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まつたけのブログ

世界の片隅で愛を避ける孤独なキノコの魂の叫びを聞け!…聞いてください(◞‸◟)猫とマンガとアニメと嵐をこよなく愛するまつたけによるまつたけのブログ

親に愛されなかった子供の末路wwwwwwwww

人生 自分 考えごと

親に愛されなかった子供は自分も人や我が子を愛せない大人になるという若干悲しい話をします。話が重くならないように軽いノリを演出すべくタイトルは2chまとめ風に草を生やしてみました。

もちろんただの一般論なので例外はあるのだろうし、あってほしいと願ってもいます。子供の頃親に十分に愛されなかった人や愛情を感じられなかった人が全員が全員、人や我が子を愛せない大人や毒親になると決めつけているわけではないので、あまり気落ちしたりせずに読んでもらえたらと思います。

 

親に愛されなかった子供は一生人生ハードモードwwwwwww

子供の頃親や養育者に十分に愛されなかった人、少なくとも十分に愛情を感じられなかった人というのは、自分も子供のことを愛せない大人になりやすいのではないかと思います。ソースは僕、というか僕の母親です。

もちろん僕が今生きているということは親に育ててもらったからで、親元を離れるまでの十数年間、食わせてくれたことにはまったく感謝していないわけでもありません。

しかし、単に子供を食わせるということと、十分に愛するということはまったく別のことだと思います。とりあえず死なない程度に食事だけ与えて面倒を見ればいいというのと、十分な愛情を与えて子供の自己肯定感や安心感を育むというのでは、一言で同じ「子供を育てる」といってもまったく違うレベルの話であることは明白です。

もちろん中にはその「とりあえず死なない程度に食事だけ与えて面倒を見ればいい」という最低限の養育さえしてもらえず、幼くして死んでしまう子供もいるわけですが、そんなのはほとんど親に殺されたも同然だと思います。言いたいことは山ほどありますが、何をどれだけ言おうと殺されてしまった子供の命の前には虚しいだけなので、今回はそこまでの話は省きます。

イエスさんが言ったとか言わないとかいう(どっちだ?)、「人はパンのみにて生くるにあらず」というのは本当だと思います。少なくとも十分に愛を与えられなければ、人はまともに育つことも、まともに生きていくことも難しいような気がします。

そしてそんな虐待やネグレクトという問題を抱えた機能不全家庭に生まれ落ちてしまった人間は、家を出るまで生きられたとしても、心には一生癒えない傷を負ったまま、何をしても続かないとか、何をしても虚しいとか、どうしても人とうまくいかないとか、たくさんの問題や不全感を抱えたまま、死ぬまで一生茨の道を裸足で行くような苦難の連続、人生ハードモードの宿命を背負わされている気がします。

僕が親元を逃げるように出て行くとき、母親は「育て方を間違えたからこんな(クズ)になってしまったんだろうか?」と嘆きました。父親は「馬鹿言うんじゃねえよ!今までこいつが誰のおかげで生きてられたと思ってんだ!」と怒鳴り、自分を肯定してもらいたかっただけの母親は「そうだよね、私らは何も間違ってないよね」と安心したようでした。別に両親に対して今さらそれで失望するような感情はひとかけらも残っていなかったので、僕は何も言わずに黙っていました。

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勝手に産んどいて子供に恩着せて虐待する毒親は死ね

しかし、僕が誰のおかげで生きていられたのかと言われれば、それは両親のセックスで生まれてきてしまったわけですから両親のおかげには決まっているわけですが、それって育ててもらった子供が自発的に親に感謝することであって、親のほうが子供に恩を着せるようなことなのでしょうか?

「てめえは誰のおかげで生きていられると思ってんだ」というのは、僕が子供の頃から血まみれになるまで殴られているときの父親の口癖?のようなものでしたが、当たり前ですが別に生まれる前の僕が両親に土下座をして自分を産み育ててくれるように頼んだわけではありません。親が、勝手にセックスして勝手に産んだだけです。

親が子供を育てるというのは、そんなに親が子供に恩に着せるようなことなのでしょうか?僕にはぼこぼこに殴られていた子供の頃から今に至るまで、一度として納得できたことがありません。

もちろん子供を育てるというのは大変なことだろうとは思いますが、そんなことは百も承知で、それでも子供を作りたい、子供がほしい、子供を育てたい、親になりたい。そう親自身が望んだからこそ人は子作りに励むのではないのでしょうか?現実はともかく、少なくとも理想としてはそうあるべきだし、そうあってほしいと僕は思っています。

大体が、「誰のおかげで生きてられると思ってんだ!」なんて怒鳴り散らしながら子供を血まみれになるまでぼこぼこに殴るような親はろくな親ではない気がします(小並感)。僕はそういう毒親しか知らないので多分ですが、真っ当な親というのは口が裂けてもそんなことを子供には言わず、そしてそういう親だからこそ子供のほうでも育ててくれたことに対して自然に親に感謝する、というものなのではないかと思います。


毒になる親 一生苦しむ子供 スーザン・フォワード

自分が親からされた仕打ちや親への不満を子供にぶつける毒親は死ね

いきなり話が逸れてしまいましたが、今回はバイオレンスジャックこと父親の話ではなく、僻みという呪いにかかって自らも自分の子供を呪うだけの醜い魔女と化した母親の話です。

僕の母親は、子供の頃の僕から見ていても、非常に不満感の強い人でした。今思えばその底の知れない不満感というのも、母親が十分にその親から愛されなかったことに起因していたのかもしれません。

実際、たとえば母親に僕が何か初めてのことでわからないことについて聞いても、ちょっと教えてくれれば1分で済むのに、なぜか「私はそんなことを親から教えてもらわなかった。自分でやるしかなかった!それなのにお前はそんなことを聞くのか!」と言って憎々しげに僕に恨みつらみをぶつける長い長いヒステリックタイムになってしまうのが常でした。

母親が育った家庭の事情なんて知らないし、そもそもなぜ自分が母親の親への憎しみや恨みつらみをぶつけられなければいけないのか謎ですが、要するに母親は自分を十分に愛してくれなかった自分の親への憎しみや恨みつらみを、直接親にぶつける代わりに、自分が親になって自分の子供にぶつけているということのようでした。

とにかく万事が万事母親の中の教育方針(?)にまつわるロジックはそういう理屈らしく、「私は親からそんなことはしてもらえなかった!(だから私もお前にそうする筋合いはない)」、「私は親にそんなこと聞かなかった!(だからお前も聞くな殺すぞ)」といった感じでした。

典型的な自分も毒親となったアダルトチルドレン丸出しの母親でしたが、要するに母親の理屈を要約すると、「私は親に愛してもらえなかったんだから私もお前のことなんて愛さないし、私は不幸な子供だったんだからお前が幸せになるなんて許さない」ということのようでした。

僕の考える理想の親、あるいは真っ当な親というのは、仮に自分が親から満足のいくように愛してもらえず、様々な不満を持っていたとしても、だからこそ自分が親になった暁には、「子供のことを十分に愛してあげよう、少なくとも私が親から言われて嫌だったことは言うまい、親からしてもらえなくて寂しかったことはしてあげたい、私がしてきたような寂しい思いやつらい思いは我が子にはさせまい」と考える親です。

もちろん現実にはそうした親子間の負の連鎖を自分の代で断ち切るというのはそう簡単なことではなく、僕自身自分の中の親から受け継いでしまった悪い性質を克服することにいまだに死ぬほど苦しんでいるのですが、母親にはそうした考えは最初からまるでないようでした。

もっと言えば、母親は自分が親から満足のいくように愛されず、不幸な子供時代を送ったことへのわだかまりは持ちつつ、最初からそれを子供に味あわせてやる気満々で子育てしていたということに他ならず、はっきり言ってそれは子育てを通しての復讐のようなものでした。

もちろん本当は復讐というなら自分の親に対してしか成立しないはずですが、これが悲しいことにアダルトチルドレンの子育てにおいては非常にしばしば見られるように、親への不満感情や怒りや憎しみ、恨みつらみを、自分の子供に対してぶつけまくるという、子供にとっては理不尽極まりない屈折した形で「復讐」しようとする歪んだ毒親がいるのです。

僕は間違いなくそんな理不尽を子供に強いる毒親は人の親になるような資格のないクソゴミだと思っていますが、現実としてそういう毒親が存在し、そして自分自身がそういう毒親のもとに生まれてきてしまったのだから何を言おうとしかたがありません。


不幸にする親 人生を奪われる子供 ダン・ニューハース

「自分は愛されていない、存在を許されていない」という根底的な不安と自己否定感

今さらあんな毒親に「愛されたかった」なんて気持ち悪くて思いもしませんが、ただせめてどうしてもう少しやさしく、というか当たり前に、普通に、傷つく心を持った一人の人格ある幼い子供として普通に育ててもらえなかったのだろう?ということは、無駄は百も承知でいまだにふとしたときに考えてしまいます。

母親は「かわいがる」ということをとにかく異常に嫌っていました。今にして思えば恐れていたと言ったほうが正確なのかもしれませんが、何にせよとにかく母親から人並みにかわいがってもらった記憶というのがまったくありません。

別にかわいがってほしかったとまでは言いませんが、どうしてあそこまで自分の母親から憎々しげに扱われないといけなかったのだろうということは今でも思います。やることなすこと、言動のすべて、僕を忌々しそうに見る顔、僕を責める声、すべてが心底憎々しげでした。「自分は愛されていない」ということを、親のもとで暮らしていた一分一秒を通して痛感させられ続けました。

たとえば本当に他愛ない話ですが、まだ小さいガキの頃、ガキの頃からバカだった僕はよくシャツの前後ろを間違って着てしまっていました。そのたびに母親は鬼のような形相で「かわいいと言ってもらえると思ってわざとやってんだろ!少しもかわいくなんてねえんだよ!」とブチ切れてヒステリックに喚き散らすのでした。

別にただ間違ってしまっただけでかわいがってほしかったもクソもないんですが、そんなことでいちいちかわいがったりしなくても、「はいはい、間違ってるから直しなさいね」で終わりの話ではないでしょうか。どうしていちいちあそこまでひどい言われようをしなくてはいけなかったのか、僕にはいまだにわかりません。

さらにそこで泣き虫の僕がついうっかりぽろっと涙でもこぼしてしまおうものなら、「泣けば許してもらえると思ってんのか!お前みたいなのを女の腐ったのって言うんだ!」云々と、今度は女に対する憎悪と思しきものまですべてを僕に叩きつけてくるので、よけいに悔しくて泣けてしまい、何か言い返そうものなら張り倒された後暴力の権化たる父親を召喚されてぼこぼこにされてよけいひどい目にあうだけなので、ただただ惨めで悔しくて泣いてばかりの毎日でした。

別に僕だって失敗したり間違っても怒られもせず何でもかんでも許されて、やることなすこと全肯定されて、ちやほやされて溺愛されて、目に入れても痛くないほどにかわいがられたかったとは思いません。子供の頃だってそれは同じでした。

ただそれにしてもどうしてあそこまでやることなすことぼろくそに否定されなくてはならなかったのか。愛されるとか尊重してもらうとまでは言わなくても、最低限自分の存在を認められるとか受け入れられるとか、その程度の安心感も与えてもらえなかったことに関しては、正直今でも考えると胸が痛みます。

たいてい僕を罵り疲れ、張り倒し疲れてお終いになる頃には「お前のためを思って言ってるんだ」とか、「お前がかわいいからこそぶってるんだ」とか、そういう反吐の出るような綺麗事を吐くのが常でしたが、もちろん子供にだってそんな見え透いた嘘がわからないはずもなく、母親は間違いなく僕のそういった偽善的な綺麗事への激しい嫌悪感を養ってくれたということは言えます。

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社会がどんなに虐待への関心を高めても、家庭内の問題は解決しない

毎日のように、というか事実毎日そんな感じで母親からいびられ、罵倒され、引っ叩かれ、父親は父親で怒鳴るか殴るかの二者択一みたいな恐怖と暴力の化身であり、夫婦仲も悪く喧嘩が絶えず、毎晩のように怒鳴り合い喚き合い、そうかと思えば子供の寝ている部屋で父親が母親をレイプしたり、今思えばシュールで逆に笑えますが、子供の頃は本当に毎日が地獄でした。

本当に理不尽だし不条理だと思いますが、いくら毒親からひどい目にあわされた子供が理不尽だの不条理だのと抜かしたところで、現実にそれが通用してしまう、まかり通ってしまうのが典型的な機能不全家庭における親子関係というものなのでしょう。

もちろんそんなことは絶対に認めたくないし、親だからといって「親が自分の子供をどうしようと親の勝手だろうが」なんてめちゃくちゃな理屈も絶対に許したくないのですが、そうはいっても現実としてそういう現実がたくさんあるということです。そして悲しいことには家族間の問題というのは、構造的に今後もなかなかなくならないと思います。

社会が虐待や育児放棄といった問題にどんなに関心を持って意識を高めたところで、結局問題そのものが起こっているのは家庭内であり、文字通りその家の屋根の下での出来事な以上、発見自体難しいし、「我が家の問題だから」とか「うちの教育方針だから」という理由で口を出すなと言われれば容易には立ち入り難いし、さらに悲劇的かつ根本的なことには、そんなクソみたいな毒親でも子供にとっては親であり、まだ幼く当然そういう親とそういう家庭しか知らない以上、子供自身が自分の置かれた家庭環境の問題や異常性には気づけない、といった様々な困難があるからです。

親が小さい子供に対して持っているほとんど絶対的な力、生殺与奪をいいことに、外の社会では絶対まかり通らないような理不尽、不条理な仕打ちや虐待でも我が子相手にならばできてしまう。でもだからといってまともな親なら当然そんなひどい真似はしないし考えもしないわけですが、青酸カリレベルの猛毒親ともなると我が子をストレスに感じ、そして同時にストレス発散のためのサンドバッグとして打ちのめすのが当たり前なのが機能不全家庭の機能不全家庭たる所以です。

外部でしかない社会や他人がいくら関心を持ったり意識を高めたところで根本的な解決にはなるはずもなく、当たり前といえば当たり前ですが根本的な唯一の解決策は、親になる人間自体の意識を改善してそもそも虐待や育児放棄といった問題が起こらないようにすること以外にはありえません(そんなことが可能かどうかはともかく)。

親になる資格のない人間は親になってはいけない

もっとはっきり言ってしまいますが、僕は親になる資格のない人間は親になるべきではないと思っています。僕の言う「親になる資格のない人間」というのは、結果的にでも毒親になるような人間のことです。

もっとももちろん僕のそんな願望になど現実を前に何の力があるわけもなく、実際には男は射精さえできるようになれば、女は排卵さえできるようになれば、後はセックスさえすればどんなバカでもクズでも基本的には親になれてしまうというのが所詮は僕らアニマルなんですさぁ~さぁ~ニシヘヒガシヘ♪って感じに哀愁の漂うところなんですが。

「自分は毒親のもとで育ったけど、絶対に自分はあんな風にならないし、毒親にはならない!親子間の負の連鎖は自分の代で断ち切ってみせる!自分は幸せな家庭を築いてみせる!」という人のことを、他人でしかない僕が否定するつもりはありませんし、水を差すようなことを言うよりその勇気を応援することができたらどんなにいいだろうと思いますが、現実にはそんな風に言っていてもやはり自分も親になって子供に自分がされてきたようなひどいことをしたり言ってしまう事例の多さを思うと、正直僕には何とも言えません。

「自分は親のようにはならない!立派な親になる!」という強い決意や勇気は尊重したい反面、「自分はそんなこと言い切れないし、自信がないから親にはならない」という選択をする人を臆病だとは思わないし、少し悲しいけどそれだって立派な選択だと思っています。

当たり前ですが少なくとも僕自身は死んでも人の親になんてならないことを心に誓っています。子供は基本的に好きだし、かわいいと思いますが、自分の子供となればまた別だろうし、愛せるかどうかということに100%の自信なんてないし、もしかしたら僕自身が母親からされたように「自分が親から愛してもらえなかったから」という理由で子供を愛せないんじゃないか、父親からされたように「お前は俺に殺されても文句なんて言えねえんだよ!」と怒鳴りながら子供を血だるまにしてしまうのではないか、なんて万が一の可能性を考えただけでこわすぎて発狂しそうになります。

まあ結婚もしてないしする気もない、というかできない自分がそんな心配をすること自体、ちゃんちゃらおかしくて完全に恥ずかしいんですけど、人から笑われたら恥ずかしすぎて窓から飛び降りたくなるんであんまり笑わないでください。

父さんがくれた熱い拳 母さんが残した自己否定感♪

まあ結果的に母親の思惑通りになってしまったというべきなのか何なのか、そういう意味ではもしかして僕はある意味で親孝行なのか何なのか、立派に母親以上に不幸な幼年~少年時代を親元で送れたのではないかと自負しています。

それどころか家を出て何年も経った今でも、僕の胸の内では激しい自己否定感と自分が存在すること自体への不安感が絶え間なく吹き荒れ続けています。

少し恥ずかしい告白をすると、僕は物心ついてからずっと、死ぬほどがんばってきたつもりでした。必死であがいてきたつもりでした。果てしない自己否定感から抜け出そうと、存在すること自体へのどうしようもない不安感を克服しようと、死に物狂いでもがいてきたつもりでした。でも、どうにもなりませんでした。何をやっても埋まりません。何をどうしても満たされません。今はもう自分自身にも絶望して、すべてを諦めています。

僕の一生は「渇愛」の一語に尽きたような気がします。ただ愛されることだけをひたすら渇望してきました。過去形なのは一生が終わる前に先に力が尽きたからです。もう無理です。人の中に、たくさんの言葉の中に、愛を探し求め、盗み、奪おうと嘘をつき、汚い駆け引きをして、傷つき、傷つけ、最後には結局虚しさと徒労感しか残らない。そんな膨大な無駄、壮大な無意味にもいい加減疲れ果てました。

最初のほうで「ただ死なない程度に面倒を見ることと、愛情をかけて育てることは違う」というようなことを書きましたが、精神的な虐待も身体的な虐待も(僕は経験ないけど性的虐待やネグレクトも)、それで子供の中に育まれてしまうのは本来親が子供に与えるべき自己肯定感や安心感ではなく、まったく逆の果てしない自己否定感と不安感、虚無感ばかりです。実際には心はずっと昔に死んでしまっていたも同然のような気がします。


魂の殺人 親は子供に何をしたか アリス・ミラー

母親に言われ続けて育った通り、僕は何をやってもだめでまともにできないし、あんまりだめすぎて今ではもう何をやる気さえありません。無気力と虚無感のお化けです。どこからもお金を借りられなくなって必然的に餓死するかアパートを追い出されて野垂れ死ぬまで、ふとんに潜って嫌なことも何も考えずにすむようにこんこんと眠り続けるだけの毎日です。…あれ?意外と人生最高じゃね?(^q^)

…なんて強がってみたところで、そんな人生を他の人におすすめなんてするはずがないし、願わくばそんなゴミクズになってしまう子供がいなくなればいいなと思っています。まあそんな願いになんて何の意味もないんですけど。

今となっては実は昔ほど親を怨むような気持ちもありません。あの人たちはあの人たちなりにやはりたくさんの悲しみや苦しみを抱えていて、その中であの人たちなりに精いっぱいできるだけのことはしてくれたのだと思います。ただそれを理解したからといって死んでしまった心は二度と甦らないだけです。

最後に、最初に言ったことをもう一度繰り返しますが、こんなのはただの一般論、それもきっと人一倍ひ弱で甘ったれで脆弱な負け犬の、言い訳みたいな一般論に過ぎません。全員が全員、毒親持ちや機能不全家庭育ちのアダルトチルドレンは幸せになれないとか、親から愛されなかった子供は自分の子供も愛せない大人にしかなれないんだから親になんてなったらいけないとか、そこまでのことを言うつもりはありません。

むしろ例外がいたらいいなと思いますし、そういう人がいたら本当に心から尊敬します。そういう人がどこかにいてくれるだけで、単に自分が力及ばず人生に失敗しただけの負け犬なだけで、人生そんなに悪いものでもなかったんだって、そう思って安心して眠り続けることができます。おやすみなさい。すべての子供と大人たちによい夢を…( ˘ω˘)スヤリ…


愛着障害 子ども時代を引きずる人々 岡田尊司


アダルト・チャイルドが自分と向きあう本


アダルト・チャイルドが人生を変えていく本