まつたけのブログ

世界の片隅で愛を避ける孤独なキノコの魂の叫びを聞け!…聞いてください(◞‸◟)猫とマンガとアニメと嵐をこよなく愛するまつたけによるまつたけのブログ

人間関係に疲れたら。人間関係の悩みを解決する考え方

人間関係に疲れたらどうすればいいか。人間関係に疲れた時はどうすればいいか。

そうだ、京都行こう。

そんな感じで逃げたりポイ捨てしちゃえば楽になれるかもよ?ってお話かも(違うかも)。

 

人間関係に疲れたり悩んだりストレスを感じるほどの価値はない

家族、恋愛、友達、仲間、趣味や仕事での人づきあいなど、人間関係の悩みは尽きないものですよね。最近の研究では悩みの18割が人間関係の悩みやストレスに起因するものという研究結果も報告されています(当社調べ)。

でも、そもそも人間関係ってそんなに言うほど大事なことでしょうか?

・・・いや、めちゃくちゃ大事なんですけど。もちろん人間関係があらゆる意味で重要なことはいかな臆病者の回避性人格障害のキノコにだってそれくらいのことはわかりきってるわけですけど、だからって悩みすぎて毛髪をごっそり持って行かれたりストレスで胃にでっかい穴を何個も開けたりおかしくなってメンヘラを発症してラムネ菓子の感覚で向精神薬をボリボリかじったりするような、そこまでのことでもなくない?ってお話です。

家族も友達も恋人もいなくても人間関係なんてなくても生きていける

そもそも思考や妄想で勝手に他者の重要性や必要性を実際以上に過大評価したり精神的に依存してしまっているだけで、本当に事実だけに徹してみれば、そもそも家族も友達も恋人も仲間も、別に必要というほどのものなんてありません。

実際僕には友達も恋人も仲間もいませんし、家族と言っても一応まだ生きているというだけでおよそ血の通った生身の人間関係といった類のものは皆無ですが普通に生きてます。むしろぴんぴんしています。朝起きたときなんて天を衝くドリルのごとく屹立するそれに恥ずかしさすら覚えるほどです(〃ノдノ)

いや、もちろん家族も友達も恋人も仲間も必要ないとかそんなのいなくたって生きていけるなんて言うのは極論です。極論ですし、そんな可哀想なキノコは僕一人で十分だとも思っています(ここで思わず泣き崩れる)。

ただ、単に事実として別にそれがないと生きていけないなんてことはないし、もしそんなふうに考えているんだとすればそれはただ思い込みで幻想を肥大化させて不必要に悩んだり苦しんだりしてしまっているだけかもよって話です。

人間関係に期待したり下心を持ち込むから苦悩する

当たり前ですが人間関係は大事じゃないとか蔑ろにしていいって話ではありません。縁あって自分と関わりある人、あるいは単に今自分の目の前にいる人を大切にすることは自分の人生をよりよく生きていく上で大切なことだと思います。

でもそのために深く激しく悩んだり苦しんだりして自分のことを限界まで追い詰めてしまうほど他者の存在や人間関係を求める必要なんてない、っつーか本末転倒だというのが僕の考えです。

僕自身それはもう昔は人間関係や人の気持ちを考えて深く激しく悩んだり苦しんだり愛したり憎んだりすることばかりで、あまりにも過酷で壮絶なそれを改めて振り返ることもしたくはないのですが、筆舌に尽くせぬ苦悩の果てに、気がつくと人間をやめていた、というより人間でなくなっていた、キノコになっていた、とだけ申し上げればその苦悩と愛憎の深さ、激しさの一端でも感じ取っていただけるでしょうか?

f:id:denpanohikari:20131013212719j:plain画像は世界の片隅にひとりひっそりと佇む天を衝くドリル孤独なキノコの図。ある日気がつくとこの姿になっていました。現代の『変身』です(?)

昔はそうやってどこまでも果てしなく思い詰めて悩んだり苦しんだりして自分のことを追い詰めた挙句、最終的にはほとんど裏切るような形で逃げたり背を向けたり自分からお別れしてしまう人間関係ばかりでした。

今でもたまにその頃のことを思い出しては何の意味もない後悔や罪悪感に苛まれて頭を掻き毟りながら床の上をのたうち回って身悶えするほどです。一時期使っていないmixiのハンドルネームを「野田内廻(ノタウチマワル)」にしていたほどです(関係ないけど最近ついにパスワードを忘れてmixiにログインできなくなりました)。

でもその点今はだいぶ気が楽です。みっともなく誰かに助けてほしそうに、そんなものありもしない救いを求めるかのように他人に向けて手を伸ばすこともありません。

あるいは逆に、自分に向けて助けてほしそうに伸ばされた手に心をかき乱されたり苦悩することもありません。自己の無力感や罪悪感に耐えつつ見て見ぬふりで黙殺するでもなく、その実自分を必要とされること(そんなの錯覚にすぎないのに)や求められることに内心喜びを感じてあっけなく共依存関係に陥るでもなく、何も考えてないバカみたいに穏やかにへらへらと笑って受け流します。多分そんなのはどっちにしたってある種の下心があるから生じる苦悩なのです。

人間関係に期待しないからこそ人を見極めることができる

来る者は拒まず、去る者は追わず。って言ってもあんまり来る人もいないので()、わが身一つさえ救うことができずに持て余しているゴミクズの分際で、同じような心の弱い人間のことを背負い込んで一時的にでも自分自身の抱えている問題から目を背けて安心したがるような、それでいて自分では人のことを考えて苦悩しているかのような偽善と欺瞞でしかない愚かな勘違いの悩みや苦しみに苛まれることもありません。

また、過度に人に執着しないからこそ曇りのない目で誰がどんな人かを見極めることができます。誰かに必要とされることで自分の自己有能感を満たしたいだけ、それでいてまともな人間から必要とされるほどの魅力も能力も持ち合わせていないから人よりも弱く依存心の強いメンヘラの心の隙間に浸け込んで食い物にしておきつつ、ちょっと自分に都合が悪くなると手のひらを返したように「あんなによくしてやったのにこれだからメンヘラは」みたいなことを吐き捨てて被害者面して攻撃してくるようなゴミみたいな人間の食い物にされることも、それに対して自分もまた被害者面して反撃するようなどうしようもない愚かさと醜さの塗りたくり合いといった醜悪極まりない愁嘆場を演じなくて済みます(メンヘラだろうとメンヘラじゃなかろうとバカは醜くてどうしようもありません)。

本当にやさしいのが誰かわかります。やさしい振りをしていたり自分ではやさしい人間のつもりでいるのだろうけど本当はやさしくないのが誰かわかります。どういう人が愛すべき人なのか、どういう人が攻撃されても反撃する価値もない人なのか、誰を大切にすべきで、どういう人間と関わるべきでないのかわかります。

全部自然にわかります。自分の方にある種の下心に基づく期待や打算がないからです。「助けてほしい」「救ってほしい」「こいつは自分を尊敬してくれるだろうか」「この人は私の承認欲求を満たしてくれるだろうか」「この女はヤラせてくれるだろうか」「この男はヤラせてやったら私を経済的に援助してくれるだろうか」…一例ですがそういう下心に基づいた期待や打算がかえって本当に人を見抜く目を曇らせてしまうのだと思います。

人間関係に過度に執着したり期待したり依存したりしないからこそ、本当に大切にするべき人、大切にすべき人間関係が自然とクリアに見えてくるのだと思います(テストに出るかも!)。

ありのままの姿見せるのよ 悩んでたことが嘘みたいね だってもう自由よ

誰彼となく愛されるために必死になったり、嫌われないように自分を隠したり偽ったりいい子ぶる必要もありません。Let it goです。ありのままの姿見せるのよ、ありのままの自分になるの。何も恐くない、風よ吹け。少しも寒くないわ!って感じです(ぶるぶる震えながら)。

悩んでたことが嘘みたいね。だってもう自由よ。何でも出来る。これでいいの、自分を好きになって。これでいいの、自分を信じて。光浴びながら歩き出そう。少しも寒くないわ!って感じです。ディズニーあたりに感動の大作化してほしいくらいの清々しい心境です。

人からどう思われるかはそんなに重要じゃないし、そもそも基本的にコントロール不能です。いや、もちろん重要は重要なんだけど、自分が相手をどう思うかってことのほうが本当は大事だし、自分にコントロールできないことに重要性を持たせすぎてもまったく無意味に消耗して疲弊するだけです。

最近は自分が大切に思う人を大切にできればそれでいいのかなってことも思います。もちろん誰かを大切に思えば、その人に嫌われたくないとか、その人にも自分を愛してほしい、大切に思ってほしい、みたいなある種の下心はどうしたって出てきてしまうものですが、自分の中のそういった気持ちに必要以上の重要性を持たせてもまったく不必要に苦しむだけです。

それよりは相手にどう思われるかって部分は無視して、あるいは気にしてないふりをしつつ、自分が相手を大切に思う気持ちに溺れたり飲み込まれたりして気持ちよくラリパッパしてるほうがはるかにしあわせなんじゃないかと思うようになりました。

どうでもいい人間関係で疲れたり悩みを感じるのは人生の無駄

まあ自分が誰かを大切に思えたり好きだと思えるなら人間関係なんてなくてもいい、相手と関われなくてもいい、なんていうのはあまりにも極論に過ぎるというか、ほとんど弱者か負け犬のたわ言みたいな気も自分でもしますが、まあそんなのですら人の生き方は人の勝手、自分の生き方は自分の勝手だと思うので、別にそれで自分がいいならいいのだと思います。

というわけで(というのも強引だけど)、別に人間関係なんて過度に執着したり期待したり依存したりする必要や価値のあるものじゃないし、本当はどうでもよかったりむしろ自分を傷つけたり損なったりするだけの人間関係なら後生大事にしがみついたりしてないで捨てちゃえばいいじゃん、そんなふうに人間関係に過度に執着したり期待したり依存したりしなければ本当に大切な人がどういう人かもわかるし、かえってそういう人とも思い詰めたりしないで気楽に付き合えるよ、というまるで信用詐欺みたいに信じられないほどうまい話でした。とりあえず金くれ。

信じるか信じないかはあなた次第です!おしまい。


人間関係が「しんどい!」と思ったら読む本 心屋仁之助


「傷つきやすい人」の心理学 ~人間関係にとらわれなくなる本~


ハローバイバイ・関暁夫の都市伝説―信じるか信じないかはあなた次第