まつたけのブログ

世界の片隅で愛を避ける孤独なキノコの魂の叫びを聞け!…聞いてください(◞‸◟)猫とマンガとアニメと嵐をこよなく愛するまつたけによるまつたけのブログ

メンタルに強いとか弱いとかない

メンタルに強いとか弱いとかないんじゃねえか、っつー話をしてみます。

メンタルに強い弱いの差はない

メンタルに強いとか弱いとかないんじゃねえか、って言っておきながら泣き言から入るんですけど、最近僕ブログ書きすぎだと思うんですよね・・・。いや、読んでくれてる人にしてみたら「知らんがな」って話なのはわかるんですけど、自分でもドン引きしながら記事を書きまくってたりします。

 

今ブログ始めて2ヶ月弱なんですけど、1ヶ月やってみた時点でたしか「もう飽きたし疲れたからそろそろやめる」みたいなことを書いたような記憶もなきにしもあらずなんですよね。。。でもそのあとでなにがあったのか自分でもはっきりとはわからないんですけど、単純に慣れたというのとは違う感じで突き抜けたというのか、今までうざかったいろんなことがほとんど気にならなくなっている自分に気づきました。そうなるとブログを書くのが楽しくて楽しくて。。。なにかがずる剥けちゃった感じです。ずる剥けキノコです。

でも1日に2回も3回も長文のブログを更新しても疲れちゃって誰も読んでくれないかな?とか考えて下書きに書き溜めて今日はどれを投下しよう?とかしょーもないことで頭を悩ませてたりするんですけど、とりあえず今後更新するだろう記事のかなり前提になるような部分の話を最初にやっといたほうがいいなと思うのでそういう話をします。それが「メンタルに強いとか弱いとかない」って話です。

メンタル弱い奴はなにをやってもダメ、ではどうしようもない

ほら、今ってすごい当たり前に「あの人はメンタルが強い」とか「私はメンタルが弱いから」みたいなことを言うじゃないですか。僕自身メンタルが強い人と弱い人がいると当たり前に思ってたし、自分はメンタルが弱いからすぐに人の悪意みたいなものに気持ち悪くなったり憂鬱になってしまうんだろうなーって思っておりました。

しかし長良川、先述したようなことがあって、人からいろいろ言われることが大して気にならなくなったとか、誰になにを言われても自分が好きだからブログを書き続けていることとか、それってメンタルの強さとかそういうことじゃないなあって気がしてきたのでありんす。

普通そういうことって当たり前みたいにメンタルの強さで一括りにされる問題だと思うんですよね。人にちょっと悪く言われたくらいで傷ついてしまうのはお前のメンタルが弱いからだとか、ちょっとなにか言われたくらいでブログを書くのが嫌になっちゃうのはお前のメンタルが弱いからだとか、そういう意見って当たり前みたいになっちゃっている気がします(そしてそういうことを言うのは大抵人を悪く言う側の人間だったりするのでなんというか本中華・・・)。マッチョイズムというか、どこからか「ヒャッハ~ッ!」と世紀末的な叫び声が聞こえてきそうな殺伐とした世界観です。完全に核戦争後の世界です。

でもそうすると結局メンタル弱い奴はなにをやってもダメ、みたいな結論しかありえなくなっちゃう気がするんですよね。「それは事実だ!だからメンタル弱い奴はメンタルを強くしなければならんのだ!」みたいなマッチョな主張って最初からメンタル強い人にしか意味を成さないものだと思うのです。

また、自分自身の感覚から言っても人に悪口を言われて傷つくとか傷つかないとか、自分の書いてるブログに対して望まないリアクションが来たからブログをやめるとかやめないとか、そういうことを「メンタルの強さ」ということに帰する考え方って乱暴すぎるしこれはどうやらそういうことじゃないなってことを最近思うようになりました。

メンタルに強い弱いはない。装備の違いで防御力が違うだけ

そもそもたかが人間です。所詮同じ人間のメンタル、本当に本質的に「強い」とか「弱い」とかの性能差なんてあるんでしょうか?僕はメンタルの差ってフィジカルほどにも差がないんじゃないかと思っています。

いわゆるメンタルの強さって要するにドラクエでいうHP、生命力のことじゃないかと思います。で、所詮同じ人間、HPに大した個体差はないと思うのです。

じゃあ実際にある人はふてぶてしかったりタフに見えたり、あるいは別のある人は打たれ弱かったり傷つきやすいように見えるのはなぜかというと、防御力の部分の差ではないかと。で、防御力にはなんで人間ごとに差が出てしまうのかというと、防御力というのは様々な防具の装備によっていくらでも補強可能なステータスだからです。

ある人は装備が布の服一枚とか、下手したら真っ裸でもろに攻撃を食らってしまったり、またある人はきちんと盾も鎧も兜もきちんと装備を整えて防御したり受け流したりする。そりゃ受けるダメージに差がないはずがないんですよね。

もちろん防具の装備っていうのは例えなわけですけど、じゃあメンタルを守る防具ってなんだよと言ったら、マインドセット、ちょっと乱暴に一言で言えば考え方とか物事の受けとめ方みたいなものなんじゃないかと思います。

傷つきやすいとか傷つきにくいというのはメンタルが強いとか弱いで決まるんじゃなくて、考え方とかマインドセットが適切かどうかで決まるんじゃないかと思うのです。少なくとも貧弱かつ脆弱なお豆腐メンタルを根本から叩き直そうなんつって、滝に打たれたりするより適切に考えること、適切なマインドセットを選ぶことのほうがはるかに簡単でよっぽど効果的な気がします。

つまりわかりやすく言えば「いちいちちょっと悪口を言われたくらいで傷つかない考え方を身につける」とか、「否定的なリアクションがあっても自分が好きでやっていたはずのことにモチベーションを維持し続ける受け流し方」とか、そういうことです。

絶対的に強いとか弱いとかの根性論的なメンタルの差があるんじゃなくて、はっきり言っちゃえばもっと単純に技術論的なことなんじゃないかと思うのです。


ビジネスマンのためのメンタル・タフネス
 

受けとめ方ひとつで受けるダメージはぜんぜん違う

例えばですけど同じ悪口を言われるのでも「バカ」って言われたとき、「バカとはなんだバカヤロコノヤロー!」という受けとめ方と、「バカだなんてひどい・・・悲しい・・・」という受けとめ方と、「バカって言われたwwwwwwウケるwwwwwwww」という受けとめ方と、「あっそ」という受けとめ方では当たり前だけど感じるストレスのレベルって全然違いますよね。

そのときどういう受けとめ方をするかってことはメンタルが強いとか弱いとか言うより、単に技術的に受けとめ方が上手いか下手かってことのような気がします。

で、メンタルが弱い人に「お前はそれじゃダメだ、もっとメンタルを強くしろ!」って言うのは僕はなかなかの無茶だと思うんですけど、傷つきやすい人に「そういうふうに考えてると無駄に傷ついちゃうから、こういう風に考えてみたらどう?」みたいな話だったら現実的な可能性もあると思うんですよね。

少なくとも僕は1ヶ月前のもうブログなんて一生懸命書いてもなんもいいことないし、むしろ的外れなことばっか言われたり無駄に敵を作ったり「死ね」って言われたり陰でこそこそ陥れようと画策されたり、そういうことに本気で傷ついたりダメージを受けたり気持ち悪くなって吐きそうになったりしていたのが、今は嫌は嫌だけど、それにしてもブログ楽しいいいいいやばいいいいいい!!!!!みたいな感じでやれているのは、多分激流と荒波に揉まれているうちに強制的にマインドセットの書き換えが起こってしまったからなのかなーと思っています。

マインドセットの最適化、とは思わないけど、以前のあまりに不適切なマインドセットよりはだいぶ適切なものに変わったようで、1ヶ月前までと比べてめちゃくちゃ気楽に楽しくブログをやれている気がします(飽きっぽいのでいつ急に飽きるかはわかりませんが)。

排除されたマインドセットはたとえば「やられたらやり返す」とか「バカにバカにされたらバカにしかえす」とか「悪口を言われたら真正面から受け止める」とかです。

逆に新しく書き加えられたマインドセットは「やられても実害がなければやり返さない、気にしない」とか「(極力)人をバカにしない」とか「悪口を言われても悪口を言われているのは自分じゃないから気にしない(っていうか気にならない)」とかです。

多分サンドウィッチマンの富沢さんじゃなくても「ちょっとなに言ってるかわからない」って感じのも混じってると思うんですけど、もしかしたら今後別に記事にして更新することがあるかもしれません、っていうかすでにいくつか書き溜めてあったりします。

追記:悪口を言われているのはあなたではない

評価されることが目的になると人生はつまらない

人をバカにしないこと

「メンタル弱いからしょうがない」であきらめるのは嫌。強い防具を装備したい

とにかくこの記事で僕が言いたかったことは、メンタルが強いとか弱いとか生来的な個体差みたいなものがあるんじゃなくて、そういう風に言われるとしても実際は物事の考え方だったり受けとめ方だったりの巧拙の差があるだけなんじゃないか、そして生来的な個体差じゃなくて技術的な巧拙の差でしかないなら、より適切な考え方や受けとめ方を選ぶこと、マインドセットを適切なものに変えることで、同じ状況でもより適切に対処することができるようになるんじゃないかということです。

メンタルが強いか弱いかで人間を2種類に分けられて、メンタルが弱い奴はなにをやってもだめだからやめちまえ、っていうのではあまりに不甲斐ないし口惜しいではないですか。もっと言えばそこでどうせ自分はメンタルが弱いからだめなんだって考える人のメンタルの弱さって、生来的な弱さとかじゃなくて単にメンタルの弱さということに甘えているだけのような気もしてしまったりしないこともないこともないこともないこともなかったりするんですけど、そういう人たちに限ってそういうことを言うと急に牙を剥き出して激烈な反応を示してきたりしてこわいのでやっぱり今の発言はなしでお願いします。

ただ僕はやっぱり強いとか弱いとかで言えば少なくとも自分がメンタルの強い人間だとは思わないけど、ましな人間になれるものならましな人間になりたいなあと思っているし、「自分はメンタルが弱いからしょうがない」を言い訳にして最初から変わろうともせずにあきらめるのは嫌なので、防具の装備は自分なりに工夫してきちんとしたいなあと思っています。

そういう盾だったり鎧だったり、兜だったりになるようなマインドセットの話もしたいのですが、まずはその大前提としてメンタルに強いとか弱いとかない、強いとか弱いとかあるのは考え方とか受けとめ方の防具の装備による違いでしかないんじゃよというお話でした。おしまい!(ノ)`ω'(ヾ)

西田文郎直伝!最強のメンタルトレーニング