まつたけのブログ

世界の片隅で愛を避ける孤独なキノコの魂の叫びを聞け!…聞いてください(◞‸◟)猫とマンガとアニメと嵐をこよなく愛するまつたけによるまつたけのブログ

嫌な奴は損だと思う

嫌な奴は損だと思う。

嫌な奴は損

嫌な奴は損だと思う。でも別にだからと言って「僕って損だなー」って思うって話ではない。なぜなら僕はそもそも嫌な奴ではないからだ。嫌な奴相手には嫌な奴になってしまうけど、基本的には意外に気の好いナイスガイだ。いや、ごめんそれは嘘だ、でもとにかく嫌な奴に対してでなければそんなに嫌な奴ではない。けっこういい人です

 

まあいい。…なんでいきなり自己弁護から入ってるんだ?それ自体あなたが本当は人から嫌われているということを示しているのではないですか?…って誰だお前は!心の中の声うるさいぞ!

僕の話はともかく、嫌な奴は損だと思う。もちろんこれは「正直者が馬鹿を見る」とか「いい人は損だと思う」みたいな逆説的な意見ではないので、勧善懲悪とは言わないまでも、ものすごく因果応報自業自得ってだけの当たり前の話なんだけど。

嫌な奴は敵ばかり増えて味方されない

嫌な奴がなぜ損かというと、味方がいなかったり、あまりにも嫌な奴だと敵ばかりが増えていくからだ。もちろん本人の人間性とはまるで無関係なところで勝手に好かれたり嫌われたり、一方的に敵対視されたりといったことはある。でもそれは多分なにをするにも言うにも避けられない面がある。つまりは考えてもしょうがない。

でもそうでない部分で、つまりコントローラブルな部分で嫌な奴だと、普通に考えて嫌われるし、少なくとも好かれないし、なにかあったとき味方してあげたいとは思われないような気がする。

自分が周りから持ち上げられて調子に乗っているときはいい。いや、よくはないんだけど、本人は周りから持ち上げられて気持ちよくなっちゃってるから、ひたすら調子こいて俺はすごい、私ってすごいと全能感に酔いしれながら悦に浸る。そのくらいならいい。かわいいもんだとも思う。

でもそこで止まらずに、調子こいて「俺(私)はすごい、でもお前はゴミだ、あいつもクソだ」と言ってわざわざ本来関係ないはずの他人のことまでくさし始めたりしたら、そりゃ悪く言われた人たちやその関係者、あるいはまったく関係なんてなくてもそういうのが嫌いな人は、嫌な気持ちになってもしかたがない

そうなると、その人になにかあったとき、突風のような向かい風が吹いたとき、嫌な気持ちになった人はその人に対して敵対したり向かい風に加わることこそあれ、かばってあげようとか味方してあげようというふうにはなかなかなれないんじゃないかと思う。

少なくとも僕自身はそうです。器の小さい話で大変恥ずかしいのだけど、僕はいきなり知らない人からボロクソに悪口を言われたり、嘘八百な誹謗中傷をされたり、あるいは僕の好きな人についてそういうことをされたりしたら、すごく嫌な気持ちになる。嫌な気持ちになるし、嫌いになる。

というか、お前関係ねえだろと言われればそれまでのような自分にはまったく関係のない他人事だとしても、調子こいて人のことを悪く言ったり根も葉もない誹謗中傷をしていい気になっているような人たちのことを見ると、嫌だなって思うし正直嫌いになってしまう。


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 画像はホリエモンこと堀江貴文さんの「人生論」。なんでこの画像を選んだのかについては特に他意はございません。ちなみに僕は堀江貴文さん昔からすごい好きです。

嫌な奴より好きな人の味方をしたくなるのが人情

そもそも自分にとって関係のない相手であれば、そいつが調子こいてどんな目にあっても関係ないんだから、面白がって騒ぎを大きくしてやろうとか自分も悪口を言ってやろうとは思わないまでも、やっぱりかばってあげようとか味方してあげたいというふうにはならない。自業自得だなって思う。

仮に渦中のそいつが、まったく罪のないことで不当に貶められているとしても(火のないところに煙は立たぬって言うけど)、やっぱり自分には関係ないから正直興味本位で傍観してしまう。

これが自分の好きな人だったら、個人的に関係があろうとなかろうと、僕が一方的にこの人はやさしくていい人だなって思っているだけみたいな関係でも、その人になにかあったら少しでもなにか自分に力になれないかって思う。

その人が誤解されたり曲解されているだけならその誤解や曲解を解きたいと思うし、不当に悪く言われているならそれは不当だと言ってかばうし、味方をするって言うとなんか気持ち悪くて嫌いなんだけど、自然な気持ちとして好きな人の力になれるものならなりたいと思う。

仮にその人が明らかに悪い、完全に調子こきすぎてたって場合でも、その人が反省してたりへこんでたり謝ってきたり頼ってきたりされたら、「そりゃあなたが悪かったでしょ」ってことは言ってしまいつつも、本人も反省してるんだからあんまりいじめないであげてほしいくらいのかばい方はしたいし、慰めたり励ましたりするくらいのことは自分に可能な範囲でしたいと思う。

それって明らかに差別なんだけど、相手のことを好きか嫌いかで露骨に差別してしまっているんだけど、それってしょうがないこと、っていうか死ぬほど当たり前のことだと思う。好きか嫌いかで相手への対応のしかたが違う、差別してしまうのは人間の自然な人情なんじゃないかと思う。

よくも悪くも人生は因果応報、自業自得

好きか嫌いかで扱いが変わるなんて公平性を欠くといえばそうなんだけど、好きと嫌いとその時点ですでに致命的に価値判断が分かれているのに、同じように公平に扱いましょうなんてそれこそ不自然だしある意味よっぽど公平性を欠く気がする。

いや、別に「俺は相手が好きな奴だろうと嫌いな奴だろうと常に公平に接している」って人がいたらそれはそれで立派なのかなって思うけど、少なくともみんながみんなそうではないし、むしろそんな人は圧倒的に少数だと思う。

だとすると、嫌な奴って損だなー、不当に損なんじゃなくて、正当に損だなーって思うのだ。常日頃から調子こいて無関係な人のことまで手当たり次第にくさしまくってたら、そりゃ自分が調子こきすぎて(あるいはそうじゃなくても)なにかあったときに、バカにしたり見下してた人たちからここぞとばかりに噛み付かれはしても、味方はされないよなーって思う。

もちろん普段から嫌な奴なんかじゃなくても、なにかあったときなにかあった人のことを叩いたり貶めたりするのが好きで好きでしょうがないという人も世の中にはたくさんいるので、嫌な奴どころかみんなに好かれるような人であっても、叩かれるときは叩かれてしまうんだけど、それにしてもそういう人なら味方してくれる人もいるだろうし、その人が本当は悪くないならそれをちゃんとわかってくれる人も必ずいると思う。

僕もできれば、理想を言えば、嫌な奴らに対してもいい人でありたい、とは言わないまでも、他の人たちに対して持っているのと同じような親愛の気持ちややさしさのようなものを持てればいいんだけど、人間ができていないのでなかなかそんなふうにはいかない。

「そりゃ人の悪口ばっかり言ってたらそうなるよ」とか、「そりゃ嘘ついて人の誹謗中傷ばっかりしてたらそうなるよ」って冷たく思ってしまう。嫌な奴相手でもそんなに冷たいことを思ったりしたくないし、嫌な奴相手にももうちょっとやさしくなれたらいいなって思うけど、やっぱり自然な人の気持ちとして嫌な奴に対してはそうじゃない人たちに対して持っているみたいな感情はなかなか持てないのが人情だと思う。というかさっきからやたらに人情を言い訳にしなくても少なくとも僕はそうです。恥ずかしながら。もっと器の大きい人間になりたいでごわす。

嫌な奴は自分で自分の人生をハードモードにしている

くれぐれも勘違いされたくないんだけど、別に家では女房子供を殴っても外へ出たら人にペコペコしていい顔をしろとか、善人ぶれとか、そういう話ではまったくない。そりゃみんな違う人間なので自分の信じるところが他の誰かとぶつかって嫌われたりケンカになることもあるかも知れない。というかケンカはともかく誰にも嫌われない生き方なんて誰にもできないと思う。それがだめだとは僕はまったく思わない。

でも調子こいてわざわざ自分から関係もない人に一方的に悪口を言ったり罵詈雑言を浴びせたり、事実を故意に歪めた誹謗や中傷を繰り返したりしていれば、本来不必要に敵をつくってしまうのは当たり前のことだ。

そんなことをしても自分がいい気になれるくらいしか意味も必要もメリットもないのに、それでもそうやって調子こいて本来不必要に人の悪口を言ったり貶したりするのは、わざわざ敵を増やして自分で自分の人生をハードモードにしているようなものだと思う。

喧嘩上等、常在戦場の覚悟であえてハードモード、修羅モードの人生を楽しみたいという生まれついての悪鬼羅刹や阿修羅のような人でもないかぎり、ケンカを売られたでもない人に自分から絡んでいって唾を吐いたり殴りかかるような真似はどう考えても頭がおかしいし、少なくともそれでも人を貶していい気になりたいなら自分で自分の人生をハードモードにしていることの自覚くらいは持っておいたほうがいいと思う。

この文章がどれほど長くなってもなんの発展性もなく徹頭徹尾「嫌な奴は損だと思う」という記事タイトルを繰り返し連呼するだけだということにいい加減自分でも気づいたのでもうやめるけど、最後にどうしてもこれだけは言っておきたい。

嫌な奴は損だと思う

嫌な奴は損だと思う。大切なことなので2度言いました。結論が出たところで(最初から出てた)おしまいです。シーユーアゲインネクストタイムバイバイ!