくれぐれもご承知おき下さい。

さて、ニコニコがどういうところか知らなかったと言ってももちろんまったく知らなかったわけではなく、動画サービスだということや、そこの動画にユーザーがコメントを付けられるくらいのことはもちろん知っていた。知っていたし僕は音楽が好きでたまにネットで探して適当に出てきた動画で聴いたりもするのでニコニコのIDも持っていた(どうでもいい話だが最近自分のIDが25250500なのを知ってIDがニコニコでうれしかった…あ、この話ほんとにどうでもいいね!)。

ただ基本的に見ることがあるのは岡田斗司夫さんが月に一回生放送の枠を持っているのでたまにそれを見るくらいで、基本的にニコニコ動画という場所が全体的にどういう雰囲気の場所なのかとかそういうことにはすごく疎かった。

さっき少しはしょったと言ったけど、なにをはしょったかというとその前にツイキャスをやったりしてたよという話で、僕は半年くらい前から月に一度ツイキャスで適当に飲んだりしゃべったり歌ったりしていた。ただなんか「明日配信します」とか「今から配信します」みたいな告知をしたり、そうすると融通がきかなくなったりするのが嫌で生配信するんじゃなくて適当に歌いたいときに歌って録音だけする方式に変えた。ツイキャスは何がいいって、こんなバカでも猿でも情弱でも簡単に使えることだ。画像を入れてボタンを押すだけで録音ができてその動画(静画だけど)をダウンロードすることもできる。もちろん僕が歌を歌うためのちゃんとした機材を持っているはずもなく、パソコンで音楽を流しながら一緒に300円くらいの通話用のスカイプマイクでぎゃーぎゃー歌えばそれで配信したり録音したりできた。あんびりーばぼーだ。文明の利器だ。僕は初めて火を利用することを覚えた猿のように興奮していた

僕は動画のつくりかたもわからないし、他のいわゆるちゃんとした「歌ってみた」をやっているみなさんがされているらしいMIXとか、そういうこともまったく知らなかったので、最初のうちはツイキャスで録音してそれに「◯◯を歌ってみた」ってつけてアップしまくった。そうこうしているうちにツイッターのフォロワー様がなんとマイクを贈ってくださった。マイクが悪いから変えろ変えろということはツイッターのリプライでも言われていたのだけど、調べてみるとMIXだとかの作業の手間が大変そうだし、第一僕にはマイクだのオーディオインターフェイスとかいうわけのわからない(けど高額な)ものを買うお金もないので別にいいやと思っていたのだ。

贈って頂いたマイクはオーディオインターフェイスとかいうわけのわからない(けど高額な)ものを必要としないUSBに繋ぐだけのもので、このときは僕の猿程度の知能レベルまで考えてプレゼントしてくれるフォロワーさんのやさしさに思わずうれションした(今思い出しても尿漏れする)。

さて、うれションの話はともかく、一応マイクをもらったのでそれまでのようにパソコンのスピーカーから大音量で音楽を流しながら一緒にぎゃーぎゃー歌うという原始的な録音は使えなくなった。必要性こそが種を進化へと導く。猿からアウストラロピテクスへの進化である。猿からアウストラロピテクスへと進化を遂げた僕は頭の悪い情弱なりにもらったマイクで録音すべく一生懸命調べてなんとか録音(するだけなら)できるようになった。MIXという作業(歌の録音とカラオケ音源を合わせる作業。このとき自分の歌をいろいろ音量や音程?を調整したりできるらしい。とても大切な作業らしいです)も一応やってみたんだけど、これは性格が大雑把で面倒くさがりな僕には向いていなかった。どこをどういじればどうなるという基本からしてまったくわからないので毎回適当にちょこちょこいじってみて「あーもういいや、めんどくせー」って感じでおしまいにしてそのままアップした(そんなことだから叩かれたという側面も否定はできない)。

さて、別に実録!歌ってみた物語 ~人気歌い手への道!~とか、そんな面白そうで役立ちそうな話がしたいわけでもできるわけでもなく、長くなったけどこっからが本題だ。安心してほしい、読んでる方も飽きたし疲れただろうけど、書いてる方も完全に飽きてるし疲れてるから。前置きで疲れすぎて肝心の本題がめちゃくちゃ雑になるのがこのブログだから!

で、ここまでだったら猿にでもできる。現にアウストラロピテクスの僕にもできた。話したいのはここからで、つまり投稿した後の返ってくるコメントでのリアクションを通して思ったことが本題です。

まず、大前提として僕は別に人気歌い手になりたいとか大絶賛されたいとか、そんなことを思っていたわけではない。僕をそんな猿と一緒にしないでほしい。アウストラロピテクスは自分をわきまえているのだ。僕はただツイッターしかない自分の生活に嫌気が差し、なにかしら新しいチャンネルを開きたいだけだった。と言って自分にできることなんてなにもないので、歌でも歌ってそれをニコニコ動画やYouTubeのような場所にアップしていれば、そこから誰か一人でも二人でも新しく仲よくなってくれる人がいたらいいなあ、という本当にただそれだけだった。

今にして思えばそこら辺の平和を愛するアウストラロピテクスらしいかわいらしい発想が認識の甘さとなり、現代のクロマニヨン人的な殺伐とした精神の格好の餌食にされたということなのかもしれない歌を愛し、平和を愛し、花を愛するアウストラロピテクスは殺伐とした現生人類によって皆殺しにされたのだった。・・・あれ、これ何の話だっけ?

あ、ニコニコ動画の話ね、今完全に10万年前の怨みがよみがえりかけてたわ。もう完全に飽きてきて言葉で説明するのがめんどくさくなっちゃったんで、とりあえず見てもらったほうが早いと思ったんだけど、残念ながらアウストラロピテクスには動画をブログに貼り付ける方法すらも難しくてわからなかったのでもういいっす。

とにかく記憶を頼りにどんなことを言われたか書くと、「下手wwwwwwww」とか「うんこwwwwwwww」とか「猿以下wwwwwww」とか「ホヤまで戻って進化史をたどり直せwwwwwww」とか、もう散々な言われようなわけ。いや、別に「うまい!」とか「素敵!」とか「抱いて!」とか「濡れた!」とか「耳が妊娠した!」とかそういうのが聞きたかった訳じゃないにせよだよ?「ホヤまで戻って進化史をたどり直せwwwwwww」って、なんでそこまで言われなきゃいけないんだよ!(※そこまでは言われてなかったかもしれない)。

でも僕が個人的に一番傷ついたのは「自演乙」とか「自演コメだらけwwwww」みたいなコメント。これはちょっとマジでなんかへこんだ。これだけ進化論のレベルでけちょんけちょんに貶されているにも関わらず、ちょっとやさしい人たちが好意的なコメントをしてくれたら自演だのなんだのってもう、あ、書いてたらなんかオラ憂鬱になってきたぞ!\(^o^)/

まあ当たり前だけどそんなわけで当初の目論見通りニコニコ動画から仲よくなってくれた人とかって多分全然いないわけで、僕のツイートから見てくれた人たちがほとんどだと思うし、僕が3年間ツイッターをやって得たものはごく一握りの好意的な人たちと、圧倒的大多数の嫌な奴らなので、そういう僕のことをとにかく貶したくてしかたない人たちがそういうコメントをしているのかもしれないけど、それにしてもなんか殺伐としていて嫌だなあって思ったって話(まあ要はグチですな)。

なんつーか僕は(なにしろアウストラロピテクスなので)もっとニコニコ動画って友好的な人たちが使ってるのかなと思っていた。歌ってみたとか、踊ってみたとか、そんなしょーもない自己顕示欲だけで生きてますみたいな人たちにもう少しやさしい場所かと思っていた(ツイッターでたくさんリプライを頂いたのだけど、ニコニコ動画も昔はそういう場所だったそうな。昔は楽しかったという話をご意見をたくさん頂いた)。

そりゃ僕がいくら情弱でも、曲がりなりにもネットにしか居場所のない人間だから、そういう人たちを悪く言う人とか、嫌いな人がたくさんいることは知っていた。知っていたし、嫌う人がいることは理解できるし、その気持ちもわかるつもりでいる。でもそれがニコニコ動画の中にもたくさんいるっていうのが猿から進化したての僕にはどうにも理解し難いのだった。

別にニコニコ動画にかぎらないのだが、どうしてこんなにネットというのは寒々としているのだろう。どうしてこんなにネットというのは殺伐としているんだろう。ただ曲がりなりにもツイッターは使っていた自分が、特にそれをニコニコで強く感じた理由はおそらくコメントする人間は完全に匿名だからということなんだと思う。でもだとするとよけいに寂しい話だ。人間は匿名性の仮面をかぶると途端に嫌な奴ばっかりになる(もちろんみんながみんなではないが)。それが人間の本性なんだろうか?

僕はもっとアマチュアなんだからつまらなかったり下手くそだったりするのは基本的に当たり前で、でもそんなことを気にするよりとにかく自分でなにかやってみてささやかにでもそれを発表することを喜びとしているような人たちと楽しく遊べる場所かと思っていた(アウストラロピテクスの脳みそはお花畑なのだ)。

ネットにいる頭がよくて才能のある人たちというのは、だいたいみんな自分自身のメディアを持っていて、そこで自分の才能をいかんなく発揮して活動している気がする。でもみんながみんなそんな頭がいいわけでも才能があるわけではない。では才能のない人間は才能はないなりに好きなことをしてはいけないんだろうか。「そんなもん興味ねえわ」って人の気持ちは死ぬほどよくわかるし、ぶっちゃけ僕も基本人に興味がないんだけど、それならそれで興味がないなら見たり聞いたりしなければいいだけの話だし、そう思うから自分は実際そうしてきた。

でも現実はどうも僕にはとにかく人のやることなすことにケチをつけたり貶したり批判したくてしかたがない人たちがたくさんいる気がする。肯定的、好意的な興味はないくせに、否定的、批判的な興味はあるみたいで、獲物を探して舌なめずりしているみたいな人がたくさんいる気がするのだ。

もちろんそれは単に僕が本当にあまりにも下手すぎたり猿以下過ぎたりするだけかもしれないと思ったけど、一度歌ってみたのランキングで1位の人の動画を見たら、すごい有名な歌い手さんらしいんだけど、アンチというのかそういう人たちがたくさんいてコメントを見るに耐えなかった。自分で歌ってみたとかしておいて人の歌ってみたにはまったく興味のないわれながら最低の僕からしてもその人の歌ってみたはめちゃくちゃうまくてかっこよかった。それなのに考えられないような汚い言葉を使ってボロクソに言う人間がたくさんいる現実。これは一体何なんだ?

印象深かったのはその中に「歌い手は認めない」というコメントがあったこと。じゃあなんで歌い手さんの動画を見ているんだろう?まったくわけがわからない。これじゃほんとにただ最初から因縁が付けたくてやってるとしか思えない。評価が厳しいとかそういうんじゃなく、ほんとにただ批判がしたいだけの人たちがあまりにも多すぎるように思える。もちろん中には自分には退屈なものもあれば、認められないものもあると思うけど、そのときはさっさとそんなものには見切りをつけて自分の好きなもので口直しをするなりすればいいんじゃないだろうか。どうもわざわざ自分からつまらないものや嫌いなものを探してそれにケチを付けることを目的としている人が多い気がする

こういう話をすると、多分そういう人たちはみんな口を揃えたようにこう言う。「批判されるのが嫌なら最初から発表なんてするな」。はいはい、正論ご立派ご立派。でも発表する人たちだって批判されたくて発表してる人はいないと思うよ。ていうかなんでそんなに批判することにご執心なの?そんな暇があったら自分の好きなものを見たり聞いたりすればいいし、それを褒めたり愛でたりしてるほうが絶対しあわせだと思うけどな。それとも人を批判してみせることで自分は相手より上等な人間だとでも錯覚してそれで悦に浸っている勘違いオナニストなの?

別にニコニコ動画やYouTubeでささやかに活動している人たちだけでなく、もっと大きなレベルでもなにかに挑戦する人たちにやたら批判的な人は、結局そんな自分自身の批判的なあり方によって実は自分自身の可能性を一番閉じ込めてしまっているんじゃないかと思う。でもってそんな自分がもどかしいからその苛立ちみたいなものの矛先を自分にはできないことに挑戦している人や自分の好きなことを下手でもなんでも好きなようにやっている人たちを批判することに向けているだけなんじゃないかって思う。それって楽しいのかな?そんなことがしたくて生きてる人生って正直僕はクソみてえだなって思っちゃうんだけど、そういう人たちにしてみれば楽しいんだろうか?

ほかにも一生懸命な人を笑うとか、青臭い人や真面目な人をバカにするとか、そういう風潮、というかそういう人たちがネットにはたくさんいるように思う(もちろんネットとリアルが別のはずがなくて、ただネットはリアル以上にそういう人間の醜さが露骨になりやすいということ)。別にみんながみんな一生懸命だったり真面目であれと言っているわけじゃないし、そんなことは少しも思わないけど、ただそういう人がいたっていいじゃんってことくらいは思う。なんでそれを集団で指さして笑うようなことをするのだろう。そうやってダサい人間を群れて笑ってみせることで自分はダサくない人間だということをアピールしているのだろうか。僕にはそんな人間のほうがダサくてクソつまらないゴミみたいな人間に思える

少なくとも僕は僕みたいになにも持っていない人間が、それでもなにも持っていない人間なりになにか自分にもできることをやってみようという姿勢は好ましいと思っているし、自分自身そんなふうに少しでもクソみたいな人生を楽しくできたらいいなあと思っている。そんなものは自己満足でしかないとか、他人からしたらゴミクズでしかないと唾棄する人間がいることもわかるし、それはある意味でその通りだとさえ思うんだけど、そういう人たちにまでお世辞でもいいから誉めてほしいとかやさしくしてほしいなんて気持ち悪いことは思わないから、ただそっとしておいてほしい。できれば関わらないでほしい。殺伐としたい人たちは殺伐としたい人たち同士で仲よく(あるいは殺伐と)殺し合っていればいいと思う。

これは頭の悪いアウストラロピテクスがふと思いついただけの話なんだけど、やたら偉そうに批判ばかりしている傍観者がメインユーザーのサービスじゃなくて、そのサービスやコミュニティの中ではみんなが実際に活動している人たちのサービスがあったら面白いんじゃないだろうか。たとえば歌なら利用者はみんな歌うのが好きで自分もそこで歌をうたって活動している人たち。偉そうなこと言ってても自分が下手くそならボロクソに言われるだけなのであまり好き勝手に偉そうなことも言えない。そのかわり的確な評価やアドバイスはその人自身の評価にもつながる。そういう場所があったら面白いかもとふと思った。完全な余談だけど。

とにかくネットに疎い情弱のアウストラロピテクスとして言いたかったのは、ネットに詳しくて頭もおよろしそうな現生人類のみなさん、殺伐とし過ぎです。もっとやさしくなってよ、とは言わないけど、もっと自分自身楽しくなるように生きたほうがいいのにってことは思う(批判したい人たちは批判したい人たち同士で批判し合える場所があったら嫌味とかじゃなくてほんとに楽しくていいかもね)。

あ、ちなみにだけど別に僕は現生人類にボロクソに言われて歌ってみたをやめたわけではなく、それくらいで僕のしょーもない自己顕示欲がくじけるはずもなく、これからも時間があったらやってみたいんだけど、今はこのブログとかを始めてしまって無職の分際で時間がないだけです。ブログにももう少し慣れてきたらまた歌ってみたもやってみたいのでもし歌ってみたにおすすめの曲などがあれば情弱のアウストラロピテクスに教えてくれたらうれしいです!最後にちゃっかり宣伝もしつつ、情弱が一ヶ月ニコニコ動画を使ってみて思ったこと、ネットの人たち殺伐とし過ぎだよ!っていう話でした。おしまい。