まつたけのブログ

世界の片隅で愛を避ける孤独なキノコの魂の叫びを聞け!…聞いてください(◞‸◟)猫とマンガとアニメと嵐をこよなく愛するまつたけによるまつたけのブログ

森見登美彦の走れメロスの感想

森見登美彦さんの【新釈】走れメロス 他四篇を読んだので感想を書いてみました。

森見登美彦の走れメロス is めっちゃ面白い

森見登美彦さんの短編小説集、【新釈】走れメロス 他四篇を読みました。僕は二十歳になる頃にはすっかり耄碌して小説を読む気力・体力ともに完全に失ってしまい、普段ほとんど小説というものを読むことがないのですが、森見登美彦さん原作のアニメ『四畳半神話大系』と『有頂天家族』を今年になってから見て、めちゃくちゃ面白かったと騒いでおりましたところ、森見登美彦さんは小説も面白いから読んでみんさいと何人かの方におすすめしてもらいました。そこで一念発起して読んでみましたところ、だいたい予想していた通りめちゃくちゃ面白かったです。

 

森見登美彦の山月記、藪の中、走れメロス、桜の森の満開の下、百物語

【新釈】走れメロス 他四篇の中身は、順番に『山月記』、『藪の中』、『走れメロス』、『桜の森の満開の下』、『百物語』となっています。それぞれ中島敦、芥川龍之介、太宰治、坂口安吾、森鴎外の、もはや古典ともいうべき短編小説を下敷きに、森見登美彦さんが新釈と銘打って現代に置き換えて書きなおした短篇小説集です。

もちろん実際にはそれぞれの短編とはまるで別の話になっていて、なおかつこの短篇集全体がそれぞれに登場人物も同じだったり重なっているので、それぞれの短編が複雑微妙に関わりあいながらひとつの世界観を形成していく感じが実に見事なのです。

森見登美彦さん自身のあとがきによりますと、「現代に置き換えて書くにあたっては、原点を形づくる主な要素が明らかにわかるように書こうとした」として、「『山月記』は、虎になった李微の悲痛な独白の力強さ。『藪の中』は、木に縛りつけられて一部始終を見ているほかない夫の苦しさ。『走れメロス』は、作者自身が書いていて楽しくてしょうがないといった印象の、次へ次へと飛びついていくような文章。『桜の森の満開の下』は、斬り殺された妻たちの死体のかたわらに立っている女の姿。『百物語』は、賑やかな座敷に孤独に座り込んで目を血走らせている男の姿である」ということです。

僕は森見登美彦さんを今まで読んだことがなく、面白おかしいアニメの印象しかなかったもので、正直思っていた以上に悲しい話や暗い話、こわい話もあってびっくりしました。

森見登美彦の走れメロスのバカバカしさ、くだらなさは異常(誉め言葉)

でも表題作の『走れメロス』の面白さはやはり出色の出来だと思います。書いていて楽しくてしょうがないといった印象は太宰治じゃなくてあんただろとツッコみたくなるほど終始バカバカしくてくだらなくてそのくせテンションだけは高くて最高です。

全体に暗い印象の他四篇に対して、真ん中に置いた『走れメロス』のバカバカしさ、くだらなさは逆に異彩を放っており、そのことが一冊の短篇集としての【新釈】走れメロス 他四篇に不思議な統一感をもたらしている加減があまりに見事で感心する他ありません。

・・・なんてしゃらくさいことを言わなくても、単純に『走れメロス』だけ読んでもバカバカしすぎて下らなすぎて思わず笑ってしまうような素晴らしい短編だと思います。もしかしたらこれから読むかもしれない人たちのために話のキモは伏せておきますが、まさかそう来るかという話の下らない方向への持って行き方は本当に素晴らしく、最後は声を出して笑いながら読了しました。

森見登美彦の「親近感の具現化能力」は異常

アニメの『四畳半神話大系』、『有頂天家族』を見ているときにも思ったのですが、わずか十数話のアニメを見ているうちに、登場人物たちに対して異常な親しみ、親近感を感じてしまっているのが不思議でした。

それもなんというか、たまたま自分のお気に入りのキャラに対してだけ親しみを感じるというのではなく、いい奴も嫌な奴も、出てくる奴らみんなが愛しい感じになってしまって一体こいつはどういうことだ???と不思議だったのですが、はじめて森見登美彦さんの小説、【新釈】走れメロス 他四篇を読んでいてもやはり同様のことを感じました。

もちろん僕には京大の学生だった過去や京都に下宿して暮らした日々の記憶などあろうはずもないのですが、不思議と登場人物たちに対してそういう同じ釜の飯を食って何年かを共に過ごしたかのような親近感を感じてしまうのです。

もちろんそこには多分そういった青春とはまったく無縁に若い日々を無為に送った僕自身の苦い思いや、描かれているような青春の日々への憧憬のようなものもある程度は反映しているんだと思いますが、しかしそれにしてもこの親近感の具現化能力とでもいうべき特異な力は、森見登美彦さん特有のものだと思われます。

多分ですが森見登美彦さんという作家さんはひとりひとりの登場人物への思い入れの込め方が尋常ではなく、偏執的なほどにハンパない人なんじゃないかという気がします。

青春の日々のそこから先へたどり着けなかった人たちの悲しい話

それがあまりに素晴らしく、一回通して読み終わった後もう一回最初の『山月記』から読み返してみたのですが、一度全話を通してから読み返すとまた味わい深くなっているものがあり、なんだか寂しいような切ないようなたまらない気持ちになってしまいました。

森見登美彦さんははじめから読み返させることを前提に構成していたのだなーと思いながらも、あまりに見事すぎて結局最初から最後まで続けて2回読んでしまいました。

先ほど青春の日々への憧れが云々という話をしましたが、実を言えばこの短篇集はその青春の日々のそこから先へたどり着くことができなかった人たちのものすごく悲しい話なんじゃないかという気が個人的にはすごくしました。

あまりにきらきらとまぶしい強烈な日々の印象は、もしかするとその後の人生における宝物なんかではなく、日々を色褪せさせてしまう呪いのようなものなのかもしれません。・・・まあそれでも『山月記』の登場人物のように天狗になれるわけでもないので、色褪せた日々を生きていくしかないんですけどね。

バカバカしさとくだらなさこそは人生における救いであると思う

なんだか必要以上に暗い本であるかのように印象づけてしまったのではないかと今更不安になってきたのですが、しつこいようですが『走れメロス』のバカバカしさ、くだらなさは本当に見事です。深刻さの中にあってこのバカバカしさ、くだらなさとはなんと神々しいまでに美しいのだろう。見事なのだろう。このバカバカしさ、くだらなさこそは人生におけるほとんど唯一の救いであるということを改めて僕は確信しました(僕も詭弁論部に入りたい!)。

うまくいかない日々、悩んでばかりの毎日、なにかが足りないと思っている人。そういう人に森見登美彦さんの『走れメロス』はかなりおすすめできるのではないかと思います。森見登美彦さんの本は次は『夜は短し歩けよ乙女』という本を読んでみる予定です。というわけでまずは森見登美彦さんの【新釈】走れメロス 他四篇の感想でした。おしまいです。

追記:夜は短し歩けよ乙女も読んで感想書きました。森見登美彦の夜は短し歩けよ乙女の感想


森見登美彦 新釈 走れメロス 他四篇