この世のすべてはネタである ブログのすすめ
「この世のすべてはネタである」的なブログのすすめ。
「この世のすべてはネタ」と思えるようになるためのブログのすすめ
先ほど舌打ちやため息で他人のことまでイライラさせる人たちという記事を書いて投稿しました。今日スーパーに買物に行ってタイムセールの行列に並んだ際、後ろに並んだおっさんが終始舌打ちをしまくっていてうざかったので、それをきっかけにブログのネタにして書きました。
舌打ちこそしなくても行列に並ぶというのは基本的に楽しいことではないのでイライラする気持ちはわかりますし、ましてやそんなとき後ろに並んだおっさんが自分だけがムカついてると言わんばかりの態度で舌打ちを延々されていたら、ただでさえいらいらしているところに火種を投げ込まれたようなもので、少し前までの僕なら振り返って「うるせーんだよ」と言っていたと思います(そうなったら最悪おっさんともめてせっかくそこまでして並んだタイムセールの卵を買えなくなっていたかもしれません)。
でもそうはならずにおとなしく行列に並び続け、無事タイムセールの卵を買うことができました。なぜか?少し前までの僕と今の自分となにが違うのか?まさかこいつ(僕)は短期間で大きな心境の変化があって人間的に成長したとでも言う気なのでしょうか?
「あ、それかっこいいな!」って思ったのでそういう設定にしようかとも思ったのですが、やはり人間正直が一番、もったいぶらずに嘘もつかずに答えを言うと、少し前までの僕と今の自分で違うことが一つだけあります、ブログを始めたことです。
ブログを始めてこの世のすべてをネタ化する
ブログを始めたおかげで、たとえば今日の行列でのおっさんの舌打ちのような、以前であれば不愉快になったりムカついたりしていたであろう状況になっても、「あ、これ今日帰ったらブログに書こう」と考えられるようになりました。なにかあってもこれも単なるネタであると思えればそれだけでだいぶ気分が違います。
あいぽんやすまーとぽんを持っている人であれば、その場で
「後ろのおっさんが舌打ちうるせー。。。俺にケンカを売っているのか?」
「次に後ろのおっさんが舌打ちしたら。。。さすがの俺でも我慢できる自信がない(笑)」
「まあ自慢するわけじゃないけど俺は子供の頃から空手を習いかった。あとPRIDEとか好きで見てたし、今でもたまにボクシング中継は見たりする。。。あんまり俺のこと怒らせないほうがいいと思うけど?」
「舌打ちがうるさかった後ろのおっさん、俺が睨みつけてやったら目逸らしてびびってやがんのwwwwwwwwwwwwwwwだせえwwwwwwwwwwww」
・・・みたいな虚言臭漂うツイートを撒き散らすこともできますが、やはりツイートは所詮140字なので本当にその場その時の気晴らしにしかなりません。長丁場になった場合、延々嘘くさいツイートを垂れ流して時間をつぶすのは生まれながらの虚言症でもないかぎり少し無理があります。
しかしこれがツイッターではなくブログに書こうということになると、その瞬間から頭の中はこのネタをブログにどんなふうに書こうかということでいっぱいになります。こうなればしめたもの、もはや行列も後ろのおっさんの舌打ちもまったく気になりません。
ネタとして対象化できれば悲しみや苦しみは軽減する
よくも悪くも人はその人の頭の中で生きています。僕たちはひとつの同じ世界を生きているつもりでいますが、実際には人の数だけ世界があります。どんなに素晴らしい人たちや物事に囲まれていても、頭の中で嫌いな人のことや嫌なことばかり考えていたのではその人は悲惨な世界に生きていることになります。地獄です。
逆に、嫌なことや悲しいこと、つらいことや苦しいことがあっても、頭の中を楽しいことや好きな人のことでいっぱいにしておけばいつでもハッピー・・・とそううまくいけばいいのですが、なかなか実際に嫌なことや不愉快なことがあったときにハッピーなことを考えるというのは難しいものがあります。
そんなとき無理して好きなことやハッピーなことを考えようとするのではなく、その嫌なことやムカついたことなどを、全部ブログのネタだと捉えるとだいぶ世界の見え方が変わってきます。
悲しみや苦しいことの渦中にいるとなかなかその問題の実際の大きさというものを冷静に把握することができません。悲嘆や不幸の感覚に圧倒されてその苦しみがいつまでも続くように思ってしまうことさえあります。
でもそこで「これもただのネタである」という視点を持てたなら、いわば悲しみや苛立ち、苦しみの渦中を抜け出してそれをネタとして対象化できたなら、その時点ですでにその悲しみやムカつき、苦しみなどはだいぶ軽減しているはずです。
言ってみれば不幸というのは自分が悲劇の主人公になりきってしまっている状態です。悲劇の主人公、悲劇のヒロインになりきってしまうと、もう世界がその色に染まってしまいます。そうなると当然考えることも悲観的になり、絶望的な結論しか見つけることができません。
でもここで観客席にいる自分という視点を持てればどうでしょう。もちろん悲劇であることは変わらなくても絶望に圧倒されたりはしません。これはお芝居(ネタ)であるということの理解があるからです。いや、場合によっては本人だけが悲劇だと思い込んでいるだけの喜劇だったということすらあるかもしれません。
もちろんいつもこんなに理屈の通りにうまくいくとはかぎりません。ネタだなんて思えないような根深い問題やトラウマを持っている人もいるかもしれません。でも最初からこの世のすべて、自分の人生のすべてをネタだと思いなそうとする必要はありません。
それこそ日常生活の中でのちょっとしたムカつきだったりちょっとした寂しさだったり、その程度のことでもネタとして対象化できればだいぶ違うと思います。それまでは不愉快でしかなかったことの中に、ある種の面白さやおかしさ、諧謔味を見つけられるようになることは、生きていく上で意外なくらい大きな意味を持っていると思います。
読まれる可能性を想定した方が嫌なことでも対象化しやすい
・・・しかしまさか自分でもこんな話になるとは。。。最初はぼんやりとブログを始めると自然と世界に対して興味を持つことができるようになるし、ちょっとくらい嫌なことがあってもそれもただのブログのネタだと思えばだいぶ気分も楽になるよ、ブログおすすめだよ!くらいの話のつもりだったのですが、まあこれもブログの醍醐味ということでひとつよろしくお願いします(何を?)
もちろんいつもこの世のすべてはネタであるなどと達観できるわけではないし、人間そこまで悟りきれるものなのかはわかりません。
また理屈としてはすべてのことはネタとして対象化することができても、様々な事情でそのすべてを実際にネタとしてブログに書けるわけでもありません。悔しい思いや嫌な思いをしても諸事情によりネタに出来ないことや書けないことなんかももちろんたくさんあります。でも吐き出せるものについては吐き出すというだけでもだいぶ楽になると思います。
もちろんそれでもチラシの裏に書いているわけではないので、ときには書いた文章に対してリアクションをもらうこともあるし、そのリアクションにかえってストレスを感じてしまうリスクもありますが、そこはおとなしく反省するなり上手に無視するなり、あるいはそれさえもネタにするなり、どういう形にしろ自分の中でうまいこと折り合いを付けられれば大した問題ではありません(まあ裏を返せば自分の中で折り合いを付けられないと大問題なんだけど)。
別に面白い文章を書いてひとりでも多くの人に笑ってほしいとか、もっともな鋭い指摘でひとりでも多くの人に感心されたいとか、ひとりでも多くの人に頭がいいと思われたい…等々、そういった自己顕示欲みたいなものがまったくないのであれば、それこそ誰にも見せない紙の日記でもいいと思うし、ブログを完全非公開にして書くのでもいいと思います。
でも多分それより、ごく少数の人だけでも仲のいい友達とか信頼できる知り合いがいるなら、そういう人たちにだけでも読んでもらえるようにしたほうがかえって続きやすいと思います。
また、個人的な日記になってしまうと、どうしても結局悲劇のヒーロー、悲劇のヒロインという役どころに酔ってしまうことが往々にしてあるかと思います。でも友人や知人なり、あるいは不特定多数の他人だったりに読まれる可能性だけでも意識しておくと、つらいことや嫌なことがあってもそれもネタとして対象化して見ることができる、という書くことの大きなメリットを感じられると思います。
もちろん、最初から「誰になにを思われても言われても構わない、自分は自分の思ったことを書くまでだ、自分自身がなにをどう思うかなんてことは、誰になにを言われようとなにを恥じることもない」、みたいな強者、一騎当千の大丈夫であれば最初から公開モードのブログでばんばん自分の思う様書きまくればいいと思います。
興味を持った分だけ世界は面白くなる。ブログのすすめ
僕はカメラって持ってないんですけど、初心者でもカメラを買って写真を趣味にしようと思ったら、きっとそれまでと世界の見え方って変わると思うんですよね。いつも通いなれた道でも木々の緑ってこんなに綺麗だったかなとか、寂しい駐車場に独特の趣を感じたり、いったい今まで自分はなにを見ていたんだってくらい世界の見え方が変わる、というか自然と世界に対する興味が増してよく見るようになると思うのです。
ブログを始めるのもそれと同じだと思います。僕は今まで「なにも変わらない毎日」という言い方をしてしまったり、人生はまるで砂を噛むように味気なく、世界はモノクロで退屈なものと思っていたのですが、本当はなにも変わらない毎日なんてあるはずがなくて、世界は今この瞬間にも新しく生まれ続けているわけです(えっ?なんでこんな大げさな話になっちゃってんの!?)。
人生が味気ないんじゃなくて自分が人生の味わい方を知らなかっただけ、世界がモノクロで退屈なんじゃなくて自分がサングラスをかけて世界を見ていただけだったのかもしれないと思うようになりました。
もちろんブログを始めたからといって人生そのものが変わっておいしいメニューばかりが運ばれてくるようになるとか、世界がバラ色に変わるとかそんなことはありません。でもどんなごちそうも食欲がなければおいしく味わえません。きれいな花も見ようともしなければその美しさに気づけません。
逆に今より少しだけでも自分の人生や世界に興味を持つことができれば、世界や人生はそのままでも見え方は絶対に変わります。そして興味を持てば興味を持つだけ世界は面白く感じられるようになります。そうなればますます興味も持てるようになります。
まあこんなこと言ってるけど僕もブログ始めてまだ3ヶ月の初心者だし、こういう視点から「あれ?もしやブログって楽しいのでは?」って思い始めたのはほんとにここ数日のことなので説得力がなさすぎるかもしれませんが、この記事を読んで「ほほう、ブログ面白そうだな、始めてみようかな…」と思ったようなだまされやすい心やさしい人はこの機会にブログを始めてみたら今より人生が楽しくなるかもしれません。長くなったけどおしまいです!(=^・^=)