爆音のメロデスをかけながら出家しようと思った話
秋なので秋らしく物思いに耽ったりしてみるかと思ったけど、なんか僕がやってもイメージしてるみたいな物憂げでアンニュイな雰囲気とか、「線の細いはかなげな印象の中にも秘めたる憂いが危うげなセクシーさを感じさせて云々」・・・みたいにならない。
ただただひたすら根暗のキノコが重苦しい沈鬱な雰囲気を漂わせながら、頭を抱えて苦悩することしかできないのだった(暗い!暗いよ!)
というわけで秋晴れの空のような涼やかな記事を書こうと目論んだものの結局今日も重く垂れこめた曇天のように暗い記事を書く(嫌だなあ・・・もっと爽やかな人になりたい・・・( ;∀;))。
Tell me true 何処に行けば苦しみを愛せる?(※画像は苦悩するまつたけのイメージ図)
昨日批判厨のバカや「批判には謙虚に耳を傾けろ教」の信者共がキモい件という記事を書いた。書いた後で「バカをゴキブリ呼ばわりだのしてしまい、いくらなんでも少々コケにし過ぎてしまったのではないか?」、「ゴキブリを撃退するつもりがかえってゴキブリ共を刺激してしまい、自分が不快なことになるのではないか?」という不安が多少はあったが、その不安は当たらなかった。思っていた以上にゴキブリの反撃にダメージを負わされたからだ(一言で言うと疲れた)。
まあそりゃわれながらあまりにもひどい文章なので、「これはひどい」とか「最低だ」とか、まあそういうリアクションはあるだろうなーと思っていたのだけど、コメントでもらったのは
今回の記事は残念です。とてもしあわせになりたい人の書いた気持ちとは思えません。でも応援しています。
というもので、僕はもうなんか完全に人間というものに絶望したのだった。これが
今回の記事は残念です。がっかりしました。もう二度と読みません。さようなら
ということなら僕もものすごくいい笑顔で手を振ることができたのだが、応援って‥‥(ちょっと一回吐いてくる)。
一体何様のつもりなのだろう?どこの誰かも知らないが、どこの誰に権利があって「しあわせになりたい人の気持ちとは思えない」なんて言われないといけないのだろう?僕は僕なりに言葉を(過剰なくらいに)尽くしてこういうものの言い方をする人間が一番嫌いだ、関わらないでくれということを言ったつもりだったんだけど、そいつの言葉は「応援しています」で結ばれていたのだった(・・・これがもし嫌がらせのつもりでわざと言ってるんだったらほんと大したもんだわ、完全に降参だわ・・・)。
僕がしあわせになろうとなれまいとそれは100%僕の責任だ。僕はそれを誰に任せる気もないし、誰のせいにもしない。お前が僕をしあわせにするわけじゃないし、もしかしたら誰かのお陰でしあわせになることもあるかもしれないけど、でもそれはお前じゃない。お前なんかじゃ絶対にない。僕はどうしようもないゴミなりにしあわせになりたいってことは必死で考えてる。気に食わないなら「気に食わない」でいいのに、お前みたいなゴキブリにそんなことまで言われたくない。誰だか知らないけど大きなお世話だし、そんな心ないことを言う奴に応援とかされたくもないし「応援」とか言われるだけ気持ち悪いから関わらないでほしい。・・・ってことを昨日の記事で書いたつもりだったんだけど、それでもそういうことを言ってくるってことは、やっぱりわからないってことなんだろう。悲しいことだ。
悪意はこわい。悪意は悲しい。でも世の中は悪意で満ちあふれているし、僕からして自分に悪意を向けられたら悪意を全開にして対抗してしまう。でも僕が一番気色悪いと思うのは、本人は「善意の人間」のつもりでいる奴らの悪意だ。自分は「相手のためを思って言ってやってる」つもり。「善意」のつもり。でもそれを向けられた相手が感じるのは全身を蝕まれるような醜悪でどす黒い悪意でしかない。昨日は久しぶりにそれを向けられてなんかいろいろと考えさせられたのだった。
そいつは「誰に向けて書かれているのかもわかりません」と言っていたが、僕からしたら正直に答えると「お前みたいなゴキブリに向けてだよ」ということになってしまう。でも僕の目的はそういうゴキブリに徹底的に嫌われ、関わってこられることを避けることだったはずなのに、結果的にむしろゴキブリホイホイになってしまった、というのは非常に有益な(つまり手痛い)教訓だった。
僕は本当は嫌なのだった。あんまり好きじゃないのだった。「嫌なものは嫌だ」と言いたいのだった。好きなものは好きだし、こういうところが好きだってことを言いたい。嫌なものは嫌だし、こういう奴は嫌いだってことを言いたいのだった。
そういう態度は一般に「幼稚」だと言われる。「大人になれよwwwwwwww」とかなんとか。はぁー嫌だ嫌だ、僕はもう口を揃えてそういうことを言う奴らからしてもう嫌で嫌でしかたがないのだった。
いくら僕がバカだって、自分が黙って無視をしてれば一番楽なことくらいわかっている。こんなふうに記事にしてわざわざ書いたりしないで、シカトしてるのが一番楽だってことくらいわかっている。むしろこんなことを書いて公にしてしまうから、また招かなくてもいいよけいなゴキブリを招き入れるゴキブリホイホイになってしまうということもわかっている。それにも関わらず、なんかそういうの嫌なんだよなあ、と思ってしまうのが多分僕がそんじょそこいらのバカとはレベルの違う大馬鹿なところなんだろう。
どいつもこいつも口をそろえたみたいに、さもそれだけが唯一の正解みたいに「スルーしろよ」って言うのが前々から気持ち悪かった。そういう考えの人がいてもいい。でも「俺は嫌だ」って言う奴がいたらだめなんだろうか?少なくとも僕は嫌なことは嫌だって言いたい。嫌いな奴のことは嫌いだって言いたい。こういうことされるのは嫌だって言いたい。自分でも頭を抱えたくなるくらいバカだなあって思うけど、誰もそんなことを言う(幼稚でバカな)人がいないから、僕くらいはバカで幼稚なままでいて、それを見て誰か一人でも「ああ、嫌なことは嫌だって言ってもいいんだ」って思ってくれたらいいな、とかそんなことまで考えてしまうのだった(バカだwwww)。
でもせっかく自分が楽しくやりたくて始めたブログなのに、キモい奴らのキモいコメントで埋め尽くされたりするのは本当に嫌なので、そうはならないように考えないといけないなーって思った。
相手を変えることはできない。どんなことがあっても、絶対に。仮に1000匹に1匹くらい変えられたとしたって、残り999匹に一斉に群がられたらもう僕は恐怖と嫌悪感で発狂死してしまう。
だから僕がゴキブリ対策を変えるしかない。ゴキブリを嫌うがゆえにゴキブリホイホイを設置することは、かえってゴキブリを招くことにしかならないのだ。一撃必殺の水性コックローチの至近距離からの噴射も、たまに見つけた場合はやむを得ないが、999匹に一斉に群がられてしまったら意味がない。完全にアウトだ。つまり、僕は全面的に間違っていたことを認めざるをえない。
そして僕はついに(というかようやく)僕なりの正解だと言える答えへとたどりついたのだった。それは、「ゴキブリが寄り付かないように家をきれいにしておくこと」。ゴキブリに食い物にされるようなエサが最初からなければゴキブリは寄ってこないのだ。僕はゴキブリを激しく憎むあまりに自分からゴキブリを殺すための毒のエサやゴキブリホイホイを設置してゴキブリを招き入れてしまっていたのだった。まったくなんてことだ、クレイジーだ。オーマイ裸足のガッデスだ(?)。
ということで、この記事自体めちゃくちゃゴキブリホイホイになってしまっているんだけど、まあせっかく書いてしまったことだし気づきを書き残しておくことで自分への戒めにするという意味で公開しておこう。これが最後のゴキブリホイホイ記事になればいいなあ。
これからは己の雑然とした思考や心をこそ清めるべく、修道僧のようにストイックに、エレガントに、犀の角のようにただ独り粛々と歩もう(スッタニパータ)。そうだ、敵は己の中にこそいる!ENEMY WITHINだ!よし、久しぶりにArch Enemyを聴こう!‥‥というわけで、ストイックかつエレガントに生きていくことを決めた僕は手始めに爆音のメロデスをかけながら狂ったように頭を振って髪を振り乱すのだった。おしまい。