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まつたけのブログ

世界の片隅で愛を避ける孤独なキノコの魂の叫びを聞け!…聞いてください(◞‸◟)猫とマンガとアニメと嵐をこよなく愛するまつたけによるまつたけのブログ

30歳を目前にしてちんこがずる剥けになった話

30歳を目前にしてちんこがずる剥けになった話を書く。

包茎解消!アメリカ式ペニス増大プログラム

「30歳を目前にしてちんこがずる剥けになった話」を読んで頂く際の注意事項

最初にいくつか断っておく必要がある。この話はタイトルを見ただけでおわかりいただける通り、きわめてプライベートかつデリケートな話題を扱っている。まず、いきなりおおよその年齢が明かされてしまっている。もし僕のことをツイッターで知っている人がいたら「そんないってたのかよ!」と驚いたり気が触れたりドン引きしたりするかもしれない。そこへきてトドメの「ちんこがずる剥けになった話」だ。物心のついた紳士淑女のみなさんなら自らのセックスシンボルにまつわる話がどれほどプライベートかつデリケートなテーマであるかおわかりいただけるだろう。

くれぐれも興味本位や不用意な発言で人(っていうか主に僕)を傷つけるようなことのないように注意してもらいたい。

もう一点、こちらも重要な注意事項、というかお願いなのだが、下半身の話題だからといってどうしようもない下ネタだとは決めつけないでほしい

何を隠そう(ちんこは隠そうね!)、僕からしたらこの話は自分の実人生をネタにして話せる現時点で最大のいい話系エピソードだと思っているのだ。もし僕が深いい話に出ることがあれば、僕は迷わずこの「30歳を目前にしてちんこがずる剥けになった話」をする。むしろどうして日テレから一向に出演のオファーが入らないのか不思議なくらいだし、やつらがもたもたして仕事をしないからしかたなく自分でブログに書こうというわけだ。

なにもこれは自分から話のハードルを上げているわけではなく、それくらい僕にしたら真面目な話なんですよってことを言っておきたいだけだ。くれぐれもちんこがずる剥けた話だからといって下品な下ネタだと最初から決めつけないでほしいということをもう一度言っておきたい。・・・まあ「ちんこずる剥け」って連呼すればするほど正直どう考えても自分でも下ネタにしか思えなかったりするんだけど、どうか下品なだけの下ネタかどうかは最後まで読んでから判断してほしい。

そして最後にもう一点。これはもしかしたらそういう内容を期待していた男性には残念な話かもしれないが、これは「私の上野クリニック 体験記」でもなければ「私はこうして自己流で包茎を治した!」とかそういう類の話でもない。そういう情報を求めている場合は「包茎 治療」とか入れてググってみることをおすすめする。

以上、注意事項が長くなったがご了承いただけただろうか?ここからはご了承いただけたという前提で早速話を始めていきたい。

「包茎は恥ずかしい」という悪しき風潮がコンプレックスをつくる

さて、いきなりこんなことを言うのもアレだが、僕は包茎だった。いや、僕だってこんな話をするのは死ぬほど恥ずかしいのだが、なにしろちんこがずる剥けになった話なのだからこれを言わなければ話が始まらない。僕はずっと仮性包茎だった。そうなのだ、僕はもうずいぶん長く「まつたけ」というハンドルネームと美しくそそり勃つまつたけのアイコンを使ってネットで活動してきたが、何を隠そう僕自身のまつたけはまつたけではなくえのきかなめこ、いいとこしめじだったのだった。

もしかするとまだ若い女性の方は「包茎ってなに?」とか「仮性包茎?」という人がいるかもしれないから簡単に説明しておくと、要はちんこの頭が露出していないことを包茎という。勃起時や自分で剥こうと思えば剥けるものを仮性包茎、どうあっても剥けないものを真性包茎という。ほかにカントン包茎というものもあったりするのだが別にここは上野クリニック ではないので専門的な話は興味があったらご自分で調べてほしい。ちなみに日本人男性の7割前後が包茎とされている。

ここで重要なことは、男子にとって一般に包茎は恥ずかしいこととされているということだ。余談だがもしあなたが芸術に興味があるか、さもなくば人一倍セックスに興味津々な方ならば、かのミケランジェロの有名なダビデ像の男性器を熟視(ガン見)したことがあるかもしれない。そう、ダビデ像は包茎である。ダビデ像にかぎらず、建築様式としてギリシャやローマの裸体彫像はみな包茎である。これにも諸説あるようだが、当時のギリシャやローマでは包茎であることが美しいとされていたとか、無垢さの象徴であるとか、そういった理由かららしい。だが問題はここは古代のギリシャでもなければローマでもない。21世紀は平成の日本だということだ。そう、少なくとも現代の日本社会において、包茎であることは一般に恥とされているのだ(※要出典)。

真性包茎やカントン包茎は衛生面やセックスの際の様々な不都合等から手術が推奨されることもある。仮性包茎はそういった面で特に切迫した問題があるわけではないのだが、「包茎は恥」とする社会の目を意識しやすい思春期や青年期前期の男子はこれを深刻なコンプレックスとして抱え込むケースも非常に多い(※要出典)。

(※画像はごぞんじ上野クリニック 。自意識をこじらせすぎた僕はいまだにハイネックやタートルネックの服を着ることができないでいる・・・)

事実、僕自身は長いこと包茎で、そしてそれをコンプレックスに思っていた。というか僕の場合は単に仮性包茎というにとどまらず、短小、包茎、早漏の三重苦だった。チンポにおけるヘレン・ケラーである(※ヘレン・ケラーの偉大さを貶める意図はございませんのでご了承ください)。っていうか別に今も短小と早漏はそのままなので今の話する必要なかったな・・・。完全にむだに生き恥をさらしただけだったので今のはちょっと忘れてください・・・(マジで)。

おそらく男性はそういった恥ずかしがる人間の気持ちもご自分が包茎であるなしや包茎で恥ずかしいか恥ずかしくないかに関わらずご理解いただけるのではないかと思う。それくらい特に高校生以降の男子社会において、包茎であることは一般に恥とされ、みんなに知られでもしようものならバカにされ、後ろ指をさされ、村八分にされるような(被害妄想を伴う)おそろしいことなのである(※症状には個人差があります)。

女性は無論同じものを完全に当てはめることはできないが、ニュアンスとしてはおそらく「貧乳」というのが多少近いのではないかと思う。貧乳ということをコンプレックスに思ったり恥ずかしく思っている女性は決して少なくないように見受けられる。だがしかし、貧乳であることのコンプレックスを告白する女性の多さに対し、自らが包茎であることのコンプレックスを告白する男性の圧倒的な少なさを思えば、やはり男子にとっての包茎ということは女性の貧乳ということより傾向としてより深刻であるということが言えるのではないかと思う(※誰によって?)。

男性自身への自信のなさが自分自身への自信のなさへと直結していた

事実、ここからは一般論ではなく僕自身の話になるが、僕は包茎であることが恥ずかしかった。自分の男性自身への自信のなさが、自分自身への自信のなさへと直結しているかのようだった。

学校での修学旅行のお風呂の時間や親戚と温泉に入る際など、常に頭の中は恥辱の意識にまみれ、針のむしろの上でのたうちまわるがごときコンプレックスに苦しめられる地獄の時間だった。僕は文字通りしっぽを丸めた負け犬のように、背中を丸めてそそくさと前を隠して逃げるようにお風呂を出るのだった。

さながらそれは自分自身のあらゆる自信のなさ、自己肯定感のなさといった問題のすべてが、ひとえに短小包茎な自分の粗チンに由来するものかのように感じられるのだった(※多少脚色している場合もございますがご理解ください)。

自分がモテないのも包茎のせい、自分が童貞なのも包茎のせい、それが事実かどうかなんてことは問題ではなく(もちろんそんなことが事実のはずがないのだが)、僕自身にとってはそれが事実そのように感じられていたということこそが唯一にして最大の問題なのだった。

新宿に包茎を治すことを謳った詐欺臭い商品を買いにいった話

その激しいコンプレックスという地獄の苦しみは、とうとうある日僕を人生初の新宿へと駆り立てすらした。あれは18歳になった頃だろうか、包茎手術すらも真剣に考えていた僕だったが術後の不便やなにより手術費用を捻出できそうもなく、それでもコンプレックスに耐え切れなくなった僕は、ついに意を決してエロ本の広告に載っていた仮性包茎を直す魔法のスティック(?)を買い求めに新宿へと走ったのだった。

狭い店内には歳の割に妙にギラついた目の印象的なジジイがひとり座っていた。ジジイはまるで獲物を見つけた蛇みたいな笑顔で「いらっしゃい」と声をかけてきた。僕は広告を見てきたことを告げた。僕は早く目的のものを買って帰りたかった。しかし、そこからが地獄だった。ジジイは商品を用意するでもなく、店内中に響く声でそのスティックの使用法の説明を始めた。ご丁寧に自分の腕をチンポに見立てての解説付きだ。大した原理でもあるまいに、要は魔法のスティックというのは人体に無害な(ほんとに無害かどうかは知らない)のりで、ちんこの皮を剥いた状態で陰茎にくっつけて固定し、ちんこの皮の剥けた状態を常態化しようというものだ。そんなことはこっちだってとっくにわかっている。わかっているから買いに来たのだ。だからさっさとそれを売ってくれれば僕としてはもうそれで早くこんな店を一秒でも早く立ち去りたいのだ。だがしかし、そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、ジジイは毎度客に説明しているだろうに楽しそうに目を輝かせながらつばを飛ばしていつまでも延々と説明を続けるのだった。

僕はもう顔から火が出るように恥ずかしかったし、実際耳まで真っ赤になっていたと思う。もう誰かにこんなところを見られたらと思うと気が気でなかった。あまりにも説明が長いものだからついにほかの男が入ってきた。今から思えばその男だって自分と同じものを求めてきているに決まっているのだし、その目は落ち着きなくそわそわしていたに違いないのだが、当時の僕にそれだけのことに気づくよゆうはなかった。僕の恥ずかしさはついに限界に達し、それまで早く買って帰りたさに形だけでもジジイの説明をおとなしく従順な態度で聞いていたのだけど、いい加減ブチ切れて完全にそっぽを向いてジジイをシカトした。だがそれくらいのことで今まで何人もの若造どもを嬲りものにしてきた老獪なジジイが意に介すはずもなく、「どうしました?ちゃんと聞いてるんですか!」とかえって追い討ちをかけるようにして後ろに客を待たせたままで僕に恥辱を与えると、もうすでに何回も聞いたような説明をくどくどと再開するのだった。恥辱と屈辱にまみれ、ただひたすら早くこの時間が終わることだけを祈りながら、おとなしくジジイの話にうなずくことしかできなかったあのとき、小学生の頃から恥ずかしげもなく堂々とエロ本を買える俺、というバカ丸出しのしょーもないアイデンティティに得意になっていた自分の貧弱で偽物のプライドは、まさにあの瞬間粉々に打ち砕かれたのだった。

後から思うにあのジジイは僕のような情けない若い男に恥辱を与えることを生きがいにしていたのではないかと思う。僕が無事(向こう三年分の寿命をエネルギーとして消費してへろへろになることを無事と言えたらの話だけど)ジジイから解放された頃、つまりそのなんてことないただのペンみたいに見える棒に3日分のバイト代をジジイに払って店内を出た頃、僕はもうなにもかもがどうでもいいような気になっていた(一応その後スティックは数回使ってみたものの、少なくとも僕にはほとんど現実的に何の効果も感じられないまま机の引き出しにしまいっぱなしになってしまった。今でこそ「アホだったなあwwww」って笑えるけど、当時の僕はしばらくの間思い出すたび死にたくなるくらい恥ずかしさと後悔の念でいっぱいになっていた・・・)。

自意識の地獄が一番苦しいのは10代半ば~20代半ばくらいまで

でもまあそんな恥ずかしい経験もしたくらい悩んでいた僕だったが、そのような自意識の地獄(実際に地獄なのは「人目」だの「社会の風潮」だのではなく、それを自らの意識に取り込んでしまい、そのような幻想に苦しめられてしまう自らの自意識それ自体なのだ)の苦しみも、やはり最も苛烈を極め、一番苦しいのは10代半ば~10代後半、せいぜいが20代の半ばくらいまでだと思う。それくらいを過ぎると問題がなくなるとか解決するというわけではないけど、自然に寛解して大して気にならなくなるものだ。僕自身、仮性包茎という事実はそのままだったものの、かつてほどの強烈なコンプレックスの苦しみからは解放され、それほど気にしないようになっていた(ちなみにこの傾向というのはなにもちんこに関するコンプレックスのみならず、過剰な自意識ゆえの軋轢や苦しみといった問題は、必ず年齢とともに軽快し、寛解していくものだと信じている。だから僕はこの自意識ゆえの問題を苦にして10代の若さや20代そこそこくらいで自殺するのは大きなお世話だけどできればやめてほしいと思っているのだ)。

だからもう少なくとも顕在意識の上では別に仮性包茎だの短小だのということはほとんどどうでもよくなっていたのだった。まあ特にそんなことを気にする必要がない、つまり見せるような相手がいないという僕のまったく個人的で哀れな事情もあるんだろうけど、それも含めて特に気にしたり悩んだりすることもなくなって、数年の日々が過ぎた。そしてつまり今に至るわけなのだけど、どうしたことか、ある日気がつくとちんこがずる剥けになっていた

ある日気がつくとちんこがずる剥けになっていた

いや、さすがにこの説明はあまりに正確さを欠く。もう少しだけ正確に言うなら、ここ数ヶ月からせいぜいが半年~一年くらいの間だったと思うが、なんか大きくなってきたなーってことはぼんやりと感じていた。と言ってももちろん自慢できるような立派な巨根とか国産の見事なまつたけとかいうわけではなく、あくまで以前の自分のモノと比べた場合の相対的な話だ。相対的に大きくなった結果、それまで被っていた包皮が剥けていることが多くなり、そしてわりと最近になって気づいたときには「そういえば」という感じで常時ずる剥けの状態になっていた、ということだ。

断っておくがこの間、「別にもう大して気にならなくなっていた」などと口では言いつつ、その実「ちんこをでかくする方法」といううさんくさい情報商材を買ったり、「1週間で4cm増大!」みたいな明らかにデータが嘘くさいサプリメントを飲んだり、アメリカからちんこを刺激して血流をアップさせてちんこの増大を図るエクササイズマシーンを直輸入して毎日がんばってトレーニングに励んだとかではなく、あるいは自己流のエクササイズに励んでいたとか特殊なオナニー法を開発するに至ったとかオナ禁をしていたとか毎日毎晩違う女を気絶するまで抱き続けたとかでもなく、(性欲や精力は歳をとって著しく減退したなりに)それまで通り普通に、ただぼーっとしたまま部屋に引きこもってツイッターをやっていただけだ(まさかツイッターにちんこのサイズアップ効果があるとか包茎が治るなんて話は聞いたことがないしおそらく関係ないだろう)。

以上が僕の身にここ最近実際に起こったことのすべてだ(厳密な意味でどれくらい時間がかかったのかといえば生まれてから今までの時間がすべてそうなんだろうけど)。

人生には少なくともアラサーになってちんこがずる剥けになる程度の希望がある

さて、もしかしたらこれから話すことはちんこの絵に足をつけ足すような蛇足かもしれないが、最後に僕はこの話がしたかったがためにこんなわざわざ自分から生き恥をさらすようなプライベートかつデリケートな話を告白したのだから、ここまで読んでしまったならあきらめておとなしくもう少しなので最後まで聞いてほしい(ジジイの長話を最後まで聞かされたあの日の僕のように)。

僕はこの話は希望のメタファーだと思う。もちろん別に包茎ということが絶望だとか恥ずかしいことだとかそんなことが言いたいわけではない。それはここまで読んでくれていればわかってもらえると思う。こんなことが科学的にありえるとされているのかありえないとされているのかは知らないが(ペニスの成長については17歳くらいで止まるとか25歳くらいまでは成長するとかいろいろ聞いたことはある)、どうなっていようと僕の身に実際に起こった事実は変わらない。そしてその間僕はなんとかして包茎を治すべく、ちんこのサイズアップに努めていたわけでもない。ただ、生きていたら勝手に剥けていた。僕はこれこそが希望だと思う(これから絶望することがあるたびにこうつぶやいてみてほしい。「ただ、生きていたら勝手に剥けていた」バカバカしすぎて絶望しているような気持ちではなくなることうけ合いである)。

昨日更新した本当は幸せになるのが恐い自分に気づいてしまった件にも書いたけど、あてもなく、夢もなく、目標もなく、ただ生きているだけの自分、ただ生きているだけのこんな人生で本当にいいのか、って思ってしまうことは多分僕じゃなくても多かれ少なかれあると思う。でもとりあえずそんなしょーもない人生でも、だらだらと生きているだけでなにか変わることがあるかもよ、悪いコトばっかじゃないかもよ、って話だ。「もうこんな人生生きていてもなにも変わらない」なんて勝手に決めつけて早まって死んでしまったら本当にそこでおしまいだけど、ただ生きてさえいれば勝手に変わることもあるかもよ?少なくともそれまでずっと包茎だったちんこが、30歳も目前になって気づいたらずる剥けになるくらいの可能性は、ただ生きているだけの人生にだって残されてるみたいよ?今はどうしようもない地獄みたいに思えるコンプレックスや苦悩のまっただ中でもがいている人も、どうにもならないように思えても、いつか生きてさえいれば楽になったり解決するようなこともあるかもよ?

疲れたり息切れしてしまうくらいがんばって生きている人のことは僕なんかから見たら本当に立派だと思うけど、もしそれで疲れて折れてしまうくらいなら、人生ごと放棄してしまいたくなってしまうくらいなら、しばらくがんばるのはお休みにして、なんとかしようとすることも全部あきらめて、ただバカみたいにぼーっと生きているだけでもいいのかもよ?

という話が僕はしたかったつもりです。読んでみて結局最後までしょーもない下ネタじゃねえかとか、お前の汚いちんこを例に出されてそんな話をされても(汚くないもん!(´;ω;`))ということだったら申し訳ないけど、「はぁー、とりあえずもうちょっとだらだらと生きてるかー」くらいのことでも思ってくれた人がいたらうれしい。読んでくれてありがとうございました。おしまい。

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