尾崎豊の命日なので好きな曲を選んでみた
今日4月25日は不世出の天才アーティスト、尾崎豊さんの命日です。
亡くなったのが1992年の4月25日なのでもう22年が経つんですね。
当時はまだ子供だったしそういう人がいることや亡くなったことも知りませんでしたがだいぶ後になってから尾崎豊さんの遺した歌が大好きになりました。
そこで今日は名曲だらけ(特に10代の頃の作品なんてほとんど全部が神曲)の尾崎豊さんの曲の中からなんとか特別好きな曲だけを歯を食いしばり血の涙を流しながら断腸の思いで選んでみました!(当初きりがいいので10曲だけに絞ろうかと思ったけどこんなにいい曲だらけなのにたった10曲とか無理すぎて死にそうになったのでやめました)。
いつものことですが完全に自分だけのベストアルバムをつくる気持ちで、僕の独断と偏見だけで選んでいるので『卒業』とか『15の夜』、『誕生』といった尾崎豊の代名詞的な曲が入ってなかったりしますがあらかじめご了承くださいませ。
4月25日は尾崎豊の命日なので好きな曲を選んでみた
尾崎豊さんはわずか26歳の若さでいまだに謎の残る死因で亡くなってしまうわけですが、こんなこと言うと怒られそうだけど僕みたいな人間からすると、アーティストっていうのは生きてる間にこれだけすごいものを遺せたらもう何歳まで生きたとか何歳で死んだとかほんと関係ねえよなーって思ってしまいます。
さらに言うと、尾崎さんの天才の絶頂期って10代で終わっていると思うのです(あくまで僕の印象なのであまり怒る人がいないといいなーと思うのですが)。
それっていうのは別に尾崎豊さんの価値を少しもおとしめるものじゃないし、むしろわずか10代のうちに『十七歳の地図』、『回帰線』、『壊れた扉から』という奇跡的な傑作アルバムを3枚も遺したということは、本当に考えられないくらいすごすぎることだし、すでに20代になってしまっていた僕が深い尊敬とともに何度絶望させられたかわかりません。
まあ尾崎豊みたいな天才の中の天才みたいな人間と自分を比べたり絶望したりするだけおこがましいんですけどね(さすがに彼の享年を越えたあたりでもう完全にあきらめてなにも感じなくなりました)。
まあなにが言いたいかって言うと、それくらい尾崎さんが10代の間にリリースした3枚のアルバムは人類史上にも稀有な天才の仕事ってことです(すごいことを言えば言うほどドン引きされるパターン)。
まあ尾崎豊みたいな人は死後20年以上経ってるいまだに熱狂的なファンもいれば、いまだに口を極めて悪く言われることもある人なので、別に僕は興味のない人に聴いてほしいとは思いませんが、特に嫌悪感などを持っていない人には10代三部作のアルバムは聴いてみたらいいんじゃないかなーと思います。本当に純粋に素晴らしいと思いますので。
前置きが長くなってしまいましたが、それくらい僕にとって尾崎さん10代の頃の3枚のアルバムは宝石みたいに特別なものなので、そこからの選出がメインになっています。
もっと言うと、実はそれ以降の尾崎豊を聴いていると正直僕はいろんな意味でつらくなってきてしまいます。なので普段ほとんどまったく聴きません。例外的に20代の尾崎さんの曲でも好きな曲を申し訳程度に3曲だけ選んでみました。
ですがまずは記念すべき尾崎豊のファーストアルバム、『十七歳の地図』から選んでみました!
尾崎豊のファーストアルバム『十七歳の地図』から好きな曲
いきなりまだ十代の無名の新人のデビューアルバムですからセールス的には伸び悩んだものの、音楽評論家たちから絶賛をもって迎えられた尾崎豊のファーストアルバム、『十七歳の地図』。
わずか10曲だけの短いアルバムですが、1曲ずつが珠玉の名曲といった感じでうっかりこの中から5曲選んでしまいました。
曲もちょっと考えられないレベルでめちゃくちゃ素晴らしいんですけど、なんといっても尾崎豊の歌唱力・・・というよりとにかく美しい声と繊細な表現力が最高です(この数年後には不摂生がたたったのかこの頃の美声というのは失われてしまうので、そういう意味でもこの頃の音源は本当に永遠の宝です)。
街の風景
『十七歳の地図』一曲目の曲なんですが、イントロからいきなり素晴らしすぎの名曲です。
尾崎さんの曲はもちろん曲も本当に素晴らしいんですが、歌詞が本当に特殊なんですよね。歌の歌詞っていうより、ほんとに詩を書いてそれを歌にのせただけという印象を受けます。
たしか吉本隆明さんがどこかで尾崎豊のことを評して「言葉の人として評価されてもいいのではないか」みたいなことを言っていたような記憶がおぼろげにあるのですが、そんな信憑性のない僕の記憶はともかく、歌詞も本当に素晴らしいです。
またこの頃の曲は2枚目の『回帰線』ほど露骨にロックを意識していない感じ、かといってそれまでの歌謡曲とも一線を画す曲の雰囲気がなんとも言えず絶妙に好きです。僕が尾崎さんのベストアルバムをつくるなら『街の風景』は絶対に入れたいです。
I LOVE YOU
尾崎豊は聴いたことがないという人でも『I LOVE YOU』を聴いたことがないという人はいないんじゃないでしょうか。かく言う僕も尾崎さんの曲をぜんぜん聴いたことない頃からこの曲だけは知っていたしいい曲だなーと思っていました。
逆に尾崎さんの熱烈なファンになってしまうと、尾崎豊といえば『I LOVE YOU』みたいな感じが不満になってしまう人もいるようですが、そうはいってもやっぱり名曲は名曲です。神がかった名曲です。
前に尾崎さんの近くにいた誰だかの本を読んでいて、後年尾崎さんがピアノで『I LOVE YOU』を弾き語って「僕はいまだにこの曲を超える曲を書けないんです」みたいなことを言って苦悩していたみたいな話を読んだことがあるような気がします。
本人にしてみたら本当に苦しかったんだろうなーと思う反面、僕みたいな人間からするとなんて贅沢な苦悩だよと思ってしまいます。
でもまあしょうがないですよね。『I LOVE YOU』みたいな曲って、本人の努力とか苦心って関係なくて、どっかから降りてくる感じなのかなーって気もします。もちろん特別な才能のある人にしか降りてくるはずもないんですけど。
とにかく尾崎豊さんの『I LOVE YOU』は奇跡的な名曲なのでございます
十七歳の地図
『十七歳の地図』のアルバムタイトル曲です。この曲もめちゃくちゃ好きなんですよね。
一昔かふた昔ほど前、17歳の人間が次々に事件を起こして問題になっていた時代がありましたが、たしかに17歳って高二病って言葉もあるくらいで、ちょうど中二病と呼ばれる14歳のあたりでも特別な変化があるように、その辺りでもなにかあるのかもしれません。
電車の中 押しあう人の背中にいくつものドラマを感じて
親の背中にひたむきさを感じて このごろふと涙こぼした
半分大人のSeventeen's map
って歌詞があるんですけど、ちょうど少年期が終わる頃なのかもしれません。
無軌道にバカやってるような若い人間の、でもほんとはそんなに単純じゃないしなにも考えてないわけじゃないっていう繊細な内面描写と、だけどまっすぐで屈託がなくて、「どんな生き方になるにしても自分を捨てやしないよ」、「しがらみのこの街だから強く生きなきゃと思うんだ」って歌えてしまう純粋さが本当に美しいと思います。
僕みたいに多分いくつになっても永遠に精神年齢が十代のまま止まっているような人間には特別訴えるものがあるのかもしれません。本当に大好きな曲です。
OH MY LITTLE GIRL
『I LOVE YOU』はどこかわけありげで、そしてそれゆえにたまらないような切なさや美しさを湛えたラブバラードなわけですけど、『OH MY LITTLE GIRL』はひたすら無邪気で甘い、若い人間の愛をストレートに歌った曲です。
こういうある種の未熟さみたいなものもそのままさらけ出して歌えてしまうことに、ひねくれた人は僻みや嫉妬を覚えたりしてしまうのかもしれないなーなんてことはちらっと思います。
僕が僕であるために
これもめちゃくちゃ名曲で大好きな曲です。全体的にとても明るくてポジティブな雰囲気の曲なんですけど、「僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない」っていう歌詞は、「僕、本当に勝てるかな?」が最期の言葉だったという尾崎豊さんの運命を最期まで暗示しているようで僕なんかは聴いていて少し胸が痛くなったりもします。
僕なんかは「勝ち続けたりしなくても、負けてしまうことがあっても、あなたはあなたなんだよ」って言ってリングにタオルを投げ入れて「もういいんだ!」って言いながら抱きしめたくなってしまったりするんですけど(大きなお世話)、でもきっと尾崎さんにとってはそうじゃなかったんだろうなってことも思います。
勝ち続けなくちゃ、尾崎豊は尾崎豊じゃいられなかったのかもしれません。少なくとも自分自身でそう思えなければ、俺は俺ではいられなくなってしまう、という恐怖や不安、焦りがいつも尾崎豊の中にはあったんだろうなーって思うと複雑な気持ちになります。
でもそういう痛々しい感情もないまぜにして大好きな曲です。透明で純粋な詩情と、胸に秘めた自負と(たとえそれが焦りや不安の裏返しでしかなくても)。ある意味では一番尾崎豊らしい曲かもしれないと思います。
尾崎豊のセカンドアルバム『回帰線』から好きな曲
尾崎豊のセカンドアルバム『回帰線』からは4曲を選んでみました。
『回帰線』は僕の印象だと、よくも悪くも一番尾崎豊の青臭さを全開にしたアルバムだと思います。っていうか十代で出したアルバムなんだから、そもそもいろいろな質のレベルで青臭くなるのが本来当たり前なんですよね。
その意味ではファーストアルバムの『十七歳の地図』の洗練された完成度が本当に天才としかいえない異常なことだったわけですが、その点『回帰線』は無邪気なくらいに(ときに稚拙なくらいに)ロックンロールへのリスペクトを剥き出しにして、未完成さすらそのままぶつけていく感じがとてもよいと思います(そういう意味では『十七歳の地図』がセールス的には振るわなかったこともよかったのかなと思ったりもします)。
ただそのことの功罪というのか、先行シングルとして発売されてヒットを記録した『卒業』の歌詞のイメージというのが、正直いまだに尾崎豊を悪い意味で語るものになってしまっている風潮は確実にあると思います。これがけっこう嫌ですね。
僕は高校生の頃、大嫌いだったオールドミスな感じの担任のババアが、『15の夜』や『卒業』の歌詞を持ち出して「尾崎豊は卑怯である」といったことを言っていたのですが、尾崎豊が実際に卑怯であったかどうかはともかく(僕は当然卑怯な部分もあっただろうと思っていますが)、その論拠として『15の夜』や『卒業』の歌詞を持ち出してくるという論法は、卑怯なのはてめえだろうが、って思ってしまうんですよね。
でもはっきり言って尾崎さんに関してはそういう論法で批判したり否定したりする人がやたらに多い気がします。嫌いなら嫌いで別にそれでいいんじゃねえかな、なんでいちいち理屈になってない理屈をくっつけて、もっともらしい批判をした気になっていい気にならずにはいられないんだろう?馬鹿なのかな?って思ってしまうことがよくあります。
まあいいや。それはともかくですね、実は僕も尾崎豊の十代の3枚のアルバムの中では一番『回帰線』を聴く機会が少なかったりします。単純に好みの問題からですが。とはいえ外せない曲もたくさんあるわけで、紹介させていただきます。
Scrambling Rock'n'Roll
僕の趣味的には特に尾崎豊を語る上で外せない曲というほどではないんですが、『十七歳の地図』でも『ハイスクールRock'n'Roll』という曲を歌っているくらいですから、尾崎さんはよっぽどロックンロールが好きだったのであろうな、ということで義理で(?)一曲選んでおきました。
自由になりたくないかい
熱くなりたくはないかい
自由になりたくないかい
思う様に生きたくはないかい
自由っていったいなんだい
どうすりゃ自由になるかい
自由っていったいなんだい
君は思う様に生きているかい
って思いっきりドストレートに問いかけてくる歌詞がまたすごい。いかにも昨今の小難しいロックを聴いている自称音楽通みたいな人たちが顔をしかめてつばを吐きそうなレベル。
でも僕は逆にここまでドストレートな歌詞って案外書けそうで書けない、そして書けてもそれを歌って世に問おうとは思えないと思うんですよね。なんで、別に皮肉とかでなしにそれを実際に発表して世に問える勇気ってことも含めて僕はすごいと思います。
若い尾崎豊の胸からそのままストレートにほとばしり出たような歌詞、曲、歌、三拍子揃っててなんだかんだで大好きだったりします(まあ続く『Bow!』の歌詞とともに、これだけまっすぐに反抗心をぶつけられたら、そりゃ世の「大人」たちには嫌われるよなーってことも重々承知しつつ)。
ダンスホール
尾崎豊のデビュー前に書かれており、ソニーでのオーディションの際にも歌った曲。そりゃ最近問題になってるゴーストライター問題の先駆け(?)にもなりますわなってレベルに老成さえ感じさせる名曲。
とはいうものの、僕はやっぱりその老成感さえ必死に背伸びして演出されてるだけだと思いますけどね。それって少しも僕にとっては悪いことじゃなくて、むしろ青臭さの本質ってそういうことなんじゃないかって思うんですよね。
好きな曲かと聞かれたら尾崎さんの曲の中では実は大したことなかったりする()んですけど、いい曲だと思います。
存在
その点文句なく大好きなのが『存在』です。この曲にしてもそりゃあもう、これでもかってくらい青臭いんですが。
受け止めよう 目まいすらする 街の影の中
さあもう一度 愛や誠心で立ち向かって行かなければ
受け止めよう 自分らしさに うちのめれされても
あるがままを受け止めながら 目に映るもの全てを愛したい
ただこういうよくも悪くも純粋で無邪気な理想主義、僕はほんとに心の底から大好きなんですよね。こういうこと言ってるやつほど現実との間のギャップや葛藤に苦しむことは明らかなんですが。
それでも自分の信じる理想を歌わずにはいられないところに僕は表現者の本懐があるんじゃないかなーと思います(←生意気すぎ)。
そこへいくと実はミスチルの桜井和寿さんなんかは、似たようなことを歌っていてもそれを露骨に剥き出しにしないで、上手におしゃれげな歌詞の中にカモフラージュしていてうまいな~、ずるいな~、憎いな~って思ったりします(僕はミスチルも大好きだしこれは悪口とかではなく)。
尾崎豊とミスチル桜井和寿の似ているようで違うパーソナリティについては別に記事にしました。
シェリー
出ました、ご存知(じゃない人もたくさんいるかもだけど)『シェリー』でございます。
たしか尾崎豊さんのお兄さんはこの曲が一番好きだって言ってたような。たしかに、これでもかってくらいに人間尾崎豊を剥き出しにして歌い上げている曲ですからね。尾崎ファンであんまりこの曲は好きじゃないって人はいない気がします。
シェリー 見知らぬところで 人に出会ったらどうすりゃいいかい
シェリー 俺ははぐれ者だから おまえみたいにうまく笑えやしない
シェリー 俺はうまく歌えているか
俺はうまく笑えているか
俺の笑顔は卑屈じゃないかい
俺は誤解されていはいないかい
俺はまだ馬鹿と呼ばれているか
俺はまだまだ恨まれているか
俺に愛される資格はあるか
俺は決してまちがっていないか
俺は真実へと歩いているかい
シェリー いつになれば 俺は這い上がれるだろう
シェリー どこに行けば 俺はたどりつけるだろう
シェリー 俺は歌う 愛すべきものすべてに
この歌詞はやばい。なにがやばいって、もうボーダーラインパーソナリティディスオーダー節全開やないか!ってくらい剥き出しすぎて、実は僕なんかは逆にシェリーは痛すぎてたまにしか聴く気になれなかったりします。
とはいえそこまで胸が痛くなってしまうことも含めて本当にいい曲だなーと思います。尾崎豊の曲から何曲か選ぶっていったらやっぱり外せない曲ですね。
尾崎豊のサードアルバム『壊れた扉から』から好きな曲
やっとたどり着きました、サードアルバム『壊れた扉から』!なにをかくそうわたくし、大好きな尾崎豊さんのアルバムの中でも『壊れた扉から』が特別に大好きなのであります!
強行スケジュールで制作され、ぎりぎり尾崎豊20歳の誕生日の前日に発売された尾崎豊十代最後のアルバムなんですが、これがもう、本当にアルバム一枚を通して尋常ではない、神がかった傑作なのであります。
尾崎さんの熱狂的なファンの方がいたらあまり怒らずに聞いてほしいんですけど、個人的にはこの『壊れた扉から』が尾崎豊の頂点だと思います。
っていうかですね、このアルバム以降の作品の質を云々するとかではなく、単純にこんな神がかったアルバム、普通どんなアーティストだってただの1枚だって残せないよ、って僕は思うのですね。それくらい個人的にはドンピシャな一枚なのです。
「十代の自身の総括的な意味合いのアルバムであり、内容的には1枚目から飛躍的な進歩はない」、みたいなことを言っている評論家とかもいるみたいですけど、僕には信じられないです。
『十七歳の地図』も『回帰線』も、十代の人間のアルバムとしては十分すぎるくらい早熟な才能を遺憾なく発揮した傑作だったのに、この『壊れた扉から』に至ってはもうなにが起こった(神でも降りてきたのか?)ってレベルで曲も歌詞も異常なレベルに完成度が高いです。
最初から最後まで名曲しかないし、いちいち完成度が高くて本当に素晴らしいので、この中から何曲かだけ選んでっていうのがそもそもバカバカしく思えてしまうくらいなんですけど、一応今回はあえてということで、特別好きな曲だけを選んでみました。
路上のルール
大好きな尾崎豊さんの曲の中でも5本の指に入るってくらい好きな曲です。テンションの高いイントロが流れた瞬間に好きすぎて全身の血液が沸騰するレベルで好きです。
いったいどんなふうに生きれば十代でこんな歌詞が書けるんだ、いや、十代とか関係なく、どうすりゃこんな歌詞が書けるんだってレベルに歌詞がすごすぎます。
意地悪な人は「ゴーストライターが~」とか「シャブをやって~」とか言うのかもしれませんが、仮に百万歩譲って不世出の天才詩人のゴーストライターが自分は世に出ることもなく、シャブをキメて(?)書いたんだとしても、それでもこんな歌詞が書けるなら立派なもんだと誉めてあげたいです(※薬はダメ、絶対!)。
歌詞も曲も尾崎さんの歌も、完全に三位一体で素晴らしい、大好きな曲なのであります。
Driving All Night
これもまためっちゃ好きな曲。っていうか『壊れた扉から』は全曲好きな曲ばっかなんですけど、その中からしいて選んでいるので当然のように全部特別好きな曲なんですが。
ただ同じ『壊れた扉から』の中の『Freeze Moon』が『回帰線』までの未熟さを(よくも悪くも)色濃く残したロックナンバーなのに対し、『Driving All Night』はかなり都会的で洗練された印象のロックなんですね。
で、最初に聴いたときものすごく懐かしいなにかを感じて、ちょっと考えてすぐわかったんですけど、この感じは僕も大好きなビリー・ジョエルなんですよね(さらに細かく言えばかの名曲『Honesty』の入ってる『ニューヨーク52番街』ってアルバムの中の『Half A Mile Away』って曲の印象を強く感じる)。
で、絶対尾崎さんもビリー・ジョエル好きだろ!って思って興奮してたんですけど、いまだに間違いないと思ってます。ジャクソン・ブラウンとかブルース・スプリングスティーンの影響をよく言われますけど、少なくとも『壊れた扉から』に関するかぎりそれ以上に(一時期の)ビリー・ジョエルの感じなんですよ。
・・・まあそんなこれまで誰に話してもわかってもらえなかった感覚をここで熱弁振るっても多分誰にもわかってもらえないと思うし別にいいんですけど、そんなどうでもいい信憑性もない薀蓄はともかく、すごくいい曲なのです。
街角の白い街燈が とても優しかった
敗けないでってささやく あの娘のように見えた
見あきた街を通りぬけて 寂しい川の上を走った
追い抜いたトラックの向うに 闇に埋もれた日常が見える
あの頃 わけもなく笑えた 俺の友達は
みんなこの橋を 死物狂いで走った
歌詞いいなあ~・・・。
一発録りでレコーディングされた尾崎さんのボーカルもめっちゃかっこよくて最高です。
ドーナツ・ショップ
『Driving All Night』から怒涛の3曲連続で『壊れた扉から』は終わるんですけど、続く『ドーナツ・ショップ』と『誰かのクラクション』は、完成度の高い『壊れた扉から』の中でもさらに極めつけに完成度の高い名曲です。
『I LOVE YOU』や『路上のルール』も大好きなんですけど、同格かそれ以上に『ドーナツ・ショップ』と『誰かのクラクション』も好きです。事と次第によっては僕の中で尾崎豊の好きな曲ランキングを無理やりにでもつくったら『ドーナツ・ショップ』と『誰かのクラクション』がそれぞれ2位と1位かも知れません。それくらい好きです。
いったいどうすればこんな素敵すぎる曲を書けるんだろう・・・。曲と歌詞と歌と、3つが渾然一体としてこれ以外にありえないってレベルで調和しているのがこの頃の尾崎豊だと思ってるんですけど、中でもそのピークが『ドーナツ・ショップ』と『誰かのクラクション』だと思います。
歌詞とか引用しだしたら最初から最後まで全部引用するしかありません。これだけの完成度のものを残してしまったら、そりゃもうそれからの方向性も何もかも見失ってしまうよな、って思わずにはいられません。
そしてそれを思うとやはり(大きなお世話でしかないってことはわかっていても)尾崎豊って人のことが少しだけ可哀想だなって思ってしまったりもします。
まあそんなこと言ってもしょうがないんですけど、要はそれくらい本当に素晴らしいよってことです。アウトロの尾崎さんの語りも印象深くて素敵です。
誰かのクラクション
もうすでにだいぶ語っちゃいましたが、『ドーナツ・ショップ』から続けて『誰かのクラクション』です。尾崎豊十代最後のアルバムのラストナンバーですね。まさにそういう意味では総括といえば総括なわけですが、あまりにも怖いくらいの完成度に、尾崎豊にとっての袋小路にもなってしまったのかなって個人的には思ってたりします。
本当に素晴らしい曲です。
尾崎豊20代以降の曲の中から好きな曲を選んでみた
すいません、尾崎豊十代の3枚のアルバムが好きすぎて、すでに9000字超書いていることに気づいたんですけど、一応それ以降の曲からも変な話例外的に好きな曲を3曲だけ選んでサクッと紹介して終わりにしますね。
遠い空
覚醒剤取締法違反によって逮捕、活動休止からの再開第1作として発売されたシングル『太陽の破片』のカップリング曲。
個人的な印象で言うと、なんというかこの頃すでにもうどうしようもなく痛々しくなってしまった尾崎さんが、必死に自分の原点に帰ろうと祈るようにつくった曲のような気がします。
どこか空々しいくらいに明るい曲調と切ない歌詞に悲しくなってしまったりもしつつ、個人的に大好きな曲だったりします。
ロザーナ
2枚組のアルバム『誕生』から、ほとんど唯一大好きでいまだに聴きたくなる曲です。
これがほんとに数年前まで『OH MY LITTLE GIRL』みたいな無邪気なラブソングを歌っていた人間なのかよってくらい(まあ人生ってそういうもんなんですけど)、ボロボロに傷ついた人間の別れを歌った曲です。
すごく痛いのに、自虐的な痛々しさとかではなく、その中で必死に意味や光を探そうとしてもがく姿が僕のような青臭い人間にはドンピシャに美しすぎて大好きな曲です。
男も女も失恋に深く傷ついた際にはぜひカラオケで尾崎豊のロザーナを熱唱しながらぼろぼろ号泣して泣き崩れてしまえばいいと思いますよ!(無責任なアドバイス)
汚れた絆
尾崎豊の生前最後のシングル曲。オリジナルのラストアルバムとなってしまった『放熱の証』からシングルカットもされたファーストナンバー。
信頼と絆、裏切りを歌ったこの曲にしてもそうなんですが、歌詞カードにエピグラフとして置かれた「生きること。それは日々を告白してゆくことだろう」の言葉、そして『放熱の証』というアルバムタイトル自体がもうどうしようもなく意味深すぎます。
この曲は誰のことを歌ったのかということについてはいろいろ言われていて、中には「あの曲は俺のことを歌ったんだ」って言ってる人の本を読んだこともあります。
でもまあ少なくとも僕にとってはそんなことはどうでもよくて、尾崎さんが26歳の若さで夭逝してしまったことについて「惜しい人をなくした」とか「もったいない」とかじゃなくて、ただただ「お疲れ様でした」しか言えないなって思うような曲です。
明るいロックな曲に乗せて、歌われている歌詞は
誰もが皆 一人じゃいられず
二人で分け合うことすらできない
とか悲しすぎるでしょ。
今は汚れた絆も なにも変わらず信じている
俺たちの輝き奪われぬように
とか、そりゃ無茶でしょ。って思ってしまいます。理想主義もここまでくるとひたすら苦しいだけですからね。まさに放熱の証としか言えません。
はぁ~、しかしそれにしても『放熱の証』の歌詞カードの尾崎さんの写真がどれもこれもかっこよすぎるなー。曲も歌詞も声も歌も最高に素晴らしくて、おまけにイケメンってどういうことだよ・・・。って思って白目になりかけたりもするけど、まあ本当にたまにそういう人もいるってことなんでしょうね。
その辺りも含めて、尾崎豊って人は最初から最期まで、もうそうあることしかできなかったんだろうなって思います。
あ、結局気づいたらとっくに1万字超えてた。もうさんざん尾崎豊愛を語った気がするので(どうせ語り尽くすなんてできないんだし)、そろそろ終わりにしようと思います。
僕は今日は1日中尾崎さんを聴いて過ごす予定です。もしこれを読んで興味を持った人がいたら、ぜひ(特に『壊れた扉から』、できれば十代のアルバムは3枚とも)尾崎豊さんを聴いてみてください。もしかしたら特別な出会いになるかもしれませんよ~!ではまた。