人からバカにされるのがこわい
人からバカにされるのがこわい。
なにか言えば人からバカにされる。
それが嫌なら口をつぐむしかない。それか、自分も人の気持ちをバカにする側に回って、それで憂さを晴らしたような気になってるどうしようもないバカになるしかない。
そんなのは絶対に嫌だ。バカにされるのは嫌だけど、他人様をバカにすることで自分はバカじゃないみたいな顔して得意になってるようなどうしようもないバカになってしまうくらいなら、バカにバカにされてるほうがまだましだから、あきらめるしかないのだろう。そういう話をするゴワス。
どうしようもないバカにかぎって人をバカにしてくる
だいたいがわざわざ他人様を捕まえてバカにしたりつばを吐いたり石を投げたりしてよろこんでるような人間というのは、本当は自分が一番つまらなくてくだらないバカなんだと思う。
自分が本当にそんなに賢かったり面白い人間ならわざわざバカを捕まえてきてバカにしたり粘着したりしてないで、自分が賢いことを言ったり面白いことをすればいいと思う。
でもそうしない。というか、できない。できないくせに、「やればそれくらいできるけど(でも俺はバカじゃないからしないだけ)」みたいな顔して人をバカにしていい気になってる。ダサい。
本当に賢い人にバカにされるならしょうがないと思うけど、まずそういうことってない。
本当に賢い人や面白い人だったらわざわざ人をバカにしてよろこんだりしないから。
だから必然的に、どうしようもないバカにかぎって人をバカにしてくる。そんなバカのことは気にしなければいいんだけど、僕もそんなできた人間じゃないし、あんまりいつまでもしつこく粘着してくるバカとか気持ち悪すぎて本当に嫌になってしまう。
しかも、バカはバカだから、まともな内容ってほとんどない。バカだから勝手に誤解したり誤読したり、もっとバカになるとそもそも自分は知らないくせにまわりのバカが言ってることだけ聞いて知った気になって一緒になってバカにしてるだけだから、まるでお話にもならない。
自分の意見や態度を表明することには勇気がいる
そういう連中のことを気にしていたら、なにも意味のあることなんて言えなくなってしまう。
人から見て、人をバカにしてよろこんでるような人から見て意味があるとかないとか知ったことではない。それを言う自分にとって、それを言うことに意味があるから言っているだけ。
それをわざわざ取り上げてバカにするのはずるくて汚くてどうしようもなく下劣だと思う。
大体が人からバカにされる側の人間だって、みんながみんな自分のことをバカのくせに頭いいと勘違いしてたり、自分が人からバカにされて面白がられているだけなのにそれを自分の人気と勘違いして一端の論客()気取りで得意になってるような、そこまでどうしようもない低能やバカばかりではない(もちろん裏を返せばそういうバカも…お察しください)。
自分が何らかの立場を示せば、それに対してどういう反論がありえるか、それくらいのことはたいてい百も承知していると思う。
それでも自分としてはこう思う、こうありたいと思う、という自分の考えや意見をはっきりと表明することは、すごく勇気のいることだと思うし、その考えや意見が自分のものとは違っても、僕はその勇気自体はすごいと思う。
もちろん何の思慮も分別もなくアホなことを垂れ流してるだけの人とか、わざと反社会的なことを言ったり人の反感を買うようなことを言って炎上目的でやってる人もいるらしい(本当にそんなくだらない人がいるということを最近はじめて知った)けど、個人的にはそういう人間には1ミリも興味がない。
ただ、こっちはそんなつもりでやってるわけじゃないのに、そういう連中と一緒にされて「炎上商法」とかバカに得意気に言われるのはものすごくムカつく。いちいちそんなバカになんて腹を立てなきゃいいんだろうなってことはわかってるんだけど、所詮そこまで悟りきれない程度のバカだからどうしてもムカついてしまう。
人をバカにしてくるバカの3タイプ
感覚値だけど、まずバカにしてくる奴らの7~8割が、そもそも自分がバカすぎて勝手にその悪い頭で頭の悪い解釈しかできず、その頭の悪い解釈を前提にバカにしてくるバカの一人相撲タイプ。
まあさすがにこのタイプの人たちは少し可哀想な人たちなのかなって思わないこともないけど、やっぱりうざいしバカのくせに勘違いして得意になってる感じがムカつく。
誤解をおそれずに言うけど、僕は誤解されることがこわいです。
— まつたけ (@denpanohikari) 2013, 5月 12
次の1~2割が、そもそも言う方だってそのくらいの反論があることくらいは百も承知で、それでも自分としてはこう思う、っていう立場を示しているだけなのに、「反論の余地がある」というだけのことを以って排除されるべきだと思ってて、それで「論破」した気になっていい気になってる勘違い論客タイプ。
こいつらは個人的にはなんか一番ムカつく。どうしようもないバカのくせに、こいつ自分では自分のこと本気で頭いいとか勘違いしちゃってんだろうな~とか、そもそも意見なんてものはある一つの立場を取った上でのものなんだから、それに対して別の角度からはいくらでも反論なんて可能に決まってるのに、言う方だってそれくらい百も承知の上でそれを言っているのに、自分がその程度のことも見えないバカだから「こういう反論が可能だ」というだけのことで「論破」した気になって相手のことを一方的にバカにして、それで自分のことは頭いいと本気で勘違いしてるんだろうなーっていうクソ汚えドヤ顔が透けて見える感じがマジでムカつく。
自分でもおとなげないと思うけど、僕程度のバカにはこのラインのバカが一番クソムカつく。
だいたいがなにか意見を言ったり立場を表明することはじゃんけんみたいなもんだから、それに対して反論可能なのは当然なのに、後出しジャンケンしかしないくせに「俺つえー」とか勘違いしてるアホ。最初に「俺はグーしか出さねえから」って言っといてぶん殴りたい。
最後に、残りの1割が、相手のどうしようもない弱みを踏みにじってよろこぶタイプ。みんなそれくらいのことはわかってるんだけど、さすがに可哀想だからそこには触れないでいる相手のどうしようもない弱点や弱みを突いて、それで相手が傷つくのを見て笑ってる邪悪な人間タイプ。
この人たちに関しては、別にムカつくとかはない。ただただそのやさしくなさや底なしの悪意に傷ついて、悲しくなる。
そういう意味では、僕みたいになんでもかんでも自分を剥き出しにしてしまうタイプのバカは、最後のタイプの奴らの格好のカモなんだろうなーっていう自覚はある。
こっちだってそれが自分の弱みや弱点であることくらいは百も承知で、その上でさらしているものを、あえてわざわざバカにしてくるというのは趣味が悪いし、やさしくないと思う。
でも自分から弱みをさらせばそういったリスクがあるのは当然だし、自分にしてもそれくらいわかっている上でそうしているのだから、別に全員に全員それを認めてほしいとか受け入れてほしいと思っているわけではなくても、あえてそうやって人の傷口に塩を揉み込んで気持ちよくなるようなゲス野郎の餌食にされてしまうことも受け入れなくてはいけないのかもしれない。
いや、感情的にはとうてい受け入れたくはないけど、僕が感情で受け入れようと受け入れまいと、現にそういう人間がいるということはどうしようもない以上、そういう人間もいるということは心しておく必要があるのだろう。
理屈で感情や心をバカにしたり否定するのはずるいと思う
今書いてて気づいたんだけど、理屈には間違いということがあると思う。それは本来的には厳密なロジックであり、思考ということ自体の作業工程だから、1+1=2くらいに共通のルールがなければ困ってしまうし、実際にあるのだと思う。
でも人の気持ちや感情に間違いなんてことがあるんだろうか。もちろんある状況に照らしてみて、より目的に対して適切な感情や不適切な気持ちということはあると思う。あるいは他人から見たらどう考えても不合理だったり不条理だったり。
でもそもそもが人の気持ちや感情というのはそういうものじゃないだろうか。というか、感情や気持ちというのは明確なルールのある理屈とは直接的には何の関係もないものだと思う。
だから、その感情や気持ちに対して、理屈でもってそれが悪いここが悪いというのは、もちろん言うだけなら簡単だし誰にでもできるけど、そもそもがそんなことに実際的な意味なんて何もないと思う。
人の気持ちや感情が全部が全部理屈で割り切れることばっかりだったら、今頃世界の問題なんてほとんど解決してるんじゃないかな。
自分の感情や気持ちを表現する側にしたって、それが理屈では割り切れなかったり、おかしかったり、欠点だらけだったり、それくらいのことは百も承知で、でも自分はこんな感情になるとか、こんな気持ちを感じているということを正直に打ち明けているだけだろう。
たとえばこの記事にしてもそう。「人からバカにされるのがこわい」。これは僕にとってはどうしようもない自分の気持ち、真実。でもこんなのいくらでもめたくそに言えることくらいこっちだって百も承知してる。
自分では理屈のつもりでめちゃくちゃ言っている人に対しては、その理屈は違うということは言える。また、「その理屈は違う」と言う側の理屈が理屈として間違ってたり、そもそも勝手な誤読や誤謬に基づいていて理屈のルールもへったくれもなく、まるで話にならないということはある。
でも、誰かが自分はこう感じているという感情や気持ちまで、いくらでもなんとでも言える理屈を使ってバカにしたり否定したりするのは、やっぱりずるいしやさしくないと思う。
バカでもマヌケでもずるくても卑怯でも汚くても醜くても正しくなくても間違ってても、自分でもそんなことは百も承知で、それでもどうしようもなく自分の中にそういう気持ちがあるということを吐き出しているだけなのに、いちいちバカにバカにされるとバカだから「うるせーな黙れバカ」って思ってしまう
— まつたけ (@denpanohikari) 2012, 12月 7
バカはうざいだけだけど、傷口を抉ってくる人間の悪意は心底こわい
人をバカにしてくるバカの3タイプの話に戻ると、誰の目にも明らかな自分の弱みや弱点を刺したり抉ってくる人って割合からすると意外と少ない。
なんだかんだで案外みんなやさしくてあえて人の弱みを踏みにじってやろうとか傷口に塩を揉み込んでやろうみたいな邪悪な人は少ないのか、それとも単に人をバカにしてくるようなバカというのはそこにも気づかないほどバカなのか、あるいは気づいていてもそんなことより自分では達者だと勘違いしている自分の大変ご結構な思考力と「正しい理屈(実際はただの別の立場から見たら誰にでも当然考えうる程度の反論)」で「論破」した気になって得意になることに忙しいだけなのか、それはわからない。
ただわざわざ人様をバカにしてきてよろこぶような連中というのは、たいていの場合はそういうただのバカだから、うざいしうっとうしくはあっても、誰にも否定しようがない自分の弱みや傷口をあえて踏み躙ってくる悪意の塊みたいな連中から与えられるような深いメンタルのダメージはない分だけまだましなのかもしれない。
僕がバカにされるのがこわいと思っているのも、正確にはそういう、自分自身でも自覚している生い立ちの弱みだったり、自分がどうしようもなく感じているしょうもない気持ちや感情を、それが相手の心臓だとわかっていてあえて刺したり踏みにじったりしてくる人の底の見えない悪意がこわいんだと思う。
でも、それが嫌なら口をつぐむしかないし、そんな人たちをこわがって自分の気持ちを言えなくなるのはもっと嫌だし、そういう人たちをこわがって自分の気持ちを言えなくなった挙句、誰かの心や気持ちを踏みにじったり傷つける側になって憂さを晴らすことしかできない人間になってしまうなんてもっと絶対に嫌だから、あきらめて覚悟を決めるしかないのだろう。
自分は人から打たれるほどのものも持たず、さらさず、一方的に人をサンドバッグにしてよろこんでいるような人間にはなりたくない。人をバカにしているばかりで自分には何の中身もないような人間こそバカだと思う。
ぼくのかんがえたさいきょうのかしこいひと
僕が考える本当に賢い人は、人からバカにされない人じゃなくて、人からバカにされてもそんなことまったく気にしない人。はたから見れば大バカに見える。でもそんなこと気にしない。
自分がバカであることも気にしないし、バカがバカゆえに自分をバカにしてきても気にしない。相手のバカさや低劣さに嫌になったりうんざりさせられたり、傷ついたりすることもない。
もしかしたら、彼はそこまでたどり着くまでに人間というものに完全に絶望しきってしまったのかもしれない。でも、もはやそんなことすらどうでもよく、人がどうあろうと、自分がどうあろうと、まったく気にしないでそのままで生きている人。突然道ばたで服を脱ぎ捨てて全裸になりながらLet it goを歌い出しちゃうような人。
そういう自由な人が僕の考える本当に賢い人。憧れの人でもあるけど、自分が一生かかってもそんなに賢い人になれるかどうか自信はない。でも目指すだけならタダだし、せいぜいそういう人目指して生きていくしかない。
人からバカにされるのは嫌だけど、バカにされないように生きていくことも少なくとも自分にはできそうもない。
無理してそんなふうにしようとしても、せいぜいが自分ができないことをやっている人たちをひがんでそういう人たちをバカにしてそれだけを生きがいにしているようなネットにあふれるゴミクズになってしまうのが落ちだと思う。
バカをバカにしてよろこんでるような程度の低いどうしようもないバカにはできるだけ関わってきてほしくないけど、言ってもわからないからどうしようもないバカなわけだし、それはもうこっちであきらめるしかないんだと思う。
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニサレテモキニセズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
人をバカにするバカよりは、バカにバカにされるバカのほうがまし
人をバカにしていい気になってるような程度の低いバカになるよりは、人からバカにされてうんざりさせられるバカでいたほうがまだまし。
自分の中でそういう結論が出たから、これからはあきらめてもっとバカを剥き出しにして生きていこうと思う。
「もうバカにされることをおそれない」なんてそこまで悟れてないし無理だけど、おっかなびっくりでもどんどんバカを剥き出しにして、いっそのこと早くバカにバカにされることにも慣れてしまえばいいのかもしれない。
いや、別に僕にしてみればわざとバカなことを言ってバカどもを焚き付けて炎上商法とやらをやっているわけではないので、そういう類のバカと一緒にされてバカどもにそんなふうに言われるのはやっぱり嫌は嫌なんだけど。
でもまあ、なにかを言ったりなにかをしたりすれば、それに対していろんな質、いろんな程度の人間の、いろんなリアクションがあるのは当然のことなんだろうし、これからも人からバカにされない人間になるんじゃなくて、人からバカにされても気にしない人間を目指して、不惜身命、不撓不屈、堅忍不抜の精神で相撲道に精進していくつもりでゴワス。
今日もちゃんこがおいしいゴワス。女将さん、おかわりゴワス!(おしまいゴワス)