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まつたけのブログ

世界の片隅で愛を避ける孤独なキノコの魂の叫びを聞け!…聞いてください(◞‸◟)猫とマンガとアニメと嵐をこよなく愛するまつたけによるまつたけのブログ

悟りとは何か=アルコール依存症からの回復という例えが秀逸な件

書評 人生

悟りとは何か=アルコール依存症からの回復であるという例えが秀逸な件について書いてみます。

悟りとはアルコール依存症からの回復である

雲黒斎さんの「あの世に聞いた、この世の仕組み」という本を読みました。雲黒斎と言ってもクレヨンしんちゃんじゃありません(わかる人いるかな?)、スピリチュアルというのかなんというのか、精神世界のブロガーとして阿部敏郎さんと並ぶ人気ブロガーの雲黒斎さんです。

 

雲黒斎さんはとにかくもうその説明のわかりやすさがずば抜けています。なにしろあつかっているのが精神世界だのスピリチュアルだの、目には見えないわけのわからない世界ですから、いくらでも適当なことぶっこいてる自称スピリチュアルカウンセラーみたいな人が腐るほどいる世界ですけど、雲黒斎さんの説明は本当にわかりやすくて思わずうなずいてしまうような説得力があります。

まあ「あの世に聞いた、この世の仕組み」って本のタイトル(元々は雲黒斎さんのブログのタイトル)がもう胡散臭すぎてやばいんですけどね。。。あの世とか守護霊とか言われちゃうと僕もドン引きしてしまうタイプなんですけど、雲黒斎さんだけは唯一例外的に、というかある種の方便なのかなーくらいに思ってます。

で、非常にわかりやすくて読んでいて面白い「あの世に聞いた、この世の仕組み」の中でも、気づきとか目覚めといったことをアルコール依存症からの回復に例えている章が自分的にはわかりやすくて素晴らしいと思ったのでそのへんのことを書いてみます。


もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
 続編のこちらの方もわかりやすくて面白いです。

煩悩=アルコール、凡夫=よっぱらい、覚者=シラフ

煩悩とは何か?凡夫とは何か?覚者とは何か?この世とは何か?「あの世に聞いた、この世の仕組み」から引用してみます。以下引用。

この世に生まれてくる僕らって、基本的にデフォルトで『アルコール依存症』状態なんですよ。もうね、アルコール(カルマや煩悩)」が大好きなの。やめられない、止まらない。で、この世が、いわば『アルコール依存症更生施設』なんです」

「この因果関係がわかっていない方の物事の解釈ってのは『俺が悪いんじゃないんだよ。そこに酒があるのが悪いんだ』って感じで、あくまで自分は『被害者』ってことにしちゃう。あるいは、『酒が好きなんだから、飲んで何が悪いんだよ!』って変に開き直っちゃってるか」

「この世は『アルコール依存症更生施設』ですから、お酒好きの方や、やめる気のない方から見たら、『何かと思いどおりにいかない不自由な場所』です。逆に、『自分はアルコール依存症である』という自覚があり、完治に向けて努力する方にとっては『心身を改善するための、ありがたい場所』となります」

続いて「煩悩」という言葉の定義について、辞書を調べて「仏教の教義の一つで、心身を乱し悩ませ、智慧を妨げる心のはたらきをいう」とした上で、この説明は煩悩を「アルコール」に置きかえても通じるでしょ?ってな話の流れになるわけです。

僕たち凡夫・衆生(悟ってない人)は日々その煩悩という名のアルコールを絶え間なく浴びるように飲み続けているわけです。そりゃ荒れたり苦しくなったり人間関係がめちゃくちゃになったりもしてしまいますよね。

それに対して覚者・仏陀(悟った人)というのは煩悩(酒)を絶ち、体からスッキリとアルコールが抜けきった人ということですね。解脱とか同じ意味で涅槃とか、今は亡くなることを涅槃に入るって言ったりもしますけど、もともとは悟りと同じ意味だったわけで、それはまさに「更正施設・病院から退院すること」に例えられるわけです。

煩悩はアルコールであり、凡夫や衆生はその煩悩に溺れて苦しむアルコール依存症の酔っぱらい、覚者・仏陀はそのアルコール依存症から回復した人、アルコールを断ち切った人であり、この世の目的はアルコール依存症からの回復であり、この世はそのための更正施設である、という例えは個人的にはかなりなるほどーと思えるものがありました。

酒・アルコール(煩悩)をやめるにはどうすればいいか?

「『お酒』は大きく分けると『醸造酒』『蒸留酒』『混成酒』の三種類。こんな感じで『煩悩』を大きく分けると『貪欲』『瞋恚』『愚痴』の三種類、となります。この三つ、仏教では合わせて『三毒』と呼ばれ、人間の諸悪の根源とされています」云々。以下、少し専門的な仏教の教義のお話が続きます。

しかしここでの要点は、ビールだろうとワインだろうと焼酎だろうと日本酒だろうと、酒は酒、アルコールはアルコールであるように、怒りだろうと憎しみだろうと嫉妬だろうと傲慢だろうと、煩悩は煩悩であり、それらは体や心にとって毒であるということです。

もちろんそうするとアルコール依存症患者(凡夫)の中にはこんなことを言う人たちがいます。「お酒がなくて人生楽しいの?」「悟ったって言うけど酒に酔うこともない人生なんて俺はごめんだね」などなど。

しかしこれはたわ言ではないでしょうか?完全にシラフで物事を正常に判断できる状態と、へべれけに酔って物事の判断も正常にできなくなるほど泥酔している状態と、両方知っている上で、つまり一度は悟って(アルコールを抜いて)その上でたまには酒を飲むことを選ぶというならまだしも、一度もシラフの状態も知らないアルコール依存症患者がこんな偉そうなことを言っても単に酒をやめられない自分自身の言い訳にしか聞こえません。

また、そもそもへべれけに酔って物事の判断も正常にできなくなっているわけですから、すっかり酔っ払って足元も覚束ない人がろれつの回らない舌で「俺は酔ってない!」と叫ぶのと同じようなものではないでしょうか?

それに対してお酒をやめた人、アルコール(煩悩)の害を悟った人はこう言えるわけです。「これまでさんざん酒で失敗してきたし、アルコール依存症で苦しんできたんだから、その酒をやめられて自分の心身の健康はもちろん、自分の経済状態やライフスタイル、人間関係もすべて悪循環を断ち切って健康的なものに変えられたんだから、こんなに清々しいことはないよ。君こそまだ酒にしか楽しみを見つけられないの?」と。

こんなこと言われたら僕はぐうの音も出ません。お酒をやめられない自分を正当化するための小賢しい詭弁や屁理屈をこねてないで、僕は早くアルコール依存症から立ち直りたいと思います。ではそのためにはどうすればいいのか?そのためのヒントやアドバイスとして、雲黒斎さんは次のようなものを挙げています。

貪らない。怒らない。恨まない。思い上がらない。人のためになることを考える。自分の執着や依存傾向・依存対象に気づく。小さなことでくよくよしない、などなど。

いずれもごもっともといえばごもっともですが、言うほど簡単でもないだろうと思うわけで、大事なのは結局それがアルコール(煩悩=毒)なんだよってことに気づくことなんだろうと思います。現状僕たちは毒を毒だとも思わず、娯楽や嗜好品として浴びるように飲んでいたわけですから。

でももしそこに「この酒(煩悩)が自分の人生や人間関係をめちゃくちゃにしてしまっていたんだ」ということの気づきが持てれば、人から「酒は体に悪いからやめなよ」などと忠告されるよりよほど真剣に「アルコールをやめたい、やめよう」という強い決意を持てるはずです。

自分を毒し、人を害するようなものはすべて煩悩ということですね。そこに気づければ一度には無理でも、少しずつ酒量を控えるようになるなり、休肝日を作るなり心がけることができるようになるかもしれません。

そして一時的にでも酔いが醒めたりシラフになった頭と爽快な心身で自分と自分を取り巻く人間関係や人生の現状を眺めることができれば、煩悩という酒毒がいかに自分自身や他人に対して破壊的な影響を及ぼしていたかに気づき、今度こそ完全に酒はやめようと決意できるかもしれません。

いずれにしてもまずは自分を乱すもの(煩悩)に気づき、その酒を出されるままに飲み干してしまうのではなく、気づいた時点でやめる、控える、口をつけないといったことから心がけていきたいと思います。

雲黒斎さんの「あの世に聞いた、この世の仕組み」の、悟りをアルコール依存症からの回復のようなものであるという例えが非常に秀逸だったという話でした。おしまい。


あの世に聞いた、この世の仕組み

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