エゴってそんなに悪いことなの?
エゴってそんなに悪いことなの?っつー話をする。
詳しい事情は事情により省略しますが、最近僕は集中的にかなりたくさんの人から「そんなことは自分のエゴでしかないから言えないけど」とか、「私のエゴだと思うから言えませんでした」的なセリフを頂戴する機会があった。
ふむ。勝手に推測させていただくに、こういう物言いをされる方というのはかなり人間関係に慎重な方で、相手への気遣いや配慮のできるとてもやさしい方なのだと思う。
いきなり個人的な好き嫌いの話をしてしまうと、それこそエゴでしかないものをエゴだとも気づかず偉そうに押し付けてくるクソ野郎などとは比較にもならないほど好ましい人たちだと思う。
というわけで、この記事は別にそういう物言いをされる方々を悪く言う内容ではないということを最初にお断りしておきたい。
ただ、あんまりみんながみんなテンプレートみたいに「自分のエゴでしかないから云々」と仰られるものだから、もしかしたら中にはなにか勘違いをされてしまっている人がいるのかも知れないと思い、なにしろ仕事もなく暇なのでがんばって記事を書いてみることにした。
さて、僕の言いたいことというのは一点だけで、それはもちろんタイトル通り「エゴってそんなに悪いことなの?」ということである。
どうも僕には先ほどのような物の言い方をされる方が氾濫する影には、「エゴとは醜いものであり悪いものである」ということが当たり前みたいに大前提にされているように感じる。むしろ前提にされているというよりは、それが前提にされていることすら意識されていないように感じるのだ。
でもそんなに当たり前みたいに「エゴとは醜く、悪いものである」ということが前提にされていると、僕は正直ものすごく違和感を感じるのだ。
たとえば僕は逆に聞きたいのだけど、じゃあ人間にエゴ以外のなにがあるんだろうか?
まあただでさえめんどくさい話なので、ただでさえ頭の悪い僕がだらだら考えてもお互いにしんどいと思うので今日は大雑把にシンプルに書く。
たとえば愛、信頼、尊敬、友情。ヒューマニズムの塊のようなこれらの言葉を、貶す気なんて僕にはさらさらないのだった。むしろ古き良き少年ジャンプスピリットをいまだに持ち続けている僕としては人間賛歌万歳!と叫んで突然ミュージカルのように歌い出したくなるほど好きだ。
とはいうものの、そういった感情や絆といったものが、エゴではないのか、エゴとまったく関係なく存在し得るものなのかというと、僕はそんなことはありえないと思う。
誰かを愛する気持ちも、誰かを信頼する気持ちも、誰かを尊敬する気持ちも、誰かに友情を感じる気持ちも、全部どこかで自分のエゴを拠り所にしていなければ成立し得ないものだと思うのだ。
繰り返すが「だから人間のヒューマニズムだなんだといったところで所詮エゴでしかないんだよ」とか、そんな悪ぶったマヌケなことが言いたいわけではない。僕は偽善者にもましてこういう偽悪者みたいな連中のことがダサくて大嫌いなのだ。
僕が言いたいのはそうではなくて、そういったヒューマニズム的な素晴らしい感情や絆だってエゴを拠り所にして存在している以上は、エゴだって無条件に悪いものだと決め付けるのはおかしいんじゃないかなあということだ。
最初に自分の好き嫌いの話としても「エゴでしかないものをエゴだとも気づかず偉そうに押し付けてくるクソ野郎」は嫌いだと書いたけど、それはエゴだから悪い、エゴだから嫌いだと言っているわけではなく、そのエゴの質が嫌いだったり、あるいはどういう質のエゴであろうとそれを他者に傲慢にも押し付けようとしてくるそういうエゴのあり方が嫌いだという意味なのだった。
つまり人間なんてどうあったってエゴ的な存在でしかありえないんだから、エゴ自体が悪いわけではなく、それが問題になるのはそのエゴの使い方次第、表現のしかた次第なんじゃないかなあと思うわけでありんす。
たとえば最初に例に出したような気遣いのできる人たちにしても、率直に言わせてもらえばもしそういう慎重な物言いをすることで自分がエゴを回避できているとか思っているのだとしたら、それこそそれは傲慢なエゴとして問題になってしまうんじゃないかなという話だ。
「これはエゴなんじゃないのか?」、「そんなのはただのエゴだと人から指摘されてしまうのではないか?」、「それはとても醜くて恥ずかしいことなのではないか?」、そんなふうに考えてしまうこと自体、エゴ以外の何物でもないんじゃないかと思うのだ。
くれぐれも誤解されたくないので何度も言うが、だからそれはいけないと言っているのではなく、だから人間なんて所詮エゴでしかありえないんだから、エゴ自体が悪いとかそういうことじゃないんじゃないかなあという話。
もちろん基本的に押し付けがましいエゴというのは嫌われる。しかもそういう人には自分は絶対的に正しい、自分が一番賢いと勘違いしているようなバカが多いから自分のしているエゴの押し付けが正義だと信じて疑わない。そういう人はたしかにこわいし気持ち悪いし個人的に大変苦手としているのだけど、自分はそんなふうにはなるまい、自分は押し付けがましい真似は誰にもしてないぞということで、それで自分の中のエゴと無縁でいられる気になっているのだとしたら、それはそれで少々おめでたすぎる気がするし、そんなふうに思ってること自体エゴの大きな落とし穴なんじゃないかなあという気がするのだ。
人からどう思われるかばかり気にして、人から叩かれそうな自分のエゴを発揮しないことをもって自分はエゴとは無縁な清廉な人間である、と思っているのだとしたら、それはそれこそ醜いエゴイストになってしまっている可能性があるんじゃないかな。
それなら所詮人間なんてエゴイストでしかいられないことを前提にした上で、自分の信じるエゴを自分できちんと選択し、それを堂々と貫いて生きている人のほうがかっこいいし素敵だし、生き様としてもとてもきれいだと僕は思う。エゴイストだろうとなんだろうと、僕はそういう人のことが好きです。少なくとも自分はエゴイストじゃない気でいるだけのエゴイストよりよほど好きです。
なんというか、今の世の中悪人だと思われることを恐れるあまり、結果的に偽善者みたいになってしまっている人が多すぎるんじゃないかと思う。これは偽善者だと思われることを恐れるあまり、かえって偽善者みたいになってしまっている人が多すぎると言い換えてもらっても問題ない。
そもそもの話で言えば、「善人だと思われたい」なんて発想自体が僕には薄汚れていて到底善人が抱く考えだとは思えない。善人なんかじゃいられないしありえない、偽善と言われようと悪だと思われようと構わない、それでも自分は自分の信じることを貫くだけ、くらいのエゴイストのほうが人間として圧倒的に魅力的だと個人的にも思うし、もし本当の善みたいなものがあるとしたらそういうものなんじゃないかなあ。少なくとも「誰かに悪く思われないか?偽善だと言われやしないか?」なんてことを気にして、自分の信じるところも貫けないようなちっぽけな人間をして善人というのはなんだかあまりにくだらなすぎる気がする。
さっきも言った通り、僕は偽善にもまして偽悪というやつがクソダサくて大嫌いなのだけど、「自分も人も本質的にはエゴイストでしかありえない」ということを理解しているというのは偽悪でもなんでもないと思う。
シンプルなありのままの人間理解だと思うし、まただからこそお互いのエゴを尊重し合えるような成熟した関係性も成立しえるんじゃないのかなあとさえ思う。
問題なのはエゴそのものではなくて、人様からエゴイストだと思われることがこわい(から自分の思っていることもろくに言えない)とか、自分のエゴばかり主張して相手のエゴを尊重(というか考慮すら)できないとか、そういう未熟なエゴのありかたこそが問題なんじゃないかな。
さて、なんか偉そうに概論みたいなことばっかくっちゃべって自分のエゴのあり方を示さないのは卑怯だと思うので最後に自分の個人的なエゴの考え方を示しておきたい。
たとえば誰かが「死にます」とか言っていたとして、そういう人に対して「死なないでなんて言うのはエゴかもしれないと思い…」なんて言っている人を見ると、申し訳ないけど正直なんだか僕はおかしくなって笑ってしまうのだった。
いや、もちろんそれはそれでその人のエゴのあり方なのだからもちろん人の自由なのだけど、まあ要するに自分にとってどうでもいい人間のことだからそういう自分が人からどう思われるかみたいなことを気にした発言になるのだと思う。
それでも他人事に口をだすのだから基本的にやさしい人たちなのかなとも思う。わかんないけど。僕はやさしくない冷たい人間なので、基本他人のことなんてどうでもいい。よけいな口を挟むことはしない。
ただ、相手が自分にとって個人的に深く関わりのある人だったら別。よっぽど嫌いな奴だったら内心「死んでくれてうれしいなあ」と思うかもしれない(幸いなことに今のところそんなに嫌いな人はいない)けど、大好きな人だったらエゴだろうとなんだろうと死んでほしくないなら死んでほしくないと伝える。
別にそれが相手にとって負担になるかどうかとかも関係ない。知ったことではない。別に相手を止めようとか思って言っているわけではないからだ。それこそ本気で死ぬ気の人間相手に自分ごときがそれを止めようとか傲慢な気がする。だから生きる死ぬはもちろん相手の勝手。
そんなことは相手の問題。僕にとって大事なのはその人が生きるにしろ死ぬにしろ、死ぬ前に僕の思っていることを伝えることが大事。僕のエゴを相手に示すことが大事。自分のエゴを相手に示すだけ示すことができたのなら、その後相手がどうするかなんてことは残念だけど関与できることでもないと思っている。
われながら傲慢なエゴイストだなあと思うけど、改める気もさらさらないし、多分これからもそんなふうにして生きていくと思うし、自分の身の回りの人たちには極力きちんと、暴力にならない範囲で丁寧に自分のエゴを示すことができればいいなあと思っている。こんなとこでござる。
・・・あれ?今思ったんだけどもしかしてこの記事まじめか?ごめんwwwwwオチとかなかったwwwwww気を抜いてたらつい素が出て普通にすげえいいこと言っちまったわwwwwwww
まあたまにはこういうこともあるということで勘弁してください。むしろこんな素晴らしいことが言える僕をみんなで誉めたたえて僕のエゴを満足させてください。おしまい