まつたけのブログ

世界の片隅で愛を避ける孤独なキノコの魂の叫びを聞け!…聞いてください(◞‸◟)猫とマンガとアニメと嵐をこよなく愛するまつたけによるまつたけのブログ

悪いことした人に注意した人が叩かれるのっておかしくない?

言ってもしょうがないシリーズ~!!!!!(唐突)

悪いことした人に注意した人が叩かれるのっておかしくない?って話です。

悪いことしてる人に「それは悪いことだからダメだよ」と言うと、悪いことしてる人のことは見て見ぬふりでほったらかしのまま、むしろ注意した人を黙らせようと寄ってたかって叩く社会はおかしくね?って話です。

あの、こういうことを言うとですね、すぐ「そもそもなにをして『悪い』とか言ってんだよ?お前の中で『悪い』ってだけなのに決めつけてんじゃねえよボケ」みたいなことを言って、それで論破した気になってドヤ顔してくる人がいるんですけど(自分では自分のことを頭がいいと勘違いしている人に多い)、ここでは別にそういう話がしたいわけじゃないからわかりやすく「悪いこと」とか「悪い人」と書いています。

僕にしても別に誰から見ても一方的に悪い人がいるとは思ってないですけど、たとえばいじめとか痴漢とか万引きとか、それを「悪いこと」と言って話をしてはいけないんだとしたら、僕は最初からそういう人とはわかり合ったり話をすることはできないと思うので、今のうちに僕のブログなんて閉じてどっかもっといつまでも議論してればしあわせみたいなお仲間のところに行かれてほしいと思います。よろしくお願いいたします。

注意の中身じゃなくて、注意すること自体を叩くのはおかしい

例えば僕が「それはおかしい」と思ったことに対し、「それはおかしい」と表明したとします。

ここで「それはおかしい」の内容に対して、「そうだね、たしかにおかしい」という共感的・肯定的な意見もあれば、「いや、別におかしくないだろ」とか「おかしいとするお前のほうがおかしいだろ」という否定的な意見もあるというのは人はみんな違うのでわかります。

でもそうではなく、自分が「おかしい」と思ったことに対して「おかしい」と言うと、「おかしい」の内容についてではなく、「おかしい」と自分の考えを表明したこと自体に対してやたらに攻撃する人たちがいるという話です。それはもう「悪いのはお前だ」と言わんばかりの勢いで全力で黙らせようとしてくる人もいたりして、若干引いてしまうほどです。

たとえば「いじめはいけないことだ」と誰かが言ったとすると、それに対しての「いや、いじめはいじめられるほうが悪い」とかそういう意見ではなく、「いじめはいけないことだ」と意見を表明したこと自体に異を唱える人がめちゃくちゃいるということです。

「そういうことを言うもんじゃない」とか「言ってもしょうがない」とか、「スルースキルがない」とか、「自分がそれはおかしいと思うなら気をつければいいだけ。いちいち意見を言うべきじゃない」とか、「あなたはいじめられたことがあるんですか?経験がないなら黙っててください」とか、そんなようなことです。

っていうか、もっと言葉遣いはひどかったりもっと直接的な人格否定だったりします。

見て見ぬ振りをしていたくせに、叩く相手を間違ってない?

悪いことしてる人がいて、悪いことだと知りながら見て見ぬふりをしている圧倒的大多数の人がいて、悪い人に「それは悪いことですよ」って勇気を出して注意する人がいて、なんで悪いことをしてる人じゃなくて、注意した人が寄ってたかって叩かれるのか、理解に苦しみます。

それももともと悪いことしてた人のことはほっといたままです。今の今まで悪いことだと知りながら見て見ぬふりでだんまりを決め込んでいたような人たちまで、一斉に注意した人のことは一丸になってボロクソに責める感じとか、もはや集団的な狂気のレベルだと思います。

その人の身を親身になって案じた結果として、「そういうことは言わないほうがいいよ」とか「気にしないほうがいいよ」ってアドバイスならまだわかるんですけど、そうじゃなくて最初から攻撃する気満々、こき下ろす気満々で、「やめろよ」「黙ってろカス」と注意(?)する。

僕はそれっておかしいと思います。もともと悪いことしてた人にも「やめろよ」って注意するような人がそれをするならともかく(自己矛盾だけど)、悪いことしてた人のことは見て見ぬふりをしていたような人たちが、どうして悪いことしてた人にきちんと注意した人には、ときに明らかにただの人格否定でしかないようなレベルの攻撃をしたりするのでしょう。

それは、多分ですけど、そういう声を上げて注意する人がいると、黙って見て見ぬふりをしていた自分たちのことが恥ずかしくなったり居心地が悪くなったりして、別にそういうわけじゃないのに勝手に自分たちまでその非を責められているような気がしてしまうからではないでしょうか。

相手のことを認めてしまうと、自分たちの非まで認めることになってしまうと思い、そしてなぜか相手のことを「お前は間違ってる」と言って否定したり攻撃したりすれば、見て見ぬふりをしていた自分の態度を正当化できる、という思考回路が働くのではないでしょうか。

こうして自分で書いていても「そんなまさか?」って思うようなバカげた思考回路なんですけど、じゃあ他にどういうわけでそんなことになるんだ?ってことを上手に説明してくれる理由が僕には見当たりません。もしあったら教えてください。

卑怯者の相手なんて左手一本で十分。かかってこいよ

もちろんそんな人たちばかりではなくて、実際は「よく言ってくれた!」とか「実は私もずっとそう思ってたんですけど、言えなかったのでうれしいです!」って人もいるんですけど、そういう人たちはむしろ例の「信者」という言葉で一括りにされて、声を上げて「おかしい」と言った人もろともに悪く言われたりします。

参考:すぐ信者とか言い出す奴らって何の宗教に入ってるの?

もちろんなにをして「悪い」とか「おかしい」と思うのかは人によって違うので、注意した内容について「それは違う」って意見はあっていいしあってしかるべきだと思うけど、「私はおかしいと思う」って問題に対して声を上げた人のことを、みんなして黙らせようとボッコボコにリンチする人たちの姿は、本当にもはや集団的狂気に陥っているとしか思えません。

そういう人たちには一回本当に冷静になって、悪いことをしてる人、それを知って見て見ぬふりをしている自分、見て見ぬふりをせずに「それはおかしい」と注意した人、誰が本当に悪くて、誰が本当に責められるべきなのか、よく考えてほしいと思います。

それでも結論が変わらないとか、さらに矛先が変わって僕に向くとかであれば、そのときは僕も腕には自信があります。空手三十段、柔道八十段、剣道五百段の僕が受けて立ちます。そんな卑怯者なんて左手だけで十分です、正々堂々オセロで勝負してやりますよ。僕からは以上です。


見て見ぬふりをする社会


史上最強カラー図解 強くなるオセロ

角を4つとも取ったのに負けるほどの腕前。