まつたけのブログ

世界の片隅で愛を避ける孤独なキノコの魂の叫びを聞け!…聞いてください(◞‸◟)猫とマンガとアニメと嵐をこよなく愛するまつたけによるまつたけのブログ

ブログを始めて2ヶ月。ブログを始めてよかったこと

ブログを始めて2ヶ月経ったのでブログを始めてよかったことについて書いてみます。

ブログを始めて2ヶ月経ったのでブログ始めてよかったことを書く

実はですね、わたくしことまつたけ、今日でこのまつたけのブログを始めてちょうど2ヶ月の記念日だったりするんですよね。いやいや、そんな、お祝いの言葉だなんて、いえいえ、そんなそんな、ほんとそんなそんな、お気遣いなく、いや、マジで!(盛大にお祝いしてください

 

お祝いしてくれ金をくれ

まあ先輩はてなブロガーさんや、はてなでなくてもほかのサービスで以前からブログをやっているという方の中には、3ヶ月、あるいは4ヶ月もの長期間にわたってブログを続けている先輩もいらっしゃるかと思いますので、そういう方から見れば僕の2ヶ月という記録もせいぜいが日本記録レベル、世界の壁はまだまだ高いぞ!と叱咤激励の向きもあるかとは思いますが、ひとまずブログを始めて2ヶ月の節目で、現時点でブログを始めてよかったと感じていることを記録しておくことには大いに意味があるのではないかと考え、このたび僭越ながら「ブログを始めてよかったこと」というタイトルで本記事を書かせていただく運びと相成りました。

えー、振り返りますれば私と最愛の妻和美との出会いは日本が高度経済成長の快進撃を続けておりました1960年代、期待と不安に胸を高鳴らせて田舎から上京し、はじめて降り立ちました上野駅のホームでまさしく私は運命の出会いとも言うべき見事なボインのチャンネーと「早くしろ!!!パァーン!( ‘д‘⊂彡☆))‘д‘)ハイ、スイマセン!!!」

ブログを始めてよかった

1ヶ月前、つまりブログを始めて1ヶ月が経った頃、僕は完全にブログに飽きていました。飽きたというか、疲れたというか、うんざりしていました。

自分をはてブしてくれてた人たちがスパムとして利用を停止させられたり、そのことであることないことクソミソに言われたり、がんばって気にしないようにして一生懸命ブログを書いてもろくに誰にも読まれない、読まれたとしてもろくなリアクションがない。悪口ばかり・・・ではなかったはずなんですけど、悪口ばかりと思ってしまうくらい悪口のほうが肯定的だったり好意的な評価より印象に残ってしまうものです。

何事も長続きしない性格なので1ヶ月も続いたんだからもう十分だろうと言い聞かせ、もうどうでもよくなって落書きをしてみたり、しばらくネットを休んで一日中寝て暮らすかと思い立ち、その際ただ休むのではつまらないからと死ぬ死ぬ詐欺をしたところ詳細を書けないような大変なことになってしまったり(このネタ死ぬほど書きたいんだけど書けない事情があるのです)、そりゃもう散々な1ヶ月を過ごしました(っていうか今思ったんですけどブログ始めてたかが1ヶ月にしてはちょっといろいろありすぎじゃね?って気が今更ながらにすごいしてきました。。。)。

で、そのまま自然消滅してやめるのかと思いきや、自分でもびっくりすることにやめなかったんですね。やめなかったというか、なにがあったと一言では言えないんですけど、なんかある時点から逆に吹っ切れてブログを書くのがどんどん楽しくなってきてしまったのです。

かねてから思っていたことではありますが、やはり自己満足に勝るものはないなあとか、自己満足に徹せることが一番だなあとか、そんなことを思います。

もっとも十分満足したからもうブログはいいやとか、書くことなくなったからもういいやとか、気分屋なので明日にはもうやめようとか思っているかもしれないんですけど、まあそのときはそのときだし、それにしても十分楽しめたからブログを始めてみてよかったなあと思います。

これまで文章を書くなんてめんどくせえと思っていたのですが、書くこと自体がけっこう好きらしい自分に気づいたり、だから「お前みたいなカスははてなじゃなくてアメブロにいけ」みたいなことを言われたりもしてよくわかんないけどどこでもよかったりしつつ、今にして思えば「お前みたいなカスははてなじゃなくてアメブロにいけ」みたいなことを言ってくる奴がいるはてなだったからよかったのかなあという気がしないでもないです(どうでもいいけど「お前みたいなカスははてなじゃなくてアメブロにいけ」って、可哀想なのは僕じゃなくてアメブロでブログやってる人たちだと思うんでアメブロの人たちに謝ってほしいです)。

なんというか、そういう人格の陶冶みたいなことってブログを始めるにあたっておよそ期待や想像だにしないでいたことなので、結果的にラッキーだったというか、自分から不快な思いをしようとは思わないにしろ、してしまったらしてしまったなりに磨き砂になったりもするんだなーということを思います。


必ず結果が出るブログ運営テクニック100 プロ・ブロガーが教える“俺メディア"の極意
 

ブログ更新の「ふー、一仕事終えたぜ…!」感は異常

でもまあ、なんといってもブログを始めて一番よかったことは、圧倒的な現実逃避感です。これはもう素晴らしいの一言に尽きます。僕は仕事もせずに借金で細々と食いつなぎながら寝て暮らしていたのですが、やはり頭と心のどこかには常に不安がありました。迫り来る借金の限度額、それすなわち自らの命のタイムリミット・・・とは言わないまでも、ホームレスになるまでのタイムリミットであることは確かに思われます。

そうした不安と向き合ったり、これじゃいかんと一念発起してハローワークに出かけたり、そんなことを考えるだけで恐怖と憂鬱でなにも考えたくなくなりまた眠りの中に現実逃避する…、寝ても覚めても眠りの日々を送っていました。

それが今ではどうでしょう?事態はなにも変わっておらず、むしろこうしてブログを書いている間にもネットの通信費が発生し、家賃が発生し、借金の限度額というタイムリミットはいよいよ目の前に迫ってきているというのにまったく気にならないのは、熱せられていく湯の中のカエルがもはや出るタイミングを失って茹で殺されるというあれではなく、意味のない駄文であれ曲がりなりにもおバカな頭を働かせてそれなりの長文を(読んだ人から「長すぎ。死ね」と言われる程度には長文を)書いたという圧倒的な自己満足感!それが錆びついた頭脳の疲労感と相まって何事か一端の本日の労働を果たしたとでもいうかのような錯覚を与えてくれるのでした。

おかげで今月を乗り切って今年を無事越せるかどうかもマジで怪しいところなのですが、ちゃんとそれを今のうちに確認しておこうなんて気にもなりません、なぜなら僕は今このブログ記事を書くことに忙しいからです。

この優先事項をねじ曲げて「重要なことをしている感」を与えてくれることは僕にはブログを書くこと以外にはありません。素晴らしい現実逃避です。圧倒的です。クズなのに自分が社会と一端のコミュニケーションを取ってつながっているかのような錯覚を与えてくれます。ワンダフルです。

まつたけのブログ、ありがとう!僕は君を始めて、いよいよ自己の破滅が確定的なものになったように思う。しかし、間近に迫った破滅こそは人の魂を狂ったように笑わせ、躍らせるのだ!さあ!躍ろう!最後の一秒まで共に歌い、躍ろう!破滅と絶望のデカダンスを! ―完―

はてな村ってなんだよ?

はてな村ってなんだよ?

はてな村ってなんだよ?

はてな村ってなんだよ?というめちゃくちゃいまさらなお話。はてな村って言葉が一番はてなだよ、っていうお話です。あとサードブロガーがどうしたとかこうしたとか、そういうのが好きな人たちで勝手にやってりゃいいだけなのに、そんなこと知らないし興味もない人間のことまで勝手にレッテルを貼ってきて怒られても困るし、ましてやうんこに粘着されたりするとキモいからやめてほしいな~っていう話です。

 

さっきブログを始めて今日で2ヶ月経ちましたって記事を投稿したばっかなんだけど、仮にもはてなブログでブログを始めて2ヶ月してからこんな話をするというのもマヌケな気がしつつ、人間素直が一番!と思い直してこの2ヶ月の間うすぼんやりと感じていた疑問について素直に書いてみることにしました☆〜(ゝ。∂)

はてな村のローカルルールを知らないという重罪

さて、ほんとにはてな村はおろかネット周りのことについて大変疎く、いわゆる情弱でなにも知らない僕は、大変無謀にもなにも知らないままここはてなブログでブログを始めてしまったのだった。

でもさすがにその後いろいろ書いたりそれに対してブコメでのリアクション?というのか、いろいろ言われているうちにいろいろわかってきたこともある。一言で言うと、歓迎されてない雰囲気というか、いや、別に歓迎してもらいたいとか歓迎してもらえると思ってたわけでもないからそれは別にいいんだけど、むしろ歓迎されないどころか積極的にこの虫けらを排除すべし!といった雰囲気を、もちろんみんながみんなではないなりに、濃厚に排出している人がたまにいるな、ということに気づくようになってきた。

で、そういう人たちってみんな僕からするとなにを言っているのかさっぱりわからないような言葉を使って批判、というかプンプン怒っているらしい。なにしろ言葉がわからないのでなにをそんなに怒っているのかも定かではないのだけど、別に僕は誰かも知らない人のことをプンプン怒らせることが趣味とかではないし、誰かも知らない人のことをプンプン怒らせようとしてブログを始めたわけでも記事を書いているわけでもないので、よくわからないながらに「申し訳ないなあ。。。」と大変申し訳ない気持ちになってしまうのだった。

その人たちの言っていることのなにがわからないかというと、まあ正直全体的になにをそんなに怒っているのかわからないことばっかりなんだけど、一番の疑問、というか謎は、どうやらはてなのローカルルール的なことらしい。そういったはてなのローカルルールみたいなものがいわば暗黙の了解としてあるらしいのだ(少なくともその人たちにとっては)。

もちろん僕が法令遵守の精神に則ってそれらのローカルルール及び暗黙の了解をきちんと守っていれば、そんなにそのオジサンたちもプンプン怒ったりせず、むしろニコニコと微笑みかけてくれたり案外気のいいやさしいオジサンたちなのかもしれない。

というかですね、繰り返しになるけど別に僕だって無法者気取りで「ヒャッハ~!何者も俺様を縛れやしねえのさぁ!」と叫びながら覚せい剤を静脈に注射しまくるような、そんな反社会的な人間ではないのである。信号無視はたまにしちゃう(※もちろん歩行者としてだよ、免許持ってないよ)けど銀行強盗とか痴漢とかオレオレ詐欺とかは今のところしたことないし、できればこれからもしたくないなあと思っている善良な一市民なのだ。

それなのにまさかそんな罪人でもあるかのような糾弾のされ方をするとは思っていなかった。はてなっていうのがそういうところだなんて知らなかったから。はてなブログを始めるときに、たしか利用規約とかもあったんだろうけど、僕ああいうの読むのめんどくさくて読まずにチェックしちゃうんだよね。もしかしてはてなブログの利用規約には書いてあったのかな?「これこれこういったことを書くと先住民族を激怒させてしまい、叩かれる」とかなんとか。こんなことならちゃんと読んどけばよかった。。。(☍﹏⁰)トホホ…

反抗的なやつでごめんね?σ(^┰゜)アッカンベ~

でもまあそれにしても、さすがに禁止されてるとかではないと思うので、別にそんなしてむきになって怒らなくてもいいんじゃないかなあって思う。あ!すごい!大発見しちゃった!ムキーってなって怒るからむきになる!?それとも逆!?思わぬ大発見をしてしまいびっくりした!!!!!

まあ世紀の大発見の話は置いといて、で、その怒り方っていうのも、僕が人道にもとるようなことを言ったとか、良識的に不謹慎な発言をしてしまったとか、社会秩序を乱すような言動をしてしまったとか、そういったことを指摘して叱責されるなら多分僕にも理解も反省もできると思うんだけど、そうじゃなくてそういう人たちの言ってることって要するに「はてなにふさわしくない」ってことを言っているらしく、場合によっては「だから出ていけ」、「早くやめろ」と言った文言が続く。

そこまで言われちゃうと、たしかにその「はてならしさ」のなんたるかもまだよくわかってない僕がはてなにふさわしくないというのはその通りかもしれないけど、「だからここから出ていけ」、「早くやめろ」というのは正直僕にはよくわからない、というか生意気で申し訳ないけどどうにも納得しかねるのだった。

そういう人たちからしたら僕や僕の書く文章が虫酸が走るほど嫌いらしいということはよくわかったけど、それならそれで「あ、こいつ嫌いだからもう読まないようにしよう」で終わりじゃなんでだめなの???

勝手にその人のメールアドレスに僕が毎日何件も「寂しぃ…」とか「会ぃたぃ…」とか迷惑メールみたいに送りつけてるというなら「もうやめろ!」と言って怒る気持ちはすごくよくわかるけど、そんなことしてないし、僕の知るかぎりブログってそういう仕組じゃないんじゃないかなあ???

それなのに「お前はまったく生意気でけしからん新参者で、はてならしさのなんたるかもわからぬ愚か者だからここを去れ!消えろ!」みたいなあまりに一方的な言い方をされると、僕もけっこう頑固なところのある人間だから、「僕さえいなくなればこの人たちは満足してくれるんだ・・・」なんて殊勝なことは少しも考えず、むしろ(まだなにか書くのが楽しいうちは)意地でも(っていうとさすがに大げさだけど)ここでやってやろう、という気がしてしまうのだった。

要するに自分がなにか悪いことをしているという自覚がない。みんなに好かれるわけがないこととか、むしろ僕なんてたくさんの人に嫌われることはわかるけど、だからってやめろとか消えろとか言われても、納得できないしむしろ「知らないよ~だ!あっかんべ~!σ(^┰゜)」くらいの反抗的な気持ちになってしまう。

 そもそもはてな村ってなんなのだ???いや、別にそんなに興味があるでもなく、そういうものがなんかネットのどこかにあって、はてな村民というのか、そういう人たちがそこでみんなで仲よく(あるいは仲悪くでもなんでもいいんだけど)やってます、というならそれはそれでまことにけっこうなことだと思うのだけど、はてなブログでブログを始めたからといって強制的にそのはてな村なる場所のローカルルールが発動、適用されるのはおかしいんじゃないのって思う。

いや、別にほんとに適用されてるわけではないんだけど、それにしてもなんか僕が悪いことをしてるみたいにめちゃくちゃ怒られるのはムカつくというより申し訳ないし、かと言って「ここから出ていけ!」とか「早く消えろ」みたいな一方的なことを言われると、ついムクムクと反抗心が湧き出してきてこういう記事を書きたくもなってしまうのだった。

f:id:denpanohikari:20131211094607j:plain

地域ブログより地域性の高いはてなブログ

生意気ついでに言わせてもらうけど、そういう人たちって心が狭すぎなんじゃないかしら?どうやらそういう人たちというのは頭がいい、というか、頭はそんなによくないみたいだけどお勉強はできる人たちなのかな?その上知識とか教養みたいなものに対する意識も大変お高くいらっしゃる。

そのこと自体はすごいなあとか素晴らしいなあって思うけど、みんながみんなそんなにお勉強ができて教養があって議論が大好きで意識が高いわけじゃないんだよ?そのはてな村とかいう場所が、そういうお勉強ができて教養があって議論が大好きで意識のお高い人たちが多いとか中心になっている場所だっていう空気はなんとなく察しているけど、だからってそうじゃない奴はここから出ていけっていうのは独善的だし偏屈だし狭量だし横暴だし頭が悪すぎるしおかしいんじゃないかな~。せっかくお勉強ができても教養があっても意識がお高くてもそんなんじゃ台無しだと思うけどな~。

僕はそういう人たちの意識の高さみたいなものをバカにしたり否定する気はないけど、それを人にまで押し付けてきて「それができないならここから出てけ」っていうのは、はてな村の自警団気取りなのか知らないけど、もはやただの暴力だと思うけどな~。まあ出てったりしないから関係ないしいいんだけど。あっかんべろべろば~!σ(^┰゜)(反抗的)

それともそういう人たちは別に自分たちのあまりに独善的で排他的な人間性の低さなんて気にしてなくて、とにかくそのはてな村とかいう閉鎖的な社会の中で地元の名士気取りででかい顔してられればそれで気持ちよくなっちゃってしあわせな人たちなのかな?おめでたくてうらやましいな~。

会員制の高級クラブとかってあるでしょ?僕はよく知らないけど。そういう会員になるのに何百万円とかお金を払ってて、そういう場所で気分よく飲んでるのに、僕みたいにお金も払えないみすぼらしい貧乏人が混じって飲んでたら、そりゃ「なんでお前みたいな奴がここにいるんだよ!早く出ていけ!」って言われて追い出されるのはわかるけど、はてなブログって別にそこまで明確な取り決めで「意識のお高い人しか使っちゃいけません」って決められてるわけじゃなかったと思うし、僕が利用規約を破った使い方をしているわけでもない。

「まつたけがごとき品位と教養にかけるキノコははてなに存在するにふさわしくないし、俺は絶対に認めん!」ってことくらいは人の意見だからいくら言われてもかまわないし勝手に言ってりゃいいと思うけど、「俺は認めない!だから出ていけ!消えろ!」とかそんな一方的なことを言われても、なんの権利があってそんなこと言われないといけないのかわからないし、かえって飽きるまでは絶対にやめてなんかあげないよーだ!あっかんべ~!σ(^┰゜)(4回目)・・・くらいの意地悪で反抗的な気持ちになってしまうのだった(大人げなくてごめんね☆)。

はてな村の次はサードブロガーがどうだとかこうだとか・・・とほほ・・・

それともあれかな?はてな村って言うからにははてな村の村長さんもいるのかな?そんでもしかして僕がそういうのもなんも知らないで当然挨拶もしてないから、それで「あの新参者、生意気だっぺよ!」っつって怒ってたりするのかな???でもってはてな村の村民たちに「あいつは村長であるオラに挨拶もしないけしからん奴じゃけえ、村八分にしてやるぞなもし!」みたいな指令を出してたりするのかな???ていうかはてな村ってどこ地方だよ!!!!方言統一しろよ!!!!!

まあはてな村の村長さんは知らないけど、はてなブロガーさんたちの間で横のつながりが大変強いらしく、仲良しこよしはいいんだけど、一部つるんでこそこそ陰口を叩いたり弱みを探したり、そういう粘着うんこみたいなキモい人たちもいるみたいなので、たまに好意的に接してくれる人がいても相手の迷惑になるのが嫌だから誰かと仲よくするのはあきらめた。

正直ブログを始めた当初はもし興味を持ってくれるような人がいたら仲よくできたらいいなあとかかわいいことを考えちゃったり楽しみにしちゃってたりもしたけど、その目論見にはわりと早い段階で挫折した。ほんと自分の考えもなく群れて右向きゃ右の奴ら気持ち悪い。身内びいきはともかく、身内でなければうちらの敵、みたいな感じで集団で敵視してくる連中とか昔から気持ち悪くて苦手すぎてつらい。

一応言っとくけど僕の言ってることって新参と古参の対立構造とか、自分が新参者だから古参の人に噛み付いてるとかじゃない。古参の人に関しては長く続けているってことはそれだけですごいことだと思うけど、古参だから偉いとか偉くないとかそういう意識は自分にはない。それより面白いか面白くないかとか、いい人か嫌な奴かとか、自分はそういう意識でしか人を見てない

だから古参だろうと新参だろうと、仲よくしてくれる人がいたら仲よくできればいいなあと思っていたけど、とてもそれどころではなかった。。。古参なのかはてな村の名士様なのか、そういった方には「貴様は品位あるわがはてな村の村民たるにふさわしくないゆえ今すぐここを立ち去れ!」と怒られ、そうかと思えば新参なのか、これも最近聞いた言葉で定義もよくわからんのだけど、はてなにはサードブロガーなる人たちがいるらしく、自分はそのサードブロガーとかいう人たちの代表気取りなのか、粘着うんこみたいな奴に「サードブロガーをまつたけなんかと一緒にしてほしくない」とかキーキー喚かれるし、もうほんと僕にははてなとかわけがわからないよ、とほほ。。。サードブロガー様がどれほどありがたき存在なのかしらんけど、そんな気持ち悪いこと喚いてる奴と一緒にされたくないってのはこっちのセリフだっての。。。

仲間意識は結構だけど、仲間じゃない奴は排除するみたいな奴らキモイ

ほんとにはてな村だのサードブロガーだの、自分がそこに所属していることに誇りを感じるのも満足感を覚えるのも気持ちよくなるのもその人たちの勝手だけど、お仲間にしてくださいなんて頼んだ覚えもないのに、こっちはこっちで勝手にやってるだけの人間に「お前は違う!一緒にされたくない!ここから出ていけ!」みたいな排他意識を一方的に剥き出しにされても、正直こっちも迷惑なんですよね~。。。

それともまわりはまわり、自分は自分の考えで、一人で好きなようにやってる人は排除されちゃう場所なんですかね~。僕もなんらかの派閥だか勢力だか傘下だかに加わって、敵対勢力だのはみ出し者のイレギュラーみたいな人たちのことを、仲良しこよしのお仲間のみなさんと一緒になって叩いたりしないと居場所を持てないような場所なんですかね~、はてなブログっていうのは。

まあ正直に思うところを言わせてもらうと、はてな村だのサードブロガーだのめちゃくちゃ気持ち悪い。自分のアイデンティティや所属意識がはてな村だろうがサードブロガーだろうが勝手にすればいいけど、そんなもの知らんがな、興味もないがなと思ってやってる人間のことまで自分たちの属している集団のローカルルールを持ち出してきて絡んでくる人たちが気持ち悪い。「関わりたくない」とか言うくせになにかと言及してくる粘着うんことかなにがしたいのかわからないしマジでキモい。こっちだって関わりたくなんてないんだから、ほっといてくれればいいのにな~

まあそんなわけで、なにをしてはてな村というのかいまだによくわからないのだけど、僕にとってはてな村なる場所は超魔界村よりはるかにおそろしい魔窟という認識を抱いているのだった。

・・・という話をしたかったからしただけで、実はそういう人たちにどうしてほしいとか別にそういう話でもない。というか、そういう人たちに「どうしてほしい」ということを伝えたところで、その人たちがはいそうですかとおとなしく僕の言い分を理解してくれたり聞いてくれるはずがないことくらいはわかる。

とりあえず書きたいことを書けたので満足。それ以上のことは最初から望まなければいいだけなんだろうな。よってこれからもわたくし書きたいことを書キマース!ソレガ言イタカッタダケデース!読ンデクレテ、サンキューデース!!!!(コレニテ、オシマイデース!☆)

宗教というビジネス

宗教というビジネスについて。

宗教というビジネス

宗教というビジネスについてなんか書いてみようと思います。きっかけは「あー暇だー」なんつって悶々としながら僕の唯一の趣味であるヤフーのホームページの更新ボタンを連打して暇をつぶす遊びをしていたところ、ふと「祈祷料1.8億円、腕時計に 愛知の寺に源泉漏れ指摘」というニュースが目に入ったことです。

 

坊主丸儲け

そのニュース自体は別にどうでもいいのです。ありふれたニュースです。源泉徴収漏れだのなんだのと書かれていますが、要するに坊主が脱税しようとしたということでしょう。いまどき893屋さんみたいな坊主なんて珍しくもないですよね。ベンツを乗り回して純金のチェーンのネックレスを大きく開けた胸元に見せびらかし、高級腕時計をつけて大威張りで歩いているスキンヘッドのいかつい男。。。「絶対あの人本職だ・・・」と思ってたらどっかのお寺の住職でしたって話も実際に聞いたことがあります。

で、そのニュースに関して読んだ人たちのリアクションを見てみると、まあ予想通りというか、「聖職者なのに嘆かわしい!」と言ったことが言われていました。

僕はというと、「聖職者なのに嘆かわしい!」とは実はまったく思いません。いや、脱税って言ったら悪いことですから、嘆かわしいは嘆かわしいんですけど、その嘆かわしさって医者だろうと八百屋さんだろうと坊主だろうと変わらないと思うんですよね。

むしろ偏見で申し訳ないのですが、僕の中で坊主ってまったくいいイメージがないので、お医者さんや八百屋さんが脱税しましたっていうよりもよっぽど坊主が脱税したって方が「ああ、いかにもクソ坊主らしいなあ」と思ってしまいます。

宗教を飯の種にしているというだけの人間を聖職者って呼ぶのやめようず

っていうかですね、そもそも神父だとか牧師だとか坊主だとか、宗教を飯の種にしているというだけの人間をもって聖職者だとすることに無理があると思うんですよね。こう言っちゃなんですけど、神父だろうと牧師だろうと坊主だろうと、昔からさんざん悪いことをやってきてるわけじゃないですか。もういい加減そうした職業だったりビジネスだったりを以って聖職者って言い方もやめたほうがいいんじゃないかなあと思ってたりします。

もちろん中には立派な人だっているんでしょうけど、その人がなんで立派かというと、別に聖職者だから立派だと言うんじゃなくて、人間的に立派な人がそういう仕事をしているだけだと思うのです。「職業に貴賎なし」などと言いながら、坊主丸儲けなんて言われている仕事を選んだだけの人間を、聖職者だのなんだのってそんな持ち上げてちやほやしてやる必要なんてないと思うのです。正直だから奴らがつけあがってやがる部分って絶対あると思うんですよね。

だから僕がその脱税坊主のニュースを読んだときの感想というのも、もう今さら坊主が悪いことしたからって特になんとも思わず、むしろ流用した分だけで1億8千万円も、坊主ってのはほんとクソ儲けてやがるんだなあ、ってことと、実は僕が嫌悪感を感じてしまう矛先はそんなにお布施だ祈祷料だと払っちゃう信徒たちだったりします。

あ、一応言っとくと僕は嫌儲とかではないです。むしろ嫌儲とか言って叩いてる人嫌いです。霞食って生きてやがるわけでもあるまいに、なにが嫌儲だよって思います。なんで、別に坊主がすごい稼いでるから許せないとかそういう話では全然ないです。

人が死ぬたび坊主どもを肥え太らせる日本のシステム

実は僕があんまり坊主をよく思ってないのは、僕自身以前かなり本気で出家を考えていたことがあるからだったりします。子供の頃から厭世観が強く、また虚無感や自殺念慮も強い人間だったので、十代になる頃には自分は高い確率で自殺するか、さもなくば残りの可能性はヤク中になって死ぬか、さらに残りのわずかながら生きる可能性があるとしたら、それは出家しかないと思っていました。

で、それくらい本気で考えていたもんで、後にいろいろ調べてみて坊主どもの腐敗ぶり、堕落ぶりを聞き知るにつけ絶望してしまったわけです。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いじゃありませんが、そういうわけで坊主のことは基本的にあんまり信用してないし好きじゃなかったりします。

しかし、それでもそもそもそんなに堕落してたり腐敗してるようなビジネスが、そんなに脱税を企むほど儲かっているわけですから、ある意味では堕落するには堕落する下地、腐敗するには腐敗する下地が整ってるわけですよね。それがつまり信徒たちのお布施であり、もっと言えばそんなに特別なことでもなく、むしろ現状誰もが当たり前みたいにお世話になってる葬式だの法事だのです。

別に宗教の堕落とか腐敗って今に始まったことじゃなくて、仏教でもキリスト教でも昔から腐ってたと思うんですけど、それでも続いてる、むしろ(儲けにおいて)隆盛を極めているってことが僕はある意味すごいなというか、正直お金を払う側に気持ち悪さみたいなものを感じてしまうのです。

いや、もちろんいくら僕がバカでも「しょうがないんだ」って言い分くらいはわかります。「別に俺らが熱心な仏教徒だったり何々宗の信者じゃなくても、親が亡くなったら葬式は出さないといけない」とか、それくらいのことはわかります。「好きでやってんじゃねえよ」って人のほうがむしろ多いだろうなってこともわかります。

ただ、「好きでやってんじゃねえよ」って人のほうが多いだろうにも関わらず、人が亡くなりました、坊主呼んで金払いましょう、ってそれが当たり前になっちゃってるこの国の文化というか、システム自体が気持ち悪いなあと思うのです。

僕自身もしかしたら将来的に親が死んだりしたら葬式のために坊主に金を払っていろいろお願いしないといけない日が来るのかもしれません。それを考えると本当に憂鬱です。逆に僕が先に死んだとして、葬式なんてあげてもらわなくて結構だし、坊主に供養なんてしてもらう必要もないのですが、そうはいっても世の中には体面とか世間体というものがあるので、かわいそうに僕の親だか親戚だかは形だけでも葬式をあげて坊主に金を払わないといけないのでしょう。

僕には納得ができません。「お前が納得するしないは関係なくて、世の中そういう仕組みになってんだよ!」ってことはわかるのですが、だから僕が納得できないと言っているのはそんなわけのわからん気持ち悪い仕組みが当たり前の世の中に納得がいかないのです。

そりゃ坊主が調子こく訳だよなあ。。。人間生きてりゃみんな死ぬんだもん、人が死ぬたび濡れ手に粟で懐に金が入ってくる坊主なんておいしいビジネスやめられるはずがないし、人が死ぬたび大喜びで稼ぎまくって、完全に人生の勝ち組だよなあ。。。


「ぼうず丸もうけ」のカラクリ

坊主なんかにうまい汁を吸わせない世の中になればいいのになあ

別に偉そうに人様に提言だのする気ないし、ていうか僕なんかが提言したところで何の意味もないことは知ってるからここからはただの僕の妄想なんですけど、いい加減21世紀にもなって葬式だなんだって坊主なんかに金払わなきゃいいのに

故人を偲ぶ人たちで集まって故人に別れを告げたり火葬だの供養だのすればいいだけで、故人と縁もゆかりもない坊主なんかに頼むことはなにもないと思うんですよね。あんな眠くなるだけの読経だなんだと聞かされたって、亡くなった人にはなんの関係もないし、生きて参加してる人たちが内心「あーめんどくせー」とか「早く帰りてー」って思うだけでほんといいことなんてなにもないと思うのです。

まあ信仰は自由なんで、なんとか教の熱心な信者のみなさんは勝手にそこの決まりで(他の人たちに迷惑をかけない範囲で)好きにすればいいと思うけど、別に普段「無宗教でござい」って人たちまで誰か亡くなったってそのたびにわざわざ坊主なんかに金をくれてやることなんてないのになあ。。。

実は僕自身は無宗教だけど宗教が本来であれば扱うべきようなテーマには興味があって、特に仏教は唐代の禅が大好きだったりするんですが、それって当たり前だけど本来生きている人間が生きている間に(興味があるのだとしたら)考えるべき話なのに、そこはまるで無関心にスルーして、人が死んでから坊主を呼んで適当に読経してもらえば無事供養した気になっている、あるいは供養なんてどうでもいいけどそれでようやく世間体に対する責任を果たしたことになる、って日本のしきたり、う~ん、なんだかなあ。。。って気がしてしまいます。

でもまあ僕なんかがなにを言ったところで、やっぱり宗教っていうのは強いんだなあ。。。2000年以上前からあって、そんでいまだにそれが滅びずに続いていて、お互いにいがみ合ったり殺しあったりしてるんだから、すごいよなあ。。。今の日本だと感覚的にキリスト教だのイスラム教だのみたいに殺し合いまでする感覚はないなりに、それでも人が死ぬたび当たり前みたいに坊主を必要として金を払ってるんだから、宗教ビジネスは強いよなあ。。。そりゃいつまでもクソ坊主どもがいなくならないわけだ。。。

まあ信者が金を払うのはファンがアイドルに金を払うようなもんだし好きにすりゃいいんですけど、人が死ぬたび当たり前みたいに葬式をあげて坊主を呼んで金払ってっていう世の中のしきたりだの、「信仰は自由」と言いつつも人が死んだら葬式あげて坊主に金払って下手くそな読経をあげてもらわないことにはバチ当たりだの不謹慎だの言われるのであろう世間の常識。言ってもしかたのないこととは百も千も承知ながら、つくづくそんな世の中嫌だな~というお話でした。おわり。

評価されることが目的になると人生はつまらない

評価されることが目的になると人生はつまらないという話。

評価されることが目的になると人生はつまらなくなってしまう

評価されることが目的になると人生はつまらないという話、を今からしてみようと思いますが、「評価されることが目的であってこそ人生は楽しいんだよ!」って人がいたらそれはそれでいいと思います。いきなり究極的なことを言ってしまえば、僕は楽しければ何でもいいと思っています。

 

ただできればそれが「自分は人に迷惑をかけたり人を嫌な気持ちにすることが楽しい」とかでなければいいなあとは思いますが、そういう僕の願望になんの意味が無いことも知っているので、結局自分にできることは精いっぱい自分が楽しいと思えるように考え、楽しいと思えるように生きることだけなんだと思います。

で、僕の場合は評価されることが目的になると人生がつまらなくなってしまうので、評価されることを目的にはしないようにしています、というお話です。

一応メンタルに強いとか弱いとかないという話を前提に、悪口を言われているのはあなたではない人をバカにしないことという記事とシリーズとして読めないこともない感じ(曖昧)なので興味のある方は合わせてお読みいただければ幸いにてごじゃいましゅ。

評価されることはとてもうれしい・・・が。

まあ「評価されることが目的になると人生がつまらなくなってしまう」なんて大げさな気がしてしまうかもしれませんが、これは僕が大げさな表現を好んでいるというだけのことなので、別に人生なんて長いスパンのことだけではなく、なんにしても評価されることが目的になるとつまらなくなってしまうというのが僕の考えです。

それはプロの人や職人さんのクオリティーの高い仕事に関してもそうだし、あるいはそれこそこういう自己満足で書いているだけのブログにしてもそうだと思っています。

まず、大前提として一応言っておくべきことは、「評価されることはめちゃくちゃうれしい」ということです。「評価されることがうれしくない、不快だ、嫌だ」という人がいたら多分僕には理解できないし、今のところそういう人を見たこともありません。評価されることは楽しいしうれしいのです。

たまに人様の承認欲求をバカにしたり嘲笑ってみせる人を見かけますが、僕には意味がわかりません。その人には承認欲求がなかったりするのでしょうか?そういう人は人様の承認欲求をバカにしたり嘲笑ってみせることで「人様の承認欲求をバカにしたり嘲笑ってみせる俺様かっこいい!人にできないことを平然とやってのけるッ!そこにシビれろ!憧れろォ~!」というように評価されたい、承認されたいと思っているだけなのではないでしょうか。


承認欲求―「認められたい」をどう活かすか?
 

まあしかし理解できない人の話をしても推測にしかならないので、ここからは自分自身の経験から話を進めたいと思います。卑近な例で誠に恐縮ではございますが、なにしろ自分自身の経験として卑近な例しか持っていないのでこのブログを例に挙げさせてもらいます。

評価されることを目的にすると好きだったことが作業になってしまう

日々誹謗中傷や罵詈雑言を降り止まないスコールのように浴びているこのへっぽこブログですが、大変ありがたいことに中には「面白いwww」とか「ワロタwwww」と言ってくれる方もいたりします。まあなんでみんな語尾に草を生やしていやがるのか多少気にならないこともないんですが、とはいえ笑ってもらえることは自分にとってなによりうれしい反応なので、かろうじて「評価してもらった」と言っても過言ではないのではないかと思います、っていうか話が進まないのでそういうことにしてください。

で、うれしいんですけど、「面白いwww」とか「ワロタwwww」とか、そういう風に言ってもらえること、評価してもらうことを目的にしてしまうと、ブログを書くこと自体はある意味でそのための作業になってしまうんですよね。僕はそれが嫌なんだと思います。

というのも、たまたま「面白いwww」とか「ワロタwwww」と言ってくれる人がいつもいてくれればいいですが、仮にそういう好意的・肯定的な評価がまったくなく、誰からもなんの反応も評価ももらえないとか、あるいは逆に「こいつマジで嫌い」とか「まだ生きてたのかよ、早く死ねよ」とか「キノコは森へ帰れ!」とか、まあ最後のは言われたことがなかったような気もしつつ、そういう否定的、というか露骨に人格を否定してくるような誹謗中傷ばかりされたとすると、多分めちゃくちゃへこんでしまうと思うんですよね。

そうなると当然ブログを書くモチベーションも萎えて中折れしてしまうのではないでしょうか。そうなるとさらに奥さんからは「なによ!情けないわね!甲斐性なしのだめ亭主!」なんて罵倒されてしまい、こんなことならもう結婚なんてするんじゃなかった・・・って話違うな、ブログなんて書くんじゃなかった、とほほ・・・といったことになってしまうんじゃないかなあと思うのです。

でもちょっと考えてみてほしいんですけど、そういう人たちにしてもそもそもブログを始めるとき「みんなに評価されてえ!チヤホヤされてえ!中折れするような古女房じゃなくて若い女の子たちにきゃーきゃー言われてえ!」と思っていたか、って話なんですよね。

いや、「もちろん俺は思ってたよ」って人がいたらそれはそれであっぱれだなって思うんですけど、多分普通の人ってそういうことを考えてブログなりなんなり始めるわけではないと思うのです。少なくとも僕自身はこのブログを始めるときそんなことは考えてませんでした。もしかしたらそれは単に僕には中折れするような古女房すらいないからかもしれませんが、多分そういうことではないと思います。

三行でまとめろカス」とか「長すぎ。死ね」と言ったお言葉を日々頂戴しつつ、それでも僕が三行でまとめたり死んだりもせずこんな冗長な文章を書いているのは、僕がこういう冗長な文章を書くのが好きだからです(素直に反省して三行でまとめたりおとなしく言うことを聞いて死んだりしないで本当にごめんなさい、許してニャン♡)。

評価は結果的についてきてくれたらうれしいもの、追い求めるものではない

いや、もちろんほかのブロガーさんが冗長な文章が書きたくてブログを始めたとは思ってないです、みなさんブロガーとしての意識の大変お高くいらっしゃる素晴らしい人たちばかりだと思うので、多分そんな頭の悪い理由でブログを書いているのは僕だけかもしれません。

が、もちろん話の要点はそこではなく、それにしたって最初から評価されることを目的に始めたわけではないんじゃないかなあ、ということです。多分ご自分なりの理由や動機があって始めたはずが、やっているうちに評価されるとうれしくなってしまい、いつの間にか評価されることが目的にすり替わってしまっていた、とかそういう感じなんじゃないかなあと勝手に推測している次第であります。

繰り返しになりますが、評価されることがうれしくないはずがないのです。むしろせっかく評価してもらったのなら大いにはしゃぎ、よろこぶべきです。僕なんて「面白いwww」とか「ワロタwwww」程度の評価でももらうたびに友人家族を呼んでロストジェネレーションもかくやというような豪勢なパーティーを開催し、開催したあとで友人がいなかったことを思い出してひとりぽつんと電気も付けずにだだっ広いパーティー会場の席に座り、冷めたピザと炭酸の抜けたシャンパンで乾杯をし、その後ひとり泣きながら後片付けをするのが日課になっているほどです(つらい)。

ただあくまでそれは結果的についてくるからうれしいものであって、最初からそれを目的にしてしまうと、かえって険しく心苦しい修羅の道に分け入ってしまうのではないかと思うのです。

分け入っても分け入っても修羅の道   ー種田三等兵[※誰?]

それに、少なくとも自分の場合、そうした修羅の道、冥府魔道に堕ちてしまったとして、「面白いwww」とか「ワロタwwww」とか言ってくれる人がいる程度のブログすら書けるかどうか疑問です。多分、現状多少なりと「面白いwww」とか「ワロタwwww」と言ってくれる人がいるのは、僕が「三行でまとめろカス」とか「長すぎ。死ね」とか、なかなかに激烈にして痛烈な悪評も甚だしい駄文を、自分が楽しんで好き好んで書いているからこそなんじゃないかと思うのです。

これが人から評価されることを目的にしていたら、およそ詳しくもないのに「必見!絶対入れないと損するiPhoneアプリ10選!【見なきゃ死ぬ】」とか、「超絶!呼吸法で人生に勝つ!自己の心身を支配し最終解脱へと至る法!【見なきゃポア】」とか、いろんな意味で完全にやばい感じのタイトルで煽りまくっただけの、中身はどこかから借りてきたような記事を量産しまくり、当然そんなものが誰からも評価されるはずもなく、意気消沈してブログを閉鎖、現実逃避の手段を失い、「しょうがない、いい加減無職が現実逃避するのはやめて、仕事でも探すか・・・」って思って今頃定職に就いているのではないでしょうか。・・・あれ?そっちのほうがよっぽどよくね???

評価を追うな、評価に追わせろ(ドヤァッ

僕のかつて男性が出産した例ほどに豊富な恋愛経験からひとつアドバイスさせてもらうなら、恋というのは追いかければ逃げられてしまうものです。そして不思議なことに、あえてそんなものには背中を向けて、自分の進みたい方向にまっしぐらに走り出すとき、かつてあんなにつれなかった恋のほうから自分を追いかけてくるものです(※情報商材『まつたけの最強恋愛マニュアル』47ページより ※販売部数2部にて絶版)。

評価されることが目的になると人生はつまらない。あくまで僕自身の個人的な話としてしましたが、もし今ブログでもなんでも、その他の自分が好きだったはずのことでもなんでも、つまらないと感じてしまっている人がいたら、いつの間にか評価されることを目的にしてしまってはいないか、始めた頃の初心を忘れてはいないか、あの頃のピュアな気持ち、暗くなるまで夢中で追いかけたボール、友の背中、甘酸っぱい初恋の思い出、初めてのキスは煮魚の味がしたこと・・・そういう美しい気持ちを忘れてしまっていないか、思い出してみてほしいのです(※一部絶対的な実体験の不足から例えに不適切な部分がございますがあらかじめご了承とご憐憫ください)。

評価は追いかけるものじゃない、評価のほうに自分の背中を追わせるのです。恋と言わず評価と言わず、追えば逃げられるのが人の世の常。むしろそんなものには背を向けて、自分の進みたい方向に全速力で突っ走ってみましょう。評価のほうで必ずあとからついてきます(多分、メイビー)。

もちろんこんないいことを言えちゃう僕にも評価がついてこないはずがないと思うんですよね。ただちょっと僕があまりに圧倒的に速すぎるせいでついてこれてないだけだと思うんです。・・・ったく、しょうがねえなあ・・・、どこかで僕を見失って迷子になってやしないか、心配だからちょっと後戻りして様子を見てきてやるかな・・・?

それくらいの勢いと虚勢でお互い涙を拭いて自分を信じてがんばりましょう。私からは以上です。