評価されることが目的になると人生はつまらない
評価されることが目的になると人生はつまらないという話。
評価されることが目的になると人生はつまらなくなってしまう
評価されることが目的になると人生はつまらないという話、を今からしてみようと思いますが、「評価されることが目的であってこそ人生は楽しいんだよ!」って人がいたらそれはそれでいいと思います。いきなり究極的なことを言ってしまえば、僕は楽しければ何でもいいと思っています。
ただできればそれが「自分は人に迷惑をかけたり人を嫌な気持ちにすることが楽しい」とかでなければいいなあとは思いますが、そういう僕の願望になんの意味が無いことも知っているので、結局自分にできることは精いっぱい自分が楽しいと思えるように考え、楽しいと思えるように生きることだけなんだと思います。
で、僕の場合は評価されることが目的になると人生がつまらなくなってしまうので、評価されることを目的にはしないようにしています、というお話です。
一応メンタルに強いとか弱いとかないという話を前提に、悪口を言われているのはあなたではない、人をバカにしないことという記事とシリーズとして読めないこともない感じ(曖昧)なので興味のある方は合わせてお読みいただければ幸いにてごじゃいましゅ。
評価されることはとてもうれしい・・・が。
まあ「評価されることが目的になると人生がつまらなくなってしまう」なんて大げさな気がしてしまうかもしれませんが、これは僕が大げさな表現を好んでいるというだけのことなので、別に人生なんて長いスパンのことだけではなく、なんにしても評価されることが目的になるとつまらなくなってしまうというのが僕の考えです。
それはプロの人や職人さんのクオリティーの高い仕事に関してもそうだし、あるいはそれこそこういう自己満足で書いているだけのブログにしてもそうだと思っています。
まず、大前提として一応言っておくべきことは、「評価されることはめちゃくちゃうれしい」ということです。「評価されることがうれしくない、不快だ、嫌だ」という人がいたら多分僕には理解できないし、今のところそういう人を見たこともありません。評価されることは楽しいしうれしいのです。
たまに人様の承認欲求をバカにしたり嘲笑ってみせる人を見かけますが、僕には意味がわかりません。その人には承認欲求がなかったりするのでしょうか?そういう人は人様の承認欲求をバカにしたり嘲笑ってみせることで「人様の承認欲求をバカにしたり嘲笑ってみせる俺様かっこいい!人にできないことを平然とやってのけるッ!そこにシビれろ!憧れろォ~!」というように評価されたい、承認されたいと思っているだけなのではないでしょうか。
まあしかし理解できない人の話をしても推測にしかならないので、ここからは自分自身の経験から話を進めたいと思います。卑近な例で誠に恐縮ではございますが、なにしろ自分自身の経験として卑近な例しか持っていないのでこのブログを例に挙げさせてもらいます。
評価されることを目的にすると好きだったことが作業になってしまう
日々誹謗中傷や罵詈雑言を降り止まないスコールのように浴びているこのへっぽこブログですが、大変ありがたいことに中には「面白いwww」とか「ワロタwwww」と言ってくれる方もいたりします。まあなんでみんな語尾に草を生やしていやがるのか多少気にならないこともないんですが、とはいえ笑ってもらえることは自分にとってなによりうれしい反応なので、かろうじて「評価してもらった」と言っても過言ではないのではないかと思います、っていうか話が進まないのでそういうことにしてください。
で、うれしいんですけど、「面白いwww」とか「ワロタwwww」とか、そういう風に言ってもらえること、評価してもらうことを目的にしてしまうと、ブログを書くこと自体はある意味でそのための作業になってしまうんですよね。僕はそれが嫌なんだと思います。
というのも、たまたま「面白いwww」とか「ワロタwwww」と言ってくれる人がいつもいてくれればいいですが、仮にそういう好意的・肯定的な評価がまったくなく、誰からもなんの反応も評価ももらえないとか、あるいは逆に「こいつマジで嫌い」とか「まだ生きてたのかよ、早く死ねよ」とか「キノコは森へ帰れ!」とか、まあ最後のは言われたことがなかったような気もしつつ、そういう否定的、というか露骨に人格を否定してくるような誹謗中傷ばかりされたとすると、多分めちゃくちゃへこんでしまうと思うんですよね。
そうなると当然ブログを書くモチベーションも萎えて中折れしてしまうのではないでしょうか。そうなるとさらに奥さんからは「なによ!情けないわね!甲斐性なしのだめ亭主!」なんて罵倒されてしまい、こんなことならもう結婚なんてするんじゃなかった・・・って話違うな、ブログなんて書くんじゃなかった、とほほ・・・といったことになってしまうんじゃないかなあと思うのです。
でもちょっと考えてみてほしいんですけど、そういう人たちにしてもそもそもブログを始めるとき「みんなに評価されてえ!チヤホヤされてえ!中折れするような古女房じゃなくて若い女の子たちにきゃーきゃー言われてえ!」と思っていたか、って話なんですよね。
いや、「もちろん俺は思ってたよ」って人がいたらそれはそれであっぱれだなって思うんですけど、多分普通の人ってそういうことを考えてブログなりなんなり始めるわけではないと思うのです。少なくとも僕自身はこのブログを始めるときそんなことは考えてませんでした。もしかしたらそれは単に僕には中折れするような古女房すらいないからかもしれませんが、多分そういうことではないと思います。
「三行でまとめろカス」とか「長すぎ。死ね」と言ったお言葉を日々頂戴しつつ、それでも僕が三行でまとめたり死んだりもせずこんな冗長な文章を書いているのは、僕がこういう冗長な文章を書くのが好きだからです(素直に反省して三行でまとめたりおとなしく言うことを聞いて死んだりしないで本当にごめんなさい、許してニャン♡)。
評価は結果的についてきてくれたらうれしいもの、追い求めるものではない
いや、もちろんほかのブロガーさんが冗長な文章が書きたくてブログを始めたとは思ってないです、みなさんブロガーとしての意識の大変お高くいらっしゃる素晴らしい人たちばかりだと思うので、多分そんな頭の悪い理由でブログを書いているのは僕だけかもしれません。
が、もちろん話の要点はそこではなく、それにしたって最初から評価されることを目的に始めたわけではないんじゃないかなあ、ということです。多分ご自分なりの理由や動機があって始めたはずが、やっているうちに評価されるとうれしくなってしまい、いつの間にか評価されることが目的にすり替わってしまっていた、とかそういう感じなんじゃないかなあと勝手に推測している次第であります。
繰り返しになりますが、評価されることがうれしくないはずがないのです。むしろせっかく評価してもらったのなら大いにはしゃぎ、よろこぶべきです。僕なんて「面白いwww」とか「ワロタwwww」程度の評価でももらうたびに友人家族を呼んでロストジェネレーションもかくやというような豪勢なパーティーを開催し、開催したあとで友人がいなかったことを思い出してひとりぽつんと電気も付けずにだだっ広いパーティー会場の席に座り、冷めたピザと炭酸の抜けたシャンパンで乾杯をし、その後ひとり泣きながら後片付けをするのが日課になっているほどです(つらい)。
ただあくまでそれは結果的についてくるからうれしいものであって、最初からそれを目的にしてしまうと、かえって険しく心苦しい修羅の道に分け入ってしまうのではないかと思うのです。
分け入っても分け入っても修羅の道 ー種田三等兵[※誰?]
それに、少なくとも自分の場合、そうした修羅の道、冥府魔道に堕ちてしまったとして、「面白いwww」とか「ワロタwwww」とか言ってくれる人がいる程度のブログすら書けるかどうか疑問です。多分、現状多少なりと「面白いwww」とか「ワロタwwww」と言ってくれる人がいるのは、僕が「三行でまとめろカス」とか「長すぎ。死ね」とか、なかなかに激烈にして痛烈な悪評も甚だしい駄文を、自分が楽しんで好き好んで書いているからこそなんじゃないかと思うのです。
これが人から評価されることを目的にしていたら、およそ詳しくもないのに「必見!絶対入れないと損するiPhoneアプリ10選!【見なきゃ死ぬ】」とか、「超絶!呼吸法で人生に勝つ!自己の心身を支配し最終解脱へと至る法!【見なきゃポア】」とか、いろんな意味で完全にやばい感じのタイトルで煽りまくっただけの、中身はどこかから借りてきたような記事を量産しまくり、当然そんなものが誰からも評価されるはずもなく、意気消沈してブログを閉鎖、現実逃避の手段を失い、「しょうがない、いい加減無職が現実逃避するのはやめて、仕事でも探すか・・・」って思って今頃定職に就いているのではないでしょうか。・・・あれ?そっちのほうがよっぽどよくね???
評価を追うな、評価に追わせろ(ドヤァッ
僕のかつて男性が出産した例ほどに豊富な恋愛経験からひとつアドバイスさせてもらうなら、恋というのは追いかければ逃げられてしまうものです。そして不思議なことに、あえてそんなものには背中を向けて、自分の進みたい方向にまっしぐらに走り出すとき、かつてあんなにつれなかった恋のほうから自分を追いかけてくるものです(※情報商材『まつたけの最強恋愛マニュアル』47ページより ※販売部数2部にて絶版)。
評価されることが目的になると人生はつまらない。あくまで僕自身の個人的な話としてしましたが、もし今ブログでもなんでも、その他の自分が好きだったはずのことでもなんでも、つまらないと感じてしまっている人がいたら、いつの間にか評価されることを目的にしてしまってはいないか、始めた頃の初心を忘れてはいないか、あの頃のピュアな気持ち、暗くなるまで夢中で追いかけたボール、友の背中、甘酸っぱい初恋の思い出、初めてのキスは煮魚の味がしたこと・・・そういう美しい気持ちを忘れてしまっていないか、思い出してみてほしいのです(※一部絶対的な実体験の不足から例えに不適切な部分がございますがあらかじめご了承とご憐憫ください)。
評価は追いかけるものじゃない、評価のほうに自分の背中を追わせるのです。恋と言わず評価と言わず、追えば逃げられるのが人の世の常。むしろそんなものには背を向けて、自分の進みたい方向に全速力で突っ走ってみましょう。評価のほうで必ずあとからついてきます(多分、メイビー)。
もちろんこんないいことを言えちゃう僕にも評価がついてこないはずがないと思うんですよね。ただちょっと僕があまりに圧倒的に速すぎるせいでついてこれてないだけだと思うんです。・・・ったく、しょうがねえなあ・・・、どこかで僕を見失って迷子になってやしないか、心配だからちょっと後戻りして様子を見てきてやるかな・・・?
それくらいの勢いと虚勢でお互い涙を拭いて自分を信じてがんばりましょう。私からは以上です。